酒寄進一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネレ・ノイハウスさんのオリヴァーとピアシリーズ第二作。
出版の順が作品の出来た順とは異なるため、こちらが現在読める四作中では最後の作品。
動物園から左腕と左脚の切断された死体が発見される。
オリヴァーとピアの捜査により、被害者は高校教師で環境保護活動家であるパウリーだと判明する。
パウリーの評判は、心酔する学生から憎悪されていたというものまで様々だった。
手足が切断された死体というと、猟奇殺人か何かを意図してのものかと思うところだが、違う。
犯人が理由を持って切り落としたのではなく、たまたま切断されたものだということ。
実際の事件に猟奇性は不要だが、読み物としてなら面白いと感じるわたしとしては、なあんだ切れちゃっただけかとガッカリする。
しかしノイハウスさんはそこで読者をガッカリさせては終わらない。
しっかり作品として面白く仕上げる。
相変わらず登場人物は多い上、名前がどことなく似ている人物が出てくるため度々登場人物一覧を見て確認整理しないと進まないのだが、物語の中盤頃には落ち着いてきて作品の面白さに浸ることができる。
登場人物一覧に名前のない人物でも大きな役割を担っているようなところもあり、読者を上手く撹乱する。
シリーズものの魅力として大切な主人公の描き方がある。
このオリヴァーとピアシリーズでは、一昨目の「悪女は自殺しない」のときにはそれ程しっかり主人公の描写が効いているとは思えなかったが、この作品では魅力溢れるキャラクターが出来上がっている。
オリヴァーもピアも家庭が円満というわけでなく、捜査の合間には家族のことで悩む姿のある普通のひとびとであるところが好ましい。
この作品では特にピアの揺れる気持ちが、事件そのものにも影響するという形で上手く描かれている。
四作目まで読んでいるわたしにとっては、後に出てくる人物との出会いもあり面白い。
事件解決までもスピード感もあり読者を飽きさせることもなく最後まで離さない。
犯人の予想をしながら読み進めるのだが、今回わたしの推理は外れてしまった。
そこがまた良い。
簡単に読者に推理させてしまっては、こういう作品として出来が悪いというものだ。
全体として面白く読めた。
まだ日本では有名な作家ではないかもしれないネレ・ノイハウスさんだが、一度読んでみたらファンになるひとも多いのではないかと思う。
ドイツミステリーの魅力を知ることができる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
空軍基地跡地燃料貯蔵槽の中から古い人骨が発見される。
検死の結果、11年前の連続少女殺害事件の被害者だと判明する。
同じ頃、その事件の犯人として逮捕され服役していた男性が刑期を終え、故郷に帰っていた。彼は、殺害を認めていなかったものの証拠によって罪が確定され、服役した後も村人からは憎悪の対象だった。
オリヴァーとピアシリーズ四作目。
殺人事件の犯人と家族、被害者遺族のそれぞれの苦しみと、閉鎖された環境において犯人とその家族に向けられる人々の冷たい視線。
こういったことは日本独特なものと思い込んでいた。
いつかテレビでアメリカで、殺人事件の犯人の母親が、マスコミに顔を出してまるで他人事のように話し、我が子を愛しているだとか刑が軽く済むようにといった日本では考えられないことを言っていたのを観て、日本とは感覚が随分違うものだと驚いたことを憶えている。
同じ外国でもアメリカとドイツは違うと言ったらそれまでなのだが、海外では犯人と親は別人格なので、子の罪について親に非はないと考えるものだと勝手に思っていた。
事件の謎解きや物語の展開は、前作「深い疵」に劣らない。
単純ではなく複雑に入り組んだ関係の中に真実があるため、読み進めるうちに予想していた真実が二転三転する。
オリヴァーとピアの私生活の描写もいつも以上に波乱があり、そちらも気になる。
いつも冷静なオリヴァーが、私生活に苦悩する描写があり、魅力が更に増してくる。
事件とオリヴァー共に、嫉妬という誰でも感じたことのあることが描かれているところも上手いと思う。
ネレ・ノイハウスさんは、まだまだ注目したい作家のひとりだ。 -
Posted by ブクログ
突然、現代に甦ったピアニストの青年が出会う冒険。
戦争中の記憶と、音楽大学での事件が交錯します。
ポーランド生まれのアルトゥアはピアニストでした。
ある事情で死んだはずなのに、なぜか幽霊に?
とはいえ、食べることも喋ることも出来て、洋服に入っていたお金も通用する。
しかも、カフェで出会った青年ベックはアルトゥアの話をあっさり受け入れ、喜々として自分の住む寮に迎え入れてくれます。
そこは、学生合唱団のクラブハウスで、ハノーファー音楽大学の学生達が暮らしているのです。
変人揃いなのが傑作で、しかもこれはかなり作者の実体験が入っているそう。
アルトゥアは、幼馴染のピアニスト仲間パヴェルとも再会。
1940年代に共に行動した記憶が甦ります。
なぜ二人は甦ったのか‥?
そこに謎を解く鍵が。
戦争中の出来事は、およそ戦争も耐乏生活も向かなそうなピアニストをも否応なく巻き込んだのでした。
パトロンをつかまえて生きてきた二人だけど、軟弱なだけじゃなかったのだ。
そして、大学で起こる事件! 悪気のない友人たちに危機が迫る‥?!
怖さ、切なさ、突飛さ、ユーモア。
色々な味を楽しめます。
変わった名前だなと思っていたら、作者はペルシャ人とドイツ人を親に持つハーフ。
この作品はいぜん、「この世のはてまでよろしく」として翻訳発行されたもの。確かに前の題じゃ~内容わかりませんね。 -
Posted by ブクログ
ある方のレビューで興味を持ち本屋さんで探して購入した本書。
第二次世界大戦でナチスのユダヤ人迫害を生き残り、アメリカ大統領顧問を務めたユダヤ人男性が射殺される。戦争時の拳銃が凶器で現場には謎の数字が残されていた。
ところが被害者はユダヤ人ではなくナチス親衛隊員だったことが判明する。
そしてまた同じように老人が殺されていく。
こう始まる物語で、ナチスやヒトラーに興味のあるわたしは当然読んでみたくなるわけで、読んだ感想をまず一言で言うと、面白く読めた。
ナチスが物語全体に関わるため、暗く重い内容にはなるのだが、事件を解決するオリヴァーとピアのコンビが魅力的で物語を救っている。
登場人物は多いというほど多いわけではないが、ややこしい長い名前であることと、本名と偽名とが出てくるので、少し気をつけて読まないと散らかってしまう。
ナチス崩壊後、ドイツやヨーロッパで生きるためには、ナチスに関わったことは隠していくひとが多いだろう。
進んでナチスに加担したひともいれば、戦争を生き抜くためにナチスにならざるを得ないひともいただろう。
また、ユダヤ人の苦しみや、直接迫害こそしていなくとも止めることも出来なかった多くの一般人のことなど多く考えさせられた。
ナチスやヒトラーについてどれだけ文献を読み映像を観ても、当時のひとびとの思いは想像するだけでしかない。
それでもこういった軽く読める作品からでも、戦争とそれにまつわる犯罪など学び考える機会を持つこと大変貴重で重要なことではないだろうか。
本作はネレ・ノイハウスのオリヴァーとピアシリーズの第三作目ということらしい。他の作品も随時翻訳されていくらしいが、個人的にオリヴァーとピアを好きになったので出版が待たれる。
また、「深い疵」というタイトルも素晴らしいと思う。
推理作品としてだけでなく、戦争のことまで思いを深められる良い一冊だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ友人のレビューを参考に読んでみた。
雰囲気最高、読み応えばっちり、犯人探しもそこに至る臨場感も趣深く書けていて、翻訳も良い感じ。
ただ、ミステリー読者としての俺のレベルには少々手ごわい感じだった。登場人物が多くて彼らの血縁や付き合い関係が整理できない。操作する側される側にも付き合いがあったりするから余計ややこしい。
巻頭の相関図や人物紹介を、その都度見るんだけど、それだけではついていけない。しかも「○○氏は実は××氏」っていうのまで出て来てしまったら…
誰がどんな人やったか分からなくなる度に、読み返したり思いだしたりしてたら、存外時間がかかってしまいリズムに乗り切れなかった。
本の面白さっていうのは、その本自体の出来もあるが、読み手の実力もないと真価が分からないもんだと、思い至らされました。 -
Posted by ブクログ
ミネット・ウォルターズの中編『養鶏場の殺人』が、とても強く印象に残っている。ウォルターズとしては珍しく、実際に起きた事件を小説化したものであり、やはり実際に起こったことのほうがむしろ小説よりも奇という場合もあるのだな、とじわじわと背筋に迫る人間の怖さを感じたりしたものだ。ついでに言えば、当該作品は、2006年イギリスのワールドブックデイにクイックリード計画の一環として刊行されたものであり、普段本を読まない人に平易な言葉で書かれた読みやすい本として提供されたそうである。
さて、本書『罪悪』は、日本国内でも上位にノミネートされて話題を呼んだ『犯罪』に次ぐ、現役刑事弁護士シーラッハの第二短編集である。『養鶏場の殺人』を想起させたのは、シーラッハの作品がミステリという枠を超えて、どんな読者にも、ともすれば普段本を読まない人をターゲットにして読んで頂いても、読みやすく、そして感銘を残すのではないだろうかと、ぼくの中で勝手に想像が働いたからだと思う。
おまけに『養鶏場の殺人』と同じく、シーラッハは現実に体験した事件から材を取っている。そのために、普通のミステリーでは描けないほどの人間の不思議さに迫る作品がむしろ多いように思われることだ。亡き叔父の遺した「物事は込み入っていることが多い。罪もそういうものの一つだ」という言葉を刑事弁護士という仕事に取り組んでいるうちに、徐々に自らに身についてきた真摯な眼差しなのであろう。
主人公「わたし」の登場し扱ってきた事件の題材という形をどの作品もどうであれ採用していることで、それぞれの人間の起こす奇妙な罪の群像にリアリティという光を与えている点にも注目される。刑事告発された罪は、見たままのものではないことが多い。むしろ「込み入っていることが多い」のである。
偶然が罪を生じさせる有機現象のように見えるものもあれば、人間の弱さや懐疑心が唐突に、もしくは長い時間をかけて貯蔵され、唐突に喫水線を超えることもある。世の中のミステリ小説は、こうした人間の不条理を扱って模索されるものが多い。しかしシーラッハは極端に煮詰め込み濃縮し切った超短編という形でいくつもの例題を提示する。それはそれで恐ろしさをナイフの先のように読者の心理に突き立てる。文章のあざとさというより、文章の選ばれた短さ、断面性のようなものが、彼の作品ををよりスリリングなものに磨ぎあげているとしか言いようがない。
シーラッハという読書的新体験ゾーンへようこそ、と言ったところか。