李琴峰のレビュー一覧
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ネタバレ肉体に支配される精神。物事の見方がそうなってしまうと生きづらいだろうなと思いながらページを捲っていた。
主人公は生身の自身を嫌悪し、精神だけの存在である「柳佳夜」というペンネームに縋って生きてきた。小説、会社、自身の性、すべてがままならない状態の中、「柳佳夜」という同姓同名のVTuberの存在を知る。Twitterにおいて、自分の存在を塗りつぶされて消されていく恐怖に襲われた主人公はVTuberの正体を探り始める。
内容をまとめるとこんな感じなのだが、言葉では表せないぐらいの重苦しさと嫌悪感に囚われながら読み終えた。肉体と精神を分離しなければ耐えられないほどの現実を送りながら、人を蔑み高み -
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彼女はうまい。グロテスクな・想像もしたくない情景を、読める範囲で、リアルに描くのが。
性暴力、国際結婚(必ずしも裕福とは限らず、夫婦の間には格差もあることがある)、性マイノリティ、そして外国人の貧困問題。リアルだ。
前編である、『ポラリスが降り注ぐ夜』も読んでみたい。
p.14 「望んでもなかなか手に入らないもの、自由(リバティー)、学位(ディグリー)、給料(サラリー)。望まなくても勝手についてくるもの、家族(ファミリー)、カロリー、政府(ミニストリー)。」
p.21 勃起し射精できる男子と、生理が始まって妊娠できる女子。身体だけが一丁前に成熟しているのに、精神はまだ猿同然。男子 -
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李琴峰さんの作品を読むたびに、誰1人として同じ環境で育ったわけではなく、人知れぬ過去を持っているのかもしれないと気付かされる。
現代社会において、生まれた国や性別でマイノリティとして生きていかなければならない人が多くいる。そして少なくとも今の日本ではまだまだ生きづらさを感じている人が多くいる、その事実を直視したい。
舞台はコロナ禍に入ったばかりの日本と台湾。
主人公は台湾人の母と日本人の父の間に生まれたマヤ。台湾出身のパートナー、ジェシカとの会話の中でマヤの生まれ育った環境、島を飛び出してきたことを振り返りながら物語が進む。
女性、性的嗜好、親の国籍、幼少時代の性的暴行、家族とは。
複雑 -
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台湾出身の芥川賞作家のエッセー。
芥川賞受賞作品も、お名前も知りませんでしたが、日本語教師の視点で面白いと思える箇所がいくつもありました。
なかでも、最初に覚えた仮名文字は片仮名で、その理由がポケモンだということ。外国籍児童にも、ポケモンの名前は片仮名学習に効果的でした。
漢字圏の出身者だから日本語習得に有利ということはない、というのは、多くの在住中国人の方を見てきて感じていることで、この方の日本語の自然さは、本人の言うように「不断な努力と格闘によって手に入れたもの」なのでしょう。
努力もせずに、外国語の習得をあきらめている人に読ませたい。 -
Posted by ブクログ
個人と個人を隔てるもの。属性と属性を隔てるもの。綺麗事を並べて無くなったかのように見せても、透明になっただけでそこにあるもの。正しさに立脚するように見えて、その実そうではないもの。
透明な膜を隔てながら、他者を尊敬し理解しようとする試みの記録。
“普遍性を探求しようとする日本文学は、しばしば「個」や「個」を含むコミュニティに作用する大きな力と、決して相対化してはならない「特殊性」「固有性」を見落とすキライがある。”
まさに。
その行き着く先は、政治性や社会性の排除、弱者に対する差別や偏見の無化と不可視化、そして現実に対する批判性の欠如である。 -
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7人の女性のセクマイとしての物語がとあるレズビアンバーで交錯する。
まず風景描写が良かった。
二丁目近辺の描写がびっくりするほど精確になされていてゲイの自分としては感心した(李琴峰さん自身もレズビアンとのこと)し、
台湾のひまわり運動についても雰囲気や温度感、匂いまでも伝わってきて、当時facebookで繋がっていた台湾の友人がたくさん情報発信をしていたが、むしろSNSを見るより伝わったかもしれない。
またセクシャルマイノリティの中でもバイセクシャル・レズビアン・トランスジェンダー、アセクシャル、日本人・台湾人・中国人と多様な恋模様・人間模様が見られていて、このあたりの解像度の高さもLGB -
Posted by ブクログ
ジェンダーっていうのはアイデンティティの根幹を為す部分だと思うから、そこが揺らいでいたり、周りに認めてもらえないというのはすごく辛いだろうな。あと、オードリー・タンの印象が強いけど、台湾でももちろんまだLGBTへの差別が強いんだなと改めて感じた。
読み進めるうちに連作小説になっていることに気づいて、構成もよかった。多種多様な人たちのジェンダーが描かれているけれど、この作品から感じたのは今の時代に至るまでの新宿2丁目の文化を気づいてきた人たちへの敬意だった。まだ広くLGBTという知識がなかった時代から地道に、連綿と居場所を築き上げてきてくれたことへの感謝の念に溢れた作品だった。