三浦綾子のレビュー一覧
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ネタバレ読後に知ったが、フィクションだった時点で少し興覚め。
ただ同時に、三浦氏の遺書的な作品ということも知り、キリスト教をお仕着せするようなこともなく、氏が読者に伝えたかったことは純粋にこういうことだったのかなぁと思いながらどんどん読み進められた。
内容としては連載小説ゆえ仕方ない面もあるが、同じ記述の繰り返しが多く、全体としても冗長過ぎるきらいがあった。
細かいところでは、木下先生が校長の意向に背きつつ数年間も左遷されなかったのは無理がある(戦前だったら、親が政治家でもない限りあんな真似は出来ないはず)。
また逆に、タコ部屋から逃げてきた金が、どういう形で朝鮮に帰ったのかが描かれていないことに不満が残る。
※下巻であれほどまでに重要な役割をするのだから… -
Posted by ブクログ
札幌の医者家族のドラマを通して、家族観、男女観、宗教観に問題提起。昭和30年代以降が舞台と思われ、漱石モノより現代に近いはずだが、強く伝わってくるものがなかった。医者という富裕層が舞台だからか。
登場人物それぞれの心の闇についても印象に残ったのは「あなたの体はキレイ?」と尋ねられて以降、妻を抱けなくなった戦争帰りの陶吉のみ。でも、それが後の家族の問題の芽であり、その根源が戦争による人間破壊であれば、人の罪と心の傷の大きさを知る。
最初、べらんめえ調でぐれていた景子がインパクトあったのにあっけなく普通の良家の女子学生に戻ってしまったのは残念。登場人物はそれぞれ個性的でもあったし、描き方次第ではもっと面白いものになったになと思う。
サッポロが舞台で植物園やなじみの風景が出てきたのは懐かしかった。 -
Posted by ブクログ
障害を持つ人たちに対し、かわいそうだからと彼らのために何かをしてやろうというのではダメだ。共に生きることが大切なのだ。ために、ではなく、共に生きよ、と言うのだ。
日本人には、愛というものの本質が非常に少なくて、同情という領域が非常に強い、という。
結婚というものは、相手も自分のいく方向に歩いていく人としなければならないと思う。だから、二人の目的は一つであるということだ。その人にとって1番大切なことが芸術であるなら、相手の人もやはり芸術に理解があり、大切にする人でなければ、結果は火を見るより明らかということになるのではないか。結婚は、その人の人生の目的が相手の人と合致した時に最もよくいくとおもう。生きる目的を持つということは、自分の人生を主体的に生きるということだ。だから、結婚は自己の確立している大人同士がするべきものだ。夫婦はお互いに成長していくものだ。そして相手を大切にし、尊重し合える夫婦でありたいものだ。
人間はあまりにも相手にのみ要求することが多い。それが特に家庭という何もかもあらわに見せ合う生活においては著しくなるのではないか。妻は私の気持ちを理解してくれない、子供は私の苦労をわかってくれない。姑は優しい口をきいてはくれない。夫はこうしてほしい。子供はああしてほしい。くれない、ほしい、という要求は、つまり、不満と期待だけではないか。多くの虚しさは、この生き方から発生すると言っても過言ではない。ああしてほしい、こうしてほしい、というのではなく、ああしてあげたい、こうしてあげたい、という姿勢で生きるのが良いのではないか。その姿勢こそが、虚しさを克服するのではないか。与うるは受くるより幸いなり、の聖句は真理である。かく生きる時、真の協力関係も生み出されるのではないか。
愛されている実感、必要とされている実感、そう言ったものから希望が生まれ、不思議な力がでてくる。愛とか希望とかを忘れてはいけない。人間は一人では生きていけないのだから。近くにある愛や希望を見落としたり、見失ったりしてはいけない。
神は使命のある限り生かしておいてくださる。つまり、生きているということは、あなたでなければできない使命があるということだ。
物を贈るというのは心を贈るということなのだ。物が少し気に入らなくても、贈る人の心を受け取るなら、間違っても不服などは言えないはずなのだ。 -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
ピリピ人への手紙第1章29節の、あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも賜っている
1日の苦労は1日にて足れり
私たちの取り越し苦労は集中豪雨に似ている。1日100ミリの降雨量も、もし100日に分ければ、1日1ミリに過ぎない。1ミリの雨なら痛くも痒くもない。それが、一度に降るからたちまち氾濫する。取り越し苦労する人間は、心配という集中豪雨を毎日来らせているようなものだ。そしてその苦労の洪水に悩まされているようなものだ。
どんな状況にあっても、微笑を絶やさないということが、どんなに大いなる精神力であることか。カッとなって怒る人間の弱さと何と対照的であることか。
空腹というこのはすばらしい。全ての味を完全に味合わせてくれるからだ。聖言葉もまた、聖言葉に餓えている者には、即ち霊的に正しく空腹な者には、実に完全にその聖言葉の味を味合わせしめ、力づけてくれるのではないか。
とにかく自分の夫は私に反対する。しかし、夫婦はこれで良いのだと思っている。私の言葉にいつも安易に賛成していてくれていては、二人が共にあるという意味がないような気がする。人間というのは、絶対的存在じゃないし、まして私は浅薄な人間だ。反対されたり、批判されたりしなければ、わたしは何をやり出すかわからない。ここで意見が修正される。ありがたい事だと思っている。 -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
ピリピ人への手紙第1章29節の、あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも賜っている
1日の苦労は1日にて足れり
私たちの取り越し苦労は集中豪雨に似ている。1日100ミリの降雨量も、もし100日に分ければ、1日1ミリに過ぎない。1ミリの雨なら痛くも痒くもない。それが、一度に降るからたちまち氾濫する。取り越し苦労する人間は、心配という集中豪雨を毎日来らせているようなものだ。そしてその苦労の洪水に悩まされているようなものだ。
どんな状況にあっても、微笑を絶やさないということが、どんなに大いなる精神力であることか。カッとなって怒る人間の弱さと何と対照的であることか。
空腹というこのはすばらしい。全ての味を完全に味合わせてくれるからだ。聖言葉もまた、聖言葉に餓えている者には、即ち霊的に正しく空腹な者には、実に完全にその聖言葉の味を味合わせしめ、力づけてくれるのではないか。
とにかく自分の夫は私に反対する。しかし、夫婦はこれで良いのだと思っている。私の言葉にいつも安易に賛成していてくれていては、二人が共にあるという意味がないような気がする。人間というのは、絶対的存在じゃないし、まして私は浅薄な人間だ。反対されたり、批判されたりしなければ、わたしは何をやり出すかわからない。ここで意見が修正される。ありがたい事だと思っている。