南條竹則のレビュー一覧
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ラヴクラフトの文章、語り口は読みにくい。それは、おそるべき恐怖を味わった語り手が自らの体験を逡巡しながら語るという構造になっているから、と(恐らく)ラヴクラフトの文体のせいかと思う。なのでなかなかまどろこしくも感じるのだが、一旦真相が明らかになりはじめると、そのおもしろいことおもしろいこと。なんという想像力、世界構築力! 「古きものら(古のもの)」「ショゴス」「大いなる種族」「先住種族」広大な石造都市。よくぞここまで微に入り細を穿って構想し、描写してみせるものよと驚嘆する。昔栗本薫氏が『魔界水滸伝』で書いていたのだが、本当はクトゥルー神話はラヴクラフトの創造ではなく、すべて事実(真実)で、ラヴクラフトは見たままを書記し報告したにすぎない、というのももしかしたら本当ではないかと思ってしまう。
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クトゥルフ神話の世界観に興味を持って読んでみたらこれは楽しい。
歴史的ホラー作品を楽しいと言ってよいのか分からないけど、でも楽しい。仰々しい文章表現は新訳のおかげでそこまで読みづらくなくて、逆にクセになりそう。特に表題作が気に入りました。
他のクトゥルー神話作品も読みたい。
■エーリッヒ・ツァンの音楽
老いた弦楽士の奏でる妖しい旋律に導かれて、気がつけば暗黒の恐怖に囚われて狂っていくお話。暗さと妖しさと芸術味のある世界観がイイ。
■狂気の山脈にて
南極の奥地に太古の禍々しいモノを見た学者達が狂っていくという設定からワクワク。
名状しがたい匂い、想像しがたく口にしがたい悪夢、古の秘密に満ちた奇怪な巣窟、複雑巧緻の奇跡、絶望的に人を当惑させる混沌、永劫の死の領域、一種の地獄めいた調和、巍然として醜悪
もうロマンだらけ。傑作だと思う。
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ネタバレずっと読みたいと思いつつも、読んでいなかったラヴクラフト作品。
面白かった。
訳文も良かった。
幽霊やお化けが出て来るようなホラーは苦手だけれども、怪奇小説は面白い。
これが映像や漫画だったら、きっと見ないし読まないだろう。
小説だからこそ、存分に楽しめるのだ。
『異次元の色彩』
クトゥルー神話の始まりとも呼べるような作品(だと個人的には思っている)。
太陽系よりもっと遠い宇宙からやって来た神々。
それは人間の文化や文明とはまったく違う感覚を有していて、何より人間がちっぽけでもろくて何の役にも立たないような存在であることを知らしめる。
神々を前にした時、人間には太刀打ちなど出来ないのだ。
出来るのは、ただおびえて、神々が眠り続けることを願うのみだ。
『ダンウィッチの怪』
え、双子だったの?
ほのめかされるだけで、ウィルバーの片割れの姿は分からない。
見えない恐怖と、あまりにも大きな力がすべてを飲みこむ。
『クトゥルーの呼び声』
「ル・リエーなる館にて、死せるクトゥルーは夢見て待つ」
同時多発的な夢? 幻覚? あるいは何かの予兆。
時が満ちつつあるような怖さがある。
『ニャルラトホテプ』
ニャルラトホテプは、どこにでも現れる。
『闇にささやくもの』
結局のところ、ウィルマースは何も見ていないとも言える。
すべてはエイクリーの妄想かもしれない。
恐怖の中で、周りのすべてに疑いを持っていただけかもしれない。
人々の語る神話は幻想にすぎないと考えていた現実的なウィルマースが、どんどんエイクリーに感化されていく。
そしてエイクリーの恐怖が、ウィルマースにも移っていく。
本当のことは何なのか。
もうウィルマース自身にも分からない。
『暗闇の出没者』
いかにも怪しげな、朽ちた教会に入っていくブレイク。
やめておいた方が良いのではないか、と思うのだけれども、ブレイクは貴重な本があることにも心惹かれて、どんどん中へ入っていく。
そして触れてはいけないものに触れてしまうのだ。
それも結局は、ブレイクの妄想だったのかもしれない。
『インスマスの影』
なぜこの手記が書かれたのか。
それこそが、このインスマスへの旅と、そこから持った疑念に対する答えであり、決意表明だった。
なんだか気味の悪い町を訪れただけでは終わらなかった。 -
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『耳なし芳一の話』
知名度の高い話。琵琶の名手芳一は、和尚も小僧もいないある夜に、武士から「やんごとなき方がお前の琵琶を所望している」と言われて、ついていく。彼らは平家滅亡の壇ノ浦の件になると、いたく涙を流し、七夜通って欲しいと頼む。誰にもこの事を言ってはならないと言われ、芳一はこっそり出かけていたが、ある日ばれてしまう。
再読してわかったのは、芳一の通う期限があったことだ。永遠に琵琶コンサートをやってほしかったわけではない。七日といえば初七日が浮かぶが、呼び出した相手からすれば、とっくにその期限は過ぎている。普通に誰にも知られず七日通えば、無事に過ぎたのでは。それとも七日過ぎて、いよいよこの名手を黄泉へ連れていかんという話になったのか。七日の期限の意味がよくわからない。
また、連れていかれた芳一が、夜な夜なお露と出会ってやつれていった新三郎のように、生気を吸い取られていったわけではない。特に病気になったわけでもないなら、やはり七日行かせてやれば良かったのでは。途中で嫌だといえば八つ裂きにされたかもしれないが、普通についていったら、意外と大丈夫だったという説はないか。墓地で寺男たちに怒ったのも、演奏を止められてエキサイトしていただけでは。
面白かったのは、芳一には連れていかれた先もわからず、聞いている武将や女性の気配や声を感じることができるが、和尚や寺男には彼らの姿が見えず、鬼火が見える。怪かしの世界と現実世界が同居している不思議な空間である。 -
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深い恐怖と興味の入り混じった作品でした。
特徴的なホラー要素が詰まった物語に、一瞬で異様な世界へと引き込まれます。
登場する街は全て、その描写からして非常に不気味で異様な雰囲気を漂わせています。廃墟となった建物や奇妙な住民たちの描写を通じて、常に一貫した不安感を与えられました。特に、町の住民が人間ではない何かに変わりつつあるという事実が明らかになる場面が恐怖の頂点です。
また、文体と想像力にも魅力を感じます。
非常に細かい情景描写に、まるでその場にいるかのような感覚を味わえました。クトゥルフ神話の一端が垣間見え、インスマスの秘密が明らかになるにつれて、未知の恐怖に対する好奇心が止まらなくなります。
全体を通して、単なるホラー小説以上に人間の深層心理に潜む恐怖や未知への不安を描いた作品と感じました。その異様な雰囲気とインスマスという町の存在は未だに心に残っています。 -
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「白魔」「生活のかけら」「薔薇園」「妖術」「儀式」を収録。最初の二篇は平井呈一訳『恐怖』で読んでいる。
この人は物事を匂わせるような暗示的な書き方が特徴でそれが気味の悪さを醸している。「白魔」「妖術」「儀式」はどれも魔女の話だが具体的な動機や結果は書かれない。モヤモヤするがだからこそ記憶に残る。
「生活のかけら」、前に読んだときは謎めいた雰囲気はユニークだが退屈な話と思った。これまで現実だと思われていたものが実際には夢幻であり、これまで夢幻と思っていたものこそが現実だった、と神秘主義に開眼する銀行員の話。が今回読んで、マッケンが43歳のときに書かれたこの小説は「中年の危機」を描いた小説なのではないか、と思った。正しいと信じてきた生き方にふと疑問を覚え、戸惑い、道を踏み外す。勤労や金銭といった生活の桎梏から逃れ、少年時代の妖しい郷愁に回帰する。松浦寿輝『半島』の登場人物の台詞、「いよいよ人生の陽射しが傾いて、あたりが薄暗くなってくると、どこからともなくまた不思議が戻ってくる」を連想した。 -
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ネタバレ「ダゴン」のラスト
私の初読は、文庫の全集(あの黒い有名な表紙)だったので、ダゴンのラストは「窓に」「あの手」があるものだとばかり思っていた。
しかし、久しぶりに令和の時代に発行されたこちらの訳をなんとなしに、再読の記憶をたどりながら、本当に何となく、読んでいたら、ラストに、「窓へ!」と来たもんだから、「(これ投身エンドか!?)」と、気付いてしまったときの鳥肌と言ったら、計り知れない恐怖、二度と味わえない面食らい、こっちが放り投げられたような気分。
調べてみたら海外でも読み取り方はそれぞれのようで、ラヴクラフトにやられたと嬉しくなる。ダゴン沼である。
ちなみに「ダゴン」は海外で短いゲームとして販売もされていて、YouTubeで九畝くぜさんという長らくクトゥルフTRPGをされている方が解説混じりに実況動画を投稿されている。
ゲーム版「ダゴン」のラストが気になる方へオススメです。 -
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昔ちょっと音楽の勉強をしていたから、和声?人間?とタイトルに目を引かれたのが出会いだった。紹介文によるといわゆる幻想怪奇小説という類の物語らしい。あまり馴染みがない。きっとどうせ完読できないだろうという弱気から手に取るまで時間がかかったが、色々と偶然の後押しもあって読んでみたらとても面白かった。まずはその達成感が嬉しい。
主人公はロバート・スピンロビン、二十八歳。彼は何か大いなる物に憧れ、魂の真の冒険を求めている夢想家だが、臆病さゆえに自ら行動を起こすことはできず、そんな自分の卑小さ平凡さを恥じる謙虚さはきちんと持ち合わせているというところがまた可愛らしくもある、そんな人間である。彼はある日、次のような謎めいた求人を見つけ、胸躍らせて応募した。
〈勇気と想像力ある秘書求む。当方は隠退した聖職者。テノールの声とヘブライ語の多少の知識が必須〉。
さてその仕事とは?この聖職者は一体何をしようとしているのか?これが「幻想怪奇」の一番のあんこの部分であることは間違いなく、そのドキドキが推進力となってずんずん読み進んでいく。正直、情景描写については幻想が過ぎて何だかよくわからないところもそこそこあったが、それでも気にせず薄目で読んでいけるほど、スピンロビンという人間の心理描写から目が離せなかった。
非凡な聖職者スケール氏と出会って、彼に心酔していくスピンロビン。しかもその偉大なるスケール氏の偉大なるプロジェクトに、取るに足らないちっぽけな自分が必要とされているのだ。父親のような威厳と愛情とに満ちた態度で自分に接してくれるスケール氏の期待に応えようと、懸命に仕事に打ち込むスピンロビン(こういうとこ可愛い)。ホームズにワトソンみたいな敬愛関係が築かれてゆく。
スケール氏の仕事には、他にも二人の女性が関わっている。スピンロビンがテノール、スケール氏がバスであるならば、アルトとソプラノの人物も当然必要なのだ。人里離れた荒野の屋敷におけるこの男女四人きりの生活を続けていくうちに、スピンロビンの心境にも徐々に変化が訪れる。スケール氏の恐るべき仕事が着々と完成に近づいていくなか、愛すべきスピンロビン君はハムレットさながらに思い悩む、これが見どころだ。幻想怪奇小説の形をしてはいるけれど、実は単純なボーイ・ミーツ・ガールの物語だ、とも言える。
ちなみに原題は”The Human Chord”で、辞書的にはchordは和音で和声はharmonyなのだそうだが、スケール氏の思想はピタゴラスの考えた「天球の音楽」(宇宙は音楽を奏でている、それがこの世の調和すなわちハーモニーを作り出している、という説)を思わせるところがあるので、邦題の「和声」が却って適切なのかもしれない。 -
ネタバレ 購入済み
「自殺クラブ」という奇怪なタイトルの短編に心惹かれて購入したが、内容はそこまで猟奇的とも思えず、良識の範囲内に止まっている感があった。むしろ、「ラージャのダイヤモンド」の話の広がり方や、ハラハラさせる場面展開の方を面白く読んだ。
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初出1920-1936年のラヴクラフト短編小説を集めたもの。昨年読んだ『狂気の山脈にて』と同じく新潮文庫版「クトゥルー神話傑作選」。
ラヴクラフトの文章はどこか変で、つながりが悪く、明らかにおかしな箇所もあったがそれは原文のせいか翻訳のせいか分からない。いずれにせよ悪文に属する文体だろう。読みにくいし、エンタメ系小説ではこんにちのものならことさらそうであるように、登場人物たち相互の会話で話がどんどん進んでいくのが定石なのに、ラヴクラフトにおいては、人物同士の会話が極度に少ないか、あるいは皆無である。その分、叙事的な文体なのだと受け止められる。
悪文にもかかわらず、本書中の作品には、「ホラー」のプロトタイプと呼びうるような、非常に優れたものが感じられた。
特に「異次元の色彩」(1927)、「ダンウィッチの怪」(1929)はホラーの範とすべき傑作と思う。「クトゥルーの呼び声」(1928)と「インスマンスの影」(1936)は後半部分がやはりホラーとして傑出していた。
いったいに、クトゥルー神話という「体系」には私は全く興味が無いので、単にホラー小説としてどうか、と言う点に着目している。上述の作品は、最近のマンネリすぎる欧米ホラー映画なんぞより数段上にある。
物語の「先」の方に、忌むべき全容=「不在のシーニュ」が控えていることを、語り手主体は予感している。それはおぞましく不快極まりないものと思われるので、当然拒絶したいところだが、その一方で、何となくそんなカタストロフを待望する欲動も密かに底流している。
おぞましさに向けて、奇異な事象が次々と現れてくる時、観察者主体の情動の「ストッパー」が漸次的に外れてゆく。この情動のストッパーということを、私は読みながら考えていた。
おおむね怪奇・ホラー小説は最初から暗澹としていて、音楽で言えばマイナー・キーのロマン派音楽の様相を呈している。が、無意識のバランスを取っているべき情動のストッパーが、恐怖の対象であるような事象の積み重ねによって解除され、怒濤のような情動の嵐が現出してくる。ここまで来ると、ロマン派音楽の枠を超えて「表現主義音楽」に至る。ホラー小説とは、表現主義音楽への到達を目指す情動的記号論理の組成体である。
文字通り血みどろのショッキングな映像を重ねてゆく近年のスプラッター系ホラー映画では、生理的な不快さを突き詰めてゆく表現主義-情動論理であろう。いっぽうラヴクラフト作品のような古典的小説においては、「おぞましいもの」と主体が規定した「不在のシーニュ」を目指して、想像上の恐怖・不安のストッパーが外されてゆくのだが、それは語り手主体が不快と定義しているだけであって、読者にとってただちに生理的に不快であるわけではない。直接的な生理的反応ではなく、あくまでも想像上・意味論上の記号が追求されていくわけだから、これは記号論的な世界構築に属している。ホラー文学は、記号論的に理解しうるはずなのだ。
ただし、凡庸でつまらないホラー小説では、この記号論組成がうまくいかず、どんな小説にも増してくだらない、無残な結果に終わってしまう。この場合は、表現主義音楽が聞こえてこないのである。
ラヴクラフトは悪文にもかかわらず、ホラー小説として理想的な達成をしばしば成し遂げている。三十数年前に創元推理文庫で3冊のラヴクラフトを読んだ時、読みにくさでつかえてしまい私はその良さに気づくことができなかった。現在の私は、ラヴクラフトをこのように把握することが可能になったようだ。