李琴峰のレビュー一覧
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台湾発のレズビアン小説。
高校、大学時代の曖昧で名前もつけられないような関係性。恋愛と友愛の明確な差が見つけられない親密さ。を、懐かしく思い出して読んでたら、横から張り手を食らわせられた気分になりました。
いくら開けてきたとは言え、異性愛の自由さとは歴然とした差があることを感じた小説でした。
とはいえ、舞台は同性愛寛容が一気に広がった2000年前後の台湾。著者が「レズビアンが自殺しない小説を書きたかった」と公言してる通り、題名が体現する朝日の差し込むような、前向きな爽やかさの残る恋愛青春小説でした。
翻訳の李琴美さんの、注釈、解説が短い中でも
ツボを押さえていて素晴らしい。やはり、どちらの文化も知ってる人は強いですね。あくまでも私小説の領域に閉じ籠ろうとする日本と社会への繋がりを常に感じている台湾の小説の在り方の違いも面白かった。
著者がほぼ同年代なので、出てくる世相が分かる分かる!ばかりなのも楽しかったです。 -
Posted by ブクログ
ナイルの夕景、青空の下の神殿と棗椰子、砂漠の夜空、ミャンマーの民族衣装、黄金の仏塔。この小説で描かれているそれら以外にも、世界には美しさが溢れている。悠久の歴史の中で変わらないものと、その中で人が作り上げてきたものは、いつも理屈を超えて見る者に鮮烈な感動を与えてくれる。しかしこの世界には、女性やセクシュアルマイノリティに対する差別や偏見、あるいは強固な宗教慣習といった人が作り上げてきた理屈外の歪みも同時に存在し続けてしまっている。作者はこの小説でその両方と、世界の構成員としての人間、ひいてはマイノリティ同士での分かり合えなさやすれ違いも等しく実相として描こうとしている。誠実さや、諦めることは選ばない信念が宿っているつよい文章もとても良かった。社会や人に苦しむのも絶望するのも、根本にはそれらを信じて愛している部分があるからで、だからこそ、そんな人達もただ美しいと感じられる世界でなければならない。
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2つの中編小説が収録されています。
『地の果て、砂の祈り』
別れた元恋人とエジプト旅行をすることになった主人公。お土産屋さんではぼったくられ、しつこい客引きにはウンザリさせられ、エジプトに着いたしょっぱなから旅は上手くいかず互いにイライラが募っていくという地獄…。
とある事情で二人は別れることになったのですが、どちらも悪くないけど、これってどうにもならないものなのか…別れるという選択しかないのか…と読み終わった後もやるせない気持ちが残ります。
『東京奇侠伝』
主人公の清猗はトランスジェンダー女性の芷離という幼なじみがいる。大学時代、ミャンマー人の采茘 と3人でルームシェアをしていた。卒業後離れ離れになった3人だが、ミャンマーで軍のクーデターが起こったことで、采茘の安否が不安になった主人公と芷離は6年ぶりに再会する。
芷離のトランスジェンダーとしての苦しみが描かれている作品でした。
芷離は自分のようなトランスジェンダーは「故障許容度が低い」のだと言う。失敗することが許されない、誰よりも優秀でないと社会に許容されないのだ。「ホモフォビアとトランスフォビアは個人レベルの差別意識ではない。社会に深く浸透している、いわば文化だ」という言葉が重い。本当に社会から拒絶されているというのはどれほどの苦しみなのか。とても想像できないような苦労があるのだと思う。しかし、芷離は「理解できなくても寄り添うことはできる」と言う。この精神を大切にしたいなと思った。 -
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めちゃくちゃ面白かった。
何を言っても蛇足な感想に思えて、あまりにも答えの出ない内容だった。
妊婦さん、子供がいる人、いない人、子供が欲しい人、欲しくない人、どっちでもいい人、人生が楽しい人、つまらない人、まだまだ生きたい人、死にたい人などなど、本当に色々な立場の人に読んだ感想を聞いて回りたい。
主人公は合意出生制度で産まれており、冒頭で、自分自身の人生で辛いことがあっても自分が望んで産まれてきたという事実があるから乗り越えることが出来た、と言っている。
「自分で選択した」という信念が自分を生かすというのは、この小説の世界でも今私達が生きている現実でもそうそう大差は無いのではないかと思った。
産まれる前に選択したか、産まれた後に人生の分岐の中で選択したか、というタイミングの違いなだけで。
けどやっぱり病気や事故など自分の選択ではどうにもならないこともあるのも確かで、出生を選択することが出来たという事実は自分の人生を支えることになるのだと思った。
「産まれたくない」子供の意思が尊重されたとき「産まれてきて欲しい」両親の意思は尊重されなくなる。その時にあんなにも合理的で素晴らしいと思っていた合意出生制度が不確かで、怪しくて、憎いものになる。
人間は自分に不都合なものと判断した場合突然それを受け入れることが出来なくなる。
この瞬間、今までお守りだった「自分で選択した」という事実が「自分で選択したのだから受け入れなければならないもの」になるのではないか。
そんなショッキングな状況に出くわした場合でも「自分で選択して産まれた人生だから」と受け入れることができるほど人間は強いのだろうか。 -
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出産に対して、今までにない視点で考える機会になった。
未だに「女性は結婚して子どもを産んで一人前」と考える人はいると思うが、そもそもその考え自体が傲慢だと思う。それは単なる価値観の違いではなく、生まれてくる子どもに対しての傲慢さだ。私たちは日常で、なかなか「生まれてくる子どもの視点」に立つことはない。
子どもを産むことの善し悪しは置いておいて、今の時代に子どもを産むことで、子ども自身が被るリスクについては一度考えてから産むのがいいのではないかと個人的には思う。
この本で描かれているように、現実的には子どもに出生の意思は問えない。だからこそ、やはり産む親がある程度の責任と覚悟を持って産むべきなのではないかと考えさせられた。
私自身に出産経験がないからこその意見かもしれないが、これから子どもを持つことを考えている人は、一度読んでみてもいい小説だと思う。 -
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ネタバレ生まれるまえに生まれたいかと問われたら?
この世に生まれるかどうかの決定権を親ではなく胎児が持てるようになった時代、母親はその決定の日までお腹で子供を九か月育てる。もしリジェクトされたら…恐ろしいほどのストレスが母親を襲う。
胎児が自ら生を拒否、リジェクトできるけれど胎児なのでなにをもってリジェクトするのか、というのは母親には分からず恐怖でしかないと思っていたがある程度の年数が経つとすんなりとこの制度は運用され続けている。人間の適応力に感心しつつどこか仄暗く冷やかな雰囲気を感じ読み進んで、結末には納得できたかと言えばそうでもないのは私はこの制度の中で生きていないからだろう。
作品としては大好きです。結末には納得いかないけれど大好き、そういう作品はあってしかるべき。 -
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難しすぎず格式高い美しい文章が心地よい。私が読む日本の現代小説ではあまり見ない熟語が使われていて文章のリズム感も良い。杜甫の『春望』『贈衛八処士』、邱妙津の『ある鰐の手記』『モンマルトルの遺書』、中山可穂の『白い薔薇の淵まで』などの作品が散りばめられ、著者が漢詩や日本の小説に精通していることが窺い知れる。この作品がデビュー作であることに驚く。
主人公・紀恵が精神的に追い込まれていく様子がすごくリアルで苦しかったし悲しかった。紀恵に対して台中女中の女の子たちが攻撃的なところや薫が拒絶する場面は悔しくて歯痒かった。こんなふうに扱われる必要性なんてないのに!鬱になってしまった紀恵が狂乱している己とそれを俯瞰する理性的な己に分離している状態が日記形式によって上手く表現されている。
ストーリーの途中からバッドエンド寄りにどんどん進んでいったのでハラハラしながら読んだ。初めからずっと死の予感はあって、もう破滅的結末に突き進むしかないのかと諦めかけていたがそうでなくて本当に良かった。終盤に小雪と話して「自分で、良かった」の箇所で泣いてしまった。ずっと呪っていた「災難」が自分の愛する者に降り掛からなくてよかったと瞬時に思えるその心根が尊い。
著者の他作品も読みたいし、『ある鰐の手記』読みたすぎる。復刊してくれ〜〜〜 -
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性というか性別(性自認や対象)というか、性欲というか性癖とか、性体験とか。
「性」のことはご法度的で親子、恋人、親友でも避けたりするわけで、孤独な世界だと思ってきたけれど。それが女性作家が17人も語るわけで下品上等、生々しくて面白い。
面白い、と言ってる事を下品と言う人もいると思いますが、多様性?とあえて言葉にすれば線引きしないでよ、と。
面白いというのは具体的に変えれば興味深い、が適切か。いやらしい意味でなく、前述のようにご法度な他者の世界に興味があるわたしは、作家がこうもあけすけにエッセイとして実体験や思想を語ってくれてありがたく。
本として残るので結構なカミングアウトもあったりするわけですが、それはどういう心境なのだろうか、とも思ったり。
他にもこの手の本はあるのかな?と探したくなったほど。
男性作家版も出して欲しい所存です。
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Posted by ブクログ
自由や人権が保障されているのなら、その先の死の自由も尊重されるべきである。
本作の核と言ってもいい制度「合意出生制度」は、生まれる前の子どもに直接、この世に生まれたいのか、それとも生まれたくないのか問うところから始まる。
環境や個人の特性などで人の“生きやすさ”は変わる。
なら、そもそも幸せになるのが難しい人生なら、生まれてこなければいいのではないか?
わざわざ生まれて、無期懲役に近いこの人生を彷徨わなくても良いのではないか?
なぜ法の元で“生”は保障されるのに、“死”は必ずしも保障されないのか?
そんな、一言では片付けられないような問いが本作には詰まっていた。
ただ、“生”と“死”は紙一重の存在で、この世には生きるために死ぬことを選ぶ人がたくさんいると思う。
人生という長い道のりの中で、とてつもなく理不尽な事象に襲われた時や辛く悲しい時、特段なにもなくても死にたくなることがあるだろう。
たが、“生”は条件も環境もランダムに理不尽に与える。
なら、それから逃れようとするのはいけないことだろうか?
私は死という1つのサイクルの終着点にもっと希望を見いだしてもいいと思う。
生きるために死ぬのはきっと悪いことじゃないと信じたいからだ。
「生きていれば良いことがある」というやつがいるが、それはズルいと思った。
その言葉には「生きていれば良いこと(もあるが、それよりもっと辛いこと)がある」と事実をつけ足す必要があるからだ。
人間らしく生き、人間らしく死ぬ。
時代によって受け取り方は違うが、本作は人間とは何かと突き詰めていく代わりに、尊厳と自由にこだわりすぎて、何を信じればいいのか分からなくなってしまった世界だとも思った。
人は人の考えの及ぶ領域でしか生きることができない。
いつの日かそれらの事象から解放される時が来たとしたなら、それは人類の“生”への執着の解放と、人が人たらしめる要因を失うはめになることだろう。
本作を読んで、人は“生”への執着と“死”への概念の変化でどこまで変わってしまうのか、恐ろしくなったのもまた事実である。