京極夏彦のレビュー一覧
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中巻に入ってようやく探偵登場。
その榎木津礼次郎という人物があまりにも面白くて、それまでのおどろおどろしさもどこへやら、思い切り爆笑してしまったので、つい日記を書いてしまった次第ww
元華族の父親は、幾つもの系列会社の会長や取締役といった名誉職を兼ねる悠悠自適の身分らしいが、財産は自分で稼げ、成人は養わぬと二人の息子を放逐してしまった。榎木津は兄共共関連企業に就職さえさせて貰えない。
榎木津には善く解らないものが見える超能力があるらしい。たまさかその性質は他人の秘密を解明してしまうことが多い。だから、榎木津は探偵なのだ。
* * *
榎木津は厭厭その辺に積んである衣類の山から適当に手に触れるものを抜き取って身に纏った。それなりに見てくれと云うのは大事だと思う。しかし格好が様になればそれで良いとも思う。着てみると何となくバーテンのような感じになった。だから蝶ネクタイを捜し出して結んだ。
完全にバーテンである。
――バーテン。
そう呟いて部屋を出た。自分でも少し可笑しくなって、気分がやや高揚した。
ドアを開けると、もう次の間は事務所になっている。衝立越しに安和寅吉が難しい顔で新聞を読んでいるのが窺える。住込みの探偵助手の名目で、榎木津の身の回りの世話をしてくれる青年である。
「おや、やっと出て来ましたね。先生、今日は何だか給仕みたいですぜ」
バーテンと言って欲しかった。
榎木津は無言で席に着く。大きな机には何も載っていない。ただ『探偵』とのみ書き記した三角錐を載せている。精一杯肩書きを誇示しているつもりだが、大抵は笑われる。
* * *
わはははo(^-^)o
笑いましたともww
超能力は反則だと言いたい所ですが、これだけいいキャラなら許せます♪
真の探偵は無論芥川の幽霊のような京極堂なんでしょうけど、今のところ個人的に榎木津が一番のお気に入りです。
映画の出演者に阿部寛がいたので、これは頑強な木場刑事役だなと思っていたら、意外にも榎木津役だそうです。
これは絶対見なくてはなるまいて。
『探偵』の三角錐ほしい(〃▽〃) -
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京極夏彦の魍魎の匣を読みました。箱に詰められた美少女がきっかけで、登場人物がつぎつぎに魍魎に魅入られて彼岸の境界を越えて行ってしまいます。禍々しい物語で、京極堂の薀蓄を延々と聞かされる物語でしたが、今回も楽しめました。そして、今回は木場修の物語でした。脇役の役どころと思える木場修の物語が語られていきます。ところで、この物語を読みながら私が連想していたのは...私はテーブルトークRPGを遊んだことがなかったのですが、昨年はじめてクトゥルフに誘ってもらいました。物語は高尾山の奥にある怪しい寺院が舞台で、秘密の儀式が行われている、という設定のシナリオでした。マスター(クトゥルフなのでキーパーですかね)の、だちゅらさんのお話とおどろおどろしい呪術の資料を見たり聞いたりしながら、仲間と一緒に冒険していくというお話でした。なぜか、このお話を読んでいると、RPGに参加していたときに感じた感覚と同じ感じを持ったのでした。
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半分ほど読み、一時中断。
初めての京極夏彦作品。会話文がかなり多く、普段は地の文が多い作品を読んでいる私にとっては少し新鮮。会話文で物語が進んでいく様はまるでお芝居を見ているよう。
「一冊のお気に入りの本を見つける」ことがテーマの本書。お気に入りのそれに出会うためにたくさんの本を読むし、見つけられないで一生を終える人もいる。
私にとってのお気に入りの本は何かと考えるうちに、「一冊」には定まらないのではないかと思い至った。
10代の瑞々しい感性の時に気に入った本と、60代の酸いも甘いもひと通り経験した頃に好む本は、きっと異なると思う。
私自身、10代の頃に見つけた大好きな一冊は今でもお気に入りで折りに触れて読む。心のうちに仕舞っておきたい、今でも大切な本。
でも30を超えた今でも同じ感性で読んでいるかというと、少し違うように思う。どこか「あの頃の私」を通して読んでいる感覚。
そう考えると、「生涯を通じて楽しめるお気に入りの一冊」というものは、案外存在しないのかもしれない。その時々の自分にしか見つけられない一冊があって、それをいくつも積み重ねていくことこそが、読書なのかもしれない、とこの本を読みながら考えた。、 -
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ネタバレ鵼の碑
京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズを読んだのはいつだったか?もう忘れてしまった。青春時代と共にあったサイコロ本の最新刊ということで、衝動的に本屋で購入した。購入したはいいものの、読み切るのにとても時間がかかって、本読めなくなったなあと改めて実感する。
脳みそが文字面を短期記憶にすらとどめておけないのような、読んだ端からぽろぽろ理解が落ちていくせいで、昔のように熱中するのが難しくて、少し読み、進まず、おいて、少し読みを繰り返した。相変わらず積読は増えてるし、ついこの前に一年前に買った積読を一冊読み終えただけだというのに、亀よりも遅いスピードでだらだちらちらと、読んだ。
鵼、と書いて「ぬえ」と読む、ヌエという妖怪はトラツグミという鳥がモデルという話もあるが、先日初めて夜にその声を聴いた。たしかにひょーだのひぃーだと細い声で夜に鳴くので、あるはずもない公園のブランコの軋みにも聞こえ、ぎょっとした。たしかに何も見えない闇夜に聞こえるにはぎょっとする。でも少しかぼそくて、もの悲しい囀りだった。
今回ヌエという妖怪をモデルにしたのは実態がつかめない、つぎはぎだらけのキメラを彷彿とさせるように、章の題名が、猿、虎、蛇、とモチーフごとであったことが印象的だった。だからといってこれがこう、と書かれた通りの構成が頭に入っているわけではないが、キーワードが合わさると快感を感じるのは本能的な反応だろうか。
そういった欲求によって人々は自由に思い描く。それが妖怪であり化け物だったりする。だいたいの幽霊や妖怪のルーツをたどると、簡単なトリックでしたーとか、科学的にはこういう理由でしたとか、思い込みでした、とか、蓋を開けてみればあっけないものだったりする。でもそんなもの理解したとて、くだらない子供騙しだと切り捨てて、なにが面白い?と疑ってしまう。楽しい方に、愉快な方を遺してしまいたくなる。うやむやであること、その余白や余地を余らせることを望んでしまう。だってそっちのほうが愉快じゃないか。
もしかしたら多くの人も同じようにそう考えてしまうからこそ、SNSで陰謀論に取り込まれてしまうのかもしれない。
誰かを”敵”や”異物”として扱っていた方が都合がいいし、混乱しないからだ。
そんな現代の、うーん、ほの暗い欲求を見透かされているように感じた。
登場人物たちが想定して帰結した『かつての政府が秘密裏に日光の山奥で原子力開発を進めていた』という壮大な鵺の正体は、存在しなかったのである。タイトルにある碑、石であるはずなのに燃え盛っていたものは、夜光塗料という現代から「あーね」で終わる理由で済んでしまった。でももし夜光塗料という前提がなく山でそれを浴びた猿と出会ったら正直たまげると思う。
これまでのシリーズに比べると幻想と狂気が薄らいだ正体だからこそ、無戸籍の謎の山の民・サンガや、戦前の原子力開発の陰謀論、日光に現れるまさに顕現あらかたな猿、などが躍動するように感じた。
原子力が夢のエネルギーなのか。ただ、先人たちの恩恵を享受している現代人からすれば、素晴らしい効能を喧伝され、それを鵜呑みにし、眉唾ものでもありがたがるというのは、変わらないのかもしれない。
余談だが作者の京極夏彦さんも喫煙者であることは有名だが、風の噂で『ヤニネコ』を勧められたと耳にした。かくいう私も紙たばこに比べて煙が少なくて灰が出ないという理由だけで電子タバコを嗜好しているが、死んだ父とも話したが結局のところ現時点で悪影響が科学的に証明されていないだけで紙たばこよりも健康に良いという意味ではないのだ。たまにこうして文字を打っている時に咥えられないのが寂しくなる。ダイエットに効果的だとしてマンジャロという糖尿病の薬を摂取して痩せようとしている人もいるそうだが、実際には過多に摂取してしまうエネルギーを薬品によって抑えているだけなので、悪影響がないわけがない。スマホの登場によって飛躍的に移動コストは減った。知らないものはすぐ調べられるし、何もしたくないときなどショート動画を流していればいい。解説したがりの人間たちがわらわらをご高説を垂れている。私たちが日々享受しているすべてのものが、作中の「夢のエネルギイ」とさして変わらないものばかりだ。
だからといって今それらを手放すことなんてできない。
作中でキーマンとなる笹村兄妹、ならびに桐山寛作さんも含まれるのだろうか、どうやら『巷説百物語』という別シリーズの系譜に連なる人物たちらしい。正直、百鬼夜行シリーズを読むのが手一杯で、そこまで京極さんの著作を読み切れていない。とはいえ、本作をきっかけに少し興味が湧いたので、百鬼夜行シリーズだけに拘らずに、いつもの京極節を読みたくなったらいずれ手を伸ばしてみてもいいかもしれない。 -
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あのレンガのような本を生み出す京極夏彦先生の短編。ちゃんと短いので、安心してほしい。
個人的には京極夏彦作品は京極夏彦作品であって、ホラーではないと思っている。
『厭な小説』ほど嫌な感じではないが、ただ、若干サイコ寄りで、おどろおどろしい話には違いない。ホラーよりは怪談かな? そして鬼には形がない。なるものか、憑くものか。
雰囲気を楽しむ話もあるので、たぶん初見だと読みづらいほうに入るのではないか。じっとりとした湿度と、気持ち悪さを一口一口含んでいくような小説。
二つの時間を行き来する『鬼縁』は、嫌な予感が伝わってきてよかった。どちらが鬼だったんだろう。実の子の腕を斬り落とす父か? 子か? 鶏がいなければ卵はなかったのではないか?
そう考えると、鬼は人が生み出すものなのかもしれない。
『鬼棲』の、恐怖とは何かという話もなかなか良い。直感とかも記憶と予感だしね。伯母との会話の中でわかっていく「まさか……?」は、たぶんもっとずっと前から分かっていたはず。
何故かふと京極先生の本が読みたくなる時があるのは、夏の夕暮れの蒸し暑さを思い出させられるからだろう。