村井章子のレビュー一覧

  • ブラック職場があなたを殺す

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    1. 私の知り合いがブラック企業に勤めているものの、なんだかんだで辞めようとしない心理について知りたくなったので読みました。

    2.ブラック職場の特徴は①裁量権がないこと、②ソーシャルサポートが整っていないことです。つまり、人間個人を尊重する意志がないことと、安全な環境を構築していないという特徴があります。これら2つが成り立たない理由としては社風や上司の機嫌、業界の構造上の問題など、様々な理由があります。本書では、このようなブラック職場を徹底的に分析し、どのような職場が良くないのかを具体的に述べています。

    3.友人の場合はプライドが高いため、「今ここで辞めたら負け犬」というプライドがあることによって、自分を苦しめています。そしてさらに「今やめてもスキルがない」という気持ちが強いのだと思います。そのため、「スキルを身に着けてから」と言い訳をして逃げているのですが、私の経験では、こんなことを言っている人は一生転職できずに嘆き苦しんで人生を終えることとなります。そして、そのような人たちは自分が悪いわけじゃないという気持ちが強いため、自分を変えようとしません。友人を見捨てるのは心苦しいですが、自分からは何も言わずにしておこうと思いました。
    そして、本書を読んで確信したことは「ブラック職場をなくすためには内部改善では無理、貝外部から強制撤退させるしかない」ということです。アメリカの場合は競争の過激化、日本の場合は伝統という幻想に縛られた考えによって、ブラック職場が普通であると認識されてしまいます。働く側としてできることは「ブラック職場を選ばないこと」です。これは非常に難しいことなのですが、ある種の選挙だと思っています。選挙で負ければ当然負けた人は市場から撤退するしかないため、ブラック職場を撤退させる方向へと導かなければなりません。そのためには、私たちはスキルを身に着けるだけではなく「選ぶ技術」を身につけなければなりません。
    人が安心できる組織とは何なのか、これについて考え続けることで、ブラック職場が自動的に潰れる仕組みづくりをしなければならないと思います。

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    2022年03月02日
  • NOISE下 組織はなぜ判断を誤るのか?

    Posted by ブクログ

    上巻の方では、ノイズとは何かについて紙幅が割かれていた。
    今回の下巻の方では、ノイズを防ぐ方法について言及されている。
    本書(上下両巻)を読んでいくと「ノイズは厄介だ!良い判断をするためにも、全ての意思決定プロセスを厳しく取り決めよう!」という発想に陥りやすい。たしかに、筆者たちは「判断ある所にノイズあり」と繰り返し訴えている。ノイズが意思決定において好ましくない存在であることはその通りなのだ。その領域が、医療業界など、専門性の高い分野なら尚更のことである。
    しかし、全ての判断をアルゴリズムやAIに委ねることも危険だと筆者らは言う。結局のところ、最終的な判断は人によって下されることが望ましい。筆者らが訴えるのは、最終判断を下すまでの過程に問題があるということなのだ。
    ノイズを減らす方法として、筆者たちは「判断ハイジーン」という手法を提供している。ハイジーンというのは日本語で「衛生管理」を意味する。本書を読めばわかるが、往々にしてノイズの存在は気付きにくいもので、それゆえに対策をしたところで明白な効果が出ているかどうかが分かりにくい。が、確実にノイズによる影響は存在するし、それが悪いものなら対策をするに越したことはない。これは、私たちが日常的に行う「手洗い」と似たようなものだ。手にどんな菌が付着しているかわからないけれども、手を洗えばそれらの菌は消滅する。
    このように、ノイズ対策と手洗いは、悪影響をもたらす正体が不明瞭だがそれが悪い影響をもたらすのは確実なので事前に対策をしたほうが良い、という点で非常に似ている。それゆえに「ハイジーン(衛生管理)」という名前がつけられた。
    下巻では「判断ハイジーン」における6つの原則が紹介されている。良い判断を下すためにはこれらを遵守することが求められる。

    原則1
    判断の目標は正確性であって、自己表現ではない

    原則2
    統計的視点を取り入れ、統計的に考えるようにする

    原則3
    判断を構造化し、独立したタスクに分解する

    原則4
    早い段階で直感を働かせない

    原則5
    複数の判断者による独立した判断を統合する

    原則6
    相対的な判断を行い、相対的な尺度を使う

    以上の原則を守れば、良い判断が下せる可能性が高い。本書における最重要部分はこの原則だと言えよう。この部分さえ意識し判断を行えば御の字である。
    人は往々にして自分の力のみで判断を下したい生き物だ。しかしそれは自分が懊悩して出した結論に対する自分へのご褒美のようなものだと筆者たちは指摘する。その判断がたとえ気持ちの良いものであったとしても、そのことが優れた判断だと言える根拠にはならない。
    しかし、悲しいかな、彼らはその快楽に浸りたいために、意思決定プロセスにおけるノイズの削減を拒む。それが最悪の状況を招く可能性があったとしても。挙句の果てには、ノイズの削減はコストが嵩むなどと主張して己の怠慢を正当化する。
    実際、ノイズの削減には多くの批判が投げられ回避されていきたと筆者は言う。たしかに、判断ハイジーンのみならず、アルゴリズムやAIですら間違うことがある。だからと言ってノイズ削減を怠るのは優れた決定者としてあるまじき行為だろう。良い意思決定者として行うべきは、ノイズを削減する効果的な方法を模索することなのだ。断じて、それを等閑にすることではない。
    本書の最後では、筆者らがノイズのなくなった世界を夢想する。その世界では、「無駄な支出や損失が大幅に減り、公共の安全も健康も改善され、何より公平性が向上して回避可能な多くのエラーが防止される」そして、この世界に少しでも近づくために「ノイズ」という厄介者に目を向けてほしいと読者に訴えていた。

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    2022年02月16日
  • 国家は破綻する―金融危機の800年

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    国家は破綻する 金融危機の800年 2011
    2011年3月7日第1版第1刷発行
    カーメン M ラインハート (著), ケネス S ロゴフ (著)
    村井章子(むらいあきこ)訳

    2011年3月の出版なので丁度、
    東日本大震災の時期になる。
    当時は緊急事態だった。
    そのせいで平時なら話題になるものが埋もれている。
    有名人の死亡もそうだし、コンマリのヒットもそうだ。
    本書も本来なら当時もっと話題になっておかしくない本なのだが、やむを得ない。

    本書には索引があり、それだけでも力を入れて作った本であることがわかる。
    野口悠紀雄氏によれば、米英のまともな専門書には索引があるのだという。
    索引をつけるのは本制作の最後にならざるを得ない。
    大変手間がかかるので省略されがちである。
    だから索引のある本は信頼できる本であるという。
    (著者の真摯さがあらわれるということ)

    カーメン・M・ラインハート(Carmen M Reinhart)
    メリーランド大学教授。キューバ難民の子供。
    料金とカバン3つでアメリカに逃れてきた。
    ベアー・スターンズのチーフエコノミストなどを経て
    コロンビア大学で研究生活に。
    ロゴフとはIMFが縁で共同研究することになった。
    夫は元FRB金融政策局長のビンセント・ラインハート。

    ケネス・S・ロゴフ(Kenneth S Rogoff)
    ハーバード大学教授。1953年生まれ。
    1980年マサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。
    1999年からハーバード大学経済学部教授。
    国際金融分野の権威。
    2001~2003年、IMFのチーフエコノミストを務めた。チェスの天才。
    共著に“Foundations of International Macroeconomics”など。

    村井 章子(むらいあきこ)
    翻訳者。上智大学文学部卒業。
    経済・経営、環境関係の翻訳を主に手がけ、高い評価を得る。
    訳書に『機械との競争』『国家は破綻する』『大暴落1929』
    『資本主義と自由』『ファスト&スロー』『LEAN IN』『帳簿の世界史』ほか。

    本書は、さまざまな形をとって起きてきた金融危機を数字で
    綴る歴史の本である。私達がこの本で伝えたいのは、
    「これはいつか来た道だ」という一言に尽きる。
    最近の金融狂騒曲がまったく新種のように見えるとしても、いやどの危機もかつての危機とは異なるように見えるとしても、歴史を遡り、また世界を見渡せば、たいていは過去の危機と驚くほど似通っていることに気づく。
    前例を知り類似性や共通性を知っておくことは、将来の危機発生リスクを抑えるうえでも、また不幸にも危機が
    発生した場合に賢明に対処するうえでも、世界の金融システムをよりよいものにする第一歩と言えよう。

    本書の存在は以前より知っていた。
    ただ前回読んでみようとチャレンジした際にはさすがに厚さに圧倒されて読めずじまいだった。
    経済の少々難しい話も入っている感があったのでそれも
    読むのを挫折してしまった一因だったかもしれない。
    それでも今回、再度本書を読み直してみようと考えたのはこの2021年10月末の衆議院選挙で再び財源を全く考慮しない公約の嵐(与野党含む)が出ており危機感を持ったためだ。
    またネット上でも相変わらず国債は国の借金にあらずという誤った思想に取り憑かれた人たちの主張が酷いと感じるようになったからだ。

    三橋貴明(中村貴明)や藤井聡、中野剛志などの
    自称識者、自称学者としか言いようがない酷い主張が
    政治家にも浸透している事実に怒りを覚える。
    (自民党参議院議員、西田昌司など)
    MMTだの何だの取り繕っているが、国債は国の借金、国民の借金に他ならない。
    彼らの思想は言ってみれば第二次大戦前に日本を戦争に追い込んでいった危険思想である天皇主権説を唱えた上杉慎吉や蓑田胸喜のようなものだろう。

    冷静に考えてみればわかることではあるが、
    無限に国債を発行することはできない。
    もしいくらでも国債を発行できるのであれば、消費税どころか厚生年金、介護保険をはじめとする社会保険料を無料にできる理屈になる。
    防衛費もGDP比1%だの2%だの言わず、
    中国人民解放軍と同じだけ毎年使うことができるはずだ。
    実際にそんなことは出来ない。
    無限に国債を発行できないから税金は無くならない。

    日銀の国債引受に関しては
    1947年に施行された財政法第5条により、原則禁止されている。
    「中央銀行がいったん国債の引き受けによって政府への資金供給を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛からなくなり、悪性のインフレーションを引き起こす恐れがある

    しかしアベノミクスによって事実上の日銀による国債引受が行われている。
    一見、増税せずに乗り切っているように見える。
    しかし日本国や円の購買力は諸外国に比べ落ち続けている。
    明らかに経済は弱くなっている。

    本書の不足している点は国家の財政破綻はありうると認識した上ででは個人としてどうしたら良いのかが明確ではないこと。
    ここは橘玲氏の国家破産はこわくない 日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル 改訂版(2013)を参照されたい。
    その本などにも書かれている事ではあるが紹介すると、
    ネット証券で口座を開き、全米株、S&P500、全世界株(除く日本)
    といったインデックスファンドかETFに積立投資をしておく・・・
    これくらいが一般の個人のできる現実的な対応だろう。
    非常事態になればシンガポールなどの外銀に口座をつくるなども必要になるのかもしれないが・・・
    あとは明らかな間違いに対しては指摘し続けるしかない。
    邪教が世の中に広がってからでは手遅れだ。

    狂った戦争や出来事の前には前提として
    狂った思想が世の中に浸透していた事実がある。
    第二次世界大戦しかり、オウム真理教しかり。
    ナチスドイツの広がりしかり。共産主義しかり。

    池上彰氏が語っていた事で、バブルは30年周期で再発すると。
    これと似たことが、銀行危機、国家財政破綻にも当てはまる。
    東日本大震災でもかつて江戸時代に大津波が地域を襲い、
    ここから先には家を建てるなと先人が警告の為の碑を設けていたもののそれは忘れてしまった、無視されてしまったのだ・・
    特に50年や100年に一度の現象、脅威を正しく警告していくことは極めて難しいことの一つなのだろう。


    印象に残った点

    1942年には、日本はその長い歴史の中で唯一の対外債務デフォルトを起こしたし、戦後インフレの際には、日本のインフレ率は最高で586%に達した。

    銀行危機は、所得水準も政治制度も異なる国々で広く頻発する
    (すなわち「機会均等の危機」である)だけでなく
    マクロ経済統計にひどくよく似た痕跡を残すということである。
    これは、よく言われるように単に規制当局や中央銀行の不幸な失敗が重なったことが原因なのではなく、人間の性質に根ざす何か根源的なものが働いているからではないだろうか。
    傲慢と無知は、どの時代にも、どんな政治制度の下でも、人間の性質に普遍的に見られる特徴である。
    最初に現れるのは、金融危機がどれだけ頻繁に起きているかを知らない、という無知である。もっとも「頻繁」とは半世紀に一度か、もう少し多いという程度だから、知らなくても不思議はない。
    だから、いくつか例外はあるにしても(例えばドイツ人は、未だに1920年代のハイパーインフレの苦しみを覚えている)
    殆どの社会は悲劇をとっくに忘れている。
    しかし、8世紀という長期間にわたるデータセットを定量的に観察してみれば、世界中で繰り返される普遍的なパターンを見つけることができる。人間の性質に備わったもう一つの欠点は傲慢である。金融危機は、どこかよその国、よその時代のよその人に起きる出来事だと思い込むのは、傲慢のなせる業である。
    政策当局、投資家、メディアは、たびたび「今回は違う」という言葉を口にしてきた。債務が膨らみ資産価格が急上昇しても今回はこういう理由があるから何も心配はいらない、木が月に届くまで伸びることだってあるのだ、と。

    読者もよくご存知のとおり、金融危機はけっして目新しいものではない。
    金融市場が発達してからは、危機は常に人類と共にあった。
    古い時代には、通貨の改鋳が原因で起きることが多かった。戦争などで国の財政が苦しくなった時の窮余の策として、君主が自国通貨中の金や銀の含有量を減らすのである。
    だが技術が進歩したおかげで、政府が財政赤字を埋め合わせるために自国通貨から掠め取る必要は、だいぶ前から無くなっている。
    だからと言って金融危機が無くなったわけではない。
    危機はいつの時代にも発生し、今日に至るまでたくさんの国を苦しめている。

    国家としての初期段階では、あのフランスでさえ、少なくとも8回は対外債務のデフォルトを起こしている
    スペインは18世紀末までは6回で済んでいたが、19世紀に入ってから8回を記録して、フランスを抜いた。
    このように今日のヨーロッパの大国が新興段階からのし上がる過程では今日の多くの新興市場国と同じく、対外債務のデフォルトを繰り返し起こしている。
    ギリシャは1800年から第二次世界大戦後までずっとデフォルト状態だったと言ってよく、オーストリアはある意味でもっとひどかった。
    19世紀以前の国際資本市場はさほど発達していなかったにも関わらずフランス、ポルトガル、プロシャ、スペイン、そしてイタリアの都市国家は頻々とデフォルトを起こしている。ヨーロッパの周縁部に位置するエジプト、ロシア、トルコも、やはり慢性的なデフォルト歴を持つ。

    国内債務のデフォルトは対外債務に比べれば稀だと考えられており、経済書などには、政府は国債を額面通り必ず償還してきたようなことが書かれている。しかし実際には、そう断言するのはいかがかと思われるほど
    デフォルトが発生していた。国内債務が公然とデフォルトされるときは、対外債務だけをデフォルトする場合に比べ、生産高の急激な落ち込みやインフレの加速など、経済事情がきわめて悪化しているケースが多い。

    実際には銀行危機は、貧困国も富裕国も同じように苦しめてきた。
    19世紀初頭のナポレオン戦争中に起きたデンマーク危機から21世紀のグローバル金融危機に至る様々な銀行危機を調べると、そう結論せざるを得ない。
    銀行危機が発生すると、まず間違いなく税収が急減し、財政支出が大幅に増える(その一部はほぼ確実に浪費される)。
    銀行危機後の3年間で政府債務は平均して86%増えており、銀行危機が間接的に財政にもたらすこうした影響は、直接的な銀行救済に要するコストよりはるかに大きい。

    間違いなく一つ言えるのは、国も銀行も、個人も企業も、大好況期が永久に続くはずもないのに、後々の危険を十分認識しないまま、景気のいいときに過剰に借り入れる習慣を繰り返してきたことである。

    過去800年間に起きた危機を細部に分け入り、データの山をつぶさに調べた末に、私達はこう考えるようになった。金融危機直前の絶頂期に投資家が聞かされてきた助言は「今回はちがう」という認識に基づいていた、ということである。その代償は大きかった。
    「昔のルールはもう当てはまらない」という主張は熱狂的に受け入れられ金融のプロが、さらには政府の指導者が、われわれは前よりうまくやれる、われわれは賢くなった、われわれは過去の誤りから学んだ、と言い始める。
    そのたびに人々は自分で自分を納得させた。過去のブームはほぼ決まって悲劇的な暴落につながったものだが、今回は大丈夫だ。
    なぜなら現在の経済は、健全なファンダメンタルズや構造改革や技術革新やよい政策に支えられているのだから、と。

    未来の政策担当者や投資家が本書の提出するデータと分析の重みを受け止め、安易に「今回はちがう」と口にするのを控えるよう、願ってやまない。今回がちがうことは、まずないのだ。

    LTCM危機の際にあるトレーダーの発言
    「銃の脅しで奪われるよりも多くのカネが、たった四語の言葉のせいで失われる。それは、今回は違う(This time is different)という言葉だ」

    危機がいつ起きるのか、どのくらい続くのかは、理論は示してくれない。

    「今回は違う」シンドロームが流行する最大の理由は、おそらく信頼というものが移ろいやすく当てにならないことを忘れてしまうことにある。
    多額の短期債務を頻繁に借り換えなければならない状況では、信頼の揺らぎはとりわけ重大な意味を持つ。
    借入比率の高い政府、銀行、企業は大丈夫いつまでも借り換えを続けられると考えて安心しているが、その日は突然やって来る。
    借り手は信頼を失い、貸し手は姿を消して、危機が始まる。

    金融危機の歴史を振り返ってわかるのは、何かが起きると思われている時にはその何かはいずれ起きる、ということだけである。
    債務が膨れ上がった国は、悲劇に向かっている。
    借金頼みの投資で資産価値が高騰し、話がうますぎると感じられるような時はだいたいにおいてその感覚は当たっていると言ってよい。
    だが悲劇が起きるその日を正確に予想するのは極めてむずかしく、すぐそこに迫っていると思われた危機が数年後にようやく始まる例もある。
    例えば2000年代後半のアメリカがそうだった。危機の前には、赤信号があちこちで点滅していた。だが「最後の一撃」はなかなか来ず、それまでずっと金融業界のトップも経済学者も「今回は違う」と唱え続けていた。

    信頼の喪失という事態に国が翻弄されないようにするには、借り入れそのものや借入比率の抑制以外にも、さまざまな方法がある。
    経済学が教えるのは、透明性を高めることである。

    例えばベン・バーナンキは、1930年代の大恐慌があれほど長く苛酷だった主因として、銀行の破綻を挙げている。金融危機、とりわけ規模が大きく解決困難な金融危機の影響が深刻化しやすいのは、このためである。
    このテーマは、複数均衡や金融の脆弱性と同じく、多数の専門的な文献で論じられている。金融市場と実体経済がこのように深く結びついているため金融市場が機能停止に陥った場合にはとくに、危機は歴史に残るような
    大惨事となりやすい。本書で取り上げる危機の多くがそれに該当する。
    対照的なのが、2001年のインターネット・バブルの崩壊である。
    この時はハイテク株が急騰した末に急落したが、実体経済への影響はさほど大きくなく、同年内のゆるやかなリセッション(景気後退)でおさまった。2000年代前半に起きた世界的な住宅価格の高騰のように債務で膨らんだバブルの方がよほど危険である。

    「今回は違う」シンドロームの本質は、ごく単純である。この症状は、金融危機はいつかどこかで誰かに起きるもので、今ここで自分の身に降りかかるものではない、という強固な思い込みに根ざしている。
    我々は前よりうまくやれる、我々は賢くなった、我々は過去の誤りから学んだ。それに、昔のルールはもう当てはまらない、という具合である。
    だが残念ながら、巨額の債務に依存する経済は極めて弱い。
    知らない内に断崖絶壁を背にして座っているようなもので、偶然が重なって信頼が失われると、あっという間に谷底に転落する。

    通貨改革、すなわち新通貨の導入や呼称変更、単位の切り替え

    例えばハイパーインフレに悩まされたブラジルでは、1986年から1994年にかけて、4度も通貨改革を実施した。私達が調査を始めた段階では、1948年の中国が最も大胆で、旧通貨と新通貨との交換比率は300万対1だった。
    ところが調査が終わる頃には、この記録はジンバブエに抜かれていることがわかった。ジンバブエの通貨改革では、交換比率はなんと100億対1に達したのである。通貨改革は高インフレ(必ずしもハイパーインフレではない)が続いた後に実施されることが多く、

    過去最大の対外債務のデフォルトは、2001年にアルゼンチンが起こしたもので950億ドルを上回っていた。このケースは利払いの減額と繰延措置によって対処された。時には債務国が返済義務を公然と拒否することもある。
    例えば1867年にメキシコのフアレス政権は、マクシミリアン皇帝が借り入れた1億ドル以上のペソ建て債務の返済を拒絶した。

    あまり知られていないが、1958年~1972年にはインドの対外債務再編が行われている。

    ギリシャは、1826年にデフォルトを起こしてから53年間ずっと、国際資本市場から閉め出された。また1873年のホンジェラスのデフォルトも、ほぼ同じ期間にわたっている。

    実際には国内債務危機は、平均的な対外債務のデフォルトに比べるとはるかに経済事情が悪い時に発生している。だが一般に国内債務危機には、無遠慮な外国人債権者は絡んでこない。多くの事例が主要業界誌や金融専門誌で報道されず、またこの種の危機の研究が学術文献であまり取り上げられないのはこのためと思われる。もちろん、全てが闇に葬り去られるわけではない。
    メキシコは1994年~1995年にデフォルトを起こしかけて、大々的に報道された。
    これなどは「有名」になった国内債務危機の例と言えよう。

    またアルゼンチンは、1980年以降に国内債務のデフォルトを3回起こしている。
    うち2回は対外債務のデフォルト(1982年と2001年)と同時だったため世界的に大きな関心を呼んだ。だが、1989年の大規模なデフォルトは対外債務の新規デフォルトを伴っておらず、したがって非居住者が関与していなかったため、ほとんど取り上げられていない。
    また1930年代の大恐慌の際には、先進国、途上国を問わず国内債務のデフォルトが多発したが、大方は記録されていない。債務に関する公式文書に記載されている場合でも、脚注扱いで、返済の遅滞や一時中断と書かれているだけのことが多い。

    ある国が繰り返しデフォルトをするようになると、その後は債務不耐性の重い症状が長引く 悲しいかな、これが今回の分析でわかった事実である。
    もちろんその状態を脱することは可能だし、実際に脱した国もある。
    だが完治までのプロセスは長く辛い。たとえばギリシャやポルトガルにとっての欧州連合(EU)のように、外から手を差し伸べてくれるしっかりした
    政治機関があれば別だが、そうでなければ何十年、何百年とかかることもある。
    少なくとも現時点では、たとえ強力な国際機関の肩入れであっても症状を軽減しうる実験程度にみなしておくのが無難で、決定的な治療法とまでは言えない。

    歴史的に見て、対外債務GNP比率の高い国が、高度成長あるいは長期にわたる多額の返済を通じてその状態を脱した例は、極めて稀である。
    新興市場国で対外債務が大幅に減ったケースのほとんどは、再編かデフォルトによっている。

    1800年から2009年にかけて、ソブリン・デフォルトは対外債務について少なくとも250回、国内債務でも68回あった。

    デフォルト未経験国
    オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカという英語圏の高所得国が含まれる(盟主とも言うべきイギリスは、すでに指摘した通り、古い時代にデフォルト歴がある)。
    またデンマーク、フィンランド、ノルウェーはいずれもデフォルトをしたことがない。ベルギー、オランダもそうだ。
    アジアでは、香港、韓国、マレーシア、シンガポール、台湾、タイが対外債務のデフォルトを免れている。ただし韓国とタイは、1990年代の債務危機の際にIMFから巨額の融資措置を受けてどうにかデフォルトを回避できたのであり、それが無ければデフォルト国の悲哀を味わっていたに違いない。

    対外債務のデフォルト歴のない国がおおむね目覚ましい成長を遂げてきたという点は、注目に値する。このことから「成長率が高いから
    デフォルトを防げるのか、それともデフォルトをしないから成長率が高くなるのか」という疑問が出てくる。世界の歴史を振り返って確実に言えるのは、高度成長中の国は、成長が鈍化すると苦境に陥る例が多いということである。

    国家というものは、企業のような破産はしないからである。
    第一に、国が廃業することはまずない。第二に、国は単に経済や金融上の理由からだけでなく、政治的あるいは社会的な配慮もした上で、損得勘定に基づいてデフォルトを起こすことが多い。ほとんどの国のデフォルトは、その国が無一文になるよりだいぶ前に起きている。

    意志の強い債務国は、たいていは苦しみもがきながらも対外債務を返済する。多くの国で指導者が直面する問題は、どこで一線を引くか、ということだ。
    彼らの下す決断は、必ずしも完全に合理的とは言えない。
    例えばルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクは1980年代の債務危機の際に、外国の銀行から借り入れた90億ドルの債務を、国が貧しいにも関わらず数年で返済しようとした。ルーマニア国民はほとんど暖房なしに厳冬をすごし、工場は電力不足のため操業短縮を強いられたという。

    国際資本市場でおそらくは最も根本的な「欠陥」を取り上げる。
    それは、国境を越えた債務契約を履行させるための、超国家的な法的枠組みが整っていないことである。これを具体的に言えば、たとえば(デフォルトの多発で名高い)アルゼンチンの政府がアメリカの銀行から借り入れ、デフォルトを起こしたとき、この銀行がアルゼンチン政府から直接取り立てる方法はごく限られる、
    ということだ。

    19世紀の植民地時代になると、マイケル・トムズが指摘するとおり、強国は債務契約を履行させる目的でたびたび他国に干渉した。
    イギリスは対外債務の返済を怠った国を毎回のように脅しつけ、占領したことさえある。たとえば1882年にはエジプトに侵攻したほか、1876年にトルコがデフォルトを起こしたときには、直ちにイスタンブールを占領した。

    アメリカも1890年代半ば頃からベネズエラで「砲艦外交」を展開したが、その一因は債務返済に懸念を抱いたことになる。
    また1915年からハイチを占領したときも、債務の回収のために必要だと正当化した。

    国内債務を取り上げる第三部できわめて驚くべき発見の1つは、公然のデフォルトが、公的対外債務ほどではないにしても、一般に考えられているよりもはるかに多いことである。
    そのうえ政府は、予期せぬ高インフレを通じて公的国内債務をデフォルトすることができる。たとえば1970年代には、アメリカや多くのヨーロッパの国がそれをしていた。

    いかなる種類の政府債務も、その返済を促す要因となるのは、単に税収や消費の平準化を図る必要性だけでなく、幅広い配慮だと考えられる。
    公的対外債務をデフォルトすれば、ことは債務だけでおさまらず、おそらくは広い国際社会で反応を引き起こすだろう。まさにそれと同じように、国内債務のデフォルトは、将来の借り入れができるかどうかといった問題をはるかに超えて、社会契約の破綻につながりかねない。1つ確実に言えるのは、多くの国にとって、公的債務は、政府が税収を平準化する手段であるのみならず、信用市場の流動性維持に役立つ価値保存手段でもあるということだ。
    政府はときたま債務をデフォルトするかもしれないが、ほとんどの国で、民間企業の方がずっと成績が悪い。

    対外債務のデフォルト後には、インフレは悪化傾向をたどることが多い。国際資本市場から閉め出され、かつ歳入の激減に直面すると、支出を維持できなくなった政府は当然のごとくたびたびインフレ税という手段に訴えてきた。それも、ハイパーインフレという最も極端な形に頼った例さえある。

    スペインのデフォルトの第一波は、1557年、1575年、1596年で、いずれもフェリペ2世(在位1556~1598)の知世である。第一波よりさらに見苦しい第二波は1607年、1627年、1647年で、フェリペ2世の後継者達の時代だった。

    問題は、危機を起こしやすい国、とりわけデフォルトを頻繁に繰り返す国が、景気のいい時に過剰に借り入れ、景気が落ち込んだ時(景気は必ず落ち込む)に脆さを露呈することだ。「今回はちがう」シンドロームが蔓延するのは、たいていは今回がちがわないからであり、いずれは悲劇が繰り返されるからなのである。

    ニューファンドランドは、1936年に対外債務のデフォルトが避けられなくなった時、主権まで失い、最終的にカナダ領になった。この他エジプトは、デフォルト後にイギリスの保護領となっている。

    政府が仲立ちして、破産した銀行を健全な銀行に吸収させることがある。まさにそれと同じように、イギリスは破産した主権国家ニューファンドランド(20世紀初頭に独立)をカナダが吸収するよう、働きかけた。
    (中略)
    実際に同国はデフォルトをしてはいないが、それは形の上だけに過ぎない。
    デービッド・ヘイルは次のように述べている。
    「1930年代のニューファンドランドの政治史は、今ではカナダの歴史の中でとるにたらない一場面とみなされている。あの国で起きた尋常ならざる出来事に、もう誰も注意を払わないと言ってよかろう。だがイギリスの議会と、自治領であるニューファンドランドの議会は
    民主主義より債務を優先することに合意したのだ。大英帝国の中で英国議会に次ぐ古い歴史を誇っていた同国の議会は廃止され、78年にわたり直接民主制を維持してきた28万の英語を話す国民に、異なる政体が押し付けられた。そしてイギリス政府は憲法上の権限を利用して、ニューファンドランドがカナダに統合されるように仕向けたのである」

    ニューファンドランドと状況は異なるが、エジプト、ギリシャ、トルコも19世紀にデフォルトを起こした時、少なくとも政府財政に関する主権の一部をイングランドに献上した。またアメリカは、莫大な債務を抱えたドミニカ共和国で関税徴収を行うため1907年に同国を保護国とし、1916年には占領した。アメリカはハイチとニカラグアにも交渉して関税徴収を行い、債務返済に充てる税収を確保している。これが砲艦外交の時代のやり方だった。

    戦後のデフォルト期間が短いことの説明として、IMFなどの国際融資機関による救済が進められているときは、たびたびデフォルトを起こす「お得意様」に対して債権者が手加減をしてやるからだ、との皮肉な見方もある。ともあれ、アイケングリーンが複数の論文で指摘したように、第二次世界大戦後にはデフォルトとデフォルトの間隔が大幅に縮まったという事実は変わりはない。債務再編が成立すると、多くの国がすぐさま次の借り入れを行っている。

    2000年代後半のグローバル金融危機、すなわち第二次大収縮のような危機の今後を評価するうえで、こうした過去の事例との比較はどのような意味を持つだろうか。一方で、金融政策のフレームワークは、柔軟性に富むようになったと考えられる。これは、国際通貨体制が以前ほど硬直的ではなくなったことが大きい。また一部の中央銀行は、積極的な対策を早めに打つようになった。これは、1930年代の大恐慌や日本の「失われた10年」に欠けていたものである。しかしその一方で、私達は先人より賢くなったとあまりうぬぼれるべきではないだろう。なにせほんの数年前まで、金融工学が発達したおかげで景気循環は制御でき、金融危機が伝染するリスクも抑えられる、と多くの人が主張していたのである。

    この世の中に新しいものなど存在しない。
    新しく見えるのは、忘れていたからだ。ローズ・ベルタン

    IMFにしても、政府がトラブルに陥ってから火消し役として馳せ参ずるよりも、政府に借入ポジションの公開を促す方が、危機防止の点で効果的であろう。

    「今回はちがう」シンドロームがしぶとく繰り返されること自体、真に解決すべき課題を克服できていないことの証左と言えよう。このシンドロームは、姿形は変わっても、どの地域どの時代にも発症してきた。大国と呼ばれるような国も、この症状を免れないらしい。借り手も貸し手も、政策担当者も学者も、そしておおむね世間も、記憶力はさっぱりよくならないとみえる。こういう状況では、次の危機勃発を防ぐ教訓を歴史から学ぶことは、どう贔屓目に見ても期待薄と言わざるを得ない。たとえよくできた早期警戒システムから危険を告げる信号が発せられたところで、「昔のルールはもう当てはまらない」とばかり、きっと無視されてしまうだろう。

    したがって歴史が教えてくれる教訓は、こうだ。たとえ制度が高度化し政策担当者が賢くなったとしても、限界を超えようという誘惑が常に存在する、ということである。どれほど大金持ちでも破産することがあるように、どれほど規制が行き届いているようにみえる金融システムも、強欲や政治的圧力や利益追求の下では崩壊しうる。
    技術は進歩し、人間の身長は伸び、流行は移り変わる。だが人間が自分で自分を欺く能力はすこしも変わらないようだ。政府も投資家も自らを騙し、何度となく幸福感に酔いしれては、だいたいは悲惨な結末を迎えている。

    だが借金に頼る経済、とりわけ短期債務が多く、流動性の低い担保資産に対する信頼だけを頼りに借り換えが続くような経済は、長続きしない。まして借り入れが野放図に膨らむようではなおさらである。今回はちがうようにみえたとしても、ほとんどの場合、状況を見ればそうでないことがわかる。心強いことに、歴史は警告を発してくれる。政策当局がそれに気づき、リスクを正しく評価することは、十分に可能なはずだ。
    信用バブルによる功績に酔い痴れていなければ。そして、前任者が何世紀も繰り返してきたあの言葉「今回はちがう」を口にしていなければ。

    2022/02/13(日)記述

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    2022年02月14日
  • 新ジャポニズム産業史 1945-2020

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    サブカル現代史小説といった感じ。小菅のジープやカラオケ、ウォークマン、Kawaiiとキティちゃん、アニメそしてゲーム。それぞれ社会的ヒットとなったモノについて、その時々の時代的背景を鋭く解説しつつ、その生みの親や渦中の人と情熱にも丁寧にスポットライトをあてる。サブカルという側面から戦後史を楽しくなぞることができたし、登場人物の大義に触れて目頭が熱くなる場面も多くあった。著者の持論に若干違和感を抱く部分もあったが、それを補って余りある日本の産業史を紐解くために費やした熱量と知的好奇心には素直に敬意を表したい。

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    2022年02月04日
  • 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

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    従来の経済学では、移動が可能なら賃金の安い地域から高い地域に移るのが当たり前だが、実際の人間は多くは移住しない。
    人間はリスクを過大評価して、リスクを取りたがらない生き物なのだ。
    さらに、人間としての尊厳が重要で、金だけの価値で動くことはないし、あったとしても幸福にはならない。
    これを前提とした政策を打ち出す政府、政治家が必要だ。

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    2022年01月21日
  • NOISE下 組織はなぜ判断を誤るのか?

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    この本は、裁判官や医者などの社会的地位が高く、信用の高い人たちの判断にもノイズ(判断のばらつき)がありますよー!しかも思ったより大きなばらつきです❕と考察しています。
    めちゃくちゃ論理的で納得できるいい本でした!
    ぜひぜひ読んでみてください。

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    2022年01月07日
  • NOISE上 組織はなぜ判断を誤るのか?

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    本書は、ノーベル経済学賞を受賞した「ファストアンドスロー」の著者であるダニエルカーネマン等が
    ヒューマンエラーである「ノイズ」について考察した本です。
    多角的に研究された内容が多数紹介されており、この本を読めるというのは「めちゃくちゃ、お得だー❕」と思いました。
    医者や裁判官の判断でさえ、ノイズがあるとは、、、
    ぜひぜひ読んでみてください。

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    2022年01月03日
  • テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス

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    まさに「自動化」の渦中にある現代テクノロジーにおいて「人々の仕事は機械に奪われてしまうのか?」「社会経済は、人々は、どうなってしまうのか?」という大問に、真正面から対峙した重厚な一冊。

    古くは先史時代から技術革新の歴史を顧みながら、特に近代以降の大変革ーーイギリス産業革命並びに第二次産業革命ーーを敷衍し、これらがいかにして起こり、特に労働者に対してどのような影響を与えたのかについて考察を重ねていく。またこれらの決定因子として、2つの労働の型ーー「労働置換型」と「労働補完型」ーーを提示し、補助線とすることで、難題を柔らかく解きほぐしていく。
    著者曰く、特にブルーカラーで起きている自動化はまさに「労働置換型」であり、これはかつてない規模で広範に起きていくということ。そして「労働補完型」のテクノロジーを活用する者のみが富む世界が、目前まで迫っているということ。

    これらを整理した上で、終盤では特にアメリカ社会にフォーカスし、現在進行形で起きている格差の拡大、中流階級の喪失およびポピュリズムの台頭といった地殻変動へ論展開しながら、解決策を教育、"戦略的"BI、インフラ、住居規制等に求めていく。
    日本社会でも同様に起き始めている世界的な構造変化であるだけに、世界最先端の論者の思考に触れることができて、月並みだけどものすごく勉強になりました。

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    2021年12月30日
  • ザ・セカンド・マシン・エイジ

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    「ムーアの法則」=Digital発展の鍵 
     1年半ごとに半導体の性能が倍増する
     指数関数的進化 ①処理②記憶③通信(81)(87)
     例外は「バッテリー」 電子品ではなく化学
     増加率は一定だが、増加分は激増 特に期間の後半
     人は指数関数=非線形をイメージ出来ない

    「社会革命」へ ←産業革命から (152)
    ①Digital化   copy自在 限界コストただ
    ②Network化 時間・空間を超える 
     Global化 世界最適へ

    「補完イノベーション」が不可欠=社会変革難しい(168)
    ①社内体制 業務改革 組織・人事・運営の改革
      vs既得権・守旧派
    ②社会体制 規範 制度 体制の改革
      →秩序を破壊し、社会的混乱も
    ③日本は成功体験・社会意識から既存秩序維持が優勢

    Digital時代の三つの勝ち組(220)
    ①高いスキル労働者
    ②資本家
    ③スーパースター
    →負け組は一般労働者 
     分配は賃金所得から資本所得へシフト
    所得分布の変化(263)
    「正規分布」 厚い中間層
    「べき分布」 格差の拡大 ウイナーテイクスオール
    ☆翻訳が素晴らしい! 村井章子氏

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    2021年12月17日
  • ジョン・P・コッタ― 実行する組織

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    難解 一読をしても容易にイメージができませんでした。

    デュアル・システムを用いて大組織を、ベンチャーの速度で動かしてビジネスを加速させるが、ゴールです。

    効率的な階層組織で日常業務をこなしながら、創業時と同様のネットワーク組織をあわせて導入する。

    階層組織の10%のメンバーをネットワーク組織に参加させて、自発的に変革を進めるもの。

    コンサルタントが、行うのではなく業務に精通しているメンバーが行うことでやりたい気持ちを引き出し、少ないコストで成功に導きます。

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    2021年12月09日
  • 新ジャポニズム産業史 1945-2020

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    各章の主題がときに相互に絡み合いながら、周辺分野にも十全に触れられている。
    戦後日本から連なるポップカルチャーとそのクリエイターの物語を仔細に語りつつ、
    外側から見た日本文化、そしてそれが波及した海外文化のありかたなどは幼少期から日本文化に親しんだ著者の視点に依拠する部分も大きい。
    それでいて、著者本人の日本文化的素養が我々と変わらない程度に高まっているかと思うほどに、翻訳作品の違和感もない。

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    2021年10月18日
  • 分析力を駆使する企業 発展の五段階

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    企業の分析担当は勿論、アプリ販売やデータビジネス従事者は必携の書。
    分析は分析家だけのものでなく、民主化していく必要性があり、そのプロセスを詳細にフレームワーク化。実際のコーポレート事例もかなりの量が盛り込まれており、唯一無二かと思われる。

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    2021年10月13日
  • 新ジャポニズム産業史 1945-2020

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    竹内まりあの「プラスチックラブ」や松原みきの「真夜中のドア」などの日本のシティポップスが海外に見つけられた、という話題に触れると、なんだかうれしいような気がします。YouTubeでいろんな国の人がとても上手な日本語で「♪私のことを本気で愛さないで♪」なんて歌っているのを見ると、こっちだって単なるリスナーだったのに変にプライドが満たされるような気持ちになってしまいます。この本を読んでもそんな気分になります。ハイスクールの日本語のクラスで手塚治虫にハマったことで日本のポップカルチャーの研究家になった著者が、世界の人々の生活を変えた日本発サブカルチャーの歴史をぐいぐい紐解いていく本です。玩具、アニメ、カラオケ、ハローキティ、ウォークマン、女子高生、オタク、ファミコン&ゲームボーイ、2ちゃんんる…本書はグローバルの読者に向かれて書かれたものなので日本人の自意識を離れた外からの視点に立っていて、しかし日本生まれのコンテンツ愛にまみれて書かれたものなのでかなり新鮮な論考でした。キーマンへのインタビューも丁寧にしているし。インタビューされる側も外人顔の人にマニアックな質問されるとうれしかったのではないか、とかも考えました。それを世界の流れの座標軸に置く、という作業なので辛辣な部分も出てきます。例えば「鉄腕アトム」の「アストロボーイ」としてのアメリカ上陸は決してコンテンツとして評価された訳じゃなくローカル局にとっての激安アニメとして実現したとか。この本の原題は「PURE INVENTION How Japan Made the Modern World」というように、邦題の「新ジャポニズム産業史1945-2020」という大きな物語ではなくて、ひとりひとりのクリエイターのファニーで熱い熱情のお話です。どれもが、まるでイグノーベル賞のような隅っこの物語。しかし、産業史というより社会史として大きく世界を変えてきたことがわかります。いや、成熟した資本主義の中での生活の変化史かも。「実際には、日本というもの自体が純然たる創作(pure invention)なのだ。そんな国は存在しない、そんな人々はいない…日本人というものは…単に一つの表現様式であり、芸術の精巧な空想の産物にほかならない。ーオスカー・ワイルド『虚言の衰退』1889年」ワイルドの時代、つまり日本は開国した時代から、世界にファンタジーとして発見されるそんな存在でありました。クールジャパンって今どうなっているのか知りませんが、国の政策というより一人ひとりのファンタジーの蓄積が気になります。

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    2021年10月03日
  • 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

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    ネタバレ

    今までなんとなくそうだろうと思っていたことが、実際のデータに照らすと実は間違っているということがこの本の中には多くでてきた。貿易はどの国にとってもメリットはもたらすわけではないし、移民は受け入れ国の雇用を奪うことはなく、常に賃金を下げるわけではない。移民は仕事があるからといってたくさんアメリカなどの国にやってくるわけでもない、など読んでいなかったら誤解したまま物事を考えてしまっていたので、なんとなく知っているというのは危ないと思った。全ての人間が人間らしく生きられるようにするという前提で考えることが、政策を考える上で重要だと思った。

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    2021年08月21日
  • 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

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    2019年ノーベル経済学賞受賞のインド系米国人とフランス人(おそらく夫婦)の著作。
    様々な視点について最新の学説を紹介しながら、筆者qとしての見解を示している興味深い著作。特にUBIや格差是正などに強い想いがあるのだろうか、踏み込んだ提言が多かった。リベラル的な立場と言って良いと思う。
    面白かった。再読したい。


    以下、備忘的な学び事項。
    国際貿易論: グローバルに貿易を行うことによってお互いの国が成長するという確かサミュエルソンの定理は、個別の産業のことに触れておらず、淘汰される産業への救済、他の成長産業への労働資本の移転が求められるが、必ずしも上手くいっていない事を最新の論説を紹介しながら解き明かす。トランプもあながち間違っていないということか?米国のラストベルトの荒廃も貿易による影響。ヒルビリーエレジーも紹介。
    富の再分配: 米英の高所得者層の減税により所得格差が拡大した。昔は最大70%だった。レーガン、サッチャーの規制緩和、減税の功罪について紹介。筆者は否定的な立場。スウェーデンなどの北欧では、格差は拡大していない。UBIに対して賛成の立場。
    人の選好は、社会的な立場などに影響される。トランプの出現の後に、公に人種差別する事を厭わない人が増える。共同体、村の繋がりが重視される社会では、協力し合うことが生活に必要。

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    2021年08月16日
  • 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

    Posted by ブクログ

    専門家の意見をどれくらい信用するか、というインターネット調査があり、1位は看護師で84%、最下位は政治家で5%だった。では経済学者はどれくらい信用されているだろう?

    下から2番目、25%である。

    経済に関係する政策には経済学者が必ず関与しているが、その結果としての社会の現状に、多くの人が不満を抱いているのだろう。

    こういう社会では、分かりやすい政治家に人気が集まる。経済学者でも、分かりやすい経済施策で人気を集める人もいる。彼らの政策、市民に支持される政策は、往々にして良心的な経済学者の意見とは異なるものである。

    人々から信用されていないかも知れないが、世の中には良い経済学もある。それはとても抑制的で、ベストな答えを与えてくれないが、誤った考え、偏見を正してくれる。例えば、移民を受け入れると失業が増えたり給与水準が下がったりするか?関税障壁をなくすと経済は成長するか?格差への影響は?

    本書は、今の社会に重要な問題について、多くの経済学者の研究に基づき分かっていること、いないことを論じたものである。興味深いのは、経済学とは経済成長が善悪の基準と思っていたが、本書では人の幸せが究極目標として、施策の良し悪しを論じている点だ。後半からは特に、格差、所得の再配分、社会政策について、人に寄り添った論説が続く。

    印象に残った一部を引用する。ある貧困撲滅団体のリーダーの言葉で「ここに来るまでの人生では、みんな施しをされてきた。誰も彼らには、君たちも社会に貢献してくれとは頼まなかったんだ」

    一貫して言えるのは、幸せには尊厳が必要という極めて当たり前のことなのだが、実際に行われる政策で、どれだけこの観点が欠けているか…自分自身も、いつの間にか上から目線になっていないか、反省してみた。

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    2021年07月07日
  • プラットフォームの経済学 機械は人と企業の未来をどう変える?

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    総じて読みやすく、かつ、有用な本だと感じた。

    経済学の観点からプラットフォームを説明していることが、エンジニアとしてプラットフォームの技術面に興味を持っていた私にとって新鮮だった。改めてタイトルを見返すと、たしかにプラットフォームの「経済学」であった。引用が豊富であり、その中には経済学の参考文献も含まれている。

    事業提案をするときに、市場は将来こうなり[そう]だから、こういうことをやれば、こういう理由で儲かり[そう]という説明が必要だが、この[そう]の部分の検討材料や説明時の根拠として、経済学の観点が有効かもしれないと思った。

    時間の都合でざっとページをめくっただけになった、第3部「クラウドとコア」も勉強になりそうなので、いつか読みたい。

    第1部 第5章 まだ人間が必要とされるのは
    技術の進歩に伴い、定量的なスキルよりも、高度な社会的スキルがますます重要になる。それら二つのスキルの組み合わせが求められる。
    衝動や感情が絡む仕事は、これからも人間がやる方が良い。共感や思いやり、リーダーシップ、チームワーク、コーチングを伴う仕事がこれに該当する。

    第2部 第7章 プラットフォームを巡るスマートな戦略
    プラットフォームをオープン化し、幅広く多様な供給を募ることが、成功するプラットフォームの特徴の一つ。iPhone のオープン化されたプラットフォームは、多様なアプリケーションを生み出し、千差万別の消費者の好みを満たした。アプリケーションが補完材となり、価格を下げずに本体の需要を増やすことができた。【一般的に産業系では、要求も顧客もこれほどの規模やバリエーションはない。この場合、オープン化に顧客はメリットを感じないし、供給者も集まらない?】

    第8章 なぜプラットフォームは栄えるのか
    O2Oプラットフォームは、「アフターデジタル」で出てきたOMOとは違う概念のようだ。Upwork はO2Oプラットフォームの一例。試してみたいと思った。

    第9章 そのビジネスにチャンスはあるか?
    二面市場の特徴として、一方の側で料金を引き下げると、両方の側で需要が増え、双方にメリットがもたらされる。つまり、売り手側のメリットは、高収益化ではない。クレジットカードがこの一例。カードの会費を無料にするどころか、キャッシュバックやマイルでマイナスの値段にされることがある。

    差別化要素の有無が、プラットフォームに駆逐されるかどうかのキーである。都市部の移動には差別化要素が乏しいから、既存事業者はUberから大きな影響を受けた。一方、宿泊は差別化要素が極めて大きいため、ホテル業はあまり影響を受けていない。

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    2021年04月17日
  • 帳簿の世界史

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    帳簿というか会計を締めて現状を把握しないと複雑な世の中を把握する事は無理だし、実態を把握しないと適確な施策を打つのは不可能だと思う。特に今の世の中は本当に複雑になっているから。そうした会計の重要な役割がどう認知されて、発展してきたのかを説明してくれるが、正直現在でも上手く回っていないというのが著者の意見。だからエンロン事件もリーマンショックも起きたのだし。フイレンツェで近代の複式簿記が発達して中でアラビア数字の果たした役割は大きかった。でも王室は自分たちの財布の中身を公にする事を好まなかった。今でも多くの企業はそこまで大ぴらに自分自身の会計を丸裸にしたくない。競争と投資家への開示の間にいる。難しい問題だ。

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    2021年04月15日
  • ファスト&スロー (上)

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    行動経済学に興味がある人ならきっと聞いたことのある本であるし、そうでなくとも、出てくる話や実験をどこかで耳にしたことがある人は少なくないはず。
    でも、そんなことは抜きにぜひ読んでほしい一冊。掛け値なしに面白い。

    直感や熟考といった私たちの様々な思考の形態が、実際のところどんな働きをしているのか。
    数々のユーモアあふれる実験結果とともに、筆者が紐解いてくれる。
    読み進めるうちに、自分の身近な例で思い当たることも色々と出てきて、より引き込まれるだろう。

    余談だが、上下巻としてもかなりのページ数と文章量があり、正直なところ物理的にそれなりに重い。
    比較的平易な翻訳がされているので、手段があるならオーディオブックを探して聞くのも有効な手かと。
    ※自分は上巻途中から耳に切り替え

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    2021年04月10日
  • テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス

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    民主主義社会である以上、テクノロジーの進退は大衆がその恩恵を享受できるかどうかによって、ゆっくりと決まっていく。
    蒸気や電気など、汎用的な過去のテクノロジーは発明されてから広く受け入れられるようになるまで時間がかかった。
    また、受容されてから大衆にそのメリットが及ぼされるには数世代の時間がかかる。
    人々はテクノロジーのメリットを短期的には過大評価し、長期的には過小評価する。
    キーワード:資本家、国家、政府、労働者、中流階級
    鉄、鉄道、蒸気、自動車、電力の発明

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    2021年01月04日