三浦綾子のレビュー一覧
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障害を持つ人たちに対し、かわいそうだからと彼らのために何かをしてやろうというのではダメだ。共に生きることが大切なのだ。ために、ではなく、共に生きよ、と言うのだ。
日本人には、愛というものの本質が非常に少なくて、同情という領域が非常に強い、という。
結婚というものは、相手も自分のいく方向に歩いていく人としなければならないと思う。だから、二人の目的は一つであるということだ。その人にとって1番大切なことが芸術であるなら、相手の人もやはり芸術に理解があり、大切にする人でなければ、結果は火を見るより明らかということになるのではないか。結婚は、その人の人生の目的が相手の人と合致した時に最もよくいくとおもう。生きる目的を持つということは、自分の人生を主体的に生きるということだ。だから、結婚は自己の確立している大人同士がするべきものだ。夫婦はお互いに成長していくものだ。そして相手を大切にし、尊重し合える夫婦でありたいものだ。
人間はあまりにも相手にのみ要求することが多い。それが特に家庭という何もかもあらわに見せ合う生活においては著しくなるのではないか。妻は私の気持ちを理解してくれない、子供は私の苦労をわかってくれない。姑は優しい口をきいてはくれない。夫はこうしてほしい。子供はああしてほしい。くれない、ほしい、という要求は、つまり、不満と期待だけではないか。多くの虚しさは、この生き方から発生すると言っても過言ではない。ああしてほしい、こうしてほしい、というのではなく、ああしてあげたい、こうしてあげたい、という姿勢で生きるのが良いのではないか。その姿勢こそが、虚しさを克服するのではないか。与うるは受くるより幸いなり、の聖句は真理である。かく生きる時、真の協力関係も生み出されるのではないか。
愛されている実感、必要とされている実感、そう言ったものから希望が生まれ、不思議な力がでてくる。愛とか希望とかを忘れてはいけない。人間は一人では生きていけないのだから。近くにある愛や希望を見落としたり、見失ったりしてはいけない。
神は使命のある限り生かしておいてくださる。つまり、生きているということは、あなたでなければできない使命があるということだ。
物を贈るというのは心を贈るということなのだ。物が少し気に入らなくても、贈る人の心を受け取るなら、間違っても不服などは言えないはずなのだ。 -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
ピリピ人への手紙第1章29節の、あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも賜っている
1日の苦労は1日にて足れり
私たちの取り越し苦労は集中豪雨に似ている。1日100ミリの降雨量も、もし100日に分ければ、1日1ミリに過ぎない。1ミリの雨なら痛くも痒くもない。それが、一度に降るからたちまち氾濫する。取り越し苦労する人間は、心配という集中豪雨を毎日来らせているようなものだ。そしてその苦労の洪水に悩まされているようなものだ。
どんな状況にあっても、微笑を絶やさないということが、どんなに大いなる精神力であることか。カッとなって怒る人間の弱さと何と対照的であることか。
空腹というこのはすばらしい。全ての味を完全に味合わせてくれるからだ。聖言葉もまた、聖言葉に餓えている者には、即ち霊的に正しく空腹な者には、実に完全にその聖言葉の味を味合わせしめ、力づけてくれるのではないか。
とにかく自分の夫は私に反対する。しかし、夫婦はこれで良いのだと思っている。私の言葉にいつも安易に賛成していてくれていては、二人が共にあるという意味がないような気がする。人間というのは、絶対的存在じゃないし、まして私は浅薄な人間だ。反対されたり、批判されたりしなければ、わたしは何をやり出すかわからない。ここで意見が修正される。ありがたい事だと思っている。 -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
ピリピ人への手紙第1章29節の、あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも賜っている
1日の苦労は1日にて足れり
私たちの取り越し苦労は集中豪雨に似ている。1日100ミリの降雨量も、もし100日に分ければ、1日1ミリに過ぎない。1ミリの雨なら痛くも痒くもない。それが、一度に降るからたちまち氾濫する。取り越し苦労する人間は、心配という集中豪雨を毎日来らせているようなものだ。そしてその苦労の洪水に悩まされているようなものだ。
どんな状況にあっても、微笑を絶やさないということが、どんなに大いなる精神力であることか。カッとなって怒る人間の弱さと何と対照的であることか。
空腹というこのはすばらしい。全ての味を完全に味合わせてくれるからだ。聖言葉もまた、聖言葉に餓えている者には、即ち霊的に正しく空腹な者には、実に完全にその聖言葉の味を味合わせしめ、力づけてくれるのではないか。
とにかく自分の夫は私に反対する。しかし、夫婦はこれで良いのだと思っている。私の言葉にいつも安易に賛成していてくれていては、二人が共にあるという意味がないような気がする。人間というのは、絶対的存在じゃないし、まして私は浅薄な人間だ。反対されたり、批判されたりしなければ、わたしは何をやり出すかわからない。ここで意見が修正される。ありがたい事だと思っている。 -
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ネタバレ一生を終えてのち残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が、与えたものである。(ジェラール シャンドリ)
「おもしろいものだね。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。しかし、かくれた
ほどこし、真実な忠告、あたたかい励ましの言葉などは、いつまでも、残るのだ。」
夏枝が、「生きてる、って、寂しいわね」って、ラストに言ってる…。
それに、対して、啓造が、つぶやいた、
「そうか、夏枝も、淋しいのだ。
その寂しい者どおし、なんで、つまらない争いを繰り返すのか。淋しければ、肩をよせあって、仲良く生きるべきなのだ。」
当たり前かも、知れないけれど、なかなか、
出来ない事。
しみじみと、夫婦とは?家族とは?何か、考えさせられました。
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ネタバレ一生を終えてのち残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が、与えたものである。(ジェラール シャンドリ)
「おもしろいものだね。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。しかし、かくれた
ほどこし、真実な忠告、あたたかい励ましの言葉などは、いつまでも、残るのだ。」
夏枝が、「生きてる、って、寂しいわね」って、ラストに言ってる…。
それに、対して、啓造が、つぶやいた、
「そうか、夏枝も、淋しいのだ。
その寂しい者どおし、なんで、つまらない争いを繰り返すのか。淋しければ、肩をよせあって、仲良く生きるべきなのだ。」
当たり前かも、知れないけれど、なかなか、
出来ない事。
しみじみと、夫婦とは?家族とは?何か、考えさせられました。
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本書は、著者が女性自身に連載した随筆を何作か追加して送り出したものだ。自分はダメな妻だといいながらも、ストレートで愛情ある家庭を築いていることがひしひしと伝わる。ただ、妻とは、女とは、夫とは男とは、と、現代ではとんでも本になるような内容だが、愛があり、労りがあるので、その辺は差っ引いて読むと良い。自分が男であれば、本書の妻の部分を自分に置き換えればいい、人に置き換えればいい。
日曜大工が自慢の夫が居れば、たとえ少々ぐらい脚のぐらつく椅子を作っても、何万円の椅子にも勝る大事な椅子として喜んで腰を掛けたらどうか。また、何をすることもできない夫が勤め先での自慢話を長々と話して聞かせたら、妻は、本当によくおやりになるのね、と感心して聞いてあげたらどうだろう。家庭というものは、そういう愛嬌のある不細工な椅子も、人には嫌味に聞こえるかもしれない自慢話も、みんな受け入れてあげることのできる、大きな、寛いところでなくてはならない。人間は、いろいろな欠点を持っていてこその人間なのだ。
このことは、著者は妻に対して言っているが、夫に対しても同様に妻を寛い心で見なければならない。
特に家庭生活では、自分が正しいと思った時の起こり方は慎重でなければならない。家庭は裁判所ではないのだ。どちらが正しいかということよりも、更に大切なことがある。
神様、私のようなものに、三浦のような素晴らしい夫をお与え下さいまして、ありがとうございます。どうか、恵みに慣れないようにお導きください。とお祈りする。あなたは初めの愛から離れた、という聖書の中の言葉と共に。
人間というものは元々傲慢なものだ。人間は褒められることによって、思い上がったり、いい気になったり、人を見下したりする過ちを犯しやすいが、けなされることは、反省の良い機会を与えられるからありがたいのだ。月や花は人が美しいと言おうが言うまいが美しい。同じく醜いものも、褒められようが貶されようが醜いのだ。人の褒貶でその人間の真価が変わるものではない。また、それぞれの人間の真価などは、誰にだってわかるとも思えない。だから聖書にも、裁くな(人のことをあれこれと言うな)と書いてあると思っている。
牧師であり医師である相見三郎とおっしゃる先生がこう説いている。聖書には、夫には主に仕えるように仕えなさい、と書いてある。だから、どんな夫にも、主に仕えるように仕えなさい。あんな悪い夫には主に仕えるように仕えれない、と言ってはいけない。いい夫にだけ仕えなさいとは書いていないのだ。もし自分の夫が泥棒であっても、そこに見張りをしておれ、と言われれば黙って見張りをするのだ。それを賢そうに、泥棒など悪いことだからやめなさい、などと言うと、それは主に仕えるように仕えてはいないことになる。これは聖書の中の基本的な人間観であり、裁いてはいけないという言葉に書いてあるのだ。裁くとは、つまり他の人間を悪い奴だと思うことである。人を悪いと思うそのことが悪いのだ。主のごとく仕えるとは、まずは相手を尊敬することである。
人生とは他との戦いではなく、自分自身の中にうごめく、わがまま、怠惰、勝ち気、冷淡、さまざまな良からぬ欲望などとの戦いである。良い人生を送るには、良い伴侶が必要だ。良い結婚とは、良い相手を得ることだ。良い相手を得るには、独身時代の生き方が問題になる。
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三浦綾子の自伝小説だ。
彼女は、小学校の教師になり、皆から好かれた。だが、彼女はこの小説を書くにあたって、当時のことを思い出し、自分は全然教師として失格だったと悔悟している。たしかに、彼女のクラスの子たちは、成績は良い方だった。でも、今にして思うことは、全然、子供たちに必要なことを、大切なことを教えていなかったというのだ。真理を教えるべきであったと。愛することは何かを教えるべきであったと。実につまらぬことを口やかましく教えてきたことを後悔したという。キリスト教に帰依した彼女らしい反省で好感がもてる。彼女は、生徒をかわいいと思い、厳しく躾けることを使命と思い、1人の生徒も置き去りにしてはならぬと思い、働いていたのだ。それでも十分立派だと思うが、ダメなのだ。彼女は生徒たちに、大きくなったら、あなた方も御国のために死ぬのよ、と語っていたという。その一方で、生徒が可愛くてならなかったというのだから、戦争というものが世の中の思考に影響をあたえる異常さを本当に恐ろしくかんじる。それを彼女は、書く。
国家が戦争をはじめた場合、勝つという一つの目的に向かって強引に国民を引っ張っていく。たんに、特高警察や憲兵が脅し、すかすだけではない。自分みずからが、志願さえして命を落としていくほどに洗脳されてしまう。そして国民全体がそれを讃美し、戦争を肯定して疑わぬ心理になっていく。
彼女がカエリスになるまでは描かれていないが、本書の最後の方に書かれている言葉がある。
この世の中で絶対というものは何だろうかと。神でもないと。それは、自分は死ぬということだ。そして、彼も彼女もみな死ぬという事だ。それだけは絶対であるのだ。だから何ということまでは言われてない。ただその事実があるだけだ。 -
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三浦綾子の自伝小説だ。
彼女は、小学校の教師になり、皆から好かれた。だが、彼女はこの小説を書くにあたって、当時のことを思い出し、自分は全然教師として失格だったと悔悟している。たしかに、彼女のクラスの子たちは、成績は良い方だった。でも、今にして思うことは、全然、子供たちに必要なことを、大切なことを教えていなかったというのだ。真理を教えるべきであったと。愛することは何かを教えるべきであったと。実につまらぬことを口やかましく教えてきたことを後悔したという。キリスト教に帰依した彼女らしい反省で好感がもてる。彼女は、生徒をかわいいと思い、厳しく躾けることを使命と思い、1人の生徒も置き去りにしてはならぬと思い、働いていたのだ。それでも十分立派だと思うが、ダメなのだ。彼女は生徒たちに、大きくなったら、あなた方も御国のために死ぬのよ、と語っていたという。その一方で、生徒が可愛くてならなかったというのだから、戦争というものが世の中の思考に影響をあたえる異常さを本当に恐ろしくかんじる。それを彼女は、書く。
国家が戦争をはじめた場合、勝つという一つの目的に向かって強引に国民を引っ張っていく。たんに、特高警察や憲兵が脅し、すかすだけではない。自分みずからが、志願さえして命を落としていくほどに洗脳されてしまう。そして国民全体がそれを讃美し、戦争を肯定して疑わぬ心理になっていく。
彼女がカエリスになるまでは描かれていないが、本書の最後の方に書かれている言葉がある。
この世の中で絶対というものは何だろうかと。神でもないと。それは、自分は死ぬということだ。そして、彼も彼女もみな死ぬという事だ。それだけは絶対であるのだ。だから何ということまでは言われてない。ただその事実があるだけだ。