三浦綾子のレビュー一覧
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障害を持つ人たちに対し、かわいそうだからと彼らのために何かをしてやろうというのではダメだ。共に生きることが大切なのだ。ために、ではなく、共に生きよ、と言うのだ。
日本人には、愛というものの本質が非常に少なくて、同情という領域が非常に強い、という。
結婚というものは、相手も自分のいく方向に歩いていく人としなければならないと思う。だから、二人の目的は一つであるということだ。その人にとって1番大切なことが芸術であるなら、相手の人もやはり芸術に理解があり、大切にする人でなければ、結果は火を見るより明らかということになるのではないか。結婚は、その人の人生の目的が相手の人と合致した時に最もよくいくとおも -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあ -
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神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。
著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。
大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあ -
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ネタバレ一生を終えてのち残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が、与えたものである。(ジェラール シャンドリ)
「おもしろいものだね。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。しかし、かくれた
ほどこし、真実な忠告、あたたかい励ましの言葉などは、いつまでも、残るのだ。」
夏枝が、「生きてる、って、寂しいわね」って、ラストに言ってる…。
それに、対して、啓造が、つぶやいた、
「そうか、夏枝も、淋しいのだ。
その寂しい者どおし、なんで、つまらない争いを繰り返すのか。淋しければ、肩をよせあって、仲良く生きるべきなのだ。」
当たり前かも、知れないけれど、なかなか、
出来ない事。
しみじみと、夫婦 -
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ネタバレ一生を終えてのち残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が、与えたものである。(ジェラール シャンドリ)
「おもしろいものだね。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。しかし、かくれた
ほどこし、真実な忠告、あたたかい励ましの言葉などは、いつまでも、残るのだ。」
夏枝が、「生きてる、って、寂しいわね」って、ラストに言ってる…。
それに、対して、啓造が、つぶやいた、
「そうか、夏枝も、淋しいのだ。
その寂しい者どおし、なんで、つまらない争いを繰り返すのか。淋しければ、肩をよせあって、仲良く生きるべきなのだ。」
当たり前かも、知れないけれど、なかなか、
出来ない事。
しみじみと、夫婦 -
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本書は、著者が女性自身に連載した随筆を何作か追加して送り出したものだ。自分はダメな妻だといいながらも、ストレートで愛情ある家庭を築いていることがひしひしと伝わる。ただ、妻とは、女とは、夫とは男とは、と、現代ではとんでも本になるような内容だが、愛があり、労りがあるので、その辺は差っ引いて読むと良い。自分が男であれば、本書の妻の部分を自分に置き換えればいい、人に置き換えればいい。
日曜大工が自慢の夫が居れば、たとえ少々ぐらい脚のぐらつく椅子を作っても、何万円の椅子にも勝る大事な椅子として喜んで腰を掛けたらどうか。また、何をすることもできない夫が勤め先での自慢話を長々と話して聞かせたら、妻は、本当 -
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三浦綾子の自伝小説だ。
彼女は、小学校の教師になり、皆から好かれた。だが、彼女はこの小説を書くにあたって、当時のことを思い出し、自分は全然教師として失格だったと悔悟している。たしかに、彼女のクラスの子たちは、成績は良い方だった。でも、今にして思うことは、全然、子供たちに必要なことを、大切なことを教えていなかったというのだ。真理を教えるべきであったと。愛することは何かを教えるべきであったと。実につまらぬことを口やかましく教えてきたことを後悔したという。キリスト教に帰依した彼女らしい反省で好感がもてる。彼女は、生徒をかわいいと思い、厳しく躾けることを使命と思い、1人の生徒も置き去りにしてはならぬと -
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三浦綾子の自伝小説だ。
彼女は、小学校の教師になり、皆から好かれた。だが、彼女はこの小説を書くにあたって、当時のことを思い出し、自分は全然教師として失格だったと悔悟している。たしかに、彼女のクラスの子たちは、成績は良い方だった。でも、今にして思うことは、全然、子供たちに必要なことを、大切なことを教えていなかったというのだ。真理を教えるべきであったと。愛することは何かを教えるべきであったと。実につまらぬことを口やかましく教えてきたことを後悔したという。キリスト教に帰依した彼女らしい反省で好感がもてる。彼女は、生徒をかわいいと思い、厳しく躾けることを使命と思い、1人の生徒も置き去りにしてはならぬと -
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旭川には一度だけ行ったことがある。真ん中を大きな河が流れる澄んだ街だ。この本に何度か出てくる歩行者天国の大通りも歩いた。大都会にもない規模感の歩行者専用ストリートがなんでこんな北の一地方都市に!?と不思議に思ったのが懐かしい。その時は旭川が三浦綾子ゆかりの土地だとは知らなかった。また訪れたいものである。
表題にもなっている「丘の上の邂逅」の教え子との再会のエピソードなど印象的な話はたくさんあるが、特別触れられているわけではないにも関わらず何より印象深いのは、著者と夫との関係性であろうか。深い信頼関係とはこういう形で表出するものなのだなと感心する。理想の夫婦像の一つの解。