三浦綾子のレビュー一覧
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三浦綾子については、長い闘病生活の後『氷点』でベストセラー作家と話題になったし、小説もいくつか読んでいる。でも、ちょっときついなーという印象が残っている。
そんな先入観があって読んだからか、悪印象ではないけれどやはりたじたじとなった。
絶望的な事が起こっても打ち開いていくその強さに、圧倒されっぱなしだった。打ちのめされたと言ってもいい。それでなければ13年間にも及ぶ闘病生活を乗りきれなかったのだろうが。
キリスト教に目覚めていくのだけれど、はじめは疑っている、その様子が尋常でない様に思えた。すべての事象に強く強く反応する気質がすごい。それが信仰に繋がるのだろうとしても。
他 -
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白洋舎を起こした五十嵐健治の話だ。これまた、回想風に物語は進む。この手のはあまり好きではないが、著者の作品は好きなので読む。五十嵐は、飽きっぽい性格だったのだろうか、職に就くも、早いときは一時間で逃げ出した。これが、幾度も幾度もあるのだ。ただ、人を信じること厚く、逃げられたと思っても、それでもいく日も待ったりするのだった。20歳になるまでは、一攫千金を夢見て、東京に出たりしたが、これが職が続かず、逃げ出してしまうのだ。ただ、その一攫千金も、自分のためではなく、親を、母親を楽させてやろうとのことだったので、憎めないのだ。
五十嵐は、つてを頼り三井呉服店(後の三越)に入る。ここでも人に恵まれ、10 -
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「信ずるって変ねえ。確証がないことを信ずるのよね。」
三浦綾子さんの短編「足跡の消えた女」の一節。
三浦さんはキリスト教徒してこういう言葉を散りばめた小説をお書きなったが、帰依していなくてもその言葉は響いてくる。
定かでないからこそ信じたくなるし、信じなければ生きていけない。
いつも正しいことを選択しているはず、恥じないように行動しているはず、自分はぶれない、だからひともそうしていると信じよう。
ではない。自分は不確かである。けれどもひとのことは信じよう。
ここに嘘つきがいるとする。明らかに嘘とわかっていても、そのひとがそう信じて欲しいとしたら、信じてあげることが自分の -
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主人公の清美が信仰告白する、それをこの一冊で語ったものだ。決して幸せとは言えない境遇に育った清美が一人の男の子を好きになり、その人の考え方に共感し、諭されながら成長する。その中にはやはり、著者の小説の主題とも言える、許す、そして愛するというのが根底に流れている。
自分の好きなひとばかりが住んでいる世の中などない。そこから逃げ出しても、逃げ出した先にはきっと合わない人間が必ずいる。その度に逃げ出すことなんかできないのだ。だったらどうすればいいか。逃げ出すことが出来なければ、愛するより仕方ないのだ。憎むという不愉快な感情から逃げ出すためには、相手を好きになるより仕方ないのだ。
罪を犯さないなんてだ -
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女子学院の初代院長であり、日本キリスト教婦人矯風会(一夫一妻制、禁酒禁煙などを推進)の初代会頭の矢嶋楫子の話である。矢嶋が気付かせてくれるのは、教育者とは単に子供がかわいいとか、子供が好きだというだけではダメで、人間とは何かを捉えることのできない教育者であってはならないという。教師や母親は、いわゆる優しければよい、というぐらいのことでは、人間を育てることはできないのだ。愛は意志である、という言葉がある。矢嶋楫子こそは、その意志的な愛を持った闊達な教育者であった。
矢嶋は、あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ、と学校の生徒たちに言いきった。人間としての自覚を促されたのだ。矢嶋は規則のない -
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ネタバレ小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。 -
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ネタバレ小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。