三浦綾子のレビュー一覧
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ネタバレ【ネタばれあり】
氷点の続編。
前作ラストで死を選んだ陽子は一命をとりとめ、自分が殺人犯佐石の娘ではなく、全く別人の不倫の末生まれた娘だということを知らされる。その事実は潔癖な陽子をより一層苦しませる。
前作ではいかに夏枝が陰湿ないやがらせを繰り返そうと陽子の芯の通った強さと明るさに救われたしその昼ドラ的なドロドロ展開が面白かったわけですが、続編では陽子がブレブレになってしまい、なんだかすっきりしない。そんな中、兄の徹が陽子に黙って陽子の実母の三井恵子と接触したことから物語が展開していく。
辻口家と三井家、失踪した松崎由香子との意外な形での再会、高木の結婚、順子→徹→陽子←北原の恋模様などが描かれ、ゆっくりと物語が進む。
感想は下巻にて。 -
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ネタバレ【ネタばれあり】
氷点の続編。
前作ラストで死を選んだ陽子は一命をとりとめ、自分が殺人犯佐石の娘ではなく、全く別人の不倫の末生まれた娘だということを知らされる。その事実は潔癖な陽子をより一層苦しませる。
前作ではいかに夏枝が陰湿ないやがらせを繰り返そうと陽子の芯の通った強さと明るさに救われたしその昼ドラ的なドロドロ展開が面白かったわけですが、続編では陽子がブレブレになってしまい、なんだかすっきりしない。そんな中、兄の徹が陽子に黙って陽子の実母の三井恵子と接触したことから物語が展開していく。
辻口家と三井家、失踪した松崎由香子との意外な形での再会、高木の結婚、順子→徹→陽子←北原の恋模様などが描かれ、ゆっくりと物語が進む。
感想は下巻にて。 -
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著者の病養中の日記。いたるところに、著者の感銘した出来事や言葉が綴られている。
人間はパンのみにて生きるにあらず、神の言葉によって生きる
「愛し合ったから結婚したのではなく、愛し合うために結婚するのです」という祝辞あり。まことに然り。結婚必ずしも熱い愛によってなされるとは限らぬ。外見に迷ったり、金に迷ったりの、軽薄な動機で結婚する者もいれば、行きがかり上心ならずも結婚する者もある。人間は意外に浅はかに結婚するものだ。だが、結婚の目的は愛し合うためなのだ。結婚した以上、深く、全力を注いで愛し合いなさい。一生を終えて、一人の妻を愛し貫いたと言えるならば、それは実に大きなことなのだから。
他人の過失や弱点は、それはどんなものであろうと、努めて耐え忍びなさい。あなたもまた他人が忍ばねばならぬ多くの点があるからである。われわれは他人が完全になることを求めて、しかも自分の過失は改めないのである
水はありがたいねー、栓を捻るだけで水が出るのだから。三浦は蛇口をひねる度に、いつもこう思うのだそうだ。そして神に感謝を捧げるのだそうだ。開拓農家に育った三浦は、少年時代遠くの川まで水汲みに行ったとか。そのことを覚えていて、水道への感謝を忘れたことがないらしい。また三浦は、入浴する度に、これまたその都度、神に感謝しているという。十年前、この家を建てて、初めてわたしたちは銭湯に行かずにすむようになった。当の自分は風呂に入る度に感謝してはいない。家が与えられるという同じ体験であっても、三浦は毎日感謝し、わたしはたまにしか感謝しない。同じ運命に会っても、一人は喜び、一人は当然な顔をする。自分の人生を豊かにするのも貧しくするのも、その人間の心のあり方によるのだろう
愛は損すること。利用するのは愛ではない
愛するとは甘やかすことではない。きびしいだけでもない。許すこと、耐えること、望みを抱くこと、不義を嫌うこと、いらだたないこと、微慢にならぬこと、恨みを抱かないことなどなど、新約聖書コリント第一の手紙十三章には、愛について書いてある。だが、わかったからといって、愛する力をわたしたちは持ち得ない。人間は愛するよりも憎しみを抱く存在だ。人の悪口を言いたい存在だ。そんなわたしたちだから、神の前に身を屈めて、「愛することを教えてください、愛する力を与えてください」と、絶えず祈らなければならないのだろう
われわれ人間に対する神の要求に次の三つあり。
一、喜べーすべてのことを
二、祈れー常に
三、感謝せよー都合の悪いことも
われらは意見のちがう者を嫌う。しかし自分に好意を持たぬ者と仲よくせよ。気に入らぬ者を大事にせよ。そうした人と喜んでつきあえ
ベートーベンは、「本当の芸術家という者は、決して傲慢ではない。なぜなら、本当の芸術家は、不幸にも芸術には限りがないということを知っているからだ」と言っている。つまり芸術にゴールはない、ということなのだろう。
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北海道の上富良野を舞台に大正15年5月の十勝岳大噴火までの人々の生活を描いた作品。
父親は病気で亡くなり、母親はその美貌から地域の有力者から性的嫌がらせをされて街へ逃れたため、福島から北の大地での新たな生活を求めて北海道へ渡るも30年以上苦労し続けてきた祖父母と素朴に暮らす純粋な少年が主人公でした。(三浦さんの旦那さんがモデルらしい。)
とにかく人間の汚さや純粋さが淡々と描かれていました。まっとうな人もいればズルくて汚い人間もいて、結局は生まれてきた場所と環境で人は生きていくしかないのだなと思いました。そして、その中でできることをしていく。
そんな苦労も忍耐も最後は十勝岳の大爆発で水泡に帰するのだけど、そのなかにもちゃんと希望はあるという形で終わっていました。
世界は終始混沌としてるし、つらいことは終始起こるのだけど、そこでメゲずに生きていく強さが人間の幸せに通じるのだと感じました。 -
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滝江と優子の間の皮肉や腹の探り合い、当てつけと比べるように、息子の修一と彼女の関子の心洗われるような会話が入る。優子はその会話を聞きながら、自分たちの生活に、誠実さや清さなど大事なものがかけていることを考え込まざるを得なかった。
制度の改革より、人間の改革に興味があるんですよ。制度がいくら理想的になっても、人間がやくざじゃ、しようがありませんからね。なんせ、事を複雑にしているのは、人間なんですから。
一方、人間の改革より、制度の改革のほうが、効果がある。人間はなかなか利巧にならないけれど、少なくともいい制度があれば、この世は住み心地がよくなる。たとえば、年寄を大切にしなさいって百万べん聞かされても、日本中の人が年寄を大事にするのには、時間がかかる。何万年かかっても、同じかも知れない。でも、六十歳以上の方は、月二万円の補助が国から出るとか、鉄道運賃は只だとかって制度ができれば、このほうがてっとり早いかもしれない。
人間はね、誰も相手のいうことなんか、聞こうとしてやしないよ。対話と見せかけて、結局は、自分の言いたいことを押しつけてくるだけだよ
自己主張の果ては死である。女の裸が見たいからといって、無理矢理裸にしたらどうなる。近所のきれいな女の人を抱きたいからといって、道の真ん中で抱いたらどうなる。したいからといって、したいことをしていたら、人間はどうなる?体も心も目茶苦茶になってしまうよ。金が欲しいからって、強盗したり、殺人したりするのと同じさね。自己主張の果ては死、っていい言葉だろ。だから、おれはね、自分のしたいことと戦うのが好きなんだ。これが本当の、人間の戦うべき戦いだよ。そりゃあ、時には関子さんの手を握りたいことがあるよ。だけど、関子さんは、いつか誰かと結婚するだろう。その結婚する人と初めて手を握るのが、関子さんのしあわせだろ。そう思ったら、あの人のしあわせのために、おれは我慢することにするのさ。
夫婦というものは、いい時だけのものではない。貧しい時も、豊かな時も、病気の時も、健康の時も、変ることなく支えあっていくのが夫婦だ。いや、病気の時にこそ、貧しい時にこそ、慰め手が必要なのだ。励まし手が必要なのだ。夫婦には、いろいろな未来が待っている。結婚式を挙げる時、いかなる夫婦といえども、これから先何十年の間に、何が起るか予想し得ないのだ。事業が失敗するか、あるいは交通事故で不具になるか、または殺人を犯すか、それは誰にもわからないことなのだ。未来とはそのような恐ろしい可能性をも含んだ、無気味なものなのだ。二人の男女が、将来を誓うということは、その無気味な未来をも、あるいは輝かしいかも知れない未来をも、ひっくるめて共に背負うことなのだ。もともと、心の変り易い人間が、一生を誓うということは、そうした不敵なまでの真剣さがなければならない
小事に忠実な人間は、大事にも忠実である
与うるは受くるより幸である -
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滝江と優子の間の皮肉や腹の探り合い、当てつけと比べるように、息子の修一と彼女の関子の心洗われるような会話が入る。優子はその会話を聞きながら、自分たちの生活に、誠実さや清さなど大事なものがかけていることを考え込まざるを得なかった。
制度の改革より、人間の改革に興味があるんですよ。制度がいくら理想的になっても、人間がやくざじゃ、しようがありませんからね。なんせ、事を複雑にしているのは、人間なんですから。
一方、人間の改革より、制度の改革のほうが、効果がある。人間はなかなか利巧にならないけれど、少なくともいい制度があれば、この世は住み心地がよくなる。たとえば、年寄を大切にしなさいって百万べん聞かされても、日本中の人が年寄を大事にするのには、時間がかかる。何万年かかっても、同じかも知れない。でも、六十歳以上の方は、月二万円の補助が国から出るとか、鉄道運賃は只だとかって制度ができれば、このほうがてっとり早いかもしれない。
人間はね、誰も相手のいうことなんか、聞こうとしてやしないよ。対話と見せかけて、結局は、自分の言いたいことを押しつけてくるだけだよ
自己主張の果ては死である。女の裸が見たいからといって、無理矢理裸にしたらどうなる。近所のきれいな女の人を抱きたいからといって、道の真ん中で抱いたらどうなる。したいからといって、したいことをしていたら、人間はどうなる?体も心も目茶苦茶になってしまうよ。金が欲しいからって、強盗したり、殺人したりするのと同じさね。自己主張の果ては死、っていい言葉だろ。だから、おれはね、自分のしたいことと戦うのが好きなんだ。これが本当の、人間の戦うべき戦いだよ。そりゃあ、時には関子さんの手を握りたいことがあるよ。だけど、関子さんは、いつか誰かと結婚するだろう。その結婚する人と初めて手を握るのが、関子さんのしあわせだろ。そう思ったら、あの人のしあわせのために、おれは我慢することにするのさ。
夫婦というものは、いい時だけのものではない。貧しい時も、豊かな時も、病気の時も、健康の時も、変ることなく支えあっていくのが夫婦だ。いや、病気の時にこそ、貧しい時にこそ、慰め手が必要なのだ。励まし手が必要なのだ。夫婦には、いろいろな未来が待っている。結婚式を挙げる時、いかなる夫婦といえども、これから先何十年の間に、何が起るか予想し得ないのだ。事業が失敗するか、あるいは交通事故で不具になるか、または殺人を犯すか、それは誰にもわからないことなのだ。未来とはそのような恐ろしい可能性をも含んだ、無気味なものなのだ。二人の男女が、将来を誓うということは、その無気味な未来をも、あるいは輝かしいかも知れない未来をも、ひっくるめて共に背負うことなのだ。もともと、心の変り易い人間が、一生を誓うということは、そうした不敵なまでの真剣さがなければならない
小事に忠実な人間は、大事にも忠実である
与うるは受くるより幸である -
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★★★ 一度読めば満足
織田信長の反逆者・明智光秀の娘であり、細川忠興の妻となった、数奇な運命を辿った夫人・細川玉子もといガラシャの一生を綴った物語上巻。ここでは玉子の両親光秀と煕子の結婚から光秀が信長暗殺に関心を向け始めたところまでが語られる。
玉子の母・煕子は輿入直前で病にかかり、美しかった顔にあばたができてしまう。そのため光秀には煕子と偽って妹を輿入しようとするが、光秀はそれを看破し拒み、醜くなってしまった煕子と結婚する。
光秀は聡明で思慮深い人物、そして煕子もそれに似つかわしい肝の据わった女性で、これが玉子の物語だとは分かりながらももっと両親のエピソードが見ていたかった。
対して玉子は夫・忠興や義父・幽斎の慮りを無視して明智の謀反を彼女に告げる義弟・興元のことを庇うなど、一歩間違えれば細川家をバラバラにしかねない短慮な行動をするので、あまり好印象にはならなかった。 -
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かなりヤバイ性格の陽子ちゃんの実弟が他人の人生をダメにするまでに至り、陽子ちゃんが流氷を観ながら「原罪」や「許し」を「絶対的な存在」である「神」に啓示されるまでのお話。
最後は前面にキリスト教が押し出され、その点に関しては陽子ちゃんがそれで良いのならどうぞ…という感じ。
何に救いを見出すかは人それぞれなので…。
ただ、絶対的な「神」を信じること(「神」の存在を受け入れること)でこれまでの数々の苦悩が救われるというのは、ちょっと良い子ちゃん過ぎるお話かな。
人の心の安寧というのは、何かしら既に出来上がっているものに寄ったほうが楽であることは事実だと思う。
自由のなかで自己選択と自己責任の繰り返しで生きるよりかは指針があったほうが楽だからね。
キリスト教信者の著者が絶対的信仰に基づいて描いた人間模様と考えれば破綻もなく、飽きずに最後まで読める作品でした。
ただ、良くも悪くも人間の本質を考えるにあたっては「続」ではなく『氷点』のほうが良かったです。 -
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かなりヤバイ性格の陽子ちゃんの実弟が他人の人生をダメにするまでに至り、陽子ちゃんが流氷を観ながら「原罪」や「許し」を「絶対的な存在」である「神」に啓示されるまでのお話。
最後は前面にキリスト教が押し出され、その点に関しては陽子ちゃんがそれで良いのならどうぞ…という感じ。
何に救いを見出すかは人それぞれなので…。
ただ、絶対的な「神」を信じること(「神」の存在を受け入れること)でこれまでの数々の苦悩が救われるというのは、ちょっと良い子ちゃん過ぎるお話かな。
人の心の安寧というのは、何かしら既に出来上がっているものに寄ったほうが楽であることは事実だと思う。
自由のなかで自己選択と自己責任の繰り返しで生きるよりかは指針があったほうが楽だからね。
キリスト教信者の著者が絶対的信仰に基づいて描いた人間模様と考えれば破綻もなく、飽きずに最後まで読める作品でした。
ただ、良くも悪くも人間の本質を考えるにあたっては「続」ではなく『氷点』のほうが良かったです。 -
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著者の自伝小説。
教師時代からお話は始まるが、綾子氏も熱心な教師であったことが覗える。
折しも時代は戦中、戦後の動乱期。そんななか、敗戦した日本はアメリカの指示の元、綾子氏が教えていた国定教科書の至る所に墨を入れ、修正させる場面がある。
生徒は黙々と墨をすり、修正箇所に黒く修正をいれる。その姿を見るに絶えず、“わたしはもう教壇に立つ資格はない。近い将来に一日も早く、教師をやめよう”とある。
ここに時代背景を感じるが、それ以上に綾子氏の意思の硬さに驚きを隠しきれない。
自身が情熱を傾けていた七年間は何だったのか?日本が間違っていたのか、もしくはアメリカがおかしいのか?一体何が正しいのか?
生徒を想うばかり葛藤し、間違ったことを純粋な生徒に教えてきてしまった自身が許せない、ならば潔く教壇から退こう。
熱心で慕われていた綾子先生像が目に浮かぶようです。その当時でも、誰も彼もが就ける仕事でもないものを、キッパリ断つ。なかなか出来る代物でもない。
そしてその後まもなく肺結核を患い、十三年間に渡る長き闘病生活が始まる。
闘病生活の間に師や療友、前川正や三浦光世、キリストの教えと出会う。
失意の底を経験したからこその神の教え、ここらへんは少し共感し難いものに感じたが、著者は様々な人に出会い、そして別れ、苦悶し葛藤し尽くした結果の洗礼。それは大いに素晴らしいことだと思った。
これはこれで良いお話ではあったが、個人的には物語を通じて三浦綾子を知る方が好きだ。
自伝ともなれば、どうしてもキリスト色が濃厚となり、少しとっつきにくいところではある。
しかしながら、著者の生い立ちあっての物語。
残りの第二部、第三部も日を改めて追ってみることにします。