【感想・ネタバレ】善と悪の経済学―ギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠のレビュー

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経済思想史です

H
2020年12月30日

経済の思想史というべきものです。
経済学の知見が少なくても理解はできます。でも、経済学の知見があればあるほど、より楽しく読めると思います。但し、著者の考えがすべてとは思いません。
また、一つだけ、コロナ対策で評価の高い権威主義的国家での経済についての記載が少ないように思えました。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年11月08日

ヘブライ人の善をなす理由をそれ自体におこうとする思想、これは神という彼岸に現象の理、因果性、意図を求めようとすることによる悩み、矛盾を解決しようという試みが始まり。彼らの悩みは、問の置き方の掛け違いに過ぎぬのではないか?
ギルガメシュは現象の理不尽さを見て、それが善か悪かといった倫理問題に発展するこ...続きを読むとはない。神は気まぐれであり、洪水の理由は悪行ではない。現象に善悪上の因果性を求めるという奇妙さ。そこに悪行があったのではと勘ぐる陰湿さ、弱者の理論。
この一見した倫理上の矛盾への悩みが倫理を超越した理論へつながる。例えばルカによる福音書を見よ。敗北者の恨み、妬みが結晶化している。彼らがアブラハムは言う。現世で富んでいたから死後に苦しみ、現世で乏しいせいで死後に祝福されると。もはや倫理を超越する。
つまりはこうだ。ギルガメシュやエジプト人はにとって支配者は半神、あるいは神そのものである。つまり倫理と力に矛盾や分裂がない状態が支配的安定状態だ。しかし、ユダヤ人はその一致がない民族で、理不尽な現世を妥当させるかを悩み、新たな発明をした民族だった。その一つが法への愛。

クセノポンの言葉は示唆に富む。アダム・スミスとの対比は、佐伯啓思より面白い。

p188."心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。"。心の貧しい人に、それで良いのだと教えたところ、大いに広まった宗教がある。なぜ、天国は心の豊かな人たちの国ではないのか?堕ちた人たちの国なのか?

# キリスト教徒の救いとは借金帳消を意味していた

彼らの弱さは貧しさでもあった。キリスト教ほど経済、お金、財のことがたくさん書いてある書物も珍しい。そもそも罪とは原意では負債である。赦しとは債務の帳消しであり、破産は奴隷になることを意味していた。現実の問題として、彼ら初期のキリスト教徒にとって借金が最大の問題だった。
対して、ギルガメシュにも、指輪物語にも、お金のことは出てこず、手に入れたければ、冒険や旅をして、足(意欲、胆力…)と力で手に入れている。キリスト教は、足も力もなく、何も手に入れることができない人に向けた慰めなのだ。

# キリスト教の現世観
p199.
両方の頬をつきだすのは、パレート最適。報復合戦に陥るのは囚人のジレンマ。
このパレート最適を実現するために、悪と善の判断を停止すること、さらに効用を現世に求めることの否定を説いた。悪は単なる現象であり、その理不尽さを嘆かずにとにかく、隣人を愛せと解く。善悪の理由の探索の停止と忘却。つまり、善行が報われるのは天国でのみで、現世ではない。
p203. この副作用は、現世は良くなるべきものではなく、脇役に過ぎなくなった。天国での救いの、前段階であり、現世と距離を起き、現世に否定的な姿勢へとつながる。この世では救われないのだから。ヘブライ人の現世での効用の考えを捨てた。

# 祝福としての労働、呪いとしてのも労働
労働が苦しいものになったのはキリスト教の価値観で、りんごを食べて楽園を追放されてからだ。

#デカルト
世界の根源に数学的な規則を見た、またはそれ以外を棄却したのはピタゴラス。ホモ エコノミクスのルーツはエピクロス。そしてこれらを焼き直して数学的、機械論を世界の規則においたのはデカルト。結果、
1. 客観、再現性、再観察性を重視し、伝統、神話を世界記述から排除。
2. 精神と物質の二元論の復活。しかも、精神とは知を主体とした概念に更新。これによって、知的な世界が、物質的現象と対等かそれ以上になり、知的活動のモデルが経験的事実との直接的関係なしに構築可能になった。
3. 数学的に説明可能な機械論を世界説明の方法と価値の中心においた。数学的機械論。ヘブライ人の倫理、キリスト教の慈愛に相当。

人間存在論が機械論で説明可能な世界に萎縮し、数学的機械論の説明可能な世界に限定される。人間は土の像。これが心理学、さらに人間行動原理に及ぶと、ホモ・エコノミクスとなる。

#経験主義の否定とデカルトの合理主義

世界を説明するに相応しい手段は、単なる経験による理論ではなく理性的考察のよって得られる、数学的原理とその機構で説明されると観る。

#合理主義の非合理性
感覚と理性が矛盾する場合は、理性が正しく世界を理解する、とする。このため、デカルト的アプローチの学問は世界の現象と矛盾する。"信じるのが容易か、状況に適しているか、説得力があるか、世界の仕組みに関する人間の内在的な信念、すなわち借用または継承してきたパラダイム、、、偏見と一致するか、ということが決め手となる。"

つまり、トーマス・クーンのパラダイム論を思い出してほしい。通常科学という発想自体、科学が、社会的受容具合に依存し、科学と社会受容の相互関係でら何が通常かが決まることを示唆している。

この曖昧性は、数学依存による。数学的に表現できないことを棄却した世界では、現象に対しての解釈や意味論が意識されなくなる。体系への意味論が熟慮されないまま体型が自己成長じ、自己規定的になればなるほど、革命に危険にさらされる。また、超越的になり、体験される現象との関係が希薄になる。このような自体に対し、フッサール曰く、彼は客観主義ではなく、結果、超越論的な主観主義だ、と表現した。

# ホモ・エコノミクスのトートロジー
コリンズ経済学辞典によると、効用とは"財やサービスの消費から得られる満足または快楽のこと"。しかしこれでは、何かしたいことをする、と言っているだけで、効用を直接定義していない。満足とは、財やサービスの消費によって得られる効用、と言っても差し支えない。これは循環定義、いわゆるトートロジー。トートロジーはその定義域が無限であっても、何も定義していないので、成立する。何も定義していないのだから。反証可能性が理論の価値。

# 見えざる手のトートロジー

p368, c11-.
見えざる手とは何か。市場や社会集団を、集団としての行動の結果を生む、何らかの法則か作用因郡。つまり何らかの経済的作用のうちの何か、くらいの定義だ。この何か、に効用を生む作用であるという信頼を持つに至って、それを数学的合理性に押し込んだのが経済学の議論。
私悪も公益を生む、という考え。そのうち、全てこの見えざる手にゆだねていいという考え方が自由放任主義。その逆が計画経済。

# 数学

p415.
"数学的思考は、私達が現に住んでいる物理的な世界のある部分が、人間の作り出した抽象的な数式にある程度従って振る舞い始める、少なくてもそういう印象を与える、という奇跡的な性質を備えている。"

だた数学も不変ではない。ラッセルのバラドックスのように、定義を変えてつじつまをあわせることもある。

キルケゴール曰く"論理的な系は可能である。実存的な系は不可能である。"
ゲーデル曰く、"自然数論を含む形式的内径が、無矛盾であれば、その体系内に真とも偽とも言えない命題が存在する。"つまり無矛盾性と完全性は両立しない。
数学はトートロジーだ。ウィトゲンシュタイン曰く、論理学の命題はトートロジーである。...論理は超越論的である。...数学とは一つの論理学的方法にほかならない。...実際我々は、生活において数学の命題などまったく必要しない。
本来、トートロジーな数学に妥当性を与えるのが意味論だ。超越論になりえない。

例えば、ある計量経済学の論文で、分析の結果、通貨供給量以上に豪雨がインフレに影響を与えたと求められた。ある観察範囲で共起したからと言って因果性があるわけではない。数学に頼り、それが主になると、おかしな理論が氾濫するようになる。なぜなら数学のモデル自体は、その内部ではトートロジーだからだ。

数学を多用した決定論的な考えはまだ経済学において主流なままだ。量子力学が起こった物理学とは対象的に。

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Posted by ブクログ 2018年04月20日

ピケティさんの資本論が統計学と数学を用いた現代経済の分析なら、本書は哲学と歴史から分析した経済学の再定義であり、どちらも読むと良いと感じた。著者は「欲望の経済史」でも取り上げられていた若き天才セドラチェク。経済学に関する本なのに数式やグラフは一つも出てこない。むしろ、神話、ローマ・ギリシャの哲学者や...続きを読むキリスト教などとの関わりから経済学を語る手法で、こちらが本来の姿ではないかと思う。

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Posted by ブクログ 2017年10月22日

 久しぶりの書評です。表面的なテクニックに留まらず「あるべき」という倫理を追求することは、改めて仕事に当てはめる必要があると感じさせられました。

 本書は、経済思想は本来、哲学、宗教などと密接に関連し、常に「倫理的な規範」「善と悪」の価値判断と不可分であるが、現代の主流派経済学は分析的アプローチと...続きを読む数学モデルによってこうした倫理と決別したように=「価値中立的」に見える。しかし、実は「効率性、完全競争、高成長」「快楽追求・効率至上主義的」に価値を置いているとし、リーマン・ショックの問題も契機に、物質的反映がもたらす幸福を躍起になって追い求める「経済成長」よりも巨額の債務に依存しない安定性がより重要であるとしている。

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Posted by ブクログ 2017年09月18日

この本は作中にも書かれているように「機械論的・強権的な主流派経済学に対する批判の書」です。つまり、現在の経済学にありがちな数式等を駆使したものではなく、数式で表すことの出来ない倫理、哲学を土台にした経済学の本であると言えます。私自身もこの作者の意見には賛成で、物理学等と違い、経済学は人間の行動を相手...続きを読むにした学問であり、そこには倫理学、哲学だけでなく、社会学、心理学等複雑な要素が沢山絡んでいます。その複雑な要素を数式だけで表すのは到底無理な話であり、実際問題現実世界においても様々な経済学の理論はあれど幾度となく金融危機が生じています。経済学は全てを数式で表そうとはせず、数式で表せる部分とそうではない部分を補完し合いながら学ぶのが最適だと考えている私にとってこの本に記されていることには概ね賛成することが出来ました。
また、この本は経済思想の変遷も比較的分かりやすく記しており、社会思想史を学ぶ上でも大変参考になる本でした。

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Posted by ブクログ 2017年07月24日

2017.7昔栗本慎一郎とかはやったけれど、そのあたりの話なのかなあ。いずれにしろ倫理と考え方の話が経済から落ちているのは確かに共感できる。定常状態がもっと見えてもいいのかもしれない。持続可能性とか。まあ面白くよめた。
2017.6 4章まで読んでいったん止めることにした(近代に入る前)。面白いのだ...続きを読むけれど今読むと当たりそうなので。また今度。

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Posted by ブクログ 2017年03月15日

現在のウォール街の問題をギルガメッシュの壁から語り起こす経済学についての一大叙事詩です。道具としての経済学はいかに近年のものであり、経済が人間とか社会に向き合う学問である限り、「倫理」からは目を背けてはならない、という熱い想いが一貫されています。「神の見えざる手」の元祖とされているアダム・スミスに対...続きを読むしてさえ「国富論」より「道徳感情論」の作者として光を当て直しています。キーワードとしてアニマルスピリットが多く使われていますが、レヴィ・ストロース「野生の思考」を連想してしまいました。また最近、シンギュラリティが間近とされているAIの専門家が、これからはテクノロジーには倫理についての議論が求められている、と話されていたことも思い出しました。とにかく膨大な教養によって経済学の限界と可能性を語り巡る旅としての読書でした。そして、こんな知性が現実の経済の責任者だったなんて、チェコすごい!

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Posted by ブクログ 2021年04月19日

経済を歴史や倫理、哲学等の観点から深堀りした読み応えのある良書。
現代の数式やお堅い専門用語を並べがちな主流の経済学へ一石を投じる内容になっている。

文章の大半は偉人や古典文学からの引用で構成されており、現代の通説は過去の原則で成立している事を理解させてくれる。

知性は情動の奴隷であり、「見えざ...続きを読むる手」は人間の情動で成立している。
人の強欲さが現代の継続したGDP上昇の源泉となっている。

様々な観点から経済学を捉えてみたい。
そのためには一見関係なさそうに思える歴史や心理学にも目を向けてみよう。
そんな気持ちになれた、良い読書体験だった。

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Posted by ブクログ 2019年01月08日

 経済学の本というよりは、経済学の歴史の本と言った方が分かりやすいと思う。
 ギルガメシュ叙事詩から聖書、そしてアダム・スミスの「神の見えざる手」理論、そして映画『マトリックス』まで。人類の初めから経済はどのように発展していったかを論じている。
 経済のことを詳しく知らなくても、根気があれば読みこな...続きを読むせる。
 筆者の主張としては、経済は未来永劫発展していくことはないのだから、「このあたりで満足したらどうだろう?」ってことを言いたいのだと思う。

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Posted by ブクログ 2018年10月24日

チェコ人の経済学者による、経済論。
歴史を紐解き、聖書や古代ギリシア、ローマにおける哲学、倫理学、数学等と経済学との関連を明確にし、善悪を含めた倫理の要素と経済学とに焦点を当て論述している。以前は倫理的要素が経済学でも大きく論じられていたが、現在は経済学と倫理学、哲学とは切り離されている。善悪の観...続きを読む点を排除した現在の経済理論は、目的を見失っていると批判している。常に進歩と発展を追及している資本主義のあり方に警鐘を鳴らす著者の考え方は理解できた。
「よい経済学者であるためには、よい数学者であると同時によい哲学者でなければならない。経済学は数学に肩入れしすぎて、人間的な要素をおろそかにしてきた」p13
「現代人は進歩という概念に毒されているが、古くはこの概念は存在しなかった。時の流れは循環的であるとされ、人間が歴史に足跡を残すとは考えられていなかった」p18
「社会が全体として高度化するほど、その構成員は個人として独力では生き延びられなくなる。社会の分業が進むほど、生存に関わる程度にまで相互依存の度合いは高まる」p40
「14世紀のヴェニスでは、ユダヤ人といえば金貸しだった。経済史家のニーアル・ファーガソンが指摘するとおり、シャイロックが「アントニオはいい人間だ」と言うとき、それは倫理的によいという意味ではなく、返済能力を備えているという意味である。ユダヤ人が、金貸しはどの職業よりいい商売だと知ったのは、この頃である」p117
「プラトンもアリストテレスも、労働は生きるために必要とみなしていたものの、それは低い階級のやることだと考えていた。そうすればエリートは労働に煩わされることなく「純粋に精神的な活動すなわち芸術や哲学や政治」に専念できる。アリストテレスは、労働は「堕落であり時間の無駄であって、真の名誉への道を妨げる」とさえ考えていた」p123
「安息日は生産性を高めるために設けられたのではない。安息日は絶対であって、主が天地創造の七日目に休んだ例に倣っている。主は疲れたから、あるいは元気を回復するために休んだのではなく、大仕事を成し遂げたから休んだ。仕事をやり遂げたら、達成感に浸り、成果を楽しむ。七日目は、楽しむための日なのである」p125
「(クセノポン)家具であれば、家に十分整えればそれ以上は買わないものだ。だが銀の場合は、どれほど所有しても、これ以上いらないと言う人はいない」p148
「(マンデヴィルの平和な蜂の世界)この社会で起きたことはこうだった。蜂はいよいよ栄えてよい暮らしをするどころか、まったく逆のことが起きたのである。窓枠もドア飾りもいらない社会では、一握りの鍛冶職人しかいらない。一事が万事で、多くの蜂は職を失ってしまった。判事、弁護士、検事も失業し、法の執行を監督する役人も不要になる。贅沢も暴飲暴食もなくなり、需要が激減して、農夫、執事、靴屋、仕立屋は商売が立ち行かなくなった。好戦的だった蜂社会は平和志向になり、軍隊は廃止される。あわれ大勢の蜂は死に絶え、ごく少数だけが生き延びる」p262
「悪徳は有効需要を増やす相乗効果に相当し、経済の牽引力となる」p265
「アルコール中毒患者が飲んでも飲んでも飲みたくなるように、消費は本質的には中毒と同じではあるまいか」p312
「経済学は「稀少資源の配分」の学問とされているが、では資源が豊富になったらどうするのか」p340
「私たちは、感謝し満足することを知るべく努力しなければならない。信じられないほど貧しかった古代の哲人に比べれば、少なくとも物質的には何百倍も豊かな状況にあるのだから」p347

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Posted by ブクログ 2018年07月31日

無味乾燥で数式とCeteris paribus(他の条件が一定なら...)のオンパレードとなった経済学を、倫理と哲学の視点からRe-buildを諮るユニークな一冊である。

アダム・スミスの代表的著書が『国富論』と並び『道徳哲学論』であることを考えれば当然なのだが経済活動と道徳は呉越同舟である。しか...続きを読むし皮肉なことにアダム・スミスを契機に無機質化した経済学に再度有機的要素の復権を試みる。ギルガメッシュ叙事詩や新旧約聖書、ギリシャ哲学のなかに経済学的要素を見出し、特にマンテヴィルの「蜂の寓話」の非効率非対称だからこそ経済は発展する例えは示唆に富む。

「不足感が不足を生む」「数学はエレガントに創っているからエレガントに感じて当然」など、セドラチェク氏の逆説的論法が小気味良くて面白い。途中までは知的で大局的な内容であったが、最後で「人間的な地に足の着いた経済活動を」的なこじんまりした結論を語っているのでそこは不要だったかも。

倫理に根差した自然発生的な人間の経済活動を、「神の見えざる手」を起点に「アニマル・スピリッツ」から第三者の象牙の塔が何やら得体の知れないものとして扱い始め、ゲーム理論など一周回って余計難解な解釈に行き着いてしまっている。今一度基本に立ち返って経済を考える時期にきたのでは、という警鐘を鳴らす本であった。

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Posted by ブクログ 2016年01月09日

西洋人の知の土台を再認識することができる一冊。日本人には当然ではなく、その理解なしに現在の問題を同一の視点で語ることは無理がある。一方で問題を相対化して語ることができる可能性があることは、大きな利点でもある。
経済学の本だと思って本書を手に取った人は、良い意味で期待を裏切られるでしょう。

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Posted by ブクログ 2015年09月12日

西洋の古典における経済思想を解きほぐし、現在の数理的に割り切った分析に基づく経済学を心を失った社会学として不完全なものとする。
ギルガメシュ叙事詩や旧約聖書では都市と自然、社会と個人などが対比され現代に通じる自然が不自然化する(服を着るなど)、文明化と経済社会化を記述する。しかし経済社会はいつも倫理...続きを読むとセットであり、ヘブライ社会では経済は重要な項目であったが社会はあくまで神の論理を一番に置いていた。アダムスミスも道徳感情論を主著としていたようにあくまで人間の本質が前提で経済の考え方は後にくるものだと考えていた。ケインズも経済が成熟化すれば誰も経済のことなど考えなくなると予想していた。教養本としてはギリシア哲学、キリスト教思想など西洋のベースとなる思想をカバーしておりためになるとは言えるが、実際に現在の経済を理解する上で役に立つかというとわからない。
結論としては、現状は過去の倫理学から分かれた政治経済学とは異なり、何度もインセンティブが暴走し経済危機が起こる不安定な状況であり、この倫理を忘れた合理的人間像をベースにした経済学の欠点を浮き彫りにしようとしている。

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Posted by ブクログ 2020年08月19日

古典と経済に関する素晴らしい考察とは思うが、なにぶん西洋古典の世界なので馴染みがなく、とっつきづらい…時間があるときに再挑戦したい

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Posted by ブクログ 2016年12月27日

数学や物理学をはじめ、いわゆる「科学」と呼ばれる学問は、理論を構築するにあたり必要な公理系(または実験的事実に基づく法則)を基礎として演繹的に構築していく。

翻って、経済学はどうであろうか?
確固たる基礎を持っているのだろうか?
よく理論経済学の論文なんかで登場する効率的市場仮説(EMH)やホモ・...続きを読むエコノミクスを仮定しているが、これは本当に人間の行動をうまくモデル化していると言い切れるのだろうか。

金融工学をはじめとした数学的に経済を分析する、ということが近代経済学の主流であることは疑いようがない。
Black-Scholes方程式からデリバティブのプライシングをするとなんかカッコいいし笑

本書は、この徹底的に定量化され、人間が数値に落とし込まれる現在の経済学をもう一度再構築することを目的とする。
では、再構築するときの土台となるのは何か?
人間の心の部分である。
では、人間の心となる部分は何か?
宗教である。

本書は、さらに宗教を古典にまで還元している。
ギルガメッシュ叙事詩や旧約聖書にまでさかのぼり、人間の経済的な活動の起源を求めている。

正直に言うと、この部分はあまり受け入れられなかった。
というのも、少々話をこじつけすぎではないか、と感じることが多かったからだ。
これはひとえに、宗教的なバックグラウンドが不足しているからかもしれない。
日本人がMax Weberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んでもイマイチぴんとこないのと同じ現象であるように思える。


本書がヨーロッパでベストセラーになっていることを鑑みると、ヨーロッパの哲学や宗教(および古典)に対する知的水準が高いことが見て取れる。

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