米原万里のレビュー一覧
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ネタバレ「薔薇の名前」で知ったアリストテレス「詩学」の第二部が現代に伝わっていたら、この本のような内容だったのではないかと思わせてくれる。小噺を通じて「笑い」が生じる普遍的な構造を探究した本。各章の最後に例題があって楽しめた。
著者の相変わらずの教養の深さテーマと読者への誠実な姿勢。本当の意味で真面目な人だなと感じた。闘病中に書かれた本だと知ってさらに尊敬。
以下、印象に残った文:
物語の最も基本的な構造が、「失われたものの回復」あるいは「その代償」だとしたら、小噺の基本的な構造は「失われたものの回復の失敗」あるいは、予定されていた回復の処方箋の(代償)が無効であることの言い渡しである。
「小泉首相とスターリンはトートロジーという論理のマジックを駆使する類い稀な才能がある」とのコメント。
これを15年も前に言っていたのは慧眼。息子にこの才能が引き継がれ、SNSでネタにされている。 -
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ロシア語の同時通訳の米原万里が、通訳にまつわるエピソードなどを紹介するとともに、同時通訳とは何か、ひいては、コミュニケーションとは何か等の深いテーマについても語った本。
題名が面白い。「不実な美女か 貞淑な醜女か」。同時通訳の現場には通訳のスタイルを決める2軸がある。ひとつは、原語、すなわち発話者の発言をどの程度忠実に訳すか。発話者の発言に忠実に訳すことを貞淑といい、忠実にではなく意訳をしたりしながら訳すことを不実と言う。もうひとつの軸は、訳す言葉の、例えば露日通訳であれば、日本語の表現文章がきれいなものかどうか。文章表現がきれいであれば美女、きれいでなければ醜女。
「不実な醜女」、すなわち、発話者の発言内容を正確に伝えず、かつ、ぎこちない文章で訳すというのは、論外である。「貞淑な美女」が一番良い訳であるが、文化的な背景や物事を表すときの言い回しの仕方が異なる2言語の間では、それはなかなか難しい。勢い、「不実な美女」か「貞淑な醜女」かの間で同時通訳者は迷うこととなる。ではどうするか。それはTPOによる、というのが米原万里の解説だ。例えば、パーティーの席でのスピーチには正確性はさほど求められないが、一方で、座を白けさせないような流暢な訳が、すなわち、不実な美女が求められるのである。一方で、例えば大きなお金がからむ契約交渉の通訳の場では、当然、通訳の正確性が何よりも求められる。文章の華麗さは二の次であり、すなわち、貞淑な醜女が求められる訳である。
米原万里は、本書をユーモアたっぷりに書いているが、本質的には、プロが自分がプロである分野のことについて、かなり分析的に語った、真面目な本である。例えば適当かどうか分からないが、イチローが野球について語り、あるいは、三浦カズがサッカーについて語るのと本質的には同じだ。専門性とは何か、プロとは何かを考えるきっかけになる本であるが、何より通訳者を目指す人が読むと、自分の専門性を培っていくための方法論に関しての大きなヒントを得られるのではないかと思いながら読んだ。 -
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「美女」とはすばらしい訳文「貞淑」とは忠実な訳文のこと。
同時通訳者の米原万理がその職業から見えてくる、職人技と心意気とを冷徹な頭脳で看破したエッセイである。また、民族が発生する言葉の裏にある文化を意識させてくれる。
同時通訳ってこんな仕事だったのか!とユーモアがふんだんにあるこの文章からはじめて知ることばかり。もうこれからはテレビの同時通訳に「わけわからない」などとゆめゆめ思うまい。
専門的なことの裏話も失敗談もおもしろかったが、通訳の常として異なった言葉の架け橋となって異文化を理解しつつ、言葉に対する深い洞察を述べているのがすばらしい。うなずくことばかりである。
実に頭のいい人なのだろうことは、神業に近い同時通訳をしているだけでも尊敬してしまうのだが、時に言葉に論理を与え、時に人生訓のようでもあり、プロローグから「通訳=売春婦論顛末」などとくすくす笑いで読み進めさせる、そのうまい文章にさすがと思う。
その少々硬めな内容をユーモアにつつめる彼女の筆力、早世が惜しまれる。 -
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食べ物に関するものを集めたエッセイ集。
米原万里が食いしん坊であったことがよく分かる。「神戸、胃袋の赴くままに」というエッセイでは、米原万里が美味しいものに目がないこと、とても健啖家であること、食べることに関してはまるで子供のように無邪気に、あるいはむきになることがよく分かり、何か微笑ましくなる。
米原万里の著書「マイナス50°Cの世界」でシベリアにテレビ番組の撮影のために長期間滞在したことを、本書でも題材にしている。かの地で美味しかったもののエッセイもあるが、面白かったのは、滞在中に和食を食べたくてたまらなくなり、一緒に行ったメンバーで寿司屋ごっこをする場面である。ただ、寿司を注文し、それを握ったふりをして出し、更にそれを美味しく食べるふりをする、というそれだけの遊び。ただ、想像上の寿司は得も言われぬ味がして、帰国後、日本で実際に寿司を食べても、「あのシベリアの寿司にはかなわない」という話をメンバーでするという落ちになっている。 -
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ロシア語通訳者の米原万里さんが、捨てられたor迷子になった犬猫たちを引き取って、新入りが入る度に彼らの間で巻き起こる嫉妬から、親愛の情が育つまでの賑やかな生活ぶりが臨場感たっぷりに描かれている。
出張先でも行き場のない仔猫や犬を見つけると連れ帰らずにはいられない著者の家の構成員は、時にその構成数を変えつつ、この本の執筆終了時には、ネコ5、ヒト2、イヌ2と思われる。そんな多頭飼いにもかかわらず、著者のネコちゃん、ワンちゃんへの愛が半端ない!
そして、そういう人の周りには同様にネコ好き、イヌ好きが集まるもので、微笑ましい話、笑える話が盛りだくさん。
飼育放棄される動物の多さに、心が痛む面もあるものの、読んでいるうちに、イヌ派の私も、かなりネコの魅力にやられそうになった。 -
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「打ちのめされるようなすごい本」米原万里。2006年文藝春秋社。
米原さんの遺作?遺稿?となった書評連載を没後にまとめたものです。
大変にオモシロくて、「イン・ザ・プール」から丸谷才一から政治や東欧やロシア関係から自然科学系まで、「これは絶対買って読もう」という印がいっぱいつきました。打ちのめされました。
※文中、鹿島茂さんのことを「あの人は仕事の質も量もすごい。どうやってインプット(読書)する時間を保っているのか」と感嘆するくだりがあり、「おお、同感」と嬉しかった(笑)。
※米原さんも「日本史は司馬遼太郎で基礎教養を付けた」とおっしゃられていて、我が意を得たり、と。どう考えても読書さえ出来るなら、それに勝る方法は無い。
※連載当時の自民党政権への批判が、時折(歳月を過ぎてみると)、批判と言うより罵倒…見下し…という風に受け止められる瞬間もあって、それはちょっとげんなりしました。(まあ、大まかな感情的方向としては同感なんですけど、個人的にはそういうことを読みたくて読書をしているわけでない)