中野剛志のレビュー一覧

  • 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】

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    私はデフレ、インフレもあまり理解できていないような素人ですが、この本の内容には驚きました。
    そして、今まで政府がやってきたことが、全然役に立っていない、むしろ逆効果な事ばかりやっているとは。
    たしかにデフレの対策とインフレの対策を比べると、インフレ対策の方が一般の人にはウケが良い気がする。
    驚いたのは多くの著名な経済学者達もまともな理論を知らないと言う事。
    意見をコロコロ変えたり、成果をあげれないことが多いとのこと。
    経済学というのは確かな科学的根拠があると思っていたが、そもそも胡散臭い、内輪だけの理論が広まってしまっているのだろうか。
    本当に恐ろしいなと思った。
    なぜ政治家達がこのような過ちをおかしてしまうか、続編があるようなので、そちらも気になる。

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    2025年04月09日
  • 入門 シュンペーター 資本主義の未来を予見した天才

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    やー、エキサイティングで面白い。
    読後、脳が活性化して清々しい。
    まあしかし、そうも言ってられない世の中…。
    もう革命を起こすっきゃねえな。

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    2025年04月09日
  • 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】

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    過去の日本の経済政策について納得する解説でとてもわかりやすかった。
    また、私が資格試験で学んでいる経済学の分野は主流派であり実際のマクロ経済に落とし込んだときに必ずそうはならないという、考えていなかった視点を持つことができた。

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    2025年03月26日
  • 入門 シュンペーター 資本主義の未来を予見した天才

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    イノベーションが起こる論理が非常にわかりやすくまとまっている。
    シュンペーター入門と言いつつ、現在に至るまでの日本と世界の経済を俯瞰した良書。
    新自由主義による自由化、民営化の先にある社会主義的国家施策(イデオロギーは別問題と捉えて、)大きな政府の存在が生まれるのを望むばかり。

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    2025年03月02日
  • 世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道

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    一時的なコストプッシュインフレの有効な対策を教えてくれるのかと思いきや、80年台からの新自由主から、安倍政権時代までの政策を比較しながら経済を学ぶことができる。MMT論者からネオリベラリストまでみんなに読んでほしい

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    2025年02月28日
  • 新自由主義と脱成長をもうやめる

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    経済学者の対話本。政治と経済の話が多い。菅内閣の大学改革を継承した岸田内閣について批判的に語られる。ウクライナについても触れられている。
    しかし雑多で散漫な感じはやはりする。タイトルの内容について深めて語るということはない感じだ。

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    2025年01月29日
  • 日本の没落

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    シュペングラーの「西洋の没落」を基に、現代の日本の危機を解説する。「西洋の没落」は、縮刷版を読もうとしたが、和訳が難解で意味不明である。そのため、中野氏の読み解きに頭が下がる。
    「西洋の没落」を読むより、まずはこちらを読んだ方が良い。
    「経済成長の終焉、グローバルシティ」
    一極集中による地方衰退、現存在と覚醒存在、少子化。金融立国とか、カジノとか、観光立国とか、AIとか、既存のものを右から左で、何か人類に貢献したのか?ということ。
    本当に人類に貢献できる発明は?足し算以外の発明方法は?仮説立案と自然の観察しかないのではないだろうか。
    「ボストトゥルース」
    小泉政権時代に日本がどれどけダメになったのか、日本国民がどれだけ愚かだったか、「西洋の没落」から説明される。マスメディア、SNSは真実を告げない、真実を隠す。その上で、市民はどのように判断していくのか。国策とされたもののウラをかき、どのように振る舞うか。
    政権側に、日本をどうするのかという理念はないのだろう。これも没落の兆候なのだろう。
    「予言の方法」
    真の哲学は実践の中にあり。運命を欲する者を導いて行き、欲しない者を引きずって行く。没落の運命を知りつつ、それに抗するという行為の矛盾は、悲劇とも言い換えられる。
    没落を回避するために、足掻くがいい。それも没落の兆候なのだから。と述べられているようだ。自己を批判しつつ(何らかの活動には陰陽があることを認識しつつ)、精一杯人間のあるべきと思う方向へ一歩を踏み出そう。
    以上、「予言の方法」の章は、再読して、読み込むべき。

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    2025年01月05日
  • 世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道

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    2022年末に書かれた本だが、2025年を迎えアメリカ大統領がトランプ氏に交代する。この歴史的瞬間に、読むべき一冊。世界の危機に臨む覚悟で。

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    2024年12月31日
  • 世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道

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    昨年の夏(2023.7)に読み終えた本です、日本では長く続いたデフレ経済ですが、いよいよインフレの時代になってきたようです。そのような状況変化を踏まえて、インフレの歴史も解説してくれています。読み終わってから時間が経っているので、読み返して需要なポイントを確認しておきたく思います。

    以下は気になったポイントです。

    ・2022年3月に、資産運用で最大手のブラックロックCEO(ラリー・フィンク)は、ロシアのウクライナ侵攻で、我々が過去30年にわたり経験してきたグローバリゼーションは終わりを迎えた、と記した。ポール・グルーグマンは「我々は、1914年(鉄道・蒸気船・電信ケーブルによる第一次グローバリゼーションが終焉した年)の経済的な再現を見ていると言って良い」と指摘した(p14)過去30年にわたりグローバリゼーションを前提としてきた、その前提が崩れたのだ、これからの国家政策は、これまでの30年とは全く異なる、それどころか正反対のものにならなければならないだろう(p15)

    ・グローバリゼーションの終わりは、いつから始まっていたのか。世界の有識者の認識はほぼ一致している、それは2008年のリーマンショックである。グローバリゼーションの進展度合いは、世界の貿易解放度(世界のGDPに占める輸出入の合計の比率)によって計測できる、1870年に17.6%であったが、1913年に29%、しかしこれは第一次世界大戦の勃発によって終焉した、1945年には10.1%にまで低下、戦後1980年には39.5%、1989年には冷戦終結によりさらに進展して2008年には61.1%に達した(p17)リーマンショックが収束しても、かつての水準に戻らず低下した。2020年のコロナパンデミックは、すでに進んでいた「スローバリゼーション(グローバル化の鈍化)」に追い打ちをかけたに過ぎない、グローバリゼーションは、2022年でなく、2008年に終わっていた(p18)

    ・1997年2月に、ジョージ・ケナン(戦略家)は、NATOの東方拡大は、ポスト冷戦時代全体を通じて、アメリカの政策の最も致命的な過ちとなるであろう、と嘆いた。恐るべき洞察力である(p28)

    ・金融市場のグローバリゼーションは、金融資産バブルを発生させたに過ぎない、バブルで膨張する債務に依存して拡大した消費が経済成長を牽引したので、人々はグローバリゼーションが成功したと錯覚した、しかしそのような偽りの繁栄は、金融資産バブルが崩壊すれば終わる(p30)人のグローバリゼーションについても言える、アメリカやヨーロッパで起きている排外主義的なポピュリズムの高まりは、移民労働者などのグローバリゼーションが招いたもの、イギリスのEU 離脱もそうである(p31)

    ・台湾有事のリスクは、ウクライナ戦争とも連動している、中国はウクライナ戦争を見て、アメリカは核を保有する大国との戦争は避け、介入するにしても、せいぜい経済制裁と武器供与ぐらいだと確信したから(p33)

    ・日本の送電システムは地域間の連携が脆弱(南北に細長い島国、山がちで平野が少ない、送電線の立地場所が少なく用地取得が難しく送電インフラの整備は容易でない)で、この弱点を克服するために、発電と送電を一体で整備・運用する責任を電力会社に一元化させてきた(p42)電力市場の自由化を限定的にしか行ってこなかったのは、電力の安定供給(=エネルギー安全保障)の要請からであった(p43)

    ・グローバリゼーションが終わった世界はどのような姿になるのであろうか、第一次グローバリゼーションの終焉の後に現出したのがブロック経済化であることを考えると確かにその可能性は否定できない、ただしブロック経済を形成できるのは、周辺国を経済的に依存させるほど国内市場が大きく、かつブロック内に戦力を投射できる「地域覇権国」のみ、東アジアにおいては残念ながら中国である(p46)

    ・2020年代に入り、グローバリゼーションの終焉は誰の目にも明らかになった、それとほぼ軌を一つにして、インフレーションが世界を襲った、実はこの2つの現象は、深く関連している。結論を急げば、グローバリゼーションが終わったから、インフレが起きたのである(p50)

    ・インフレとは「需要過剰・供給過小」の状態によって引き起こされるが、同じ状態であっても、その主な原因が需要の増大にある場合(適正水準より大)には、デマンドプル・インフレであり、供給の減少にある場合には、コストプッシュ・インフレである。対策はその両者で異なってくる(p55)戦争がインフレを起こしやすいのは、デマンドプル(軍事需要の拡大)とコストプッシュ(徴兵戦争により労働者が不足)の両方を引き起こし得るから(p59)コストプッシュインフレは、財政支出の拡大を必要とする(p69)、デマンドプルインフレ対策は、政府が財政支出を削減(=公共需要の減少)増税、利上げにより民間需要が減少が対策となる(p67)

    ・産業資本主義が未発達の経済では、需要の増加に応じて供給を増やすことが容易にできない、このため、デマンドプル・インフレが経済成長をもたらさず、ただ物価の高騰が国民生活を圧迫するだけにとどまる、産業資本主義以前の経済や開発途上国が、しばしばインフレに悩んできたのは、このためである。また突発的・大規模な戦争により軍事需要が急激に膨張するような場合には、先進国といえども供給が追いつかず、物価が高騰して国民生活を圧迫するだけに終わる場合もある(p75)戦争のような例外を除けば、発達した産業資本主義の下では、デマンドプル・インフレは、需要増→供給増→需要増のスパイラルを働かせて経済を成長させる、逆に物価が経済的に低下するデフレになると、正反対のスパイラルが働いて経済は縮小する(p75)デフレスパイラルにおいては、需要のみならず、設備。労働力といった供給能力(=国民経済の潜在的な成長力)も破壊される(p77)

    ・2022年2月以降のインフレの主たる原因がコストプッシュ・インフレであるとしたならば、金融の引き締め(利上げ)は、誤った政策と言わざるを得ない。インフレ自体は抑制できるかもしれないが、その結果として、パウエル自身も認めるように、家計や企業が犠牲になるからである(p90)主な原因は、パンデミックやウクライナ戦争によるエネルギーや食糧のサプライチェーンの寸断にある、このサプライチェーン問題を解決する上で、利上げは何の役にも立たない、それどころか景気後退、高失業率、発展途上国の債務問題の悪化などをもたらす(p93)

    ・日本は他の先進国に先んじて少子高齢化を経験し、労働力不足や社会保障費の増大に直面していた、それにも関わらず日本は、インフレに悩むのではなく、その逆にデフレあるいはディスインフレに苦しんでいた、なぜ生産年齢人口の減少という人口構成の変化にも関わらず、これまでの日本はインフレを経験しなかったのか、その答えを、グットハートらは「グローバリゼーション」に求めている、日本の企業は海外投資を進め、生産拠点を積極的に中国など新興国に移転することで、国内の人口減少にも関わらず、豊富で安価な労働力を享受していた(p107)

    ・政府がインフレ政策(完全雇用政策)を取るか、デフレ政策を取るかは、資本家階級と労働者階級のパワーバランスに影響を及ぼす決定だと言える(p121)

    ・19世紀後半になると、重化学工業や電気による「第二次産業革命」が進展して供給能力を飛躍的に向上させ、加えて、鉄道・蒸気船・電信などの発達と普及により、世界市場の統合が急速に進んだ。この時期は「第一次グローバリゼーション」と呼ばれている、これは海外からの安価な資源、製品あるいは労働力の流入を促進し、デフレ圧力を発生させた。これは、インフレ抑止にも貢献したものと考えられ、全体を通して見れば、概ねデフレ基調であった(p175)

    ・ユーロ加盟国は、予算年次ごとの財政赤字をGDP 3%以内に抑えるとともに、債務残高がGDP 60%を超えないことを求められていた、しかし2020年3月、コロナパンデミックを受けて、この適用を一時停止した、これは2023年には適用再開の予定であったが、ウクライナ戦争の勃発を受けて、2023年も運用停止となった(p185)

    ・大規模な積極財政による資源動員、産業政策による資源配分、資本規制、価格統制、まるで、戦時経済体制である。いずれもその体制において、典型的な制作手法に他ならない(p203)21世紀の日本経済のあるべき姿は、恒久戦時経済である(p204)

    2023年7月13日読破
    2024年12月6日作成

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    2024年12月06日
  • 日本経済学新論 ──渋沢栄一から下村治まで

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    渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治を中心に、明治から現代に至るまで経済を支えた人たちの思想を連ねている。プラグマティズム(聞き慣れない言葉)とナショナリズムという共通したところに軸をおきながら。

    彼らは、それぞれの生きる時代の難題に、理論を盲信することなく実践の中で得られる洞察を発揮して、柔軟に対処し、日本の活路を見出し、偉業を成し遂げてきた。
    経済に限らず、何かの理論や説を信じて突き進むのは楽だし、安寧である。
    しかし完璧なものはなく、人は理論と実践を通して現実世界で起きる矛盾を延々と行き来し続けなければならない。(先人達の理論を学ぼうとしない人は、それもまた無政府的な理論を盲信している状態だ)

    一方、ナショナリズムという言葉を聞くと、帝国主義を連想する感はあるが、つまりは国民の生活を大切にすることを、この文脈では使われている。(そこから派生して過激な思想に取り憑かれてしまう人たちはいる)

    また、貨幣理論、インフレ・デフレ時にすべき政策についても、話の中で出てくる。文献を参照し、著者の考えも併せながら。
    (まだ上手く整理できていないので、読み直したい)

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    2024年11月16日
  • 略奪される企業価値―「株主価値最大化」がイノベーションを衰退させる

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    2024/10/01「略奪される企業価値」☆
    Predatory Value Extraction 略奪する 価値 抽出
    ウィリアム・ラゾニック ヤン・ソプ・シン
    株主価値最大化がInnovationを衰退させる
    株主還元「高配当」「自社株買い」が株主分配率を引き上げる
    賃金と投資は抑制され、成長エネルギーを喪失している
    これは私の最近の持論 まさにこの通り
    しかも新古典派経済学のインチキさと併せて糞味噌
    ただ既成の学問として新古典派経済学は君臨している恐ろしさ
    本書は大学院ゼミText並みのレベル ノートを取りながら熟読したい
    2024/10/11「略奪される企業価値」☆
    Predatory Value Extraction 略奪する 価値 抽出
    ウィリアム・ラゾニック ヤン・ソプ・シン
    現代経済学・経営学の傑作 「株主価値至上主義」へのアンチテーゼ
    問題提起は先鋭的・本質的 現代社会を根底から覆す革命の書
    本来は「企業価値の最大化=Innovation実現」が企業の使命である
    しかし現実は「株主価値の最大化」が至上命題
    資本の論理は「価値創造」から「価値収奪」に変質してしまった。
    生み出されたキャッシュフローは株主と経営者が独占、
    投資は抑制されInnovation力は低下
    賃金は抑制され家計は貧しく消費は不活発となる
    それらの結果、マクロ経済は停滞状態へ陥っていく
    ⇒誤ったパラダイム・イデオロギーである「株主価値最大化主義」を放棄しなければならない
    2024/10/25 イデオロギーは①理念②経済原理がセット
    本書と併せて「20世紀経済史」を読むのが必須
    ①新自由主義
    ②株主価値至上主義

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    2024年10月25日
  • 全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】

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    行政改革の失敗や成長戦略に加え、著者が他の著作でも力説するMMT(現代貨幣理論)についての付録(解説)もあり、経済停滞や財政赤字の意味を考えるテキストにもなると思います。

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    2024年09月18日
  • 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】

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    インフレやデフレ、財政赤字などについて分かりやすく説明されており、特に、デフレ下のわが国で正反対のインフレ対策しかやってこなかった、ってことが詳しく述べられています。

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    2024年09月18日
  • 楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室【大論争編】

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    経済、財政をめぐる言説は多く飛び交っていますが、その裏付けとなる根拠やデータに注目せねば本質を見失いかねないと感じました。

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    2024年09月12日
  • 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】

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    あまりにも読みやすく、自分が理解できているか不安になるほどだった。
    今回3回目を読んでみて、少し内容の理解が進んだように思う。わかりやすいことと、分かることは違うということも理解できるよい読書体験だった。

    そして何より経済学者や評論家と呼ばれる人たちの無責任さを思い知らされた。 もっと多くの人が知るべき内容。

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    2024年08月04日
  • 奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵

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    現代のイシューと社会科学をつなげて理解するための視座が得られる。原点そのものに触れる前に一読して損はないだろう。

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    2024年08月01日
  • WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす

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    まず、三点でなければまともにバランスが取れないところを、二点にしてしまった現経済観念に問題があるのだと感じられた。
    また現在の正さはある意味で、「営業スマイル」「営業トーク」がどれだけ巧みであるかになってしまっていると。
    こう言ってごめんなさいだけど、かつてアメリカ製品はポンコツと思われていた時代があったが、アメリカ思想もそうだったのかもなと冷静になった。

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    2024年07月12日
  • 国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策

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    中野剛志
    1971年、神奈川県に生まれる。東京大学教養学部(国際関係論)卒業。エディンバラ大学よりPh.D(社会科学)取得。経済産業省産業構造課課長補佐を経て現在京都大学大学院工学研究科准教授。専門は経済ナショナリズム。イギリス民族学会Nations and Nationalism Prize受賞。主な著書に『国力論―経済ナショナリズムの系譜』(以文社)、『 自由貿易の罠―覚醒する保護主義』(青土社)、『TPP亡国論』(集英社新書)などがある。

    国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)
    by 中野剛志
    グローバル化の時代には、企業の利益と国民の利益が一致しなくなる。グローバル化に適応するための構造改革は、国民の利益より企業や投資家の利益を優先するという政策なのである。しかし、構造改革を支える新自由主義というイデオロギーが提示する世界は、利己主義的な個人や企業だけで構成されており、そこに「国民」という存在はない。構造改革が国民の利益を優先しないのも、哲学的に考えれば当然だと言えるであろう。

     我が国は一九九八年以降、このデフレから抜け出せなくなっているが、実は、デフレとは、単なる経済的な不調というにとどまらず、ネイションの連帯から生み出される国力を著しく衰退させるものなのである。  そもそも、デフレとは、需要不足、供給超過の状態が継続することによって、物価が下落し続ける現象のことである。物価が継続的に下がっていくということは、裏を返せば、貨幣価値が継続的に上がっていくことを意味する。デフレになると、貨幣の価値が将来的に上がっていくという見込みが生まれることから、企業はできるだけ支出を控えて資金を貯蓄しておこうとする。また、貨幣価値が上昇するということは、負債が膨らんでいくということを意味するから、企業は金融機関からの負債を早く返済しようとし、融資を受けて投資をしようとはしなくなる。こうして、企業が投資を控えるために、需要不足がさらに深刻化し、デフレがいっそう進むのである。

     需要不足と供給過剰のギャップが拡大していくと、企業は設備を廃棄したり、労働者を解雇したりして、供給力を削減していこうとする。それでも需給ギャップが埋まらない場合は、多くの企業が倒産してしまう。失業や倒産は、技術や技能の継承を途絶えさせ、技術力を棄損していくことにもなる。また、投資の減退は、生産能力や技術開発能力の将来的な低下を意味する。そして、設備廃棄、解雇、倒産は、その国の潜在的な生産能力の破壊を意味する。このように、デフレは、一国の生産能力を次第に衰弱させていくのである。ネイションが富を生み出す力、すなわち国力が損なわれるということだ。

    それだけではない。デフレは社会の格差を拡大させ、ネイションを分解させていく。一方で、実質賃金の低下により労働者の所得は低下する。他方で、企業、とりわけ輸出企業は人件費の圧縮が可能になり、企業そして株主は利益を増やすことができる。その結果、労働者階級と資本家階級の所得格差が拡大する。こうしてデフレは、階級間の格差を拡大し、ネイションを分裂させる方向へと働くのである。

    さらに、デフレ不況による失業は、組織や社会から個人を疎外する。人間は単に生計を立てるのに必要な稼ぎを得るためだけに職に就いているわけではない。職業を営むことで、社会との関係をもち、職場における人間関係に帰属し、他者から認知を得ているのである。仕事は、人間の自尊心やアイデンティティの源泉のひとつである。だから、自尊心や生きがいの源泉であった組織や社会との継続的な関係を失った個人は、気力や活力を失い、場合によっては社会に対して強烈な敵意や憎悪を抱くようになる。不況は、そのような個人を大量に発生させる。孤独な群衆は、彼らの劣情に訴えるポピュリスト…

    このため、EU加盟国が苦境に陥るような場合には、それらの国々は自力で自国民を救済することが困難になる。こうなると、EUが、各加盟国から資金を徴収して苦境にある加盟国を救済するという、ヨーロッパ全体としての中央集権的な調整を行うしかない。しかし、EUは、国民国家とは異なり、そのような中央集権的な権力を有していない(ジャック 2009)。制度面のみならず、心理面においても同様で、各加盟国の国民の多くは、多額の血税を使ってまで、他の加盟国を救済しようという同朋意識も、EUに対する忠誠心ももっていないのである。  例えば、二〇一〇年二月十四日のブルームバーグの報道によれば、ドイツで、財政危機に陥ったギリシャに対して、ドイツや他の加盟国が金融支援を行うべきかを問う世論調査を行ったところ、金融支援を行うべきではないという回答が六七%に達した。また、ギリシャ危機によってユーロの安定が脅かされる場合には、ギリシャにユーロ圏からの離脱を迫るべきだという回答は五三%に上った。ヨーロッパ統合に積極的であったドイツ人ですら、その半数以上が、実は、EUへの忠誠心よりもドイツのナショナリズムを優先していたのである。

     ギリシャ、アイルランド、ポルトガルといった財政危機に陥ったEU加盟国は、本書執筆時点(二〇一一年五月) においては、単に通貨制度を維持するために、緊縮財政を余儀なくされ、失業者が激増し、大規模なデモや暴動も頻発している。EUは、財政危機に陥った国々の国民(ネイション)よりもEUを優先したために、これらの国々のナショナリズムの反発を招いたのである。

     東アジアなどの新興国は、近年、目覚ましい成長を遂げているとはいえ、それは外需に依存したものである。その外需が世界金融危機の発生により大幅に縮小してしまったのである。そこで新興国は、財政金融政策により内需を拡大する必要がある。いわゆるケインズ主義である。しかし、ケインズ主義的政策は、実は、高度に統合されたネイションの存在がなければ、実効性を上げることは難しいのである。この点は第五章以降において詳しく論ずるが、ここではそのポイントだけ述べておこう。

     ここで改めて、「国家」と「国民」の概念をよりはっきりさせておこう。 「国家」とは、政治的・法的な制度あるいは組織である。「ステイト」は、支配力、法の支配または権威といった様々な手段によって人民を統合する。「ステイト」に対する忠誠のイデオロギーあるいは感情は、ナショナリズムというよりはむしろ、「ステイティズム」と呼ばなければならない。  これに対して、「 国民」とは、一種の共同体として理解される。それは、構成員の社会的想念により統合され、共通の歴史的記憶、公的文化、言語、領土、伝統といったものを基礎にする。社会学者アンソニー・スミスは、ネイションを次のように定義している。「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通する経済、構成員に対する共通する法的権利義務を共有する特定の人々」(Smith 1991:14)。ナショナリズムは、そのような「ネイション」に対する忠誠のイデオロギーあるいは感情のことである。  ここで注意すべきは、スミスの定義に明らかなように、ネイションが共有するものは歴史、神話、文化、経済、法制度など様々であるが、いずれも言わば「 社会的現実」であるということだ。ネイションは、人種、民族(エスニック・グループ)、言語が同じである集団とは限らない。むしろ、アイスランドや日本のように、民族的に同質性の高いネイションの方がまれであり、ほとんどのネイションが多民族・多言語で構成されている。ネイションは、ある程度、多元性をもつ社会集団なのである。

    いずれにせよ、「ネイション」は共同体の一種であって、政治的・法的制度としての「ステイト」とは異なる概念である。そして、「ネイション」と「ステイト」、あるいは「ナショナリズム」と「ステイティズム」の区別は、経済ナショナリズムを理解する上で、本質的に重要なポイントである。経済ナショナリズムは、「ステイト」一般ではなく、「ネイション」に関する政治経済思想あるいは態度として理解すべきだからである。

    また、中国が世界貿易機関(WTO) に加入したのも、ナショナリズムによるものであった。すなわち、自国の発展段階を考慮した結果、中国は、国内市場の開放が国力増強に資すると判断したのである。

    カナダのフランス語圏であるケベック州、インドそしてウクライナが自由貿易を推進してきたのも、同じ理由による。これらのネイションは、ネイションとしての自律性、統一性そして同一性を強化するためには、自由貿易こそが有効だと判断したのである。  このように、経済ナショナリズムは、経済自由主義的な政策と矛盾するものであるとは限らない。むしろ、自由化政策を推進するのは、経済ナショナリズムである。経済ナショナリズムは、自給自足を理想とするイデオロギーでは必ずしもない。アメリカ合衆国建国の父たちの一人であり、代表的な経済ナショナリストとしても知られるアレクサンダー・ハミルトンも、ハミルトンの影響を受けたフリードリヒ・リストも、自給自足経済を目指したわけではなかった。経済ナショナリストは、貿易自由化の方向を目指すか、自給自足の方向を目指すかは、あくまで国力増進という大目的に照らして、プラグマティックに決めていくのである。

     経済ナショナリズムは、経済自由主義的な政策のみならず、社会主義的な政策とも整合的であり得る。周知のように、一九六〇年代に独立した多くの発展途上国は社会主義体制を選択したが、それは、経済的にも旧宗主国から独立したいというナショナリズムゆえだったのである。

    経済政策を選択し、実施するのは国家である。そして今日、国家は基本的に国民国家である。ならば、あらゆる経済政策の選択や実施に関して、ナショナリズムは無関係ではあり得ない。イギリスの経済学者ジョーン・ロビンソンが指摘したように、「政策は、それを実施する権威がなければ意味がなく、そしてその権威はナショナルなもの」だからだ(Robinson 1964:117)。

    自由主義者の多くは、強力な国家権力は、個人主義の敵であると考えている。しかし、実際には、個人主義の実現のためには、強力な国家が必要なのである。なぜなら、個人の権利は、国家によって、社会制度として保障されるからだ。国家は個人の権利を保障するために、各個人に他の個人の権利を尊重する義務を課さなければならない。もし、国家が弱体で、個人の権利を他人による侵害から守ることができなければ、自律した個人はあり得ない。

    しかし、一般的には、強力な国家というと、どうしても非民主的な専制国家がイメージされる。こうした理解からすれば、個人主義の実現のためには強力な国家権力が必要だという主張は、受け入れがたいものであろう。しかし、最も強力な国家とは、実は、民主国家なのである。

     こうした前近代社会の因習や階級の特権を廃止し、伝統的な社会の 桎梏 から個人を解放したのは、強大な国家権力であった。解放された自由な個人は、まず、近代的な大規模生産に必要な労働力を提供した。また、生産活動や技術革新に必要な潜在能力を開花させることができるようになった。近代経済のダイナミズムは、解放された個人の能力から発生したのである。  近代国家は、個人を解放し、社会の世俗化と平等化を進めただけでなく、国内の通貨や度量衡を統一し、近代的な産業組織や市場取引に関する法制度や教育制度を準備した。すなわち、国家が、大規模な自由市場を創設したのである。

    経済発展は、人々や企業が長期的な視野に立って、経済活動を行うことによって可能となる。しかし、時間的視野が長期になればなるほど、将来の不確実性は高まり、大胆な投資はしにくくなる。例えば、いつ何時、財産が略奪されるともわからないような状態であったら、三十年後を目指して設備投資をしようにも、リスクが大きすぎて、できないであろう。したがって、国家が私有財産権を法的に保障せず、権力によって恣意的に奪われるような可能性のある前近代的な社会では、経済発展はほとんど不可能なのである。

    また、国家という存在それ自身もまた、一つの巨大な経済活動の主体である。国家は、民間では担うことができないような、基礎的な科学研究や巨大な設備投資を行うことができる。国家の経済活動をファイナンスするのが、税や国債である。そして、課税や国債発行それ自体もまた、国内経済のパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。

    経済学によれば、国家は、「市場の失敗」の場合にのみ、経済に介入することが例外的に認められる。しかし、国家の経済における役割は、例外として扱える程度のものではない。近代産業経済においては、市場に委ねていてはできないことだらけである。しかもその「市場の失敗」は、近代経済にとって致命的…

    経済学の理解では、人間は、本質的に自分の経済利益を追求する動物である。そして、そのような利己的個人の活動の結果として、財の交換が行われ、市場という秩序が形成される。  しかし、この経済観は誤りである。実際には、人間は、経済利益にのみ動機付けられて経済活動を行っているのではない。そして、利己的に経済利益を…

    また、ビジネスマンが勤勉に働くのは、所属する組織のためであったり、仕事それ自体にやりがいを見出していたり、社会的に評価されるためであったり、あるいは勤勉それ自体が重要な価値であると信じているためである。人は、金のためだけに生きるのではない。

    経済学が想定するような、経済的利益だけに動機付けられている者もいないわけではないが、それは不道徳な守銭奴であり、異常な拝金主義者である。例えば、経済学者ジョーン・ロビンソンは次のように述べている。

    国家が法制度を通じて国家政策を執行する際、ネイションはきわめて重要な役割を果たす。なぜなら、ナショナリズムは、人々の感情に働きかける強力な力をもっており、国家はそのナショナリズムに訴えかけることで、国家政策を効果的に遂行できるからだ。  とりわけ、民主国家は、人々の国家に対する高度な信頼感を必要とする政治体制である。国家が自分たちのために存在するという信頼感が国民の間になければ、民主国家は機能しない。ネイションとは、まさにこの信頼感の強力な源泉なのである。だから、歴史的にみても、近代民主主義の思想が国民自決権の理念を伴っている。これは偶然ではなく、理由があってのことなのだ(Miller 1995:89)。例えば、フランス革命は、民主主義と同時に、フランスのナショナリズムを産み落とした。これは、民主国家は、ネイションによって支えられるということを端的に示す事例である。

    前章で述べたように、国家は、人民を統治するために、「権威」を必要とする。「権威」とは、その定義からして、人々に有無を言わさずに受け入れさせるものである。政治的権威は、人々を統合し、政治社会というものを成り立たせる。

    この「権威」としての役割を極めて有効に果たすものとして、「ナショナル・アイデンティティ」がある。  ナショナル・アイデンティティとは、人々が自由に選択することができず、生まれたときから背負わざるを得ないものであり、一種の運命として認識されるものである。逆に言えば、逃れがたい運命であると思われるからこそ、ナショナル・アイデンティティは、人間にとって重要な意味をもつのである。

    もう一度、日本国憲法第一条の意義を確認しよう。そこには、天皇は国民統合の象徴であると記されている。これは、まさに、天皇が国民を統合する権威であり、象徴であることを端的に宣言したものである。すなわち、日本は国民国家であり、国民を統合する「権威」または「ナショナル・シンボル」は、天皇だということである。護憲派が何と言おうと、日本国憲法の根幹にはナショナリズムがあるのである。

    これに対し、例えば、アメリカ合衆国は、自由や平等といった理念に基づいて建設された近代国家ではないか、という反論があろう。歴史が浅く、多様な人種から構成されているアメリカ合衆国は、エスニックな文化ではなく、自由や平等といったイデオロギーによって統合されているという見解である。  しかし、実際には、ピューリタニズム、独立革命、合衆国憲法そして建国の父たちのような歴史的象徴が、アメリカのナショナル・アイデンティティの核となっているのである。それらは、アメリカ人にとっては、聖なる神話なのである(Smith 1991:149-150)。

    要するに、国家というものは、近代においても、イデオロギーや理念といった理屈だけでは、国民を統合することはかなわないのだ。人々を動員して、大規模な政治共同体を構成し、維持するためには、どうしても権威そして象徴が必要になる。だから、抽象的なイデオロギーや普遍的な理念ですら、実際には、ナショナル・シンボルとして、文化的な性格を帯びてしまうのである。

    国家は、ナショナリズムに訴え、政策を効果的に遂行しようとする。その一方で、逆に、ナショナリズムが国家政策を動かし、国民経済を形成することも見逃してはならない。  例えば、多くの発展途上の国民国家においては、ナショナリズムに動機付けられたエリート層が国民経済を運営し、経済政策上の決定を行っている。明治の日本や、東南アジアにおける開発独裁と言われる体制が、そのわかりやすい例である。

    国民が政治に参加する民主国家においては、国民は自らの負担が増大するような政策に対しては、基本的に消極的である。このため、民主国家が、長期的な国益のために、国民に負担を強いるような政策を講ずることは、容易ではない。しかし、国民は、自分がネイションの一員であることを自覚し、ネイション全体や後の世代に思いを致すようになるとき、国全体の長期的利益のための政策を支持する。すなわちナショナリズムに鼓舞された国民は、弱い立場にある他の国民や後世のために、必要な負担や犠牲を甘受するのである。

    もちろん、ナショナリズムに動機付けられた国家が、誤った経済政策を採用したために、逆に経済成長を妨げたことは少なくない。しかし、ここで言いたいのは、次のような真理である。どんな経済政策にも、人間が行うものである以上、「動機」というものが必要である。そして、ナショナリズムは、その強力な動機なのだ。

    全体主義は、ネイションの力を過激化する。全体主義に陥ったネイションは、薬物を投与されたスポーツ選手のように、一時的に、悪魔的なパワーを発揮する。かつてナチス・ドイツは、手の施しようのない恐慌にあったドイツ経済を奇跡的に復興した。それは、そのケインズ主義的な経済政策と全体主義によって、ネイションの強大な力を引き出したことによるのである。  しかし、全体主義という過激化したナショナリズムは、攻撃的で排外主義的なものとなる。そして世界を敵に回して孤立し、最後には、自壊していく。成熟した市民社会を欠いたナショナリズムは攻撃的になりがちであり、仮借のない国際紛争や内戦に突き進む傾向があるのである。ナチス・ドイツがまさにそうであった。

    経済自由主義は、全体主義を防ぐものではなく、むしろ、その原因である。市場経済に対する社会防衛の運動が、大衆民主政治と結びつき、全体主義という解決策に訴えるようになるのである。

    国家は、軍事目的の観点から戦略的に重要な産業を保護し、振興するために、補助金、保護関税、国有化、優先調達、研究開発等の経済政策を活用した。これらの経済政策は国防に貢献するだけではなく、経済発展の触媒としての役割も果たした(Sen 1984)。また、政府による巨額の軍事支出は、それ自体が財政政策的に作用し、総需要を刺激するだろう。これが、いわゆる「軍事ケインズ主義」と呼ばれるものである。

    国土の気候、地形、風土は、そこに住む人々に固有の習俗や生活習慣を形作る。国土は、ネイションの物理的な生活環境であるだけでなく、ナショナル・シンボルでもある。例えば、富士山は日本のナショナル・シンボルのひとつであるが、山岳がナショナリズムと結びつくのは我が国に固有の現象ではない。一八七四年に創立されたフランスのアルペン・クラブは、「山を通じて、祖国のために」という標語を掲げている。

     国土政策の中でも、交通政策はネイションにとって際立って重要である。アーネスト・ゲルナーが強調したように、ネイションの想像は、人々の高度な移動性とコミュニケーションから作り出されるという側面がある。交通網の整備は、人々の移動とコミュニケーションを拡大し、ネイションの統合と連帯を強めるのである。ネイションの統合と協働の強化は、国力の向上につながり、政治力や経済力を高める。  それゆえ、ドイツの経済ナショナリストであるフリードリヒ・リストは、鉄道事業にも多大な関心をもっていたし、ドイツを統一した宰相ビスマルクも、イタリアを統一した首相カヴールも、ともに交通網の整備を重視したのである。

    例えば、エネルギー企業、通信サービス業、銀行業などは、私企業といえども、広く公的利益に貢献するものであり、国力の死活を握る場合すらある。こうした国全体の利益に直結するような産業に対し、外国の株主、すなわち自国に対する愛国心もなく、義務も一切負わない者が支配権を握ることは、安全保障上、望ましいものではない。こうした場合には、国家の介入が正当化しうる。経済自由主義者が父祖と仰ぐアダム・スミスですらも、「国防は、富よりもはるかに重要である」として、安全保障を理由とした国家介入を容認したのだ。

     国民通貨こそが、国民国家の自律的な財政金融政策を可能にし、経済運営能力を大幅に拡大するのである。国民通貨がなければ、ケインズ主義的な需要管理政策はもちろん、福祉国家の実現も不可能であるし、防衛、技術開発、国土整備など、大規模な政府支出を伴う政策は実行困難になる。そうなれば、国民国家が、自らの理想とする国民経済の姿を構築することもできなくなるだろう。  国民通貨を基礎にした金融政策は、内国債を基礎にした機能的財政政策と併用されることで、さらに国民経済運営の自由度を拡大する。例えば、東日本大震災発生時のような、大規模かつ急な政府支出の要請が生じた場合の対応を考えてみよう。政府は、国債を発行して国内から資金を調達し、財政破綻を恐れずに、被災地の復興のために必要なだけ、財政出動を行う。もし復興のための資金需要が民間の資金需要を圧迫するような場合には、金利が上昇するという弊害が起きる。その場合は、中央銀行が金融緩和によって資金供給を増加させたり、あるいは国債を市中から買いとったりすることによって、金利の上昇を抑制する。その結果として、もしインフレが起きるような場合には、増税や金融引き締めといった手段によって、インフレの昂進を阻む。このように財政政策と金融政策を組み合わせることによって、政府は、財源による制約から自由に、かつ副作用をできるだけ抑えながら、被災地の復興のために必要な資金を調達することが可能となるのである。

    多民族民主国家の成功例とされるインドやアメリカ合衆国ですら、注意深く検証する必要がある。例えば、インドは、パキスタンとバングラデシュの分離独立後は、ヒンドゥー教という宗教的・文化的な統一性をもっていると言える。しかし、そのインドも、これまでのところ、カシミール地方やパンジャブ地方の分離独立運動に直面している。その意味で、インドは、多民族国家における民主主義の難しさを示す例に含まれるものと思われる。

    より重要なのは、アメリカ合衆国の例である。この国には、多様性のイデオロギー上のレトリックにもかかわらず、実は、文化的画一化の強大な圧力が存在しているのである。  チャールズ・リンドホルムとジョン・ホールは、アメリカの個人主義と民主主義の価値と制度の中に、強力な文化的画一化への圧力を観察している。それは、新たな移民が持ち込んだ異文化を吸収し、画一化されたアメリカン・カルチャーへと転換する恐るべき能力を見せつけている。リンドホルムとホールは、この点を強調するため、ヨーロッパでよく言われるあるジョークに言及している。「アメリカ合衆国は、人々が自由に選択することを望んでいるが、それは、人々がアメリカのやり方を選択する場合だけである」(Hall and Lindholm 1997)。

    本書は、二〇〇八年に出版した『経済はナショナリズムで動く 国力の政治経済学』(PHP研究所) を大幅に加筆・改訂したものである。 『経済はナショナリズムで動く』は、経済理論及び経済政策に支配的な影響を及ぼしている構造改革、そしてその基礎にある経済自由主義を批判し、筆者が研究する「経済ナショナリズム」という政治経済理論を提唱したものである。そのほとんどの部分は、二〇〇八年の世界金融危機以前に書きあげられたものであった。

    本書は、こうした危機感に強く押されて書きあげられた。この本もまた、例によって、世の中の大勢に何ら変化を与えることはできないのかもしれない。それどころか、世間からあらぬ批判や誤解を受けて終わる可能性すらある。しかし、そういったことは、正しいと信ずることを発言しない理由にはならないと筆者は思う。自分の祖国が危機に見舞われているようなときには、なおさらである。

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    2024年06月21日
  • 新自由主義と脱成長をもうやめる

    Posted by ブクログ

    新自由主義のようなリベラルな考え方が、実は同じような価値観を押し付ける帝国主義的な考え方ではないか?と言う視点は面白いと思いました。
    とは言え、世界で盛り上がりを見せているナショナリズムが単純に正解と言うわけはなさそうですし、それぞれの国の文化や習慣と言った内的なものと、地政学など外的なものを、その国にとってベストな政策を選んでいく必要があると理解しました。

    個人レベルの話としては、グローバル化により株価は上がっても、実際に多くの国民は苦しんでおり、一人一人は弱い国民が団結して中間団体を形成し、資本家や国に立ち向かうと言う形が必要なのかもしれませんが、それも今やなかなか難しそうです。
    地域や業界など、人々の連帯と言うのはこれからの時代の一つの鍵になると考えていきたいと思います。

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    2024年06月02日
  • 真説・企業論 ビジネススクールが教えない経営学

    Posted by ブクログ

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    英語の言語としての大味さとか考えると、英語化は愚民化ってワードほんとそうだと思う。日本人に一番必要な能力は第一に国語力。その次に歴史とか数学とか幅広い知識教養が来て最後に英語だと思う。日本語を蔑ろにして、幼少期から英会話スクールとか通わせる親って残念ながら馬鹿しかいない。

    中野 剛志(なかの たけし)
    1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『奇跡の社会科学』(PHP新書)などがある。

    真説・企業論 ビジネススクールが教えない経営学 (講談社現代新書)
    by 中野剛志
    このように、一九八〇年代のアメリカの国家戦略がベンチャー企業とイノベーションの隆盛をもたらしたと論じます。その国家戦略のポイントは、教育政策と規制緩和であり、さらに外国から優秀な人材を取り込んだことにあると言うのです。ですから、彼が提案する「日本の挽回策」もまた、おのずとアメリカの国家戦略にならったものとなります。

    つまり、言語教育、より広く教育一般というものは、起業しやすい国にすることなんかよりも、もっと多くの、かつ優先順位の高い目的があるはずです。英語教育ももちろん大事なのでしょうが、時間に限りがある中で、子供たちは、英語以外にも、国語なり数学なり歴史なり、幅広い知識や教養を身につけなければなりません。特に、国語教育は英語教育よりも大切なのではないでしょうか。  それをビジネスに役に立つからなどという下品な理由で教育制度を改革しようなどというのは、おかしい。そういう常識的な判断が働いてしかるべきだと私は思います。

    英語教育ももちろん大事なのでしょうが、時間に限りがある中で、子供たちは、英語以外にも、国語なり数学なり歴史なり、幅広い知識や教養を身につけなければなりません。特に、国語教育は英語教育よりも大切なのではないでしょうか。  それをビジネスに役に立つからなどという下品な理由で教育制度を改革しようなどというのは、おかしい。そういう常識的な判断が働いてしかるべきだと私は思います。

    英語教育の問題については、九州大学の 施 光 恒 准教授の『英語化は愚民化』(集英社新書) を参照してみましょう。施氏は、経営学者の野中郁次郎氏の理論を参考にしつつ、次のように述べています。 新しく何か(理論でも、製品でも、あるいはセールスのやり方でも)を作り出す時は、必ず、新しい「ひらめき」や「カン」「違和感」のような漠然とした感覚(暗黙知)を試行錯誤的に言語化していくプロセスが求められる。このプロセスを母語以外の言語でやることはほぼ不可能だ。日本には、母語である日本語で新製品の開発という高度に知的な作業を行う環境が整っていたからこそ、日本の製造業は発展し得たのだと言えよう( 2)。

    これは、製造業の話だけではありません。施氏はさらに、中国や韓国よりも日本の方が自然科学分野のノーベル賞受賞者が圧倒的に多い理由について、中国や韓国の高等教育においては、自然科学の教材が英語であり、専門書も母語に翻訳されていないものが多いからではないかと指摘しています。というのも、母語で考えた方が、深い思考が得られるからです。また、大学教育がおおかた英語で行われるインドでは、近年、英語での教育が若者の創造性を奪っていることから、インドの言葉で教育を行うべきだという議論が高まっているそうです( 3)。

    赤羽氏は、日本の「製造大企業・中堅企業には膨大な技術シーズと人材が埋もれており、活用次第で大変な力を発揮できる」と述べていますが、彼が提唱する「(企業の) 英語公用語化」は、その膨大な技術シーズと人材を破壊するものとなるのです。

    というのも、中国やインドの自然科学の教育が英語に依存し、そのせいで若者の創造性が奪われていると言っても、それはあくまで一般論としての話です。何も中国やインドの学生全員の創造性が失われているというわけではないでしょう。英語が達者で、かつ高い創造性をもった優秀な人材も、中にはいるでしょう。中国やインドの英語での高等教育「のおかげで」ではなく、「にもかかわらず」、創造性を獲得することができた例外的に優秀な人材がいるというわけです。そうした少数の人材が、シリコンバレーに向かっているだけに過ぎない。そう考えれば、何も不思議なことはありません。

    アメリカの若者が高校を卒業する比率は、一九〇〇年には一〇パーセント以下でしたが、一九八〇年までに八〇パーセントに増加しました。ところが、それが二〇〇〇年までに七四パーセントに下がっています。アメリカの高卒以上の比率は先進国中一一位であり、しかも二五~三四歳までの高卒以上の比率が五五~六四歳までよりも低い唯一の国になってしまいました。また OECD(経済協力開発機構) が一五歳を対象に実施する国際学力テスト PISA でみると、二〇一二年のアメリカの順位は、読解力が二四位、科学が二八位、数学が三六位でした( 9)。ちなみに、日本は読解力が四位、科学が四位、数学が七位となっています。

    アメリカのベンチャー企業の実態について、もっと詳しく知るために、『〈起業〉という幻想』という本を参照しておきましょう。著者はスコット・シェーン、ケース・ウエスタン・リザーブ大学教授で、ベンチャー企業研究の第一人者です。  先ほど、開業率の統計データによって、一九八〇年代以降のアメリカは、ベンチャー企業が生まれにくい国になってしまったことを明らかにしました。シェーンもまた、統計データを駆使して、ベンチャー大国アメリカという神話を打ち砕いていきます。

    さらにシェーンは、アメリカの典型的なベンチャー企業の実態について、次のように述べています。いずれも、世間一般で抱かれているベンチャー企業のイメージからはほど遠いものです。 ・起業家たちの起業の理由で最も一般的なのは、「他人の下で働きたくない」というものだった。 ・仕事をしばしば変える人、解雇された人、お金があまりない人の方が、起業をする傾向にある。 ・典型的なスタートアップ企業というものは、全然イノベーティブではなく、成長の計画もなく、雇っているのは一人ぐらいで、年収は一〇万ドル以下である。 ・ベンチャー企業の平均寿命は五年以下である。起業してから七年以内に新規ビジネスが軌道に乗るのは、全体の三分の一程度に過ぎない。 ・新規ビジネスのパフォーマンスは、既存ビジネスより良いわけではない。むしろ、企業の寿命が長くなるほど、パフォーマンスは改善していく。 ・典型的なスタートアップ企業は、創業者の貯蓄から資本を捻出している。また、新規企業に対するファイナンスは、平均すると、商業銀行からの融資と出資が半々である。ベンチャー・キャピタルからの資金は、全スタートアップ企業の約〇・〇三パーセント以下であり、全中小企業金融の二パーセント以下を占めるに過ぎない。 ・起業を決断するのは、若者よりも、中年男性の方が多い。 ・典型的な起業家は、サラリーマンよりも長時間働くが、稼ぎはより少ない。それでも起業する人は、チャンスに対して過度に楽観的であるとか、あるいは人の下で働くのを心底嫌がっているといった理由による。 ・スタートアップ企業は雇用をあまり創出しない。創業から一〇年以上の企業で働く労働者は全体の六〇パーセントになるのに対し、創業から二年以内の企業で働く労働者は全体の一パーセントに過ぎない。  以上のような…

     しかも、アメリカ政府が開発したのは、インターネットだけではありませんでした。  例えば、アイフォーンは、スティーブ・ジョブズが生み出したとされます。しかし、アイフォーンに内蔵された GPS やタッチ・スクリーン・ディスプレイに至るまで、その機能を支える新しい技術は、どれもこれも、元をたどれば、国家による開発に由来しているのです。  あるいは、グーグルの開発者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが初めて起業した際、彼らは国防総省の支援を受けていたし、二〇〇五年のロボット自動車競争の際には、やはり国防総省から賞を得ていました( 17)。

    人を見るということについては、江戸時代の儒学者・荻生徂徠 が、実に興味深いことを述べています。二五〇年以上も前の言葉ですが、人材の目利きに関して、これにまさるものはないと私は思います。  徂徠によれば、人をただ見ただけでその器量を見抜くなどということは、誰にもできはしません。 されば人を知るというは、いかようにして知るぞというに、その人を一日まぶりおりたればとて、その人の器量は知れぬ事也。然るに愚なる人は、大将の目がねといいて、名将は一目みても器量ある人を知るなどいうように覚ゆる也。それを愚なる人は誠と心得、己が眼力にて器量ある人を見出さんとす。占か神通に非んば知れぬ事也( 33)。

    人間の能力というものは、「潜在能力」と言われるように、潜在していて、外からは見えない面がかなりあるという特徴があります。潜在能力は、顕在化しないと評価できません。しかし、人の潜在能力が顕在化するためには、少なくとも、その人を長い年月をかけて評価する必要があります。また、その人が置かれた状況によって、どのように行動したのかを観察する必要もあります。

    例えば、技術開発の現場では、あまりぱっとしなかった技術者に、試しに技術開発部門の管理業務を任せたところ、優れた才能を発揮したなどということがあるでしょう。あるいは逆に、部下としては優秀だった社員が、出世して管理職になったとたんに、マネジメント能力のなさを露呈するといったことは、よくあることでしょう。

    高学歴である上に明るい性格で、情熱もあるように見えるので、大いに期待して採用した社員が、仕事をまかせてみたら、からきし駄目だったなどということもあるでしょう。会社の業績がうなぎ上りである間は輝いて見えた出世頭の幹部が、会社が危機に陥ったとたんに、責任逃れを繰り返し、かつ本人も鬱になって、何の役にも立たなかったなどということもあるのではないでしょうか。

     人と人との相性の問題もあります。うだつの上がらなかった社員が、ある部署での優れた上司との出会いによって、その才能を開花させるということがあります。無能な上司の下で才能を発揮できずにくすぶっている隠れた人材というものは、どこの会社にもいるものです。

    「東洋経済オンライン」に「大企業からイノベーションが生まれない理由」と題したインタビュー記事があります。インタビューを受けているのは、第三章でご登場いただいたベンチャー・キャピタリストの伊佐山元氏。インタビュアーは東洋経済オンライン編集長の山田俊浩氏です。

    実際、アメリカは、軍事関連の技術開発や宇宙開発といった非営利目的のために、膨大な予算を投入し、営利企業ではとうてい不可能な画期的な技術を生み出してきました。国家は膨大な予算と人的資源をもっているので、民間企業では経済性の限界から挑戦することができないような技術開発であっても、着手することができます。もちろん、国家予算の限界はありますが、安全保障というミッションは、資源動員の「理由」としてはきわめて強力なものです。予算を出すのが惜しいから、敵国に侵略されてもよいとは、普通は考えないからです。

    共同体とは、家族や故郷に典型を見るように、それに属する個人の愛着の対象であり、アイデンティティの一部です。その集団に属することに愛着を覚えないようであれば、その集団は共同体あるいは共同体的とは言えません。例えば、夫が妻子に暴力を振るうようでは、家庭は崩壊して、共同体ではなくなってしまうのです。  さて、自分の個性を排除し、圧殺するような企業の社員は、その企業に愛着をもつでしょうか。もちろん、もちません。愛着や帰属意識をもてないような企業は、共同体的とは言えないのです。  共同体的な企業とは、社員が勤務することで愛着や一体感を覚えるような企業のことです。なぜ、愛着を覚えるのかと言えば、それは、その企業の上司や同僚や部下が、自分の個性を認知してくれるからです。社員を「個」として認めるような深い人間関係のある企業こそが、「共同体的な集団」なのです。

    このことを理解するために、企業という共同体的な集団に属しない「個」がどう評価されるのかを想像してみてください。人の個性は、外形から短期間で理解できるものではありません。長い付き合いなしに人を判断するには、その人の資格や学歴、あるいは稼ぎといった外形標準で決めつけるしかありません。しかし、人間を、学歴、資格、稼ぎなどという形式だけで判断するのでは、「個」を尊重することにはならないでしょう。  学歴や資格といった外形標準で人間を分類し、振り分けるということは、言うならば、人間を「標準化」し、「モジュール化」するということです。つまり、「君でなくてもいいよ。他に取り換えがきくから」というように扱われるということです。

     ベンチャー企業とイノベーションについて、これまでの議論によって明らかになった事実を、五つのポイントに絞ってまとめるならば、次のようになります。 ①アメリカはベンチャー企業の天国ではない。 ・アメリカの開業率は下落し続けており、この三〇年間で半減している。 ・一九九〇年代は、 IT 革命にもかかわらず、三〇歳以下の起業家の比率は低下ないしは停滞しており、特に二〇一〇年以降は激減している。 ・一般的に、先進国よりも開発途上国の方が起業家の比率が高い傾向にある。例えば、生産年齢人口に占める起業家の比率は、ペルー、ウガンダ、エクアドル、ヴェネズエラはアメリカの二倍以上である。日本の開業率も、高度成長期には現在よりもはるかに高かった。 ・アメリカの典型的なベンチャー企業は、イノベーティブなハイテク企業ではなく、パフォーマンスも良くない。起業家に多いのは若者よりも中年男性である。 ・ベンチャー企業の平均寿命は五年以下である。うまく軌道にのるベンチャー企業は全体の三分の一程度である。

    ②アメリカのハイテク・ベンチャー企業を育てたのは、もっぱら政府の強力な軍事産業育成政策である。 ・シリコンバレーは軍事産業の集積地である。 ・アメリカ政府は、軍事産業の育成の一環として、ハイテク・ベンチャー企業に対して公的な資金の供給を行ってきた。 ・IT はハイテク・ベンチャー企業の隆盛をもたらしたが、その IT は、インターネットをはじめとして、軍事産業から生まれたものである。 ・ベンチャー・キャピタルというビジネス・モデルは、軍に由来する。

    ③イノベーションは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる。 ・イノベーションを起こすには、そのための資源動員を正当化する理由が必要になるが、そうした理由を共有できるのは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係である。 ・個人を活かすのは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係である。 ・イノベーションの推進力となるのは、営利目的を…

    ④アメリカは一九八〇年代以降の新自由主義的な改革により金融化やグローバル化が進んだ結果、この四〇年間、生産性は鈍化し、画期的なイノベーションが起きなくなる「大停滞」に陥っている。 ・金融化は、企業の短期主義を助長し、長期的な研究開発投資を忌避する傾向を強めた。 ・金融化により、ベンチャー・キャピタルは投機により短期的な利益を狙うようになり、もはやリスク・マネーを供給する主体ではなくなった。 ・グローバリゼーションは、人材や技術のアウトソーシング(オフショアリング) に拍車をかけ、アメリカのイノベーションを生み出す力は空洞化した。 ・オープン・イノベーションは、企業の短期主義の結果であり、イノベーションを…

    ⑤日本は一九九〇年代以降、アメリカを模範とした「コーポレート・ガバナンス改革」を続けた結果、アメリカ経済と同様に、長期の停滞に陥っている。 ・日本の「コーポレート・ガバナンス改革」は、アメリカのビジネススクールで洗脳された官僚たちが主導している。 ・日本の「コーポレート・ガバナンス改革」は金融化やグローバル化を推進し、日本企業を短期主義的にする結果を招いている。 ・「コーポレート・ガバナンス改革」によって、日本はイノベーションが起きない国へと転落する。 ・一般に流布している…

    以上が、ベンチャー企業とイノベーションについての「恐るべき実態」なのです。  ところで、私は、読者の方に起業をあきらめて欲しくて、このような「恐るべき実態」を暴露したわけではありません。  冒頭で述べたとおり、起業するのだとしても、少なくともベンチャー企業やイノベーションの実態については知っておくべきだと思うから、本書を書いたのです。この「恐るべき実態」を知った上で、それでもなお、やむにやまれぬ…

    そこで、どうしても起業したいという方のために、お役に立つかもしれない助言をして、本書を締めくくりたいと思います。  もしあなたが、ベンチャー企業の創業者になったら、「会社を大きくする」「利益率を高める」「業界ナンバーワンになる」あるいは「株式市場に上場する」とかではなく、「会社の寿命をできるだけ長くする」というのを会社の目標に掲げてはいかがでしょうか。  あるいは、もっと大胆に「会社…

    本書で強調したように、イノベーションを殺す病の元凶は、短期主義にあります。だから、短期主義とは逆に、「長期主義」を企業目標に掲げるのが良いと思うのです。もっとも、会社をできるだけ長く存続させるというのは、決して守りに徹するということではありません。その反対に、常に先を読み、…

     実際、百年あるいは二百年以上も続く老舗企業を調べると、硬直的で守旧的であるどころか、環境の変化に柔軟に対応し、イノベーションを起こし続けることで、生き延びてきたことが分かります(102)。柔軟性と…

    したがって、老舗を目標に会社を経営すれば、目先の利益に安易にとらわれることなく、長期的な視点に立って、従業員を大切にし、顧客との信頼関係を大事にするようになり、ひいてはイノベーションを起こすことにも成功するのではないか。そう思うわけです。  ちなみに、日本には創業二百年以上の企業がおよそ三五〇〇社もあるそうで、これは世界でも突出して多いのだそうです(103)。日本は、世界に冠たる老舗大国なのです。  ですから、日本で起業し、イノベーションを起こそうと考えている方には、「ではの守」のようにアメリカのベンチャー企業の幻を追いかけるのではなく、日本らしく「老舗の創業者になってみせる」という大きな夢を抱いてほしいと思います。

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    2024年06月04日