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シモネタなのに深い
アダムとイブの「葉っぱ」から力士のマワシまで、人類が腰につけるものについて、実体験と資料とタレコミを元にまじめに考察した一冊。ネタがネタだけに、米原さん本領発揮の安定の面白さです。
東欧・ロシアの、パンツは自分で作るもの、あるいはそもそも着けない、というのも驚きですが、かつての日本人のフンドシ姿を見た外国人の興味津々の様子も面白いです。
そして、あとがきを読んでさらに本書の深い意味を知ることに。米原さん、志半ばだったのかなあ。
Posted by ブクログ
スゴイ本である。
パンツとふんどしについての文化人類学的考察。
パンツとふんどしについて、
これだけ多数の文献に当たり、考察し
つなぎあわせていく。ジネンジョをほるような
面倒な作業を 嬉々として取り組んでいる。
その集中力に 圧倒される。
ガンによって 身体がおかされているにもかかわらず
この執念。まさに 集大成としての「ふんどし学」である。
結論として 『さきにパンツありき』ということだ。
騎馬文化が日本にやって来て、パンツが普及したわけではない。
馬の家畜化を考察し、ハニワなどの パンツ模様の解明をする。
ハンガリーの学校での家庭科での実習が
パンツづくりからはじまるというのが、笑える。日本では雑巾。
えらい違いである。
パンツが工業生産されていなかったという現実
がもっと信じられなかった。
『友誼』という中国製のパンツが 席巻していたというのも、
なんとなく、微笑ましい。
ロシア人のトイレには 紙がない。
たしかに 社会主義国には 神がない。
パンツは毎日変えることということは
確かにその習慣は教えられた。
パンツのもつ文化的価値と羞恥心。
恥ずかしいからパンツがあったのか、
パンツがあったから、恥ずかしいのか?
その問いかけが すばらしい。
イチジクの葉がなぜ落っこちないのか?
十字架のおじさんのはいているのは
パンツかふんどしなのか?
その問いかけが 鋭すぎる。
時間が 子供に さかのぼって、そして
現在まで いたる 考察の方法論が じつに うまい。
子供の幼い質問が なんといっても 本質をついている。
そういう 好奇心にあふれているのが いい。
お父さんのふんどしに 愛着を持っているところが、
ますますいいのだ。
Posted by ブクログ
読みながら、学生時代に「縫い目が肌にあたるのがイヤだから」と、ぱんつを裏返してはいてる同級生がいたのを思い出しました。
今頃きっと結婚して子どももいるだろうけど、こどもにも裏返しでぱんつをはかせたかどうか、とても気になってきました。
そこまで親しくしてなかったので、聞けないのが残念(笑)
亡くなった祖母は元気な頃、下着は腰巻でした。
もっぱら畑仕事してたので普段はモンペでしたが、旅行のときは洋服(ワンピース)でしたが、足元は足袋に草履、下着はやっぱり腰巻でした。
今だったら絶対に止めてるのに、なぜあの頃誰も何も言わなかったんだろう?
それにしても、ソ連の家庭科の教科書に、パンツの作り方があるだけでなく、実際に縫っちゃう生徒がいたというのに驚きました。
ロシアになってからは、どうなんでしょうね?
Posted by ブクログ
十字架上のイエス・キリストの下着はパンツかふんどしか腰巻か。という素疑問を長年持ち続けた筆者が長じてから綴る『下半身に身につける下着』についての考察を記したエッセイです。
何度か噴き出してしまいました。 たぶん、大体の人は日常に身につけているであろう下半身を覆う下着についての考察を綴ったエッセイです。パンツ・ふんどしをめぐる世界史的な考察をするという途方もないことをやろうとした筆者のチャレンジャーぶりにも脱帽しましたが、人類が『下半身を覆う下着』というものについての複雑さというのか。種類の多さというのか…。民族性や国民性によってもこれだけの違いがあるということにびっくりしました。
特に驚いたのは筆者がチェコのプラハにいた頃、ソ連から来た同級生の女の子が、パンツが乾かないといって、その場で布を裁断しパンツを縫い上げてしまったという話や、ワイシャツで裾が長い理由は、昔のヨーロッパではその長い部分がパンツの役割を果たしていて、それで下半身覆っていたという話や、筆者の父親が生涯、越中ふんどしを愛用していたことから古今の膨大な文献を紐解いて、日本人のふんどしにおける精神的なものを追求して記しているという努力。少し下ネタなども交えながら、ユーモアあふれる筆致で、最後まで楽しく読むことができました。
単行本化する前には自身の病気の関係もあって、紆余曲折があったとあとがきに書いていましたが、こういうことを本気で調べて、一冊の本に纏め上げるというのは、ある意味で途方もない試みであるとともに、筆者にはまだまだ面白いエッセイを書いて欲しかったなと。そんなことを考えてしまいました。
Posted by ブクログ
「米原さんといえばふんどし」って、私、どこですり込まれたんだろう?翻訳者よりも通訳者、のほうが、機転と機知とユーモアと冷静さと(とにかくあらゆるいろんなもの)を同時に働かさなければいけないんだろうな。むしろだからこそ、このような形で「残る」文章を残したかったのかな…。他の随筆でもよくわかることだけれど、言葉の遣い方の素敵な人が、つまり素敵な翻訳なり通訳なりができるのだ。「素敵」にもいろいろあって、ユーモアに富む、詩的である、論理的でかつ美しい……、もちろん持ち味はそれぞれの魅力で。敢えて言うなら、私にとって米原さんはやっぱり「ふんどしのひと」です。とくにそれで失礼にはあたらないはずです。だって、カヴァーには、「十字架上のイエス・キリストの下着はパンツか、ふんどしか、腰巻か。幼少期に芽生えた疑問を心の中であたため続け、長じて作家となった著者は、…(略)」とありますもん。さて、この著は(解説にもあるように)、著者にとってはもっと大きな企図の過程であったかもしれません。そのことを悼みます。けれど、誰もが企図半ば、私が明日、健やかに目覚めるという保証がどこにあろう?と、それはともかく、彼女のこういう著作を読んで笑ったりできるということ、これが大事なんだな、とふと考えます。この著の話題に絡めますが、「金玉の小さいやつ」「尻の穴が小さいやつ」…、一応は、オトコに対して、ですよねぇ。オンナに対しては、どんな言い方があるだろうか?「オンナの腐ったようなやつ」ってものオトコ向けだし、「女々しい」のはたいていオトコだし。ちょっと、考えてみよう。それから、カヴァーにはさらに「……、抱腹絶倒&禁断のエッセイ」とありますが、ちっとも禁断なんかではありませんことです、よ。
Posted by ブクログ
大好きな米原さんのエッセイ。エッセイと言いつつ、いろいろな文献や彫刻とか土偶とか絵画を縦横無尽に確認し、ご自身や読者の経験を元に、さらに想像力を駆使して、まじめに考察を試みている(もちろんユーモアはいつもどおりたっぷり)本です。大雑把に言うと、日本男子の心の象徴のように言われる<ふんどし>がなぜそんな象徴になったのかという文化的歴史的機能的背景に思いを馳せたり、はたまたパンツはいったいどこから発生してどのように伝わってそれにはどういう障害やドラマがあったのか、ということが、シベリア抑留者の手紙や明治文豪の日記や万里さんの幼稚園の思い出などなどを引き合いに出しつつ、とことん真面目に考えられています。とても興味深く、情にあふれ、わかりやすく、おもしろかったです。
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小説・文芸
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