村井章子のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
エコン(合理的経済人)とヒューマン。
80%の確率で100万円•20%は0円と、確実に46万円もらえるのとどっちがいい?という時、エコンは期待値が高い前者を選び、ヒューマンは後者を選ぶ。
前提が違うのは、経済学と心理学という分野の違いだと思うけど、学生の時はエコンに固執していたなあ。ヒューマンという考え方でもう一度あの題材を取り扱ってみたい。
また、公正性に対して参照点があるというのも興味深い。10ドルのスコップが売っていて、大雪の日に需要が上がるから15ドルにした。エコンは正しいと考えるが、ヒューマンは不公正と考える。
さらに、10ドルで雇っていたバイトの給料を、失業者がたくさん出た際に7 -
- カート
-
試し読み
-
-
-
Posted by ブクログ
下巻では2つの人種と2つの自己が語られる。2つの人種とは、理論の世界に住む、経済学に登場する合理的な存在のエコンと現実の世界に住む、行動経済学に登場する合理的ではない存在のヒューマン。2つの自己とは、現実を生きる「経験する自己」と記録をとり選択をする「記憶する自己」。
直感や計画の錯誤、楽観主義によって、大抵予測は外れる。この話は上巻の、システム1,2の続きだ。
そこから、従来の経済学よりも現実に則したプロスペクト理論が説明される。効用は参照点からの変化に影響され、さらに損失は利得より強く感じられる。保有効果や損失回避、単独評価と並列評価が不一致する選好の逆転などにより、人間はエコンのように合 -
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
産業革命が進展していた頃、機械に職を奪われるという危機感を頂いた労働者が織物機を破壊した事件(ラッダイト運動)については歴史の授業で習ったが、いまやICTが職を代替する時代になっているということを各種分析を根拠に解説している。「平均的な人間の大多数が従事している仕事については機械がこなせるようになるだろう。そしてその人達は新たな職を見つけることはできまい」「この時代は大不況でも大停滞でもない。大再構築である」
一方、機械ができない仕事は、クリエイティブな仕事とプロフェッショナルな仕事。起業家が作り出す新たな付加価値によって新たな雇用が生まれるということであり、そのための教育や制度作りを一層加 -
Posted by ブクログ
1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。
その後、世界規模の恐慌へと発展した。
原書が出版されたのが1954年。
しかし、まるっきり古さを感じさせない。
まるでつい最近起きた出来事のように、
よくここまで当時の世相や情勢を調べたものだと驚かさせる。
世界金融危機が現在進行中だけに、単なる昔の出来事では済まされない。
ところどころにうかがえる著者のピリッと辛口のユーモアも見逃せない。
この本が堅苦しい経済学の教科書と一線を画している重要な要素といっていい。
もし、ユーモアのセンスをあまり理解できない大学のセンセイが、
この本の翻訳を担当したらどうなっていただろう?
何を言 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「エコン」と「ヒューマン」についてはあまり興味を抱かなかったが、「二つの自己」はストライクだった。経験と記憶がどのように相互関係にあるのか、その特徴がよくわかる。
巻末の論文の資料価値も高い。
〈スキル習得の基本条件〉
①十分に予見可能な規則性を備えた環境であること
②長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること
→この二つがあれば直感はスキルとして習得可能である。まず規則性を見いだすこと、その上でその規則性を学ぶコンテンツを作成することが重要だ。
楽観バイアスは、認知バイアスの最も顕著なもの。人は自分の立てた目標は実際以上に達成可能だと思い込む。
行動して生み出された結 -
-
Posted by ブクログ
「テロは、利用可能性の連鎖を引き起こすのである。」
認識としての直感は、たとえば消防士がなんとなく危険だと思う場所を避けた次の瞬間に爆発した、というようなものである。これは奇跡的に分かったのではなく、今までの経験と新しい現場に向かう最中の思考実験によって認識されたものであるので、奇跡ではない。
分母の無視:確率で事象を現すように、何人中何人が、と表すことで低い確率のものをより深刻に考えさせることができる。
貧しければみじめ:貧しい人は裕福な人よりも生活に満足を感じていない(=幸福度が低い)、しかし、ある程度の裕福度に達すると、そこから先はより幸福になれるわけではない。換言すれば、幸福はあ -
Posted by ブクログ
ネタバレ上巻では、システム1と2という2つの脳の働き(キャラクター)の違いと、それによる錯誤のメカニズムについて書かれていました。下巻では、さらに2種類の対比するキャラクターが出てきます。経済学で前提される合理的な人間(エコン)と、現実の間違いも犯す人間(ヒューマン)。経験する自己と記憶する自己。
これらのキャラクターの説明を通して、人間が何故、時として重大な間違いを犯すのかが書かれています。
最後にその間違いを重大なものに発展させない、政策や意思決定の可能性があるということ。それは個人では不可能に近いが、組織で行えば比較的可能であることが提案されています。
「なんでこんなことをしたのか?」という他人 -
Posted by ブクログ
下巻では、まず行動経済学として知られることになった人間の選択行動について論じられている。さらに、二つの自己として、経験する自己と記憶する自己の違い、苦痛や幸福の評価軸の違い、について論じられている。双方とも興味深いテーマである。
第四部は経済的合理人である「エコン」に対して、系統的に誤る「ヒューマン」を対峙させる。この議論が、行動経済学の名で知られる意志決定に関する理論である。プロスペクト理論という名前でも有名で、S字を描く価値関数のグラフで知られている。人の選択において「参照点」「感応度逓減性」「損失回避」の特性を考慮すべきとされている。いったん保有するとその価値以上に手放すことを忌避する -
-
Posted by ブクログ
原文の題名は「今回は違う」であり筆者のデーターは今回も違わなかったことを証明するのみ。
金融危機のパターンは金融規制緩和と資本流入から過剰投資。住宅価格の急騰の後の急落が銀行危機の前触れとして非常に相関性が高い。
日本の借金は対内債務なのでデフォルトはしないとの説を唱える人がいるが、本書を読む限りいつか実質的なデフォルト(例えば高インフレによる債務の希薄化)が来ると覚悟すべきなんだろう。早くローンを返さねば・・・
中国も地方政府がインフラ整備と不動産販売をセットで行い投機資金が流れ込んで高騰。地方債務の担保が不動産なので住宅価格が下がると地方銀行はかなりヤバい。最後は国が助けるんでしょうが -
-
-
-
- カート
-
試し読み
-
Posted by ブクログ
過去に起きた国家的な債務危機、金融危機を、1800年以降を中心に(古いところでは1400年代も含めて)長期的な視点でデータを蒐集して研究した大変な労作である。今後は、この本に出ていることは経済・金融関係者にとって当然の共有知識として持っておきたい。ロゴフは"Foundations of international macroeconomics"という優れた国際マクロ経済学の本も書いている。しかしこの本では経済モデルは出てこなくて、データに全てを語らせるというスタイルが貫かれている。588ページの本であるが、本文は414ページまでで、残りは参考資料である。
この本を読めば、