中野剛志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「財政赤字は悪」という日本の大手メディアの偏った論調に違和感があり読んでみた。
本書によれば、財政赤字とは単に、政府支出を通じて民間部門に通貨を供給しているだけに過ぎず、高インフレ(デマンドプル・インフレ)になっていない限り問題はないという。
具体的な理由についても分かりやすく解説されており、読んでいる最中は全て腑に落ちる、いや、むしろ「目から鱗が落ちる」内容。でも、自分の言葉で要約しようとすると難しい・・・だからこそ、経済の話、特にマクロ経済は色んな論者がいて、世論も「赤字=ダメ」みたいに単純な論理がまかり通り、思考停止に陥りやすいのだろう。
国家としての金融政策の難しさ(世論の理解を得ること)も痛感する。日本の大手メディアは米国だけでなくその他の経済先進国の財政施策についても調査・報道し、財政赤字という近視眼的な内容を超えて、長期的な視点で日本の在り方を国民に伝えてほしい。 -
Posted by ブクログ
名前はなんとなく知っていても、実際に原書を読んだことはない(ハードルが高い)ような社会学の古典を、わかりやすく解説してくれる。述べられている通り、長く読み継がれる古典には深い洞察があり、現代に当てはめても十分納得できる内容であることが理解できた。内容の大枠が掴めたことで、逆に興味が増し、原書にもトライしてみたい気持ちになった。
ただ一点、最後の堺屋太一批判が少々引っかかった。視点が逆だの、まるっきりわかっていないだの、個人的に恨みであるのかと。笑
自分の主張の正しさの論拠の一つとして述べているが、結果論として後からアレコレ言うのは簡単で、この部分はなくてもよかった気がする。
著者は非常に優秀な方であり、他の著作も読んでいて内容も素晴らしいが、「周りがみんな間違っていることを自分だけは知っていた」という主張が一部に見られ、この点はちょっと危険。自分の考えに自信を持つことは大事だが、未来のことはだれもわからないからこそ、わからないなりに思考するのが人間。
古典の考え方を理解・尊重しつつも、今を生きる自分たちで判断していくことが大切だと感じた。
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Posted by ブクログ
【星:4.0】
前作の「基礎知識編」ほどのインパクトはなかった。
また、本書もMMT理論全面推しなのかと思ったが、そうでもない感じである。
言っていることは一貫していて、財政赤字が増えても日本は通貨発行権を持っているので、自国国債でのデフォルトはない。このデフレ時代には緊縮財政ではなく積極財政でといった論調である。
ただ、この本の面白いところは、経済の話を中心に据えつつ、経済の観点から国際情勢、政治情勢など幅広い内容となっているとことだと思う。
そして、視点の中心をMMT理論という新しい経済学に置いているので、色々な物事に対するこれまでとは異なる見方を見につけられた気がする。
ただ、このMMMT理論が正しいかどうかは、また別の話である。 -
Posted by ブクログ
東洋経済にて、新しい封建制がやってくると合わせて紹介されていたので入手。いわゆる「西側」諸国(ぶっちゃけ欧米)を今までリードしてきている新自由主義が何をもたらしているか、を解説する。基本思想が強者総取りのところに更にテクノロジーによる支配を加速させて、少数のテック貴族によって多数の下流層(中流層は下流層にに叩き落される)が支配され、民主主義が蔑ろにされていく現状が語られている。そのような状況だからこそ、トランプのようなデマゴーグがそういった層のニーズをすくい取って伸びていく、と解説される。筆者は多元民主主義(地方の有力者に率いられた集団が多数ひしめき合う状況)の復活を提示しているが、テックオリガリヒによる支配って、サイバーパンクのメガコーポによる支配と同じだなぁ、と思ってみたりする。
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Posted by ブクログ
何かで聞いたことがあったMMT(Modern Monetary Theory)の唱道者である著者が、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』に続いて書いたもので、おそらく内容的にも同じことが書かれてあるのでしょう。
これからの政策で必要なことは、
①財政支出を拡大して、デフレを脱却すること。つまり緊縮財政から積極財政へと転じること。
②これまでの「ムチ型(企業利潤主導型)成長戦略」から、「アメ型(賃金主導型)成長戦略」へと転換すること。
とまとめにある。
とにもかくにも、デフレは悪だと。
そして、一見放漫な政策と思えるMMTこそが、このデフレ脱却には効果があると。
MMTは、「自国通貨を発行する政府はデフォルトに陥ることはあり得ないから、高インフレにならない限り、財政赤字を拡大しても問題ない」という単純明快な理論。
日本は自国通貨(円)を発行し、国債をすべて円建てで発行しているので、デフォルトすることはない。
政府の債務は、民間の債権。つまり、国債は国民の資産。政府は、国債の償還のために徴税する必要はない。政府は、借り換え(国債の償還のために、新たに国債を発行すること)を繰り返せばよい。
従って政府債務は「将来世代へのツケ」にならない。
しかも、国債を発行して財政支出を拡大し、インフラや教育、技術開発のために使えば、将来世代に「ツケ」どころか「資産」を残すことができる。
一方この理論は異端で、財政規律を守るべきだと言うのは本流だとも聞く。
どちらの意見も聞いて(知って)、どうあるべきかを判断すべきなのだろうな。
話題のMMTの考え方や、効能とされることが分かった。
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Posted by ブクログ
日本でもたまに話題になるグリーンウォッシュ、いわゆる「やっていないのにやってるふり」です。
ところがアメリカではそれどころではありません。それが儲かる仕組みとして成り立っているそうです。しかも、「意識高い系」の会社が、SDGsやESGがうまくいかなければいかないほど儲かるという悪夢のような構造になっています。
SDGsやESGに対する何か底知れぬ違和感について、少しだけ分かった気がしました。
あと、日本の資本主義はこのレベルに達しておらず、滅ぼす対象の「民主主義」もそもそも怪しいので、ただただ世界から取り残されていくだけ、と寂しい状況らしい。やっぱり、戦って勝ち取ったのと、敗戦で与えられた違いなのか? -
Posted by ブクログ
「政府はすでに財政削減を行っています。しかし,政府は,公共支出の運営を学習しなかったがために,財政削減による即時の問題解決を期待し,あるいは,財政削減が困窮を次第に累積させていくことを知らないのです。」
この本は19世紀を生きたコールリッジという人の思想を中心として,時代の趨勢とその結果から保守の態度を明らかにしようとするもの。上記の文はそのコールリッジのもので,これによれば,日本の自称保守政権が数世紀の歴史に対する無学を露呈していることになる。統計的方法だけでなく,デフレといった経済現象の解釈も明示的でない時代の慧眼。貨幣や国債の精確な理解。為政者や御用学者は経世済民が分かっていないのではないか。
新自由主義あるいは新古典派経済学も「長期的にはこうなる」という説を持っているのであろうが,歴史的な事実はかなりの破壊と格差拡大という結果を生んだ。自然科学のようなアプローチなのであれば,これらの説は反証されたことになるのに依然として厚顔無恥な経済学のままである。害悪としか言いようがないし,歴史から学ばない政治家・政党が与党になり,その継続を許してしまっている国民もレヴェルが低いということか。
科学のあり方に関する議論は,「人間の建設」で小林秀雄と岡潔が論じていたことと呼応していると思う。保守の科学論というのも成り立つのかもしれない。
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「失われた二〇年」とは,コールリッジのようなマクロ的・全体論的な視座が「失われた二〇年」であったのではないだろうか。(p.141)
営利精神が過剰になることで,あらゆる活動が,即物的な刺激に対する欲求に基づくものとなり,快楽主義が蔓延し,下劣なゴシップやスキャンダルばかりが好まれるようになる。学問の世界においても,功利的な目的の役に立つ「手段」としての知識ばかりが重用され,真理の探究を目的とするような学問は軽蔑されるようになる。(p.147)
コールリッジが健全財政論を批判するのも,その思想の保守性による。政府債務の累積という表面上の現象を問題視し,その原因であるデフレ不況という巨視的・全体的な問題を考慮しないから,緊縮財政という,デフレ不況をさらに悪化させるような誤った結論に至ってしまうということだ。(p.149)
[コールリッジの保守主義の特徴]
第一に,全体を俯瞰するマクロ的な視座に立って,その全体の文脈の中で,個別の現象を総合的に解釈する。
第二に,原理原則にとらわれずに,具体的な解決策を柔軟に見いだしていく。ただし,そのプラグマティックな政策提言は,決して場当たり的なものではなく,全体についての構図の中に統合的に位置づけられている。
第三に,人間を社会的・道徳的存在とみなし,経済活動も,非経済的・社会的動機によっても行われうるものと考える。そのため,経済現象の解釈においても,精神的・道徳的な要因を排除せず,むしろ精神の問題を経済問題の根本に据える。(pp.162-163)
科学とは,科学者が最終的な発見についてのヴィジョン,あるいは理想をあらかじめ抱き,そのヴィジョンに導かれて真理を探究していく営為である。そうと分かれば,「汝自身を知れ」は科学者にとっての金言であるとコールリッジが言った意味が了解できるはずである。(p.185)
保守主義は,歴史を重視する。だが,歴史とは,単に過去を振り返ることではない。過去を回顧することは,同時に未来を予見することでもある。過去を重んじる保守主義とは,本質的に,未来志向なのである。(p.191)
科学とは,暗黙知の中に潜んでいる問題の解法を顕在化させていく活動である。このポラニーの科学観は,コールリッジの理性の定義に対応している。理性とは,「可能なもの」が「現実のもの」へと転化していく現実化の過程であるとコールリッジは言った。この理性による現実化の過程とは,科学が暗黙知の中から問題の解法を発見していく過程のことであろう。(p.196)
日本では,一九九〇年代初頭にバブル経済が崩壊してからというもの,いかに経済を成長させるか,どうやって財政を健全化させるかばかりが議論されてきた。その間,日本人の精神の向上については,なおざりにされてきた。しかし,その結果として,コールリッジが警告した通り,「安定した暮らしのみならず結局は国民の繁栄そのものまでが,無意味になってしまう」という事態を経験することとなったのである。
それにもかかわらず,日本人は,今もってなお,経済成長と財政健全化を国家の最優先事項とし続けている。教育は,教養を貶め,文明の過剰を促進するものへと改変されようとしている。それどころか,学芸や文化までも,輸出品の一つとみなし,経済成長の手段にしようとするまでに,日本人の精神は劣化している。
精神が劣化した国家は,遅かれ早かれ,経済的にも衰退し没落する運命にある。しかし,そのような話を富裕な商業国は「最も聞きたがらず,信じたがらない」であろう。コールリッジは,ここまで見事に,現代日本の状況を予言しているのである。(pp.214-215)
最小国家を唱え,自由を尊重し,個人主義を信奉する新自由主義者が,なぜ,よりにもよって独裁権力や恐怖政治と結託するのか。その理由は簡単である。新自由主義者は,抽象的な理論から導き出されたに過ぎない自由市場を実現しようとする。だが,現実の経済においては,数々の規制,制度あるいは既得権益が存在しており,完全に自由な個人が競争する市場などというものは存在しない。完全なる自由競争市場を実現するためには,その障害となっている規制,制度,既得権益を破壊しなければならない。その破壊のためには,強大な権力が必要となる。こうして新自由主義者は,独裁権力と結託するのである。(pp.221-222)
一般に,国民国家のナショナリズムこそが,戦争の原因であるとみなされがちである。しかし,コールリッジは,そうは考えない。真のナショナリストは,現実主義的な政治判断に立ち,独立した国民国家から構成される多元的な国際社会を理想とする。むしろ好戦的なのは,普遍的原則に基づく世界の建設を企て,各国の制度や価値観の多様性を許容しない合理主義者や世界市民主義者なのである。(pp.239-240)
このケインズの言葉は,新自由主義の固定観念が依然として強力である理由をよく説明している。
現在の政治家,官僚,あるいは知識人たちが新自由主義に固執しているのは,一九八〇年代以降,すなわち,彼らが二〇代か三〇代を過ごした頃に,その影響を受けたからなのである。「観察の理論依存性」というが,彼らの観察は,まさに,若い頃に習い覚えた新自由主義の理論に依存している。だから,現実の世界が新自由主義による矛盾で覆われていることすらも,彼らは観察できない。そして,「過去のある経済学者」(例えばハイエク)の奴隷であり,「数年前のある三文学者」(例えばフリードマン)から「彼らの気違じみた考えを引き出している」というわけである。(p.245)
新自由主義などという,保守主義とはおよそ相容れないイデオロギーを掲げた政治家や知識人が,自らを「保守」と称し,世間から「保守」と呼ばれる。そのような事態が一世代にもわたって続いてきたということだけでも,現代人の精神がどれだけ異常をきたしているのかが分かる。まして,二〇〇八年の世界金融危機により,新自由主義の破綻が白日の下にさらされ,あのアメリカの経済学者たちですら,新自由主義の誤りを認めざるをえなくなっているというのに,日本の「保守」を自称する政治家や知識人の多くは,この期に及んでも,まだ新自由主義から離れようとはしないのだから,病膏肓に入るの感が深い。(p.251)