着眼点がものすごく面白い。
「自由とは何か」ということについて根本的なところから考えた本で、とても論理的に当たり前のことを言っている本ではあるのだけれど、当たり前なことすぎて、普段なかなか考えもしないような部分をじっくりと検証していて、思いがけない気づきを与えられたところが多くあった。
著者の森博嗣氏自身、国立大学で研究をしながら、40歳を過ぎてから作家デビューしている人なので、ちょっと変わった経歴の持ち主ではある。その、どのようにして作家になろうと思ったかという経緯についても、自由を作り出すこととの関連で語られていて、興味深い。
世間の常識にとらわれずに自分の頭で考えるという思考が文章ににじみ出ていて、その、徹底的に基本に立ち返って、「どうすれば見えない支配に気づいて、自由をつくれるか」ということを真摯に考えていることが伝わってくる。
「自由」という一つの抽象的なテーマについて、これだけ徹底的に突き詰めることが出来るというだけでもスゴいことだと思う。その、みずからの意志で生活をより善くしていこうとする姿勢に、とても勇気づけられることも多い。
だいぶオリジナルな価値観も多く含まれているので、読み手によって合う合わないはあるだろうけれど、その論理的な語り方には、世間の固定観念を崩すだけの説得力が十分にあると思った。
テクノロジィの話をすると、きまって一部に眉をひそめる人たちがいる。科学は発展しすぎた、もっと自然に還らなければならない、都会を離れ、田舎に戻ってみんなで農業をしよう、自然の恵みによってこそ人間は生きられるのだ、というような主張である。
僕も、これを否定するものではない。そういう生き方は、個人的には認められるべきだ。ただ、社会全体がそちらの方向に進むことはありえないだろう。
そもそも農業というものが既に自然の営みではない。極めて人工的な行為だ。田畑で穫れる作物とは、ようするに「養殖」された植物である。自然とはほど遠い人工的な環境によって大量生産され、また品種改良された製品なのだ。
これを成し遂げたのは科学である。農業はテクノロジィの上に成り立っている代表的な行為だ。「人工」や「工業技術」を捨てて過去へ戻ることはできないし、まして現在の人口を支えることはまったく不可能なのだ。(p.45)
「支配」は形を変えて、より巧妙になって、大勢の「自由」を少しずつ奪っている。ただし、昔と比べれば、力で強制されるようなことは、少なくともなくなった。自分で見極め、判断をして、自分の自由を守ろうとすれば、ある程度は防ぐことができる。重要なことは、それが「支配」であると気づくことであり、その自覚があれば、その次には、どうすれば自分の自由をもっと広げることができるか、と自然に考えられるようになるだろう。(p.82)
抽象すれば、自分にとって合理的な理由で判断をすること。周囲の評価、定説、噂、世間体、そして常識、といったもので選ぶな、ということ。
非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。(p.126)
世の中には無数の可能性があるわけだから、全部を自分で試すことはできない。だから、自分に入ってくる情報によってさっさとレッテルを貼って整理しないと落ち着かない。そうやって仕分けをして、安全な環境を構築するわけである。鳥が樹の上に作る巣みたいに、これはOKだろうというものを集めてきて、それらで周りを囲い、人はその中で生きていこうとする。情報が多すぎるから、とりあえず「嫌いそうなもの」には無関心になるしかないのである。
このように、「決めつける」「思い込む」というのは、情報の整理であり、思考や記憶の容量を節約する意味からいえば合理的な手段かもしれない。
しかし逆にいえば、頭脳の処理能力が低いから、そういった単純化が必要となるのである。動物がこの傾向を示す理由は、人間よりも脳の処理能力が低いためで、これはしかたがない。でも、人間だったら、もう少し柔軟になれるはずだと思う。決めつけず、柔軟に対応する方が明らかに得なのだ。(p.135)
反対の支配について書こう。これは、自分が「好きだ」と思い込んでいるものによる支配である。「嫌い」による支配よりも、一般にさらに見えにくい。ほとんどの人は気づいていない。(p.145)
このまえの作品はどうだったとか、原作を知らない人が観たらどうおもうとか、そんなことは作品の評価とは無関係であろう。自分が今、この作品からどう感じるかが、本来の価値である。「原作と違う」的なことを言う人は、森博嗣の作品がもの凄く好きなのだろう。しかし、好き故に、明らかに自分の視野を狭くしている。感性が鈍った老いた状態だと思う。真っ白な心で感じる素直な感性は、努力をしなければ維持できない。(p.155)
支配というのは、一旦それに気づけば、案外簡単に排除することができる。肉体的なこと、常識的なこと、平均的なことに、人は無意識のうちに染まっていく。そういうものに染まると、どんどん灰色になって背景に溶け込んでいくだろう。目立たなくなるから、敵に襲われる心配はないかもしれない。しかし、生きていることは、そもそも「目立つ」ことなのである。安定しているといえば、死んだ人間が最も安定している。生きていること自体が不安定であり、その不安定さこそ、生きている証といっても良い。そして、「自由」も「生きる」とほとんど同じくらい不安定である。せめて生きているうちは、自由でありたいものだ。(p.186)