松本清張のレビュー一覧
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同じ教団に所属する者として戦慄したのは、本作によってではなく、当時の週刊誌のインタビューに載ったある女性作家のコメントである。
司祭による殺人(容疑)というセンセーショナルな事件に対し、この作家は以下のように述べている。
「神父様の瞳をご覧になって下さい。澄み切った美しい瞳です。決して人を殺せるような方の目ではありません」
ベルメルシュ神父(作中ではトルベッキ神父)は2009年時点でカナダの地元の名士として存命中であった。この事件についてはノーコメントを通し、死者への哀悼のことばはなかったと聞く。
なお本事件に関し、日本のサレジオ会(作中ではバジリオ会)でも真相を曖昧にした当時の -
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これぞ松本清張の推理小説といった内容だった。
まるでサスペンス劇場の台本でも読んでいるかのような細かいセリフ、主人公の思考回路。
サスペンス劇場と違うのは、サスペンス劇場では主人公が考えたことや言ったことはみな意味があって正解の方向にいっている、もしくは後からヒントになる。それに対してこの小説は、正解に結び付く、付かないにかかわらず、主人公の思考回路を忠実に描写しており、考えたことや言ったことが、解答へ結びつかなかったりあまり意味がなかったりすることも多々あるという点。これにより、まるで自分が主人公になったかのような錯覚に陥り一緒に考える。犯人はどうやってこのアリバイを作ったのか。やっぱり松本 -
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松本清張の小説とはいえ、事件や時刻表が出てくるわけではない。
しかしこの初期の掌編にこそ、後に続く不朽の名作『点と線』の
老刑事の捜査への執念や、『砂の器』の
犯罪者の不遇な身の上が生む悲劇など、
氏の推理小説の原点を垣間見ることができる。
森鴎外の小倉滞在時の日記のゆくえを、長い歳月をかけて追いかけた、
田上耕作という男の話である。
彼は生まれながらにして歩行と言語に重い障害がある。
不自由な身体で差別にあい、孤独に押しつぶされそうになりながらも
小倉日記のゆくえを探して東奔西走する。
「小倉日記」は現存するのだろうか?
彼の調査は価値のあるものなのか?
最後の一文にせつないリアルがこもる -
Posted by ブクログ
ストーリーテラーという言葉は松本清張のためにあるのではないかと痛感した作品。中でもこの作品はエンターテイメント性に優れ、今ではサスペンスドラマの定番になった「断崖」のシーンもこの小説の影響では、と思わせます。タイトルの「連環」は環をつなぐように嘘を積み重ねていった主人公が最後に自分の首に環をかけることになる、ということでしょか?
どんでん返しにさらにオチがついて一ひねりしてある小粋さ。情事の場面を多用していても、純文学のカテゴリに入っても充分なほどの豊かな表現力が作品の質を高めています。
ミステリを再読することは愚かなことかもしれませんが、私は清張作品は、時を経て再読してしても面白さは失わない