G.K.チェスタトンさんという、イギリスの人ですね。1874-1936という生没年。当時のイギリスでの、ジャーナリスト・評論家・小説家・詩人、というような立場の人だったそうです。
恐らく活動の大半は、政治から文学まで幅広くの評論批評的な、新聞などへの文章だそうですね。
ちなみにコナン・ドイルさんが1859-1930。バーナード・ショーさんが、1856-1950。ジョージ・オーウェルさんが1903-1950。
まあ、なんとなく、コナン・ドイルさんとチェスタトンさんは同時代人、というのが素人には判りやすいです。
チェスタトンさんというと、いちばん有名なのは「ブラウン神父シリーズ」という探偵もの。僕は未見ですが。
こういうのが、大まかシャーロック・ホームズと同時代に書かれていたんですね。
さて、「木曜日だった男」。1908年、チェスタトンさんが34歳の時の小説だそうです。
チェスタトンさん、一度読んでみたいな、と何年か思っていまして。
ブラウン神父シリーズも気になるところなんですが、年代とイギリス英語ということを考えると、
翻訳によっては、トンデモナク楽しくないことにもなるなあ、と警戒もしていました。
「木曜日だった男」、光文社古典新訳文庫さんを信じて、手を伸ばしてみた訳です。
なんとなく、判ってはいたのですが、大まかに言うと「一見、犯罪小説であり冒険小説なんだけど、訳の分からん幻想的な小説」です(笑)。
それはそれで、途中から終盤前くらいまでは、僕は面白く読みました。
簡単に備忘録としての粗筋を書きますと。
##########
主人公はサイムという名前の、詩人さんみたいな若そうな男性。
無政府主義に対する反発から、謎の人物に誘われて、秘密警察のような組織の一員、とにかく警察の一員になる。
そして、まんまと無政府主義者の一味に潜り込む。
その組織は、日曜~土曜というあだ名?で呼ばれる7人の幹部からなっている。
そこで、サイムさんは、「木曜日」の地位を獲得。
なんだけど、自分が警察の一味だとばれているのではという緊張。
そしたら、なんだかんだで、次々にその7人のうちの6人が、「僕も警察の一員で、潜り込んでいた」と判明。
ただ独り、「日曜日の男=ボス」だけは、得体が知れない。
最後に6人は、日曜日の男に詰め寄る。
日曜日の男は、「君たちを秘密警察に誘った謎の男は、俺だよ」と。
そして日曜日、余裕で逃げる。追う。
ゾウに乗ってロンドンを疾走したり、気球で飛んだり、もう無茶苦茶です。
最後は謎の豪邸で謎の超・巨大パーティの中で、非常に哲学的な議論して、おしまいになります。
##########
という、小説。
で、ある種ドストエフスキー的な、人間の自由とか政府とか無政府主義とはとか、そういう議論が結構あるんですけど、
正直に言って、ドストエフスキーさん以上に、そういう部分に関しては、僕はサッパリ、頭に入りませんでした(笑)。
まあ、興味がないからかも知れませんけど。でもそれ以上に、この辺については、1908年当時の、ロンドンでの、「無政府主義」「国家」「政府」と言った概念や議論という前提が無いと、面白くないんじゃないかなあ、と思います。
こういう本を読むといつも思うんですが、
「作者は、書いてから100年以上後に、日本の人が日本語で読んでも判るだろうか」という視点は一切持たずに書いてますからねえ。
なんですけど、多分。
この小説が面白くて、今でも日本語でも読まれている理由は、そういう観念的な部分ではないと思うんですよね。
途中のハチャメチャでムチャクチャでドタバタで七転八倒な、「無政府主義者の幹部会に潜入した秘密警察員なんだけど、なんだかだんだん、幹部会のメンバーがみんな秘密警察員だぜ」という展開。
もう、もちろん、この辺からリアリズムとかじゃないんです(笑)。
これ、絶対、生真面目にブンガクとして解釈と意味合いで探求してもしょうがないと思うんです。
つまり、笑えます(笑)。オモシロイ。
そして、このオモシロサっていうのは、小説ならではの想像力の世界。だから、読む側が、何か難しい純文学だと思って読んだら、面白くないのではないでしょうか。
(「純文学」というと途端に何か「笑い」というものと真逆の方向に違いない、という印象があるのが、近代日本文学という作品群の負の遺産なんじゃないかなあ、と思います)
例えて言うならば、川島雄三さんの映画を見ているような。
「愛のお荷物」とか「貸間あり」「しとやかな獣」とかそういう、川島雄三さんの映画。
ゼンゼン、リアリズムじゃなくて、ハチャメチャでドタバタで、不真面目で皮肉で一生懸命で、笑えちゃう。
そんなヘンテコな冒険幻想譚。
ロンドンの街を、無政府主義者に追われているつもりでの尾行劇。
相手が秘密警察だと判って、孤独から救われる心理の描き方。
この辺も大いに面白く。
パリで行われる、テロを防ぐためにフランスに上陸する、サイムたち。
そこで、なぜかテロを防ぐために決闘をすることになったり。
決闘相手も秘密警察と判って、地平線からやってくる無政府主義者たちからの逃走劇。
そのあたりの「フランス編」は、かなり爆笑、ワクワクどきどきでした。
そんな隙間に、ちょっとハっするような、人生や政治や神や孤独についての警句のようなセリフや文章があったりするのが、侮れない。
川島雄三的ハチャメチャ痛快劇が無ければ、ある種、レイモンド・チャンドラーの粗い原型すら感じられるような…。
判らないところはワカラナイけれど、それは大いに棚に上げておいて、オモシロク食べちゃったりできる。
時代も地理も言葉も異なるところで書かれた本でも、そんな我儘な味わい方が出来てしまう。そんなのも、読書の愉しみだなあ、と勝手に思います。