三浦綾子のレビュー一覧
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或る小説を興味深く読んで愉しんだという経過が在ると、「同じ作者による別作品?」という興味が沸き起こる。
その種の興味に駆られて入手するに及んだのだが、紐解き始めてみると頁を繰る手が停まらない、また「停められない」という様相を呈し、なかなかに愉しんだ。
題名の「天北」である。明治の初め頃、現在の北海道内に所謂「旧国名」に相当する地方の地域が設定された。北海道の北には「天塩国」、「北見国」というような「国」が設定された。ここから「天北」というような呼び名が起こっている。使用例を見ると、2つの「国」の頭文字を取っているという例も、「天塩国の北側」という意味が起こりという例も在るという「天北」である。 -
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人間の弱さを理解していることが強く優しく生きるためには大事、みたいなテーマ。いつもの三浦綾子さんらしさを感じる。
親しい友達も家族でもお互いの気持ちを完璧に理解することはできないという点で自分以外はみな他人であり、だから人は孤独。自分も他人のことを心から思ったり理解することはなかなかできなくて、親しい人が悲しんだり苦労していることはよくよく知らずに自分が一番不幸であるかのように思い込んでしまう。そういうことに気づく経験をして人(というか自分)の弱さを知ったときに少し優しくなれる。でもどんなに優しい人でも人を傷つけない人はいない、優しいからこそ人を傷つけうる。っていうお話だなと思いました。
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誰かが話題にした本が記憶に残り、気になって入手して紐解き、その本との出会いが善かったと思える場合というものが在ると思う。本作はそういう、話しを聞いて気になったという切っ掛けで出会った。そして読後に、本との出会いが善かったと余韻に浸っている。
少し長く読み継がれていて、これからも読み継がれていくであろう作品、或る意味で「古典」という趣も在る作品だと思う。
本作は上富良野町(作中の時代は上富良野村)を舞台とする物語で、実際の大きな災害の頃のことに題材を求めている。この作品を知る切っ掛けとなったのは、上富良野町の隣りである美瑛町を訪ねた経験だった。
美瑛町を訪ねて、景色を愛で、写真を撮るようなことを -
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ネタバレ三浦綾子さんの7年間の教師時代。
情熱的で頭脳明晰な三浦綾子さん。
時代が違ったらという「たら」「れば」を言いたくなる。
しかし、迫り来る戦争をどんどん肌で感じ、
最後は今まで信じて疑わなかったことを
墨で塗りつぶさねばならなくなったことを自省しやめていく。
教育愛に燃え、子どもをとことん可愛だっていた彼女だったからこそ
虚無感や失望の念が強かったのだろう。
キッパリと教師を辞める潔さ。
彼女の真摯さに惹かれる。
教師時代、炭鉱の村に赴任し、そこで働く人の子達を見て
目を見開かれていく彼女。
中でも朝鮮半島から来た子が
風呂敷を振ってサヨナラを告げていた光景が目に焼きつく。
その後日談もいい -
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ネタバレ三浦綾子さんの7年間の教師時代。
情熱的で頭脳明晰な三浦綾子さん。
時代が違ったらという「たら」「れば」を言いたくなる。
しかし、迫り来る戦争をどんどん肌で感じ、
最後は今まで信じて疑わなかったことを
墨で塗りつぶさねばならなくなったことを自省しやめていく。
教育愛に燃え、子どもをとことん可愛だっていた彼女だったからこそ
虚無感や失望の念が強かったのだろう。
キッパリと教師を辞める潔さ。
彼女の真摯さに惹かれる。
教師時代、炭鉱の村に赴任し、そこで働く人の子達を見て
目を見開かれていく彼女。
中でも朝鮮半島から来た子が
風呂敷を振ってサヨナラを告げていた光景が目に焼きつく。
その後日談もいい -
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「おれはな耕作、あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。もう一度生れ変ったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」
どんな理不尽が襲いかかっても拓一は真面目に生き続ける、作中でのその姿勢に何度も感動させられた。
拓一・耕作兄弟と家族の幸せはもうすぐ近くというところで、この災害が起きた。泥流に迷わず飛び込む兄、拓一。厳しい環境で育った男の強さに驚くばかり、本当に昔はこんな感じだったのだろうか。
実際にあった出来事を基にした作品ならではのリアリティーを感じることもできた。迷わず続編も買ったくらいに、拓一・耕作兄弟のこれからの挑戦が気になった。