米原万里のレビュー一覧
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米原万里さんは、9〜14歳(1960年頃)の頃、プラハ・ソビエト学校に通っていた。約30年後、ベルリンの壁が崩壊し、社会情勢が大きく変化する中、当時の友達三人に会いにいく。
ギリシャの青い空に憧れていたリッツァはドイツで医者になり、ルーマニア人のアーニャはイギリスで編集者になり、ボスニアの理知的でクールなヤスミンカはベオグラードで外務省に勤めていた。もちろん簡単に再会できたわけではない。細い糸を手繰り寄せ、やっとの思いで再会を果たす。
特にヤスミンカの言葉が胸をつく。
「この戦争が始まって以来、そう、もう5年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップひとつさえ買っていない。店で素 -
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米原万里さんが、9〜14歳の頃、1960〜1964年にプラハ・ソヴィエト学校に通っていた頃のお話と、約30年後にその時の友達三人に夫々会いに行くお話。
ギリシャ人のリッツァはドイツで町医者となり、ルーマニア人のアーニャはイギリスで編集者となり、ボスニア・ムスリムのヤスミンカはベオグラードで外務省に勤め(会う直前に退職)、と、夫々全く違う人生を歩み、そこに至るまでの道のりを本人から米原万里さんが直に聞く形で物語が語られるわけだが、再会する迄の調査過程もまた面白い。
ヤスミンカの篇に出てくる逸話(先生が、人体で最大6倍になる器官は何か?と聞き、生徒の乙女が恥じらう中、正解は瞳孔、というオチ)は -
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ロシア語翻訳者の米原万里さんのエッセイ。米原さんが過ごした在プラハソビエト学校の同級生のエピソードをもとに、彼らとの再開や時代や社会情勢の移り変わりへの考察といった形で構成される。ソビエト学校時代のエピソードも、日本ではなかなか体験できないような場面がでてきて興味深く、私も体験してみたくなってしまった…!
在学時代から時が流れて再開する同級生が想像とは大きく離れた暮らしをしていても、一定の理解を示せるのは、同級生の背景(祖国の社会情勢の変化)への深い理解なんだろうと感じられた。また、国際世論形成がカトリックやプロテスタントに有利なこと、(直接は書かれていないが) 旧東側勢力の情報が入手しず -
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小さい頃、世界をあるがまま受け入れていた。物事の機能も社会の仕組みも人間関係も、その複雑さを理解する経験も知識もなかったから。それでも、何故か理解出来ずに引っかかる記憶がある。あの時、母親はなぜ悲しんでいたのか、なぜ、先生は休暇から戻って来なかったのか。この小説は、人生のそんな謎解きを求めた内容。部隊はソ連、共産主義下。当たり前に粛清や拘束が行われた時代。あるダンサーでオールドファッションの先生を巡り。
悲しくも明るく。運命を受け入れながら、強く生き延びた人々。米原万里の半生と重なるが、フィクションである。この作家の小説は、生き様も性格も全てが物語に反映されていて、迫力が違う。
暫く積読して -
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全編食べ物にまつわるエッセイです。
時代も国も飛び越えたとても幅広いお話で、でもちゃんと身近に感じられるわかりやすい文章で、なんというか一言で言うと本当に面白かった!
「今話題の作品!」とか謳われているような若い作家さんの本を読むと変にカッコつけた文章の隙間から「面白いでしょ?!私の文章すごいでしょ?!」っていうアピールが漏れ出てきてるものが多くてうんざりがっかりするものが多いんですが、米原さんの文章はそういう薄っぺらいアピールなんて全く無く(その必要が無い)、本当の知性があふれているし興味深いしめちゃくちゃ面白い。それでいて決して軽くなくて深みのある内容。あーうまく表現できないのがもどかしい -
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ずっと気になってたカムチャッカのバザールで食べたお菓子があって、見た目が牛の糞そっくりで、量り売りされてたのですが、見た目に反してすごく不思議な甘い味で何回もリピートした位でした。でも帰国してからは誰に聞いても知らないと言われ、挙句ほんとに牛の糞食べたんじゃないの?とまで言われた謎のお菓子でした。それが、グレーテルのかまどでこの本のハルヴァが紹介されて、これかも!って閃いた時には本当に嬉しくて。米原さんの「あのハルヴァ」への情熱と欲求が我が事のようで。私はまだ牛の糞のようなハルヴァには再会できてないので、諦めずに探し続けようと思います。
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ネタバレ米原万里さんは愉快な人です。エピソードも文章も面白いし興味深い。
特に今はロシアについてマイナスイメージが強い風潮だけれど、このエッセイでのロシアやソビエトのエピソードは笑ってしまうものも多いです。タイトルになってる缶詰の名前はしばらく忘れられない。
絵本や童話についての第二楽章と、落語みたいなサゲがつく「シベリアの鮨」が特に好き。
「ハルヴァ」の口になります。トルコ蜜飴、トルコのを食べたことあると思います(学生時代の所属研究室教授のトルコ土産)。
お名前は存じていたけど読んだことは無かった米原さん、同僚が面白いと言ってたので手にしました。読んで良かった、他のエッセイや小説も読もうと思います。 -
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「生きるために食べる」のか、「食べるために生きるのか」。本書の中で印象的に用いられる言葉です。あなたは自分のことをどちらだと考えるでしょうか?本書は、後者であることをはっきりと自認する筆者による、食べ物についての著書ですが、単なるエッセイではありません。
著者の米原万里は、父親の仕事の都合により、幼少期をチェコで過ごし、そこでロシア語による教育を受けます。日本帰国後もロシア語の学習を続け、出版社などでの勤務を経た後、ロシア語同時通訳の第一人者として、ロシアからの国賓の通訳、日本人初の宇宙飛行士誕生時のロシアとの交渉役など、様々な要職を歴任。その後文筆家としても活躍するようになります。そのような