三浦綾子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「信ずるって変ねえ。確証がないことを信ずるのよね。」
三浦綾子さんの短編「足跡の消えた女」の一節。
三浦さんはキリスト教徒してこういう言葉を散りばめた小説をお書きなったが、帰依していなくてもその言葉は響いてくる。
定かでないからこそ信じたくなるし、信じなければ生きていけない。
いつも正しいことを選択しているはず、恥じないように行動しているはず、自分はぶれない、だからひともそうしていると信じよう。
ではない。自分は不確かである。けれどもひとのことは信じよう。
ここに嘘つきがいるとする。明らかに嘘とわかっていても、そのひとがそう信じて欲しいとしたら、信じてあげることが自分の -
Posted by ブクログ
主人公の清美が信仰告白する、それをこの一冊で語ったものだ。決して幸せとは言えない境遇に育った清美が一人の男の子を好きになり、その人の考え方に共感し、諭されながら成長する。その中にはやはり、著者の小説の主題とも言える、許す、そして愛するというのが根底に流れている。
自分の好きなひとばかりが住んでいる世の中などない。そこから逃げ出しても、逃げ出した先にはきっと合わない人間が必ずいる。その度に逃げ出すことなんかできないのだ。だったらどうすればいいか。逃げ出すことが出来なければ、愛するより仕方ないのだ。憎むという不愉快な感情から逃げ出すためには、相手を好きになるより仕方ないのだ。
罪を犯さないなんてだ -
Posted by ブクログ
女子学院の初代院長であり、日本キリスト教婦人矯風会(一夫一妻制、禁酒禁煙などを推進)の初代会頭の矢嶋楫子の話である。矢嶋が気付かせてくれるのは、教育者とは単に子供がかわいいとか、子供が好きだというだけではダメで、人間とは何かを捉えることのできない教育者であってはならないという。教師や母親は、いわゆる優しければよい、というぐらいのことでは、人間を育てることはできないのだ。愛は意志である、という言葉がある。矢嶋楫子こそは、その意志的な愛を持った闊達な教育者であった。
矢嶋は、あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ、と学校の生徒たちに言いきった。人間としての自覚を促されたのだ。矢嶋は規則のない -
Posted by ブクログ
ネタバレ小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ後年の千利休の妻となった おりき は、キリシタンになったが、千利休は、その教えを一部見た目はするものの、信者にはならなかった。ただ、茶道を極めるために、その考えや作法を取り入れたりした。
千利休は、茶道に一途だったが、秀吉の力には屈することも多かった。黄金の茶室を作らざるを得なかったりしたことに、自分が情けなく思うことが多かった。そんなことがつもり、世間の評判も気にしていたが、最終的には、秀吉に屈するのはいけないと思い、命乞いすることなく、甘んじて切腹を受け入れたかんじである。
随所にキリストの教えは出てくるが、深くはなく、また、歴史小説としても中途半端を感じた。
全2巻 -
Posted by ブクログ
ネタバレ前編、続編含めて、苦難の意味は何かというのがテーマだ。
十勝岳爆発後の泥流地帯で生きていく家族の話。心で物事を考える長男拓一と、頭で考える耕作が様々な苦難に見舞われながら、何が正しい選択なのか考えていく。
耕作の言うことはもっともだ。でも、拓一の言うことには心を動かされる。
泥流にのまれた土地の復興に向けて汗を流す拓一だが、みなはその努力を笑い、無駄なものだと嘲った。ただ、拓一は思うのだ。もし、この努力が報われなくてもそれはそれでいい。自分の生涯に何の報いもない難儀な時間を待つのも、これは大した宝になるかもしれない、と。実りのある苦労なら誰でもする。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の -
Posted by ブクログ
ネタバレ愛するとは何度も何度も許し続けることである。
人生とは選択である。
小説を通してそれを伝える。
他の人に対しては忍耐深く寛大であれ。あなたも他人が耐え忍ばねばならぬようなものを事実において多く持っているからである、とイミタチオ・クリスチに書いてある。誰も自分の姿には気付かない。人を理解するためには自分自身を先ず正しく理解しなければならない。自分を知ることが人を愛するはじめだ。
そして、最後の章で言う。人間はまことに過失を犯さなければ生きてゆけない存在である故に、われわれは、ただ神と人とにゆるして頂かなければ生きてゆけない者なのであります。