ゲイのジャーナリストであるのに、現代の正義、あるいはポリコレに意義を呈する作家の、欧州移民問題(偽装難民による欧州占拠)の書。内容はどれも解決策の無い欧州の状況が書かれいる。
この問題の起きた原因として著者はつぎのことを挙げている。
・戦前のファシズム台頭の記憶・トラウマ・反省と、キリスト教に由来する人権、人道主義の発露による他者への救済思想の過剰とゆがみ。
・その人権思想の政治利用及び、「人種差別主義者認定」への恐れ。
・為政者の国民感情、生活への無関心。社会予測の失敗(難民ではなく低リスクで手に入れられる「良い生活」を求めた人々が多量に押し寄せた/難民はしばらくしたら母国に帰ると思っていた)。
・杜撰な実行プランとプロセス(欧州の国境に入ってからの「難民審査」、さらには「難民審査」そのものの免除)。
・そのほとんどがイスラム教徒で、イスラム教という宗教が抱える根本的な問題を考えなかった(キリスト教社会欧州に同化することはない。むしろその社会を分断する)。
アメリカやカナダ、オーストラリアを含め先進国はことごとく欧州と同様の状況にあるともされているので、日本もこの問題が起きないか心配になる。
但し、日本は他の先進国と違う部分もあるとも考えられる。ひとつは、法律上移民がかなり限定的なので、イスラム教徒移民の数、割合が相当少ない。また、移民と難民受け入れというのはキリスト教由来の人権思想がそもそもの由来と(本書では)されている(イスラム教及びイスラム教徒を否定してはならない)が、日本は人権思想はあってもキリスト教そのものの影響力は相当限定的だ。さらにそのキリスト教も欧州では信仰が薄くなり、それに伴った所謂「生きる意味の喪失/ニヒリズム」が醸成されイスラム教に改宗するものも出てきたと本書て示されている。が、対して日本人はそもそもキリスト教以外でも信仰心が相当薄く、「生きる意味」についてもそれほど深刻に考えない国民性がある(もしかするとそこには仏教的な考えが後押ししているかも知れない)。それでいて多くの新興宗教事件の影響もあって「宗教」に対しては相当な警戒心を伏せもっている。とはいえ欧州はじめ他の先進国からの影響や政治圧力という部分で言うと、日本はかなり抵抗力が無いため、「移民受け入れ」や「ポリコレ」などのトレンドの影響が今後も限定されるとは限らない。
各国でベストセラーになった本書が執筆されたのは2017年であり、現在はそれから6年もの歳月が流れた。その後の世界では、移民政策の議論と欧州各地での散発的な凶悪事件(テロと認定されるものも)が起きた。しかし本著者でもおそらく想定出来なかった大事件、世界的パンデミックとウクライナ戦争が数年の間に世界に大異変を起こした。国境問題はあっという間に各国に前代未聞の「壁」を作り、全く別の次元の話になり、移民(難民)問題はイスラム教徒ではなくウクライナ人の話になった。この二つは「国境の意義」というものを人々に考えさせる「天啓」になり、おそらく「後に母国に帰って行く難民」という本来の姿の実例となるであろう。これは本書が示した難問へのヒントとなるかもしれない。
現在大量に移民を受け入れるEU。EU発足時、ローマ法王は憲章にキリスト教についての文言を入れてほしいと提案したが、これは拒否された。憲章には権利、法、制度が明記された。しかし移民問題が増えるこの共同体の憲章にキリスト教についての文言が無いのは良いのか。「人権」という概念を生み出したのはキリスト教なのだ。『鳩が空気の無い場所で飛べば、風の抵抗が無くもっと良く飛べるのではないか?しかし実は風があるから鳩は飛べるのだ(カントの鳩)』←キリスト教の文言を入れないEUはこれなのではないか。そしてこの問題は未解決の状態で棚上げされている(議論されていない)19
欧州の移民は戦後、その都度の予想をことごとく大幅に裏切る形で増大し、現在に至る。英国の保革両政党は互いに政権交代を繰り返しつつも、移民問題を根本的に議論しなかった。そこには政治家たちが移民問題を議場に乗せると自らの政治生命、キャリア、日々の生活が窮地に陥ると考えたから。保守党のボリス・ジョンソンも「(移民は)もはや止められない事態」と発言し「受け入れて、ただこれを乗り切れ」と提案した(これはつまり、我々は無策で、この問題の解決策は無いと言っていること)。60
移民制作のデメリットを語ることがタブー化し、移民問題により文化の破壊が起こることについての議論はされてこなかった。この問題はさらに尖鋭化して、「これは英国が過去に植民地を作り、住民を搾取し、その地の文化をことごとく破壊したことのカルマだ」とすら主張する元植民地移民の子孫までが出はじめてきた。68
「移民は経済成長に必要だ」⇒現実は、移民による経済的利益はほとんど移民自身に還元される。過去の税負担無しにいきなり移民先で生活し、公共施設の利用と福祉を享受、出身国よりも高い賃金の恩恵を受け、稼ぐ金のほとんどほ移民先ではなく家族のいる出身国へ勧げされる。労働人口が増えるので当然「国のGDP」は成長するが、個々人の豊かさの指針「国民1人当たりのGDP」が改善される証拠は一つも無い84
「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」⇒それより、本来の国民の出生率低下を対策すべき。それより、若者失業者が多いのにブルシットジョブを嫌う社会を対策すべき。それより、高齢者の就業を斡旋すべき。移民もいずれ高齢化して現在の問題がさらに大きくなる93
「多様性は良いものだ」⇒まず多様性を得たいなら移民が特定の国に片寄っている(例えば旧植民地住民)ことに矛盾がある。多様性のメリット(多く語られるのは料理のことばかり)だけでなくデメリットも検討すべき。欧州ではイスラム教徒移民による白人少女への集団レイプが複数起こっている。これは移民(女性に価値を見出ださない文化の住民)の文化デメリットの関係が明らかであった。しかし警察、マスコミは「人種差別主義者レッテル」を恐れ公表が忖度規制されていた。このことから多様性デメリットは表に出づらい、または判明まで時間がかかる。「斬首やレイプは少し増えるかもしれないが外食の選択肢はずっと広がるぞ」102
「グローバル化が進む以上、移民は止められない」⇒その原因は入国が容易で、入国すれば保護され厚い福祉と安全(少なくとも出身国よりはるかに)が保証されているのが移民希望者に知られているからだ。これはキリスト教文化の福音精神が由来している。だが規制は可能だ、現に日本は成功している。ただそのためには自国文化精神の一部(福音主義)の変革が必要かもしれない。また、欧州では「移民問題」が長年国民の政治的感心の第一位になっている。この状況で「打てる政策は何も無い」という政治姿勢は危険だ。これでは極右政党の躍進、ひどければ街頭での暴動などが起きかねない。実際、移民政策を推し進めた政府アドバイザーのサラ・スペンサーは最終的に「同化のための政策は存在しなかった。私たちはただ移民が同化するものと信じていた」と認めた107
2000年代ヨーロッパで移民政策の混乱から、多文化主義批判が徐々に出始める。最初の発言は、その国の少数コミュニティ出身の議員から(このデリケートな問題を発言しやすい)。「名誉殺人」と「女性器切除」の二つのワードが、受け入れがたい文化の象徴として取り上げられた168
20世紀後半欧州では移民たちは同化せず同族コミュニティで暮し、その国の文化に馴染まず、また欧州人も気にも止めなかった。9.11が起きると欧州人から移民への不安が湧いたが、政治家は「差別主義者」の汚名を恐れ、移民祖国の文化・歴史を改竄して「多文化主義」を誉めそやした。例えばスペインコルドバのイスラム統治やイスラム教国で発明されたものを称賛。しかしイスラム教はそれらを背負いきれずにすぐに破綻した。また、移民祖国への称賛が無いか足りない場合、ヨーロッパ自国の文化が無いか貧弱だとうそぶいて、相対性に移民祖国の文化の素晴らしさを強調した。
これらの事案に常につきまとう問題は、政治家の考えと、一般市民の感情・心配事が解離しているということ。政治家の行う対処両方的な政策は常に効果を出さず、その傍らでイスラム教徒の移民数は予想(これも政治家の見解)を遥かに越える増幅をする。このため解離は益々進み、大きな政治的混乱が今起こっている172
1973年にジャン・ラスパイユによって書かれた『キャンプオブザセイント(日本未訳)』は、欧州でベストセラーになるとともに多くの批判(人種差別主義者)を浴びた。しかしこのデストピア小説は現代の欧州移民問題についての"特別な不安"の黙示録的内容となっている。内容は、ベルギー政府が「アフリカアジアの難民の子供を受け入れる」と発表したあと、とんでもない移民が船で欧州に押し寄せ、欧州が崩壊するというもの。この小説は各地で有害図書扱いを受けたが、発表から数十年経ち、リバイバルし、再版し始める。そして、現在現実に起こった様々な移民による事件は、数十年前この小説て書かれた「最も誇張された過激な表現」を上回る内容になってしまった185
2000年代初頭まで、移民問題は人種の問題とされてきた。しかし最近になって、実は移民問題は宗教の問題だということが浮き彫りになってきた201
他国にかなり先駆けてオランダでは、1997年評論家ピム・フォルタイン(リベラル派)がイスラム教徒とオランダ人(ヨーロッパあるいは自由主義国)が根本的に融合出来ないと著書で語った。理由は大きく二つ。一つはイスラム教が政教分離出来ないこと。もうひとつはイスラム教の性差に対する姿勢が相容れないこと。その後フォルタインは政党を作り躍進して、「自分が殺されれば、その責任は私の理論に反対したものたちだ」と言って、そのとおり暗殺された214
フォルタインの友人で映画監督のゴッホ(テオの曾孫)は彼の意を汲み、イスラム教世界で虐待された女性たちのドキュメンタリーを作り社会に衝撃を与えた。そして次にフォルタインの映画を作ろうとしたが、彼も暗殺される。ドキュメンタリーの脚本を書いたのは、自身も虐待に合った(世紀切除・強制結婚)アヤーン・ヒルシ・アリというモロッコから亡命した女性。秀才だった彼女は彼ら二人の意志を継ぎ、イスラム教の問題を命を張って訴え続ける政治家になった。221
1999年バチカンで行われた会議でイスラム教学者が言った言葉「我々はあなた方の民主主義を用いてあなた方を侵略しよう。我々の宗教を用いてあなた方を支配しよう」229
「カートゥーンクライシス」イスラム教(とりわけアラーを描いた)を題材にマンガ・風刺画を描くと死刑宣告対象になるあの一連の事件を社会問題としてこう呼ぶ。デンマークでは幼児向け「世界の宗教」の絵本を描いたら、大使館焼き討ちと画家の住居侵入、殺人未遂が起こった235
イスラム教における「神への冒涜(アラーを絵に描くこと・同性愛者が存在すること)」が21世紀のヨーロッパの主要な文化問題と治安問題になった。これは20世紀末に人権のために移民政策を進めたリベラリストや政治家が全く予測出来ないことだった238
イスラム教での「(穏健派やリベラルな)改革」は10世紀のムータジラ派から、20世紀のアリ・ダシュティまで、ことごとく原理主義者の実力行使や論争や権威への訴えで打ち負かされた。
ムータジラ派は、コーランが無くとも絶対神が存在するので、コーランに頼らず信仰すべきというもの。数世紀後には無くなった。
アリ・ダシュティはイラン革命直前までのイランの学者・政治家。やはりコーラン否定派で、コーランはそもそも正確ではない(ムハンマドの言葉を正確に伝えてない部分がある)し、その内容は主にユダヤ教を元に仏教、キリスト教をも参考にして作られたもの、との見解を持つ。コーランだけに頼らず、真に神と向き合い真実を追及すべきと考えていた。そして「イギリスのスパイ」認定された242
欧州へのイスラム教徒移民は、出身国で明示的、暗示的に聞かされた「欧州にとどまれ。そして欧州人になるな」の助言を心に留めていた243
シリア難民を欧州は無限に柔軟な態度で大量に受け入れてきた。しかし同じイスラム共同体(ウンマ)のクウェート、バーレーン、カタール、UAE、サウジアラビア、オマーンの湾岸6ヵ国(石油算出富裕国)は2016年まで、ただの1人も難民を受け入れなかった。「わが国は物価が高く難民向きじゃない」との理由をつけて、自国で起こる問題や混乱を避けるために249
ヨーロッパ(オーストラリア、アメリカ、カナダ含む)は植民地やナチスのことで国家を挙げて罪悪感を背負っている。これはその国々の国民のあらゆる行動を締め付けている。彼らは当時それらに加担してないし、イギリスなどはむしろナチスと戦ったにも拘らずだ。対して、オスマン帝国はヨーロッパで侵略と大量虐殺を行った。しかしトルコ共和国はそれを謝罪しないし、トルコ国民はそれを罪悪感として背負っていない。しかもキプロス島を未だに占領していて、苦しむアルメニア人がいるが、その事を国内で語ると反逆罪で逮捕される。欧州は「この普通のこと」に並外れた罪悪感を持った奇妙な場所だ269
イギリスの舞台監督アンドリュー・ホーキンスは2006年、自分が奴隷商人の末裔だと知り、他の末裔たちとともにガンビアを手枷と鎖に繋がれて「本当にごめんなさい」というプレートを下げて練り歩き、最後はガンビア国民がいるスタジアムに入り、当国大統領から恩赦と鎖解除のパフォーマンスをした。
先祖の植民地政策や奴隷制度についての罪悪感は、現代欧米人にとって「麻薬」である。みなこの罪悪感が好きで耽っている。272
移民問題からパリ同時多発テロを経て、欧州で(特に移民の多いドイツで)多数の移民によるレイプ事件が過去おもてざたにならないよう図られていたことが発覚した。そのなかノルウェーでは『移民のための女性への接し方講座』が開かれ話題となった。「女性が微笑んだり、スカートをはいているだからといってレイプして良いわけではない」という内容303
戦後欧州では反ファシズムが社会のあらゆる基盤だった。しかし数十年が過ぎると欧州の社会にはファシズム的なものがほとんど無くなってしまった。これに一番困ったのは反ファシズム運動の人々だった。そこで反ファシストたちは、少しでもファシズム的なもの(人種差別に抵触しそうなもの)をどんどんファシズム認定していき、ついにはファシズムでも何でもないものをファシズム認定することになった。これは議論や検証がほぼ必要ないので非常にコスパの良い政治社会活動だった。370
イスラム教徒移民を見過ごせないのは、不可知論者が増えた欧州で、全く人生観が違う人ーそれどころかぶつかり合う人が大量にやってくるという危険があるからだ398
不可知論者と、人生について心の拠り所を求めてしまう欧州人が増える中、イスラム教に行き着く者が現れるのは必然的。それはイスラム教は他の宗教と違い、その内容の検証と分析において「威嚇と殺人の世界的キャンペーン」を行っている効果による。その結果、ムハンマドの教えというものは本当に神聖化され、嘲りや批判を一切受け付けない「現代社会で唯一のもの」になったからだ。405
芸術が宗教に代わる可能性については、ほぼ無くなった。ジャネット・カーディフもアントニー・ゴームリーもゲルハルト・リヒターも過去の芸術の模倣(剽窃)でしかない。そこにはアートの終焉、あるいは結果的に我々人類が求めて、依り代にしてきた「あらゆる文化」というものは終わって、無意味なものと結論された。417
そのなかで著者が唯一芸術的に評価しているがウエルベックの『服従』。ある意味この作品が評価され、ベストセラーになったことを希望の萌芽と見ているよう。429
欧州が大量の難民受け入れを決めた大きな理由は、シリアの内戦だったが、押し寄せる難民のほとんどがイラン、パキスタン、北アフリカあたりからの移民である。シリア人はほとんどいない。これは人道上パスポートや身分証の提示が否定されたため、誰でもが欧州に入れる環境になっているため。それと、自分たちには理解不能だがなぜか「欧州の人道主義」というものがあり、他人で異教徒の自分たちにも手厚い福祉が与えられる、という情報を移民たちが得ているから435
自分も「子供たち」と主張する、「キリスト教徒に改宗した」という詭弁を使う、これらを行えば保護と福祉を受けられやすいことは移民たちに知られているテクニックだ。「子供たち」の中には30才の人間が含まれている445
リベラルな移民政策を追及すれば、リベラルな社会が失われる450
本書執筆時(2017くらい)でイギリスの新生児の名前ランキング1位は「モハメッド」476
ペイパーバック版あとがき(2018/03)
欧州でバックラッシュも起き始めていて、その中心はオーストリアなどの旧東側諸国506