需要があるところに
投資するのではない
投資があるところに
需要を育んでいくのだ
一言にするとまさにこうした旨になるでしょう。
インフラって結局何で必要なの?
今の政治がおかしいと思うけど、何がおかしいの?
ということを知りたいあなたにおすすめです。
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以下、個人的雑記となります。
時間の許す方のみ、お付き合いくださいませ。
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藤井さんのお話は、動画でも著作でも数多く見知っているところでしたが、大石さんの著作は今回初めて読ませてもらいました。江戸時代から治水事業をなしたり、信長が天下を取るために、食料補給の観点などから、当時誰も思いつかなかった道路整備に取り組んでいたことなど、さまざまな角度から説明されていて、感動させてもらいました。
特に、ちょうど近頃、主水(もんと)さんが江戸に水を引いた治水事業の件を読んだばかりでしたので、感情移入もひとしおです。
テレビゲーム「絶体絶命都市」シリーズを遊んでいたときから、私たちが得られるエネルギーというものは、決して当たり前ではなく、当然ながら、まずはこの大自然が与えてくれる恵みが初めにあって、それを私たちは刈り取ったり、汲み取ったりしてお借りして、それを運ぶ人がいて、届けてくれる人がいて、ようやくそれらにありつくことが出来るのだと・・・幼時分ながらにぼんやりと肌で感じていました。
あのとき思っていたことは、史実に則り考えてみると、ますます大切なことだなぁと思いを深めるばかりでございます。
当然、自然が、読んで字のごとく、自ら然りとしていられる様保つためには、人が手を加えすぎないことが必要です。一方、全く手を加えない場所というのは、荒れていると例えるのは正確ではないですが、少なくとも、人が住むには適さない様になってしまいます。
持続可能な開発という、SDGsのような矛盾した建前に陶酔していると、これらの合間をとるということをせず、極端に、自然のために人間は死ぬべきだとか(ビルゲイツ氏のTEDでの発言は完全にこれでした)、逆にもっと開発して自然を人間の支配下に置いてやるとか、そういうことに走ろうとするのです。
実際、美辞麗句で偽善を誤魔化している再生可能エネルギー事業によって、自然は著しく傷つき、汚染されています。土砂災害に巻き込まれ、破損したメガソーラーパネルのリチウムが流れでた場合の土壌は、大変な被害を受けます。そもそもあのパネルは日光を浴びる限り、破損しても発電を続けるので、すぐさま消火することが出来ず、日暮れを待たなくてはならないという、安全保障上、極めてお粗末な始末となってしまっているのです。
そんなことも、ネット上では検索すればいくらでも出てきても、官僚に忖度するメディアは一切報道しません。自分で考えて、自分の哲学や意見をしっかり持つことの大切さを改めて実感しました。それが今の時点では正しくなくても、何度でも改めながら、真摯に、誠実にあることを目指し続けるなら、いつか誰もが夢見た、強くて優しい、人間らしさそのものにたどり着けるはずですから。
過去に、大昔に、
人間はとっくにそうなれていたはずのことを思えば、
まさしく___
「懐かしい未来」にたどり着くといったところでしょうか。