李琴峰のレビュー一覧
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「私の身体」を「生きる」とは何だろう。いや、「私の身体」とは何だろう。そもそも、「私」とは何だろう。
各作家たちの切り口は様々だが、みな共通しているのが、己という存在を不可欠に構築するこの肉体というものの生物的な役割にも社会からの眼差しにもかなり戸惑い、苦しみ、受け入れたり受け入れられなかったりしながらどうにか生きている点で、強く連帯感を持ちながら読んだ。
痛ましさを感じたのが、執筆陣の女性たちはほぼほぼみな性被害の経験がある点。私にもあるし、私の友人たちもほとんどあると思う(学生の頃、痴漢が話題になったとき、その場にいた10人ぐらいのなかで痴漢に遭ったことがない子は1人しかいなかったことを -
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Posted by ブクログ
とても面白かったです。夢中で読みました。
先日、東京で開催されていた長谷川愛さんの人口子宮をテーマにした展覧会で本書が紹介されていたため手に取りました。
人口子宮から子どもが産まれるのが当たり前という世界観を体験できる展覧会だったのですが、その余韻がある中で本書を読むことができたため、合意出生制度や出生強制罪というものが存在する本書の世界観もすんなり受け入れられました。
自分自身、幼少期の家庭環境が良くなかったため、なぜ親は自分を産んだのかという疑問を常に持っています。そのため、胎児に産まれたい意思があるのか確認するという世界をとても羨ましく感じました。
また、胎児は、親となる人がどういう -
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台湾出身の著者がどのようにして日本語を学んでいったかがよくわかる。著者は、日本語教師の経験もあり、日本語教員の勉強をした私にとって興味深い内容もたくさんあった。
同じく台湾にルーツを持つ作家、温又柔の祖父母は日本語を話せたが、著者の祖父母はそうではなかった。日本占領下の台湾人は皆日本語が話せるものと思っていたので少し驚きだった。著者の祖父母は田舎に住んでいたそうだ。地域によってそのような差がある事を初めて知った。
日本語の仮名は、「同じ文字であれば、どこで現れても発音は同じ」(p37)というのは日本語母語話者の私には当たり前過ぎて気付かなかった。例えば、英語では同じ「i」でも単語に寄って発 -
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私が幼少期から感じていたことを表現してくれた気がした。昔から出産に対して疑問を感じていて、大人の「子どもが欲しい」の気持ちで産み落とされた子どもたちが、人生で辛いこと、悲しいことを強制的に感じて生きていく事は私にとっては残酷なことだと思っていたし、エゴなんじゃないかとずっと思ってきた。私もこれまでの短い人生で、産まれてきたことに悲しみを抱いたことがあったし、そんなこと考えしまう自分を否定して、たくさんの愛情を注いでくれた母親と必死に家族を守ってきた父親に対して申し訳なさを感じたことが何度もある。こんな価値観だから結婚願望はもちろんないし、適齢期になっても結婚も出産もしていないけど、この本に出会
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Posted by ブクログ
ネタバレディストピアの後の、ユートピア。そこは弛まぬ努力と歴史認識の確度で持ち堪える世界。決して楽しく幸せなユートピアではなく、過去の歴史から今を勝ち取り、誰からも奪わず、いや奪われたり奪った過去を神事として秘匿し、安寧を維持するのだ。
李さんは台湾育ち最初は独学で日本語を学び自らの書き言葉を日本語に定め、その背景からこの小説でも美しい言葉、その音や見た目を存分に駆使して、言葉が、入り混じる島の言語が核となり、マイノリティなんて概念が日常の暮らしでは必要ないかの暮らしぶりの小さな島で、マイノリティを包摂し、言葉と自然、植物、風、海に守り守られ暮らしを立てていく。
私たちの住むディストピア。
最近小説 -
Posted by ブクログ
凄い...。言葉・身体・存在・行動。それに向けられる悪意。それと葛藤する"人間"を抉る物語でした。ある場面では現実の差別が我が事のように悔しくて涙が出た。ある場面では言葉・身体・存在(例えばSNSアカウントも存在の一つ)・行動への希望を得た。
自分も身体への違和感や苦痛は子どもの頃から持っているけれど、それとは別に、性暴力に遭って以来後遺症でどんどん身体がままならなくなり、本もゆっくりしか読めなくなってしまった、そんなままならない身体の今ゆっくりでもこの本を読み終えることができて良かった。
ラストに向かう描写の悲哀というか皮肉というか、表現が正しいか解らないが"