【感想・ネタバレ】三浦綾子 電子全集 愛すること信ずることのレビュー

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Posted by ブクログ 2022年11月27日

夫と出会った頃に読んだ。

結婚なんかしないわ…。
と、たかを括っていた、
めちゃくちゃな恋愛をしてきた、
自分勝手極まりない私が、

この人だけは絶対に傷付けない。
と夫に対して思えたのは

三浦綾子さんのこの作品のおかげだったのではないか…と思っている。

読み返してないので美化もされてて
☆☆...続きを読む☆☆☆5つ星満点だけど

愛とはなんたるかを
教えてくれた作品でした。

彼と付き合う前に
結婚生活の前に
子どもを持つ前に
読んでて良かった。

カルト3世の私が
神さまに導かれてるのかなぁ
と思えた作品でした。

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Posted by ブクログ 2021年05月30日

210502

母が高校生のときに読んだらしい。
そんな昔の本だったから、文庫ではなく新書だった。笑
数十年前に書かれた本なのに、それを感じさせない内容で、今も昔も変わらないだな、と。

独身の私には、「自分が変わった時には、いつの間にか自分のその生き方を育ててくれる男性が現れるものだ」という箇所が...続きを読む、心に響いた。

結局、自分自身が軸。結婚相手はあくまでも他人。
でも、貧しい想像力で相手の身になってあげたいと思える、そんな人を生涯の僧侶にしたいね。

そして、心が向く先が同じという点をしっかり押さえよう!と改めて決心。

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Posted by ブクログ 2015年09月12日

こんな人に愛せる人信じられる人に一生の中で一瞬でも出会えることができれば、ひっそりとだけど幸福に人生を終えられるだろうなと思いました!
ありきたりだけど、三浦さんのようにもっと色んなことを経験して、吸収して、いい女になって、たった一人でもいいから誰かを幸せにできるようになろうと心に誓える作品です!

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

夫婦でいることが一番大切なのに、どうして些細なことで我をはったり、揚げ足とったりしていたのだろう。夫を言い負かして、一瞬得意げになって、それがうれしいことなのか?相手をイヤな気持ちにさせてまで言わなきゃいけないことなのか?何が一番大事なのかと言うことを考えて、これから生活していきたいと思います。もう...続きを読む、遅いかも知れないけれど、この本を手元に置いて時々読み返して、いい関係を作りたい。

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Posted by ブクログ 2022年12月13日

巻末に書かれた、夫である光世さんの「妻を語る」で、この作品が初めてのエッセイ集ということを知った。今の時代では少し価値観が違うところもあるように見えるけど、論じていることの根っこは今でも通用するし、そうありたいと思うことが多くあった。装幀が好きです。

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Posted by ブクログ 2022年01月12日

本書は、著者が女性自身に連載した随筆を何作か追加して送り出したものだ。自分はダメな妻だといいながらも、ストレートで愛情ある家庭を築いていることがひしひしと伝わる。ただ、妻とは、女とは、夫とは男とは、と、現代ではとんでも本になるような内容だが、愛があり、労りがあるので、その辺は差っ引いて読むと良い。自...続きを読む分が男であれば、本書の妻の部分を自分に置き換えればいい、人に置き換えればいい。

日曜大工が自慢の夫が居れば、たとえ少々ぐらい脚のぐらつく椅子を作っても、何万円の椅子にも勝る大事な椅子として喜んで腰を掛けたらどうか。また、何をすることもできない夫が勤め先での自慢話を長々と話して聞かせたら、妻は、本当によくおやりになるのね、と感心して聞いてあげたらどうだろう。家庭というものは、そういう愛嬌のある不細工な椅子も、人には嫌味に聞こえるかもしれない自慢話も、みんな受け入れてあげることのできる、大きな、寛いところでなくてはならない。人間は、いろいろな欠点を持っていてこその人間なのだ。
このことは、著者は妻に対して言っているが、夫に対しても同様に妻を寛い心で見なければならない。

特に家庭生活では、自分が正しいと思った時の起こり方は慎重でなければならない。家庭は裁判所ではないのだ。どちらが正しいかということよりも、更に大切なことがある。

神様、私のようなものに、三浦のような素晴らしい夫をお与え下さいまして、ありがとうございます。どうか、恵みに慣れないようにお導きください。とお祈りする。あなたは初めの愛から離れた、という聖書の中の言葉と共に。

人間というものは元々傲慢なものだ。人間は褒められることによって、思い上がったり、いい気になったり、人を見下したりする過ちを犯しやすいが、けなされることは、反省の良い機会を与えられるからありがたいのだ。月や花は人が美しいと言おうが言うまいが美しい。同じく醜いものも、褒められようが貶されようが醜いのだ。人の褒貶でその人間の真価が変わるものではない。また、それぞれの人間の真価などは、誰にだってわかるとも思えない。だから聖書にも、裁くな(人のことをあれこれと言うな)と書いてあると思っている。

牧師であり医師である相見三郎とおっしゃる先生がこう説いている。聖書には、夫には主に仕えるように仕えなさい、と書いてある。だから、どんな夫にも、主に仕えるように仕えなさい。あんな悪い夫には主に仕えるように仕えれない、と言ってはいけない。いい夫にだけ仕えなさいとは書いていないのだ。もし自分の夫が泥棒であっても、そこに見張りをしておれ、と言われれば黙って見張りをするのだ。それを賢そうに、泥棒など悪いことだからやめなさい、などと言うと、それは主に仕えるように仕えてはいないことになる。これは聖書の中の基本的な人間観であり、裁いてはいけないという言葉に書いてあるのだ。裁くとは、つまり他の人間を悪い奴だと思うことである。人を悪いと思うそのことが悪いのだ。主のごとく仕えるとは、まずは相手を尊敬することである。

人生とは他との戦いではなく、自分自身の中にうごめく、わがまま、怠惰、勝ち気、冷淡、さまざまな良からぬ欲望などとの戦いである。良い人生を送るには、良い伴侶が必要だ。良い結婚とは、良い相手を得ることだ。良い相手を得るには、独身時代の生き方が問題になる。

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