三浦綾子のレビュー一覧
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旧約はユダヤ教で,新約はキリスト教。そう思っていた。でも,この本のまえがきに,「旧約とは,神が人に対してなされた旧い契約,新約とは,新しい契約のこと」で「新・旧あわせて聖書だ」とあった。まずはここで,認識を新たにし,読み始めた。
一番,印象に残ったのは,ヨブ記。多数の財産も自分の10人の子女も一日に奪われた。そんな中にあっても,彼は「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこへ帰ろう。主が与え,主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」と神に祈って言う。信じがたい言葉だ。でも,そんなヨブがなぜ病にまでおかされなくてはならないのか・・・。今度は聖書を読んで考えたい。 -
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親が子に多くを期待してはいけない。吉野弘の詩『奈々子へ』のようだ。子どもに過剰な期待をすることは親子関係をゆがめることになる。神から預かった子という認識はなかなかできないけど。
学校を卒業したということが独学できるということ。ということは学校の仕事は独学できるように学び方を教えるということだ。
一緒に景色を楽しんでくれる運転手さんの存在。これはうれしい。自分の論理を振り回すことより,相手の目線で楽しむことができる人。こういう人になりたい。
自分の親が実の親でないことがわかった時,「わがまま言ってすまなかった。」と思えるみどり鮨の店主。一度そのひと味ちがうという鮨を食べてみたい。
誰に叱られても -
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親が子に多くを期待してはいけない。吉野弘の詩『奈々子へ』のようだ。子どもに過剰な期待をすることは親子関係をゆがめることになる。神から預かった子という認識はなかなかできないけど。
学校を卒業したということが独学できるということ。ということは学校の仕事は独学できるように学び方を教えるということだ。
一緒に景色を楽しんでくれる運転手さんの存在。これはうれしい。自分の論理を振り回すことより,相手の目線で楽しむことができる人。こういう人になりたい。
自分の親が実の親でないことがわかった時,「わがまま言ってすまなかった。」と思えるみどり鮨の店主。一度そのひと味ちがうという鮨を食べてみたい。
誰に叱られても -
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三浦綾子さんの自叙伝第二部「結婚編」
病の綾子さんを5年も待った光世さんとの甘い新婚生活、の話ではない。
夫婦という家族になって、綾子さんの信仰を夫の光世さんがどれだけ支えていたことか、光世さんの堅実な信仰的考え方に脱帽。私など足下にも及びません。
あれほど病に臥せっていた綾子さんが、伝道をしたり、家を建てようと奮闘したり、色々な悩み(主に結婚や夫婦生活について)の相談相手になっていたり、綾子さんの小説を読んだことがある人なら、こういうところから小説の筋書きが浮かんだのかなぁと思うことがたくさんある。
人生の経験があるからこそ、書ける文章ってあるんだなぁと。
本当に夫婦として正しい生き方 -
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ネタバレ再び、三浦綾子氏の作品だ。著者の作品は、ものすごく深いとこまでを知っているという訳ではないかも知れないが、押し付けがましくも無く、実体験に基づいていたり、読むほうからするとすんなり入りやすい。
イエスはいつも弱い人々に目を向けていた。イエスのいちばん嫌いなのは、自分を正しいと思っている人間達であった。心の中でいつも「自分は大した者だ。学はある、金はある、そして人に尊敬されている」と数え上げては誇っている人たちである。イエスは誇ることの出来ない人たちには限りなく愛をそそぐが、誇り高ぶる人間には容赦ないきびしさを持っていた。考えてみると、私たちは神の前に立ったとき、本当に誇るべきものをどれだ -
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五十嵐健治氏という白洋舎を創立した方の自らの人生を語る小説。1877年(明治10年)生まれの若者が、無一文での各地を巡るその迫力に驚く。明治時代の雰囲気を感じることができたし、その中で群馬で、小樽で、出会った旅館のご夫妻がクリスチャンであったことから、小樽の宿に常宿される中島佐一郎氏との出会いにより救いに導かれる。その後は別人のような歩み。妻も信仰の人!五十嵐氏が救われてからの半生は正に恵みの日々、三越の使用人として宮内庁に出入り、そして独立後も三越の役員・上司たちに支えられ、白洋舎が発展していく。洗濯屋として嫌われていた職業が、近代的ドライクリーニングとして成長していくまでの歴史が克明に書か