米原万里のレビュー一覧
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昨年末に手にした集英社文庫の“ふゆイチ”で紹介されていて、ずっと気になっていた本書。
ロシア語の翻訳をしている志摩(シーマチカ)は、少女時代に通っていたプラハのソビエト学校で出会った、踊りの才能が抜群で強烈毒舌キャラの舞踊教師、オリガ・モリソヴナの謎めいた来歴を探る為、ソ連崩壊後のモスクワを訪れます。
ソビエト学校時代の親友・カーチャ達と共に真相を追う中で浮かび上がってきた壮絶な背景とは・・。
オリガと伝説の踊り子・“ディアナ”は同一人物なのか?
オリガと共に「オールドファッション・コンビ」と呼ばれていたフランス語教師・エレオノーラが東洋人に異常な“食いつき”を見せていたのは何故だったのか・・?
等々・・といった数々の謎を解明するというミステリ要素もあり、スターリン独裁下での過酷な“やりすぎ粛清”時代を生き抜いた人々の力強さを描いた、人間ドラマとしても読み応えバッチリな内容だと思いました。
かつて強制収容所で過ごした女性の手記&語りで綴られる、“控えめに言って地獄”な生活は、その理不尽さ&悲惨さに胸が痛みましたが、シーマチカとカーチャが仲良しで楽しそうな場面とのコントラストがいい塩梅だったので良かったです。
ということで、良くも悪くもロシア(ソ連時代も含めて)という国の“底知れなさ”に圧倒されましたね~。
登場人物達の逞しさにパワーを貰ったような気持ちでございます。
巻末に収録されていた、著者の米原万里さんと池澤夏樹さんとの対談も興味深く読ませて頂きました~。 -
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著者の食いしん坊ぶりと、食べ物に関して徹底的に調べあげて追求する姿勢が素晴らしい。食べ物に関する含蓄やジョークや皮肉が詰まった一冊。
・極寒のヤクーツクで食べた、冷気で瞬間冷凍された魚の鉋で削って玉ねぎと和えた食べ物、たべてみたい
・人間は「生きるために食べるタイプ(空想癖のあるペシミスティックな傾向の哲学者に多い)」と「食べるために生きるタイプ(楽天的人生謳歌型の現実家に多い)に分けられる という話面白い
・フランス式フルコースの形式はまさかのロシアが起源!フランスではもともと一皿ずつではなく一気にどーんと並べて提供するスタイルが主だったのだとか
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世界一寒い国といわれるロシア連邦の中の「ヤクート自治共和国(現サハ共和国)」は、12月の平均気温がマイナス50℃にもなるそうですが、それでも町や村があって日常生活を送っている人達がいるとのことで、一体どんな国なのか、当時1984~85年にかけて、ロシア語通訳者としてシベリア横断の取材班と同行した、米原万里さんと一緒に覗いてみましょう。
まずは米原さん自身が身を以て感じられた率直な印象として、初めてヤクートの地に降りたときの反応が、その凄まじさを何よりも物語っており、ここに来る前に彼女たちは、東京の魚用の冷凍庫で防寒着のテストをマイナス45℃までしていたことから、飛行機の中で外はマイナス39℃と聞いても軽く見ていたようだったが、機外へ一歩踏み出した途端、チクチクと刺すような痛みが鼻の中を走り抜けて、鼻毛や鼻の中の水分が凍ってしまい、その痛みはタラップを一段下りる毎に増していくので、たまらずマフラーで顔を覆い、他の取材班の人達を見ると眉毛も睫毛も真っ白で、よくよく見ると毛の一本一本に氷が張り付いており、その様子は山本皓一さんの撮った、表紙の米原さんの写真を見れば一目瞭然と思われる中、彼らを出迎えたテレビ局員のオフロプコフさんや空港の職員の方々の歓迎の言葉が、また衝撃的であった。
『みなさんは日本から暖かさを運んできてくれましたね。マイナス39℃なんて、こんな暖かい日は久しぶりです』
マイナス39℃というのをこれまで体験したことは無いものの、アイスの冷凍庫が大体マイナス20℃前後をキープするので、その倍の寒さかなと想像すると、とても暖かいとは感じられないのではないかと思われた、そこに私の常識なんてまだまだ井の中の蛙だという世界の広さを痛感させられて、いろんな国があるものですね。
そして、これまでの人生の中で初めて聞いた言葉に『居住霧(きょじゅうむ)』があって、これは人間や動物の吐く息、車の排ガス、工場の煙、家庭で煮炊きする湯気などの水分が、ことごとく凍ってしまってできる霧ということで、冬になると殆ど風が吹かないこともあって、マイナス40℃以下になると、ヤクーツク市内での撮影は難しくなる程の視界の悪さとなり、写真を見ている私からしたら幻想的な景色に見えるけれども、実際に暮らす人達はさぞ大変だろうなと思われる中、市営バスの排ガスパイプが、普段の場所から上に折り曲げて、屋根の上まで真っ直ぐ伸ばされているのには、後ろを走る車への気遣いとも感じられた、そこで暮らす人ならではのアイデアが印象的。
また、もう一つ印象に残ったのが永久凍土地帯ならではの『傾いた家』であり、ヤクートの大地は地表から200メートル程下まで、一万年前の氷河期の地表がこの地域にだけ残ってしまったという事実にも驚いたが、更に驚愕だったのは、夏になると地表から約1.5メートルあたりまでの層が溶けて、冬になるとそれがまた凍ってと、それを繰り返すために建物は土台からねじれて傾いていくことから、どんな建物も50年は保たないそうだが、新しい工法で4~5階建てのコンクリート住宅を建てたりと、環境に合わせた人間の様々な生きる知恵というか考え方には脱帽させられるものがあった。
そんなヤクート人の常識には『寒いと氷はすべらない』があり、一瞬「えっ!?」と思われるかもしれないが、例えばヤクートの車に、今で言うところのスタッドレスタイヤ等は付けておらず、寧ろ、全く溝のないタイヤが好ましいことに、そんな危ないことをと思ってしまうのは、あくまで日本人としての常識であり、ヤクートの冬の寒さというのが、あまりに安定したそれだということを考えれば、逆に『何故すべるのか』ということも、理論的に理解することができて安全運転にも活用できるということで、ヤクートでは春の方がすべる危険が高いのです。
それから、寒すぎることで最も影響を受けることの一つに飛行機の移動があり、ヤクートでは最早運次第とも思われた、そんな米原さん達に実際に起こった出来事を書いていきたい。
まずは、ヤクーツクから800キロほど東方に位置する、北半球の寒極オイミャコン高原に向けて出発し、無事ウスチネラ町に着陸、そこからオイミャコン町に向かう予定だったが、マイナス50℃以下になると墜落の恐れが生じるので飛行禁止を言い渡されてしまう。
その翌日、マイナス48℃だから飛べるかと思われたが、秒速15メートルの強風が吹き荒れていて飛行は無理とのこと。
そのまた翌日はマイナス54℃。マイナス55℃までは飛行特別許可が下りる場合もあるからと空港当局と交渉したものの、行き先のオイミャコン町がマイナス61℃になっているので、やはり無理だと。
それからの三日間は、マイナス58、59、56℃となり、オイミャコンどころかヤクーツクにも帰れそうにない中、町内のどのホテルも足止めを食った乗客でいっぱいだったが、皆慣れているのか、のんきな顔をしている。
翌日、マイナス54℃になったのでヤクーツク行きの便だけは許可が下り、5日間も飛行場に停止していたため冷え切ってしまった機体とエンジンを今温めている最中との知らせを受け、急いで出発準備をしたものの、結局日没の14:30までに元に戻らず、米原さんたちはトボトボと宿舎に引き返すことに。
更に翌日、マイナス54℃でヤクーツク行きの便だけは飛ぶらしく、トータルで1週間待ち、ようやく無事離陸することができたものの、この飛行場も15分後には閉鎖されたそうで、まさに綱渡りのよう。
その2時間後、居住霧に覆われて閉鎖中のヤクーツク空港に強制着陸。ちなみにこの閉鎖はこの先1週間続いたそうで、飛行機で移動できるかどうかは、まさに神頼みとも思えそうなヤクート人のその判断に、まるで自然への敬意を払っているようでもあったのが、私にはとても印象深く、それはどんなに欠航してもピリピリとした雰囲気を見せない、彼らの物腰の柔らかさからも感じられたものがあり、彼らにとっての自然というのは、常に共に存在するものだということをはっきりと認識していることが、よく分かるようでした。
他にも、寒さを防ぐために考えられた構造をした家の紹介や、毛皮がここでは日常生活に欠かせない必需品であることに加えて、彼らヤクート人の狩猟民族のイメージとはかけ離れた温和な人柄には、かつて南国に住んでいた時、周囲の攻撃的な民族に追われて北上し、やがて誰も追い立てる者がいなくなった、この極寒の地に辿り着き、そこで適合することができたという説からも肯けるものがあった、それは彼ら自身の言葉、『どうも寒くないと体の調子が悪い』や『この激しい寒さが無性に懐かしい』からも感じられて、まさに『住めば都』とはこういうことを言うのだろうと思われた。
しかし、それにしたって、屋内プラス20℃で屋外がマイナス50℃という、この70℃の温度差は、人間の身体に凄まじい負担を与えるだろうと米原さんも書かれている中、現在でもサハ共和国の平均寿命が伸び続けているという事実も含めて、人間の身体構造の常識を覆してくれるようなヤクート人の生命力には神秘的なものを感じさせる中、黄色人種で日本人そっくりな風貌であることに親しみやすさもあった、そんな彼らの暮らしには、どこか他人事とは思えない魅力を感じられたのが、本書を読んで最も感銘を受けたことなのかもしれません。
私にとって米原万里さんは、ロシア語の通訳というより、思いもかけない視点から面白いことを教えてくれる人というイメージがあり、それは以前フィクションかと思って読んでいた、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』がノンフィクションであると分かった時から感じていた、若い頃から世界の様々な顔を知ってきた彼女ならではの視点の面白さ(素晴らしさ)であり、それは本書に於いてもモスクワに到着して、まず彼女のやったことが日本人スタッフ一人一人にロシア名を付けたことからも感じられて、声の大きな人には「ガナーリン」、ニコニコしている人には「ニタリノフ」、それを解説で教えてくれた同行者の椎名誠さんには、「アキレサンドル・シナメンスキー・ネルネンコ」と、その意味を知れば、なんて遊び心のあるお洒落な方なんだろうということがよく分かる、そんな彼女の知的なキュートさは、オフロプコフさんを「オフロさん」と呼ぶようになった彼への親しみを感じられた場面にも表れていて、どうやら彼は作家の開高健さんと瓜二つだったそうです。 -
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ネタバレあの人は誰だったのか——。
志摩は、プラハのソビエト学校にいた舞踊教師オリガ・モリソヴナのことを考える。エネルギーに満ちた恩師は、謎も多かった。あの頃から30年経ち、ソビエトが崩壊したモスクワで、志摩がたどる歴史。
一気に読んでしまった。志摩のソビエト学校時代の友人たちの魅力に、細い糸を辿っていく謎解きに、明かされるラーゲリの生活に、ページをめくる手を止めることができなかった。限られた滞在期間をめいいっぱい使う志摩も、再会したカーチャも、謎解きに参加するナターシャやマリヤ・イワノヴナも、大きな情報をくれるガリーナも、ついに現れたジーナも、そしてもちろんオリガ・モリソヴナも皆エネルギーに満ちていて、その言葉がイキイキと聞こえてくる。そのほとんどがセリフやモノローグ、手記で進むこの作品は、実に多くの声が聞こえてくる。誰もが自分の人生に誠実にあろうと、飲み込めないような苦いものを飲み込んで生きている。
作者の自伝的要素もありながら、資料に基づいて書かれたフィクションである。だからこそ、とてもリアルだった。迫ってくるものがあった。 -
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「いいかね、通訳者というものは、売春婦みたいなものなんだ。要る時は、どうしても要る。下手でも、顔がまずくても、とにかく欲しい、必要なんだ。どんなに金を積んでも惜しくないと思えるほど、必要とされる。ところが、用がすんだら、顔も見たくない、消えてほしい、金なんか払えるか、てな気持ちになるものなんだよ」(14p)
これが米原万里の師匠から授けられた「通訳者=売春婦」理論である。以降、米原万里は通訳料金の前払いを胸に刻み込んだという。
ずっとレビュアーの間から高い評価を勝ち得てきた米原万里さんのエッセイを初めて読んだ。通訳のあれこれだけで、1冊を書き通した。訳するということを全方位から解体しながら、面白いエピソードだけで繋いでゆくという荒技を、難なく成し遂げる真の知識人の魅力を満喫した。
本書の執筆は、1994年であるが、74pに、既にPC翻訳の進歩について言及している。
London has knocked some of corners off me.
という訳は、「機械翻訳で次のようにまでは処理できる」と、米原さんいう。
ロンドンは私から角の幾つかを叩き落とした。
しかし、それでは意味をなさない。どうしても次のように訳する必要があるという。
ロンドンに来たお陰で角が少し取れた。
これが「機械翻訳の限界」だと米原万里さんは胸を張る。それから30年、いくらなんでも機械翻訳は人間に近づいているんではないかと、iPhone所蔵のアプリで翻訳してみた。以下である。
ロンドンは私からいくつかのコーナーをノックしました。
良かった!全然進歩してない。米原万里さん、未だ大丈夫ですよ。
著者あとがきの後に、文庫本編集者の後書きが載っている。そこに彼女の「絶筆」が載っていた。エッセイでもなく、小説でもなく、本書の間違いを指摘した読者へのお礼の手紙だった。亡くなるたった15日前の誠実な文章だった。米原万里。かけがえの無い人だったのだと思う。
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食にまつわるエッセイ本。著者はロシアや東欧諸国に精通している為か、日本人には馴染みのない食物が次々と紹介されており、知的好奇心をかきたてる内容ばかりである。なかでも、「コロンブスのお土産」(p64〜66)は、今後の食糧問題を考えるのに良い。大航海時代、スペイン、ポルトガルはアメリカ大陸へ渡った。その中には、欧州にはない食物も運ばれた。具体的に言うと、トマト、ジャガイモ、トウモロコシが、当時のヨーロッパにとって珍しかった。ところが、食材として普及するのに時間はかかった。トマトは観賞用植物扱いで、ジャガイモに至っては、悪魔の食べ物と見なされた。(ちなみに、フランスでは18世紀末に、ロシアでは19世紀半ば過ぎに受け入れた)このように、食に対する意識、言い換えると、味覚ほど保守的なものはない、という著者の指摘は面白い。これが、飢饉や調理法の工夫から、美味しいとわかると、勢いを増して普及していく。このように、現代人が当たり前のように食べる食材は、実のところ、長い年月を経て受容されていることがわかる。言い換えると、現在では食べようなんて思わない食材(現時点では虫が該当するだろう)、何らかの形で今後食される可能性がある。
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モスクワで「魔法使いの集会」に参加した。
全く魔力もないし占いも当たらない微笑ましきニセモノばかりだったが、筆者だけがロシア語ができたせいか『悪魔と魔女の辞典』という小さな本をくれた。
人間界の常識とは色々逆さの意味になっている。
一例としては(割と知られたフレーズではあるが)「1ダース」を表す数字は、人間界では「12」だが、魔界では「13」だという。
米原万里は、ロシア語の通訳として、異文化の仲介役を仕事としていたから、文化と文化を見比べなくてはならない場面に多く立ち会ってきた。
本書の中では、異端人が別の目で世界を見た時、常識がくつがえる、そんな瞬間が紹介されている。
下ネタ多く公共交通機関の中で読むのは危険だが(笑いが止まらなくなる)、ソ連が崩壊する激動の時期に多くの仕事をして来た筆者の、政治的視点、歴史的視点も真剣に書かれている。
なるほど、戦争がどうしても起こってしまうのは、人間のこういった性(さが)とか業(ごう)のなせる技なのだろうなとも実感した。
「汝の隣人を愛せよ」は、なかなか実行が難しい。
(ちなみに現在、『世界くらべてみれば』というテレビ番組が放送されていて、これがとても面白い)
第1章 文化の差異は価値を生む
トルコへ旅行した日本人女性が乗り合わせた、髭面の男性ばかりの「水着女を見に行くツアー」
イスラム圏では、水着はおろか、女性の顔さえも拝めない。
「希少価値」は商売になる。
第2章 言葉が先か概念が先か
言葉を「概念」に直し、それを別の国の「概念」を通してその国の言葉に訳するという手法の自動翻訳機が開発されている。
「概念」は文化によって違うし、その微妙な違いを介して訳すのは無理ではないかと著者は思う。
第3章 言葉の呪縛力
「販売元:福島県」と記載されていたから、産地も福島県だと勝手に思っていたら・・・
第4章 人類共通の価値
ベトナム語は、鳥の名前には前に必ず「チム」と冠する。
鳩は「チム・ボコ」
あなたも気付かぬうちに、ある国での下ネタを口走っているかも。
第5章 天動説の盲点
大多数の人々にとって、世界は自己や自民族中心に回っている。
相手の身になって考えることには限界がある。
第6章 評価の方程式
期待が大きいと、失望も大きい。
上昇志向の強い人間は、なかなか幸せになりにくい。
第7章 ○○のひとつ覚え
ロシア経済改革のシンポジウムに参加した学者たちを見て、
アメリカ側だけがロシア語も日本語もかじったことさえ無い人物ばかりだった。
「国際語」を母国とするアメリカ人は、外国語を学ぼうとしない。
それは、異なる発想法や常識に対する想像力を貧しくしている。
第8章 美味という名の偏見
「星は輝き、花は咲き、イタリア人は歌い、ロシア人は踊る」という名文句があったが、「中国人は料理する」と加えたい。砂漠のど真ん中にあっても、皮から餃子を作る。
第9章 悲劇が喜劇に転じる瞬間
モスクワの空港での、爆買いベトナム人と空港税関職員たちの熾烈な攻防戦。
待たされてイライラしてしまうが、視線をズームアウトして、「木を見て、森を見る」と悲劇が喜劇に転じる。
それは「第三の目」の効用で、昔からの政治の「三権分立」がこれに当たる。
スターリンが失敗したのは、権力を一つに集めたから。
第10章 遠いほど近くなる
外国語を習う場合、近い言語系の人が最初の上達は早いが、いつまで経っても母国語訛りが抜けない。系統が近いゆえ、干渉が起こってしまう。
逆に、全く関係のない言葉の国から来た人の方が、最初こそ苦労するが、最後はきれいに話せるようになる。
第11章 悪女の深情け
振り向いてくれない高嶺の花ほど追いたくなり、女が自分に夢中になってくると飽きてくる、追われるようになると逃げたくなる、そんな男性心理はよく小説にも描かれている。
この心理は男性に限らない。
(「蛙化現象」も似てるかな?)
第12章 人間が残酷になるとき
戦争を防止する最良の手段は、なるべく多くの異なる国の人たちが直接知り合うことだとも思える。
人間は人間を一番愛しているかと問われれば、そんなことはない。
見知らぬ人の訃報より、自分のペットの死の方が悲しい。
また、動物を愛する人は心が優しいなどと言うのも一般的ではなく、600万人ものユダヤ人を死に追いやったヒットラーは犬が大好きだった。
権力者の行う「観念操作」で最も頻繁に用いられるのが、国とか民族への「愛国心」なるもの。
点火しやすくすぐ燃え上がるから「異なるもの」への憎しみを焚き付けやすい。
第13章 強みは弱みともなる
塩野七生氏の歴史観。
ヴェネツィアは、外からの人の受け入れを拒否することで大を為したが、その方針を貫き通したため衰退せざるをえなかった。
古代ローマは、門戸を開いたことで大国となったが、衰退も同じ要因で起こった。
エピローグ
物は考えよう⇒別の視点から見る
異端との出会いこそが、自身の立っている場所を明確にする。
解説 徳永晴美
米原万里の視点は、帰国子女ならではのもの。それも、社会主義国からの再突入による摩擦熱の大きさによる。
それはほとんど、異星人としての体験だったのではなかったか。 -
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☆3.5 ときどきおもしろい
単行本で。
米原万里は共産党幹部の娘で、ソ聯で通訳をし、妹が井上ひさしと結婚した。井上も米原も左翼である。
これを読むと、政治的毒が横溢してゐる。当時のイラク戦争を非難して、ブッシュだの小泉純一郎だの、ビンラディンだのが頻出。左翼だなあと。ムーアを思ひ出した。凡庸だらう。
しかし、なかにはアイデアが光ったエッセーがあり、そちらはすなほにおもしろい。たとへば、「寿命倍増プログラム」「ビルの高さの測り方」や「卓抜なる節税法」等。
さういふエッセーを読むと、こちらも自然にインスピレーションがわいてきた。
サンデー毎日の週刊連載だったから、書くネタに困ったらう内容もあるが、どこからネタを蒐集したのか、よく書けたものだ。
挿絵は米原自身のもので、味がある。