あらすじ
1960年プラハ。マリ(著者)はソビエト学校で個性的な友達と先生に囲まれ刺激的な毎日を過ごしていた。30年後、東欧の激動で音信の途絶えた3人の親友を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
これはすごい本だ…。
なんといってもノンフィクションっていうのに驚く。かつてプラハのソビエト学校で同級生だった国際色豊かな友達の思い出と、30年後に再開するまでにそれぞれがどんな人生を歩んでいたかの話。激動の東欧現代史が、ひとりひとりの人生を揺さぶる形で立ち上がってきて心揺さぶられた。
知らなかったこと、考えさせられたこと、もっと知りたいと思ったことがいろいろとありすぎるお話だった。
白い都のヤスミンカで、セルビア悪玉論の話が出てきた時に、「戦争広告代理店」がこの話をメインに扱ってたことを思い出して読みたくなった。
Posted by ブクログ
東西冷戦の時代のソ連には各国から留学生を集めていた。
その家族もソ連に住んでいたので、その当時のお話。
鉄のカーテンもあり、ソ連に移住することはできなかったので、外国人からみたソ連の貴重なお話だと思う。
あと、文章が上手
Posted by ブクログ
米原万里さんが、9〜14歳の頃、1960〜1964年にプラハ・ソヴィエト学校に通っていた頃のお話と、約30年後にその時の友達三人に夫々会いに行くお話。
ギリシャ人のリッツァはドイツで町医者となり、ルーマニア人のアーニャはイギリスで編集者となり、ボスニア・ムスリムのヤスミンカはベオグラードで外務省に勤め(会う直前に退職)、と、夫々全く違う人生を歩み、そこに至るまでの道のりを本人から米原万里さんが直に聞く形で物語が語られるわけだが、再会する迄の調査過程もまた面白い。
ヤスミンカの篇に出てくる逸話(先生が、人体で最大6倍になる器官は何か?と聞き、生徒の乙女が恥じらう中、正解は瞳孔、というオチ)は、色んなジョーク集で聞くので、ソヴィエト世界にもあるんだな、と思いながら読んでいたら、もう一捻りあって受けた。(まちがった生徒に、先生が、諭そうとして言わなかったセリフをヤスミンカが言い当てる。ホントにそう思っているなら将来ガッカリしますよ、と。。)
一番衝撃を受けたのは、以下の文。
ロシアでプーチンがこうも人気がある(ホントかどうか分からないが)のは、そういうことなのか、と合点がいった。
P200
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能ある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」
(ロシア亡命音楽家・舞踏家の発言)
Posted by ブクログ
ロシア語翻訳者の米原万里さんのエッセイ。米原さんが過ごした在プラハソビエト学校の同級生のエピソードをもとに、彼らとの再開や時代や社会情勢の移り変わりへの考察といった形で構成される。ソビエト学校時代のエピソードも、日本ではなかなか体験できないような場面がでてきて興味深く、私も体験してみたくなってしまった…!
在学時代から時が流れて再開する同級生が想像とは大きく離れた暮らしをしていても、一定の理解を示せるのは、同級生の背景(祖国の社会情勢の変化)への深い理解なんだろうと感じられた。また、国際世論形成がカトリックやプロテスタントに有利なこと、(直接は書かれていないが) 旧東側勢力の情報が入手しずらいことは、現在も変わっていないと感じた。英語はもちろん大事だが、世界で起きていることを正しく判断するためにも、ロシア語、中国語の勉強も続けていきたいと思った。
Posted by ブクログ
実に興味深く、一気に読んでしまった。ソ連の崩壊、ビロード革命は記憶に新しいが、著者は冷戦の時代にプラハのソビエト学校で学んだ貴重な体験を持つ。作品には国籍の異なる3人の同級生のその後の人生が描かれるが、それはまさに激動の歴史に翻弄された壮絶なものであった。私にとっては、最後に登場するユーゴスラビアのヤスミンカの人生が最も衝撃的だった。彼女の無事を祈る。
Posted by ブクログ
友達がどうなったか知りたくて、あっという間に読めた。
そういう狭い民族主義が、世界を不幸にするもとなのよ。チャウシェスクの庇護を受けていた家族ノジュール娘
Posted by ブクログ
米原万里さんが幼少期プラハソビエト学校で過ごした日々と、その時に出会った3人の友人リッツァ、アーニャ、ヤスミンカとの関わりについて物語として描かれる。幼少期の印象に残る体験が大人になって蘇り、あの子はなぜあの時あの行動をしたのかを知ることになる体験は、実生活でもある。ソビエト学校での体験は、ネットが普及せずそれぞれの文化が現代以上に色濃いものだったに違いない。大人になって3人それぞれに会った時、当時知り得なかった事を知り…。
東欧の状況、民族紛争等、市民の視点で描かれて歴史理解も深まった。名著すぎる。
Posted by ブクログ
プラハのソビエト学校で出会った個性的な友人について、学生時代の思い出とその後の生活が鮮やかに描かれている。作者は幼い時から大人になるまでに経験した激動の時代の痕跡に直面し、作中の笑いは社会の極限状態を映し出しているかのように感じられる。読者にとっても、国家観を見つめ直すきっかけとなるであろう。
Posted by ブクログ
この本、面白い。
政治権力が行き着くところどこを見ているのかを遠回しに指し示していて、その中で民は途方にも暮れながらそれぞれが悪戦苦闘して生きていく他ないことを思い知らしてくれます。
しかし100年も経たない話ですか、これが。歴史って時代って動いていくもんですね、改めて当たり前のことを感じました。
Posted by ブクログ
(2004年に別のところに書いたレビューの転載)
文庫化を待ちわびて、さっそく読んだのですが、単行本がでたときによんでおけばよかった! と思いました。物語として読ませるのはもちろんですが、数十年前の共産圏の暮らしぶりや人々の考え方、その後の変化の様子などがよく描写されていて、勉強になりました。
通訳から作家・エッセイストとして明るく剛胆でさばさばしている印象がある米原さんですが、少女時代をのエピソードから素顔をちらと垣間見たような気もします。
マリがプラハのソビエト学校で出会った各国の少女たちのその後は、どれも平坦ではないけれども、それぞれたくましく生きていることも感銘を受けるし、そうした彼女たちに曲折を経て再会し、思い出と現実を行き来する著者の姿にも打たれました。
さらに年月が流れ、彼女たちはいまどうしているのだろうと気になります。
Posted by ブクログ
小4の時にプラハのソビエト学校に通っていた著者。その時の同級生と再会する旅に出る話。
3人の同級生が登場する。みんな個性的で魅力にあふれるエピソードが描かれていて時代も国も違う私も友だちになりたくなってしまう。
日本は1つの土地に同じ民族でずっと住んでいたので理解するのが難しいが、祖国に恋い焦がれる気持ち、民族を大事にする気持ちが多国籍な友だちを通して少し理解できた気がした。
冷戦時代のソ連の勢いはすごかったんだなぁ。それが徐々に勢力が縮小していって不安になるプーチン大統領の気持ちが少し理解できるような気がした。
しかし、共産主義で平等と言いつつ、実際は上の人ばかり優遇されていたらうまくいかなくなるはずだよな…と思ってしまう。
Posted by ブクログ
主人公マリと、マリが少女時代に通っていたプラハソビエト学校の同級生の物語。マリが歪みに歪んだ社会においてどのように成長していくのか、同級生はどのように成長していったのか、ノンフィクションで共産主義社会の歪みを描く。
最初に在学中の友人との思い出を、その後に30年後の再会を語る。これ一冊でプラハの春や、チャウシェスクの治世、ユーゴスラビア紛争に触れている。あまりにも重たく面白い。そしてそのさなか、同級生がどのような価値観を持っており、それがどう変遷したかを明白に示している。
最初にギリシャ人で勉強のできないリッツァの物語。親がギリシャ共産党の要人だった。レーニンのことを『一度も労働者階級になっていない中そこそこ裕福な暮らしを続けた』と見抜いている。父がプラハの春への軍事鎮圧に反対して放逐され、残された彼女は必死にカレル大学で勉強。医学をおさめてドイツで医師をしていた。
二人目はルーマニアのアーニャ。両親がチャウシェスクの腹心であり、特権を濫用してバカでかい屋敷に住み、およそ労働者階級らしくない生活、何一つ不自由ない暮らしをしていた。鎖国している中海外留学してイギリスに逃れ幸せに暮らす。再会後、マリは(うまく言えないが)アーニャの背景には幾多のルーマニア人の血と汗の臭いを感じ取っているが、彼女は無頓着にイギリス人としてのアイデンティティを持ちながら、コスモポリタン的楽観的主張をしている。アーニャの兄、ミルチャは両親の既得権益を貪るさまを毛嫌いして、学問の世界に生きる。片や特権を最大限活かし国外脱出した組、片や(多少特権にお世話になりながらも)自身の特権を恥ずかしく思い等身大の生き方をしようとする組、その残酷な対比が際立っている。そして、真っ赤な真実には血の赤さも含むように感じる。
三人目はユーゴスラビア人の才媛、ヤスミンカ。母国がソ連と反発し合う中孤独感を募らせていた。同じくソ連と反りが合わない日本共産党員の娘マリと、孤独を軸に仲良くなる。しかし、彼女は新しい校長にいじめられ、ユーゴスラビアに戻ることに。その後、ユーゴスラビアは崩壊。なんとヤースナの父はボスニアの大統領だった。父のいるボスニアと、セルビアの戦争で苦しむ。自分がユーゴスラビア人という自覚はあるが、ボスニア人(ボシュニャク人というべき?)という感覚はない。ムスリムでもない。この戦争が恐ろしく、亡命したい気持ちもあるが、それでもこの国が母国であった。セルビア人の友人もいるしモンテネグロ人の夫もいる。そういう割り切れなさに思い悩んでいた。彼女はその思いをボイボディナの素朴派画家の祖国への思いと重ねているようだった。
読んでいて感じたのは、実に若い(幼い)主人公たちが政治的な主張を何度もすることだ。特にアーニャの場合顕著だが、思春期真っ盛りの学生から『というわけで、ルーマニアの農民が草鞋しか履けないなんて完全なデマ、ルーマニアとソ連両国人民の友好に楔を打ち込もうとする悪質な反共キャンペーンだわ』という発言が出ることが真に幸福なことかと考えてしまう。
思春期くらいの学生が政治的思想に触れることには価値があるだろうが、それは自分で考える主体性を身につけるための過程において価値があるのであり、統治者に取って便利な政治的あるいは国粋主義的な模範解答を作り出すことには価値がないだろう。特に『悪質な反共キャンペーン』というフレーズは相手の名誉を地に落とす、破門にも通ずる恐ろしいものだ。反共というだけで相手に不道徳のレッテルを貼ってしまう。
Posted by 読むコレ
祝!電子化。米原さんの作品を電書で読める日が来るなんて考えもしなかった。60年代のプラハ、そしてその後の東欧の波乱を3人の旧友との再会の物語として描くノンフィクション。友達の消息を探しに、内戦下の旧ユーゴスラビアに飛び込んでいく第3話が特に素晴らしい!
Posted by ブクログ
【プラハのソビエト学校での友人との記憶と再会の記録】
また目を見開かれるような新しい人生について学びました。
ロシア語翻訳者で著者の米原万里さんは、1959年から1964年、中学校1年生までの5年 プラハのソビエト学校に通われていたそうです。
その当時に親しくなった3人の友人それぞれと、30年の月日を経て40台になった著者がその地を訪れて再会されています。
著者がそもそもなぜプラハのソビエト学校にいたのか、それは父親が共産主義関連の仕事をしていたからで、同じ学校に通っていた子どもたちも、同じような境遇にいて。
ブルジョワ階級と戦い、平等な社会を築くという思想であるはずの自分たち共産党員の家庭が、とても大きな家で暮らし、政権の庇護を受け、特権を享受している。
子どもからすると、ほんとうに知らない間にそんな状況にあって、そこから皆がどういう人生を生きていくのか、という点もとても興味深かったです。
・・・
「リッツァの夢見た青空」のリッツァは、ギリシャ人でした。実は見たこともないギリシャの青い空について話しているのですが、大人になったリッツァはドイツ・フランクフルトで、あれだけ勉強も苦手だったのに、開業医となって忙しくされていました。
夫・アントニスは、ギリシャ移民二世の労働者とのことで、その結婚時の両親との意見の対立や、兄・ミーチェスの悲劇的な現状も。
「ねえ、リッツァ、質問していい?リッッアは、なぜ、ギリシャに帰らなかったの。ギリシャは民主化されて、帰還は可能になったのでしよう。いつもギリシャの青い空のこと自慢してたから。てっきりもうギリシヤに住んでいるものと思ってた」
「マリの言うとおり。軍政が打倒された七ハ年、すぐにも飛んでいこうとしたらビザがなかなか下りなくてね、ようやく行けたのは、ハ一年だった。夢にまで見たギリシャの青空は本当に素晴らしかった。目がつぶれてしまうほど見つめていても見飽きないほど美しかった。でもね、マリ、私にとってギリシャで素晴らしかったのは、青空だけだったのよ。一番、我慢できなかったのは、ギリシャでは、女を人間扱いしてくれないこと。それに、子どもをメチャクチャ可愛がるのはいいけれど、 犬猫なと動物に対する嗜虐性にはついていけなかった。ああ、それにあのトイレの汚さは耐え難かった。結局、私はヨーロッパ文明の中で育った人間だったのね。思い知ったわよ」
「それで、ドイツ人やドイッでの生活には満足しているの」
…
自分のアデンティティを柔軟に変えていくような、彼女の強さが伝わってきました。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のアーニャは、ルーマニア出身で、父は独裁的大統領のチャウシェスク政権の幹部。地位ある職についてきた父親の特権と思惑もあり、最終的にイギリス人との国際結婚を果たし、ロンドンでエリート(Upper middle)な暮らしをしていました。著者はのちに、彼女がユダヤ人でもあったことを知りました。一方、兄の一人ミルチャは、異なる人生をルーマニアで築いていました。
著者はアーニャのストーリーの中で、愛国心、望郷の想いは、異国に暮らすと、そして自分の国が小さく弱い場合、また不幸な国であるほど強く大きくなる、と書かれていました。
ルーマニア人の青年通訳ガイドとの会話で印象的だった会話が、
著者「たしかに、社会の変動に自分の運命が翻弄されるなんてことはなかった。それを幸せと呼ぶなら、幸せは私のような物事を深く考えない、他人に対する想像力の乏しい人間を作りやすいのかもね」
青年「単に経験の相違だと思います。人間は自分の経験をベースにして想像力を働かせますからね。不幸な経験なんてなければないに越したことはないですよ」
また、著者は、アーニャの父親の生き様を前に、
「どこから、彼の人生は狂いはじめたのだろう。」と問う部分があります。
社会・時代の流れと人生、世界の見方がどう形成されるかについて考えさせられるストーリーでした。
「白い都のヤスミンカ」のヤスミンカの故郷はベオグラード。1990年代には旧ユーゴスラビア連邦が崩壊し、戦場となってしまう中、彼女の行方を追い、幸いベオグラードで再開を果たします。彼女は外務省での通訳の職を離れたところでした。父親は古郷ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国からの最後の大統領だったとのこと。絵を描く才能に秀でており、なぜか葛飾北斎を信奉していたヤスミンカが、実はムスリムであったことも著者は後に知りました。
才能についてのヤースナの言葉は印象的でした。
「西側に来で一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を婚み引きずりドろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、皆が支えてくれたの」(本文より)
私たちが単に西欧・東欧という、東欧について、東欧と中欧を区別する見方についても紹介されており、興味深かったです。
・・・
他者の世界について想像し、共有する素晴らしい想像力をお持ちの方なのだと思いました。
Posted by ブクログ
1960年~1964年、プラハのソビエト学校(9才~14歳)で学んでいた日本人作者が大人になってソビエト学校時代の友達に会いに行く、というノンフィクション。20世紀後半の東欧の出来事に絡んでいて、(共産主義、ソビエトの崩壊、独立戦争、内戦、等)歴史は詳しくないので読むのに時間がかかりましたが、1990年代の東欧の歴史がわかり面白かったです。
Posted by ブクログ
ヨーロッパの共産主義圏の激動や、
中・東欧の複雑な事情(ヤスミンカの章)の箇所で、
内容に混乱し若干モヤモヤしたが(歴史は苦手…)
著者の貴重なプラハ時代の友人との再会では
感情移入せざるを得ないほどの素晴らしい描写力。
しかし彼女が感じたギャップや矛盾・民族意識等も、忘れてはいけない。
(アーニャの章では複雑な心理を垣間見せている。)
米原さんの人生が、いかに濃いものであろうことがよく判る証明の記録である。
それにしても頭脳明晰な人の文章って凄い。
ノンフィクションというところが、更に凄さを倍増。
プラハに興味が湧いたのは言うまでもない。
youtubeにupされているNHKスペシャルも拝見した。
生でリッツァ・アーニャ・ヤスミンカを見られたのは嬉しい。
そして勿論、米原さんを拝見できたのも。素敵な女性です。
※【オリガ・モリソヴナの反語法】もまた再読したくなった。
Posted by ブクログ
ラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」で聴いて。
著者が生きていたら・・・とラジオでも話していたけれど、どんな発信をされるだろう。
30年以上前のノンフィクションだが、今現在、世界は全く変わっていない。まさに今読むべきかもしれない。
古代から、宗教、民族、思想と難しすぎて、ヨーロッパをはじめ、なかなかすべてを把握できないけれど、とにかく変わらず争いが続いている。
ただ、この当時、3人ともに再会できたことが救いでもある。
Posted by ブクログ
「アーニャの言動や生き方にいちいち抵抗を感じながらも、自分はアーニャが好きなんだと思った」
人と人とのつながりには全てが影響し、そして何も関係しないのか。
Posted by ブクログ
【感想】
本書は、1960年~64年の間にプラハのソビエト学校にいた筆者が、当時の同級生たちを30年越しに再訪するエッセイである。60年~64年というと、ヨーロッパではベルリンの壁が建設され、中米ではキューバ危機が起こっていた。まさしく「東vs西」のピークである。その30年後の1990年台前半はというと、ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一された。加えて旧ソ連の衛星国が相次いで社会主義体制を放棄し、ユーゴスラビアでは民族紛争が起こっていた。まさに国の概念がひっくり返る動乱が起きていた時代であり、この間東欧諸国出身の同級生たちはどんな人生を送っていたのか――、そうした足取りを辿る一冊だ。
プラハのソビエト学校では、50を超える国の子どもたちが一緒に勉強していた。当時社会主義体制に組み込まれていた「すべての国の」子どもたちだ。中には亡命してきた者も多く、学生生活のかたわら遠く離れた祖国に思いを馳せていた。
例えば、フランスの植民地であったアルジェリア出身の少年アレックスは、毎日のように無線ラジオに耳を傾け、独立戦争の行方に一喜一憂していた。そして、独立前後の、まだ政情不安な故国に両親とともに帰っていった。その消息は、その後分からずじまいである。
また、内戦が続く南米ベネズエラから来た少年ホセはこう言った。「帰国したら、父ともども僕らは銃殺されるかもしれない。それでも帰りたい」。それから一月もしないうちにホセの一家はプラハを引き上げていった。密入国した両親、姉とともにホセが処刑されたというニュースが届いたのは、さらにその3か月後だったという。
故国が不幸であればあるほど、望郷の想いは強くなる。残酷な運命を抱えた子どもたちは、この学校では決して珍しくない。本書のメインキャラである3人の少女――リッツァ、アーニャ、ヤスミンカも、同じように戦争と政治の惨禍に巻き込まれていく。
本書は社会主義諸国の人々を描いた人間ドラマだ。それと同時に、激動の東ヨーロッパの歴史を切り取った証書だ。作中では、政治の動乱によって市井の人々の生活や価値観が簡単に壊されていく様子が綴られていく。
例えば、筆者自身も学校で差別の対象にされていた。スターリン批判によってソ連と中国が険悪になる中、日本共産党は中国派とみなされていた。そのため、一部のソ連人の子どもたちは、筆者から距離を取っていた。子どもたちに関係のない「政治の世界」の出来事であるにもかかわらずだ。同様に、ユーゴスラビアはソ連から「お飾りの社会主義」と見なされており、ユーゴスラビア出身であるヤスミンカは、ソビエト人の校長から酷い嫌がらせを受けて退学している。
本人たちがどう思おうと、国と政治は否応なく人々の間に線を引いてきた。ソビエト学校の子どもたちは、幼いころから歴史を背負って生きていたのだ。
一方で日本に住む私たちは、東欧の人々と比べて、政治の変動に翻弄されることが少なかった。民族感情の対立を経験しないまま、今日の平和を享受している。それは幸せではあるが、無知から来る幸せだ。
愛国心は国を強くする。しかし同時に、愛国心は排外主義を招き、民族紛争の火種ともなる。動乱の経験のない私たち日本人だからこそ、ヤースナのように、友人、知人、隣人を愛さなければならない。マリやかつてのアーニャのように、愛国心を分断のために利用するのではなく、多様性を理解するために活かさなければならない。本書を読み終わった今、そう強く感じている。
――それでも、このときのナショナリズム体験は、私に教えてくれた。異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。
この愛国心、あるいは愛郷心という不思議な感情は、等しく誰もが心の中に抱いているはずだ、という共通認識のようなものが、ソビエト学校の教師たちにも、生徒たちにもあって、それぞれがたわいもないお国自慢をしても、それを当たり前のこととして受け容れる雰囲気があった。むしろ、自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。
「そんなヤツは、結局、世界中どこの国をも、どの民族をも愛せないのよ」
アーニャは、よく心の底から吐き出すように、そう言った。
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【まとめ】
1 リッツァ
リッツァ:ギリシャ人の女の子。リッツァの父親は、軍事政権による弾圧を逃れて東欧各地を転々とし、チェコスロバキアに亡命してきた共産主義者。祖国はギリシャであるが、リッツァは、一時期両親が身を寄せたルーマニアの田舎町に生まれ、5歳のときに家族とともにプラハに移住してきた。
リッツァは勉強は散々だったがスポーツは万能で、小学校4年生にして男の見極め方や性知識を教えてくるおませさんだった。「女優になって、片っ端からいい男と寝てやる」と豪語するぐらいの美少女だった。
筆者のマリは1960〜64年の間、プラハのソビエト学校で学んでいた。5年目に父の任期が終わって日本に戻ると、地元の中学校に編入した。
初めのうちはなかなか溶け込めず、プラハの学校が恋しくて仕方なかった。そのため、リッツァや仲良しのクラスメートにせっせと手紙を書いた。ソ連人の同級生が、誰一人返事をよこさなかった事情については、ずっと後になってから知った。資本主義圏の人間とは、痕跡が残るよう交際をしてはならないと、親や周囲から厳しく牽制されていたのだ。
プラハ時代の学友たちのことが、むやみに心をかき乱すようになったのは、80年代も後半に入ってからのことである。東欧の共産党政権が軒並み倒れ、ソ連邦が崩壊していく時期。もう立派な中年になっている同級生たちは、この激動期を無事に生き抜いただろうか。いつのまにかクラスメート一人一人の顔が浮かんでいることが多くなった。
「リッツァに逢いたい。プラハ・ソビエト学校時代の同級生みんなに逢いたい」
彼らの面影に惹かれるように、再三再四、プラハやプラハ時代の学友たちが帰っていっただろう国々に旅するようになった。
リッツァは医者になり、フランクフルト近くのナウハイム市に住んでいた。かつて「抜けるように青い」と自慢していた故郷ギリシャの青空のもとには帰っていなかった。
リッツァの父は、ワルシャワ条約機構軍のチェコ侵入に断固反対したため、ソ連共産党から爪弾きにあっていた。実質的に国を追われる形となり、西ドイツに移住した。リッツァも大学を続けてはいたが、寮にいられなくなり、奨学金も打ち切られた。
リッツァ「大変は大変だったけど、苦労したのは学問のほう。経済的には、そんなに困らなかった。だって授業料は無料のままだもの。こちらに来て分かったけれど、医学部の授業料は、目が飛び出るほど高くて、これじゃ、金持ちしか行けないわ。私みたいな大して頭の良くない貧乏人があれだけ本格的な教育を受けられたのは、社会主義体制のおかげかもしれない。生活費だって安かったし。気分的にもとても楽だった。まわりには、父の立場に共鳴してくれる人が多かったし」
リッツァの父は移住先で運び屋になって成功を収めたが、1985年に自動車事故で亡くなっていた。兄のミーチェスはかつてプレイボーイだったが、女性関係のトラブルで現在はほとんど廃人状態である。
リッツァ自身は二児の母。上の子はダウン症である。
マリ「ねえ、リッツァ、質問していい?リッツァは、なぜ、ギリシャに帰らなかったの。ギリシャは民主化されて、帰還は可能になったのでしょう。いつもギリシャの青い空のこと自慢してたから、てっきりもうギリシャに住んでいるものと思ってた」
リッツァ「マリの言うとおり。軍政が打倒された78年、すぐにも飛んでいこうとしたらビザがなかなか下りなくてね、ようやく行けたのは、81年だった。夢にまで見たギリシャの青空はほんとうに素晴らしかった。目がつぶれてしまうほど見つめていても見飽きないほど美しかった。でもね、マリ、私にとってギリシャで素晴らしかったのは、青空だけだったのよ。一番、我慢できなかったのは、ギリシャでは、女を人間扱いしてくれないこと。それに、子どもをメチャクチャ可愛がるのはいいけれど、犬猫など動物に対する嗜虐性にはついていけなかった。ああ、それにあのトイレの汚さは耐え難かった。結局、私はヨーロッパ文明の中で育った人間だったのね。思い知ったわよ」
「それで、ドイツ人やドイツでの生活には満足しているの」
「ぜんぜん。もちろん、病気じゃないかと思うほど街も公共施設も清潔なのは気持ちいいけれど、ここはお金が万能の社会よ。文化がないのよ。チェコで暮らしていた頃は、三日に一度は当たり前のように芝居やオペラやコンサートに足を運んだし、週末には美術館や 博物館の展覧会が楽しみだった。日用品のように安くて、普通の人々の毎日の生活に空気のように文化が息づいていた。ところが、ここでは、それは高価な贅沢。経済はいいけれど、文化がない」
2 アーニャ
アーニャ:「雌牛」というあだ名の、ぽっちゃりしたルーマニア人の女の子。筋金入りの愛国者かつコミュニストで、大げさな革命的言辞を異常に好んでいた。アーニャには虚言癖があり、やたらめったら話をドラマチックにしたがった。常に自分流を押し通して周囲を混乱させていたが、心根が優しく、友達を大切にする子で、話しが面白くクラスメートから愛されていた。父親がチャウシェスク政権の幹部であるため大金持ちで、共産主義者でありながらブルジョワ的な暮らしをしていた。
アーニャはルーマニアを心から愛し、ソビエト学校の途中で母国ルーマニアの学校に転校していった。
帰国後最初に届いた手紙には、自分の国に住む喜びが素直に綴られていた。
アーニャ「マリ、ずっとずっと夢見ていたけれど、自国語で暮らし学ぶことが、これほど興奮し心躍るものだとは想像がつかなかった。今は、ルーマニア語で友達とおしゃべりしたり、宿題を考えたり、授業で先生に当てられて答えたりするのが、嬉しくて嬉しくて仕方ない の」
当時のルーマニアは決して幸せな国ではなかった。国内では国粋主義的・排外主義的締め付けが進み、貧富の差は激しかった。アーニャは特権を享受する立場だった。彼女自身は18歳でイギリス人と結婚し、ロンドンに移住していた。
1995年、筆者はブカレストを訪れた。かつて東欧のパリと讃えられた街に、その面影はなかった。荒れ果てた街の風景に、何よりも人々のすさんだ表情と、何かに怯えるような落ち着きのない瞳に衝撃を受けた。その瞳からは独裁体制から自由になった喜びや希望は読みとれない。崩れかかった古い建物、建設途中で放置されたコンクリートの建造物、大量の野良犬。それと対を成すように立ち並ぶ豪華な邸宅には、チャウシェスク政権時代の幹部が今も住んでいる。街も人も、いまだにチャウシェスクの時代に取り残されていた。
アーニャの両親は、警備員付きの豪華な邸宅に住んでいた。広い庭とテニスコート、革張りの玄関扉を抜けた先には、広い廊下と両側にいくつもの巨大な部屋が並んでいた。アーニャ自身は今、ロンドンで旅行雑誌の副編集長をしている。英語も完璧であり、完全にイギリス人になっているらしい。あの熱烈なルーマニア愛国者のアーニャがだ。
マリはその日の夜、アーニャの兄のミルチャと会い、家族の身にあったことを話した。
「僕の両親は、この体制の救いようのないことをとっくに察していたんですよ。おそらく、すでに60年代後半にはね。それで、目に入れても痛くないほど可愛い娘を外に逃すことにしたんだと思います。父だけでなく、党の幹部たちの中でもインテリ出身の連中は、まるで暗黙の了解でもあるかのように、軒並みそういう手を打っていました」
「どうして、分かるんです?」
「僕も父から言われたからです。外国に留学して、留学先で結婚相手を見つけてこの国を出ろと」
「そのアドバイスに従わなかったんですね」
「当然です。そんな卑劣な父が許せなかった」
「アーニャは、素直に従ったというわけですか?」
「いや。アーニャの前では、父も尊厳を保とうと、かなり見栄を張ってましたからね。僕に対してと同じ台詞を言ったとは考えられない。でも、そのようにアーニャの人生が展開するようにリモート・コントロールしていった。党の幹部たちの子弟用には、普通の子どもたちが行く学校ではなく、特別な学校があったんです。アーニャはプラハから帰国すると、そこへ通いました。少人数で教師たちは皆、超一流の学者だった。本職はみな大学教授でしたからね。その中には、学生時代からの父の友人も多く、その友人たちを通して、アーニャの関心を近代西欧の哲学に向かわせ、ルーマニアの大学ではなくイギリスの大学に留学するよう仕向けていった」
チャウシェスク政権下では、ルーマニア人が外国人と結婚するのはほぼ認められていなかった。政権幹部だけが、その特権を悪用していた。ミルチャはその立場に我慢できず、自ら家を出たのだった。
その後、マリはアーニャとプラハで再開する。
「アーニャはソビエト学校でも愛国心の強さでは右に出る者いなかったでしょう。あれも、白黒の世界だったの?国籍を変える時は、辛くなかったの?」
「国境なんて21世紀には無くなるのよ。私の中で、ルーマニアはもう10パーセントも占めていないの。自分は、90パーセント以上イギリス人だと思っている」
さらりとアーニャは言ってのけた。ショックのあまり、私は言葉を失った。ブカレストで出逢った、瓦礫の中でゴミを漁る親子を思いだした。虚ろな目をした人々の姿が寄せては返す波のように浮かんでくる。
「本気でそんなこと言っているの?ルーマニアの人々が幸福ならば、今のあなたの言葉を軽く聞き流すことができる。でも、ルーマニアの人々が不幸のどん底にいるときに、そういう心境になれるあなたが理解できない。あなたが若い頃あの国で最高の教育を受けられて外国へ出ることができたのは、あの国の人々の作りあげた富や成果を特権的に利用できたおかげでしょう。それに心が痛まないの?」次々とそんな想いが頭の中を駆けめぐるのだが、口ごもってしまって、言葉にならない。アーニャは、顔を上気させて滔々とまくし立てる。
「そうよ、マリ。民族とか言語なんて、下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないの。人類は、そのうち、たった一つの文明語でコミュニケートするようになるはずよ」
「ルーマニアの人々の惨状に心が痛まないの?」
「それは、痛むに決まっているじゃないの。アフリカにもアジアにも南米にももっと酷ところはたくさんあるわ」
「でも、ルーマニアは、あなたが育った国でしょう」
「そういう狭い民族主義が、世界を不幸にするもとなのよ」
丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて真っ直ぐ私の目を見つめるアーニャは、誠実そのものという風情だった。
3 ヤスミンカ
ヤスミンカ(ヤースナ):ユーゴスラビア人で、クラス一の優等生の女の子。体育とダンスをのぞくあらゆる学科をほぼ完璧にこなし、とくに絵の才能がずば抜けていた。葛飾北斎にインスピレーションを受けていたらしい。本人は褒められてもあまり喜ばず、何事にも程よい距離を保ちクールに振る舞っていた。
1960年代初頭から63年の半ばぐらいまでは、ソ連から「ユーゴスラビアは社会主義諸国の一員ではない」「社会主義を騙るほとんど資本主義国である」とみなされ、ヤスミンカもあまりクラスに友達がいなかった。
筆者が中学三年生のとき、ヤースナはソビエト学校を退学してチェコの学校に転校した。そのまま学年末まで通い、ユーゴスラビアに帰国した。
筆者がユーゴスラビア連邦を訪ねたのは1995年の11月、ユーゴスラビア民族紛争の真っ只中だった。なんとヤースナの父親は、ユーゴスラビア連邦の大統領のひとりになっていた。その中でもボスニア出身の大統領は彼が最後である。ヤースナ自身は外務省の通訳・翻訳官を勤めていたが、3か月前に辞め、ベオグラードに住んでいた。
ヤースナ「マリ、私、空気になりたい」「誰にも気付かれない、見えない存在になりたい」
紛争が始まってから、ムスリム人の両親から生まれているヤースナの人間関係はギクシャクしていった。外務省を辞めたのは自ら退職願を出したからだった。
ヤースナはアーニャ一家とは違って、庶民向けの大規模団地に暮らしていた。日常生活を丁寧に生きる、幸せな家庭を築いていた。
ヤースナ「でもね、マリ、このすべてが、いつ破壊し尽くされてもおかしくないような状況に、私たちは置かれているのよ。翻訳している最中も、本を読んでいるときも、台所に立っているときも、ふとそのことで頭がいっぱいになるの。すると、振り払っても振り払っても、 恐ろしいイメージが次から次へ浮かんできて気が狂いそうになる」
「この戦争が始まって以来、そう、もう5年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップひとつさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって」
「私にはボスニア・ムスリムという自覚はまったく欠如しているの。じぶんは、ユーゴスラビア人だと思うことはあってもね。ユーゴスラビアを愛しているというよりも愛着がある。国家としてではなくて、たくさんの友人、知人、隣人がいるでしょう。その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。国を捨てようと思うたびに、それを捨てられないと思うの」
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米原万里(1950~2006年)氏は、日本共産党幹部だった父親の仕事の関係で幼少期をプラハで過ごし、東京外語大ロシア語学科卒、東大大学院露語露文学修士課程修了、日ソ学院(現・東京ロシア語学院)や文化学院大学部でロシア語を教える傍ら、1978年頃より通訳・翻訳を手がけ、1983年頃からは第一級の通訳としてロシア語圏の要人の同時通訳などで活躍した。日本女性放送者懇談会賞受賞。ロシア語通訳協会会長。また、エッセイスト、ノンフィクション作家としても活躍し、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』で読売文学賞(1994年)、『魔女の1ダース』で講談社エッセイ賞(1996年)、『オリガ・モリソヴナの反語法』でBunkamuraドゥマゴ文学賞(2002年)を受賞した。
本書は、2001年に出版され、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。(2004年文庫化)
本書は、著者が9歳から14歳までの5年間通った、プラハにある(ソビエト連邦外務省が直営する外国共産党幹部子弟専用の)ソビエト大使館付属学校で共に過ごした個性的な女友達3人(亡命ギリシャ人の娘のリッツァ、ルーマニアの要人でユダヤ人の娘のアーニャ、ボスニア・ヘルツェゴビナの最後の大統領の娘でボスニア・ムスリムのヤスミンカ)について、1989年の東欧革命に端を発した激動の中で、20余年の時を経て探し当てて再会を果たし、少女時代には知らなかった、そのルーツ故に辿ったそれぞれのその後を描いたノンフィクション/エッセイ、「リッツァの夢見た青空」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、「白い都のヤスミンカ」の3篇から成る。
私は普段、ノンフィクションやエッセイを好んで読むのだが、今般、過去に評判になった本で未読のものを、新古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。
読み終えて、いずれもノンフィクションなので、当然ながら個別具体性の極めて高い作品である一方、共産主義・社会主義イデオロギー、全体主義的統治、複雑な宗教事情、ユダヤ民族問題等の多くの側面を持った(20世紀後半の)東欧の姿を映し出した三部作の絵画のような作品だと感じた。また、私は1990年代初頭に欧州に駐在し、プラハや、壁がまだあちこちに残るベルリン等に訪れる機会があったのだが、当時、そこに住んでいた人々は、本書に描かれたような生活・人生を送っていたのか、と振り返る意味でもとても興味深いものであった。
尚、解説で斎藤美奈子は本作品をこう評している。「彼女の代表作を一冊だけあげるとしたら、おそらく本書『噓つきアーニャの真っ赤な真実』になるのではないかと思います。米原万里にしか書けない題材と方法論という点では、・・・本書はおおげさにいえば彼女自身の人生と大きくかかわっているからです。本書は二十世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点であざやかに切りとった歴史の証言の書でもあります。個人史の本も、現代史の本も、個別に存在してはいるものの、両者をみごとに融合させたという点で、『噓つきアーニャの真っ赤な真実』はまれに見る優れたドキュメンタリー作品に仕上がったのでした。」
そして、我々が本書から学ぶこととしては、著者がアーニャに投げかけた次のような言葉になるのだろう。
「抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件の下で、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」
少女時代をプラハで過ごした著者だからこそ書き得た、傑作ドキュメンタリー三部作である。
(2023年5月了)
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自分の知らなかった世界。
この本を読んで良かったと思う。
自分の家族や友達、つまりは自分の生きてる視界には全くと言っていいほど実際かかわりがなかった世界を知れた。
きっと一生話すことのなかったろう人たちの話を聞けた。
東欧で生まれたらどんな人生になるのか。
社会主義、民主主義と政治的思想に翻弄されて生きるということ。
ナショナリズムが個人のアイデンティティにかかわるなんて当たり前のことだけど、
こんなに逃れられないものなのか。
米原さんの別のエッセイを読んだ時は、この人の作品あんまり好きじゃないなあ、と思ったんだけれど、この本には引き込まれた。
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もっと東欧の歴史に詳しくなってからもう一度読みたい。
多感な時期に母国を離れて多国籍な現地学校に通う子供達。祖国を背負っている感が、日本国内のみで生きてきた人間と段違いにある。
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ソビエト学校に通っていた子供たちなので、親の所属する思想は一緒だったと推定されるが、民族や宗教はバラバラななか、子供たちは仲良くやっていた描写があり、考えさせられた。一方で、社会主義といいながらも家庭の実態はいろいろだったりして、そこも人間くささを感じた。成長していろいろある描写もまたよい。
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ハンガリーに住むなかで、中東欧に関する本を読みたくなり手に取った本。
3つの物語は歴史の話としても面白いが、根本的には子供や家族の人生の話である。
2000年前後に生まれた人間としては、フィクションのようにしか感じられない社会主義や民族紛争の世界で、実際に生きていた人々がいて、それぞれの考えや思いがあったのだということを、鮮やかに突き付けられた。
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宗教が根付いていない日本人の私には、海外の宗教紛争はいまいちピンとこない感覚なので、今回すすめられなかったら一生読む事はなかったでしょう。
故郷から遠く離れた子供たちが当然のように抱く「愛国心」。その表現は様々で、矛盾を抱えながら必死に生き延びる姿が胸をうちました
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少女期を在プラハ・ソビエト学校で過ごした著者が、大人になってクラスメイトに会いにいく話。
ソビエト学校にはたくさんの国から来た人達がいて、それぞれ国民としての意識を持ち、出身国に誇りを持っている。
日本人として日本にいると意識することなんてなかなかないよなあと思います。
すごく興味深かった!
こんな世界もあるんだ...と実感させられました。世界は広い!
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著者の学生時代の、異国の友人たちを紹介したお話。
大人になってから会いに行くまでがか書かれているので
当時の状況と、その後の対比にギャップがあって
当時の純粋さが、大人になると悲しいくらいなくなっていることに
じんわり寂しさを感じた。
いい本です。
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自分とはまったく違った子供時代のドキュメンタリータッチの作品。共産圏、中・東欧の歴史や情勢の激動の中で、子供達が懸命に、社会にのみこまれながらも生きていく姿が印象的だった。3.7
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米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
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母から借りた本
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小説だと思って読んでいて途中でん?もしや?と調べてみたらノンフィクションだった
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日本共産党の代表だった父に連れられてプラハのソビエト学校で過ごした日々が語られている
ギリシャやユーゴスラビアなど様々な国の子女が通う学校で多感な少女時代を過ごした著者
激変する社会情勢に振り回される様がノンフィクションだけにリアルに表現されていている
その場にいた人の経験は臨場感がある
今のウクライナ情勢が頭をよぎり胸が詰まります
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母に貸してもらわなければ自分からは絶対に手に取らなかったであろう本はたくさんある
本作もそう
自分で選ぶ本はどうしても偏りがちになるので人から貸してもらって読む本は新しい世界が開けるような感覚があります