奥田英朗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本当に読んでよかった!…ただ日本近代史の知識がないと、なかなか大変。スマホで調べたり、詳しい人に聞いて学びながら読み進めた。
向学心のない学生時代だったせいもあるだろうけれど、近代史って習うのが学年末近くだからなんだか適当に教科書を読んで終わりって感じだった記憶。
詳しく説明されるのは原爆と東京大空襲くらい。
これってどうなんだろう。
そんな授業だったから【日本=被害者】っていうイメージでいた。
だけど読んでみたら、客観視できていない外交と、うまく言えないけれど他国に対してあまりに偉そうな態度で、引き返すチャンスなんてこんなにたくさんあったのかと驚きしかない。
登場人物はみんな一般庶民からかけ離れている人だから感情移入はしにくいけれど、時代の流れの真ん中にいる人たちだから世の中が進んでいく怖さを感じられた。
自分がこの時代に生きていたらどうしたかなーと考えて見たけれど、“群青”をコソコソ読みつつも、モンペ履いて防空訓練に真面目に出ていそうだなと思った。
反戦の気持ちがあっても、私にはタキの勇ましさは信じられない。
第二部に向けてまたエネルギーをためておこう! -
Posted by ブクログ
ネタバレ東京オリンピックを目前に控えた昭和を舞台にした長編ミステリー。
電話も移動手段も今ほど発達しておらず、警察は自らの足で真実を追う。その地道な捜査描写が強く印象に残った。
物語の中心にいる寛治は、決して単純な悪人ではない。貧困や家庭環境、過去の出来事など様々な背景を抱えている。
しかし、それらを知った上でも、ヨシオちゃんや里子を死なせた事実は消えない。
読んでいて感じたのは、人は残酷な事件に理由を求めるということだった。理由があれば理解できる気になる。しかし本作は、その理由だけでは割り切れない人間の複雑さを描いている。
特に寛治は「莫迦ではない」。だからこそ厄介で、だからこそ忘れ難い人物だった。
終盤、手錠を外して逃走してからは息つく暇もなく、読後には強い疲労感が残った。それだけ長い時間、この事件と登場人物たちに付き合わされたということなのだと思う。
800ページを超える長編ながら非常に読みやすく、昭和という時代の空気も含めて楽しめた一冊。 -
Posted by ブクログ
1964年10月10日東京オリンピック開会式、これより体育の日として祝日となる。
全ての日本人が誇らしく語るオリンピック開催に、ひとり立ち向かう島崎の様子はまるで風車に挑むドン・キホーテのよう。
現代世界で起こっている“テロ”と違って、島崎の起こした「テロリズム」は大きな時代のうねりに逆らう覚悟を持ったささやかな抵抗。
「人の上に立つということは、一等謙虚であらねばならないのだが、今の浮かれた日本でそれを自覚する者はいない。資本主義を盲信し、陽炎のような足場のない繁栄に、集団で酔っている」……60年たった今も変わらない。
ともかく、東京オリンピック開会式は無事に終わる。だから、ミステリーではない。
1964年当時の空気を見事に描き、さまざまな立場の者たちの群像劇が、澄み渡った青空の下で、華やかなオリンピックの舞台の陰で、繰り広げられる。
読み終わったあとも少し名残惜しいほど、感慨深い物語だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこんな作品がこの世にあるのか、と思うほどのめりこんでしまった。中学生の心理について実際の世界を見て書いたのではないかと思うほどにリアルに書かれている。自分の中学生生活を振り返ってもこの本の中の光景は至る所にあり、様々な背景の人間が入り混じる公立中学そのままを感じた。
この小説は中学生という一つの社会の中の力学があり、その中で生じた事故(確定しないが)が、大きな衝撃をもって大人の社会を巻き込み、違う力学を持った社会同士が重なることで困惑・謎を生じている。子供が謎を抱えて亡くなるという状況で、人々はまず沈黙する。その理由は、子供社会での力学、自分への罰の意識、殺人や自殺という可能性があること、そして沈黙自体から生じるさらなる疑念・不安があるのだろう。
彼らや子供たちが最初に黙っていたことは、大人の社会に混乱を生じたが、逆にそれだけの時間が必要だったのだろう。
子供社会においては白黒はっきりさせずに置いておくということができないため、それぞれが持っているそれぞれの社会・家庭から受け取った大きなルールを抱えて、それを守ろうとしている。長身のテニス部は終始精神的な強さを感じさせるが、家庭での教えが彼をそうさせていると感じさせる描写はみられた。身体的に強いことも無関係ではないだろう。
子供たちはそのルールを素直に守ろうとする一方、ノリとしか言いようのない子供社会での行動原理も持っている。そこにうまく乗れない人は一定数いて、不和を生じることで回りをいら立たせてしまう。判断ができないのではなく、そのようなルールを抱えて、それをうまく現実社会の問題に当てはめられないのだと思う。
興味深いのは、作中で検事や一部の警察以外の大人は子供が子供社会のルールで動いていることを理解しておらず、未熟だからという点で片付けようとしている。しかしながら、この物語を読んでいるとむしろ大人や彼らの接する狭い社会でのルールや正しさを守ろうとすることが彼らを謎な行動に向かわせているように思えるのだ。
印象に残っているシーンはいくつもあるが、
亡くなった子供の親と、加害者とされた子供の親がスーパーで鉢合わせる。どうしようもなく規模感が街なのだ。これは鳥肌が立った。
亡くなった子供の親が、加害者とされた子供たちを家に呼んだとき、つい優しい言葉をかけてしまうシーンも素晴らしいシーンだった。
子供はそれぞれの思いはあれど、最終的にを亡くなった子供の背中をつねってしまう。そこは最終到達点として意識されているように思われた。ここにおいては、拒絶のあかしなのではないだろうか。
これまで同情心やかばう心を持っていた人が、逆に加害に傾いてしまう。この背景には、かばってやったのにという気持ちと、つねる理由があるという子供社会での正しさ、その子供を侮る気持などがまじりあって生じたものだと考える。
一方、自己だったという前提に立った時、なぜ亡くなった子供は飛んだのだろうか。孤立していく中で彼は不良だったり、一年生だったり、テニス部の同級生四人だったり、クラスだったり、テニス部自体だったり、所属できる場所に彼なりの思考方法で離れないようにしている。また、祖母にもらったラケットであることも大きかったのだろう。期待をかけてくれる、優しい祖母をがっかりさせてしまうかもしれないのだ。
これは母親のセリフにもあったが、彼は一人っ子だったのだ。その家庭なりの愛情を一身に受けていたし、家庭の中で子供同士の社会を築く機会はなかったのだろう。
(親戚のこどもという表現はなかったものと記憶している)
彼はいじめられていた。いじめが彼の周りにある社会的コミュニケーションであり、彼は普通のコミュニケーションを学ぶ機会からやや外れていた。彼自身の特性もあったのだろうが、ここがとてもリアルだと思ったところだが、彼は響かない人間だと思われていた。
この響かない人間、違う言い方をすれば他人が期待したような反応を返せない人間は、とても周りをイラつかせる。響かないから周りからの働きかけはエスカレートしていく。これは重要な点だと考えるのだが、コミュニケーションが苦手な人は、適切なリアクションを返すことも当然にして苦手なのだ(適切な反応を返せる人はそもそもその土俵に立たない)。で、響いていないように見えて実際には結構響いていたりする。
気になった点は極めて少ないのだが、一つ上げるとすれば最後まで何かを隠している子供についてだ。
中心人物の二人は最初から黙り通せる強さがあり、それは子供社会のルール(告げ口しないなど)や他人を守るための行動で、その行動が正しいかはさておき、自分のためだけに黙り通せるものではないと感じた。
なので、最終的に最後まで何かを隠していた子供が、それが、たとえ本当に事故だったとしてもより踏み込んだ過失があったとしても、最後まで黙りとおせるものかと感じてしまった。
小説の本当に最後、あの状況で死んでしまったのだと断定して助けを呼ぶ発想が出ないのは、未必の殺意なのか、そもそも助けるという発想が未熟さゆえに出なかったのか。
最後に、罪と罰について考えてみたとき、最終的に何かを隠している子供以外の三人、他の背中をつねった人たちは漠然と、罰の意識を感じている人はいたが、明確に罪の意識を感じている人はいなかったように感じた。しかし、何かを隠している子供は、明確に罪の意識を感じている。
罪の意識を感じるだけの、事故以上の何かが、空白の時間に彼と亡くなった子供の間にあったのではないかと空想した。
筆者は最大限の想像を生む空白の数分間を残してくれたのだ。沈黙から抜けていく町で、最後まで残った沈黙。