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地質、生物、物理学者らによるミスカトニック大学探検隊が、南極大陸に足を踏み入れた。彼らは禁断の書『ネクロノミコン』の記述と重なる、奇怪きわまる化石を発見する(表題作)。一九〇八年五月十四日、ピーズリー教授の身に異変が起きた。“大いなる種族”との精神の交換がなされたのだ(「時間からの影」)。闇の巨匠ラヴクラフトの神話群より傑作八篇を精選し、新たに訳出。あなたに、眠れぬ夜を約束する。
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Posted by ブクログ
怪奇小説を語るなら欠かせないだろう、というのとボクの嗜好で、読もうとうずうずしてたけどようやく読めた 表題作の「狂気の山脈にて」は言わずもがな、他の収録作もクトゥルー神話ならではの不気味さと深遠さを感じさせられた TRPGとかで見知ってたし、こんな感じの体系をなしたファンタジー大好きだから調べてい...続きを読むたりもしたから、読んでて「こいつらってこうだったのか」みたいな気づきも得たりして楽しかった 次作の『アウトサイダー』と前作の『インスマスの影』も読みたい
気の遠くなるような時間と空間を股にかけ、精神を操りあらゆる知識を収集する偉大なる存在‥『時間からの影』の構想スケールの大きさに圧倒された。
昨今の様々なコンテンツでパロディ・オマージュされていることを考えると、クトゥルフ神話はサブカルの教養書と呼んでも差し支えないと思う。 知っておくと、思いがけないところで出会した時に面白くて、漫画やゲームの楽しさが増える。もちろんTRPGも。 また、堅苦しくて変わった文体ではあるけれども、それが魅力だ...続きを読むとも思う。狂気と正気の狭間のような文章が、主人公たちが熱意をもって書き殴ったものを直に読んでいるような臨場感を与えてくれる。 テケリ・リ!
西洋ホラーの伝説的な作品、クトゥルフ神話の物語。 作者のラブクラフトは当時はあまり評価されなかったようだが、亡くなった後に再評価された作家。 それが今現在まで名作として残り続けているので、生きている間に評価されていればと思わないではない。 内容は前半の5作は数ページ~数10ページの短編になっており...続きを読む、クトゥルフ神話とは関係ない物語もしくは繋がりの薄い作品になっている。 どちらかと言えば悪魔や悪霊の話だ。 しかし後半の狂気の山脈と時間からの影はそれまでの作品とは全く異なる冒険譚となっている。 この2作品は難解ではあるものの、どんな展開になるのだろうと次が楽しみになる作品だった。 壮大なスケールの話であり、作者は明晰な頭脳を持っていたのだろうと想像させられる。 本シリーズがホラーかどうかは微妙な所ではあるが、西洋のホラーと日本のホラーの違いが良くわかる。 そういう意味でも面白い本だった。
初心者が噂のクトゥルーを読んでみるぞ2冊目! おどろおどろしくて不気味で冒涜的寄りな短編と、ちょっと冒険要素の入った長編二作。 どちらもどちらで面白い! 第一集『インスマスの影』収録のは前者寄りが多かったのかな。サクッと読めるけど、不気味さは格別。 表題作「狂気の山脈にて」は面白かったけど前半苦戦。...続きを読む 「名状しがたい」を事細かに描写するとこうなるのね…。 南極の地理、地形やあれこれの描写は、ファンアートのイラストなどのお手伝いが必要ですた。 「古きものども」「偉大なる種族」視点のサイドストーリーがとても読んでみたい。名状しがたくて冒涜的だけど、キャラがたってていいぞ! やはり面白い。怖いだけじゃなくて、冒険的な要素も楽しかった!
H. P. ラヴクラフト(1890-1937)といえば怪奇(ホラー)小説の有名どころで、マニアックなファンも世界中に多く抱え、多くの、今日言うところの「二次創作」の作品群のみなもととなった「クトゥルー神話」の作者であり、私も高校生の頃に創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』全7巻のうち1巻から3巻まで...続きを読むを買って読んだ。が、その当時どうもこの作家の作風に今ひとつ乗り切れないものを感じ、若干苦手なような、「好き」とまでは言えないような状態であった。 新潮文庫版のこれは新訳で、昨年12月に出たばかりの文庫オリジナルである。実はこれは新潮文庫版「クトゥルー神話傑作選」の2冊目のようで、既に既刊があるらしい。 さて、相当歳をとった今読み直してどうかな?と思いながら読み始めてみると、この作家の文章が、どうにも私には入り込みにくいのだと直ちに判明した。センテンス同士のつながり、複文節の構造、論理のプロセスなどが、いちいちしっくりこないのでスラスラと読めない。英米文学の文章はしばしば私にはそのような印象をもたらすので、英語のパロール体系、さらには英米文化のロジックに、馴染めないものを感じてしまうようだ。それでも、今回は時間をかけて味わいながら読み進めた。 読み進めるうちに更に気づいたのは、これらの小説に、カギ括弧でくくられた人物同士の会話が、ほぼ全くと言っていいくらいに無いことだ。会話が無くて、ひたすら地の文だけで進んで行く。特に、本巻で最も長く、「短めの長編小説」くらいの長さがある「狂気の山脈にて」(1936)でも、後半は南極で発見された遺跡を探索していく際に語り手の傍らには一人の探検隊仲間がずっと付き添っているのに、互いの会話は全く出てこないのだ。少なくとも、カギ括弧でくくられた台詞が全然無いままに、延々と地の文での叙述が続く。こんな書き方は小説では、一般的にはほとんど見られないのではないか。しかも本巻のすべての作品においてもそうなのだから、どうもラヴクラフトは、「ひたすらな叙述へと向かう」作家なのである。 少なくともテクストの書き手にとって、(人間の)他者には全然興味が無く、彼らとのコミュニケーションが織りなす場の推移にも一切関心がない。そういった夾雑物を排して、物語はひたすらに怪異への欲望に貫かれている。その怪異は、巻末の「狂気の山脈にて」「時間からの影」ではあからさまに、「クトゥルー神話」と後代から呼ばれた神話的な彼方の、気の遠くなるような太古の地球上の歴史である。 この「怪異」は、しかし、これらの長い2編以外では必ずしもクトゥルー神話に濃厚に結び付いているとも言いきれないもので、それらは最後まで正体のわからない「何か」として立ち現れるに過ぎず、この点、「怪奇小説のプロトタイプ」として非常に魅力的なテクストになっている。 一番気に入ったのは巻頭のごく短い「ランドルフ・カーターの陳述」(1920)だ。こういったものこそ、ホラーの古典として貴重な文学作品だと言えるのではないだろうか。 語り手であるランドルフ・カーターの友人ハーリー・ウォレンは「禁断の事柄に関する奇妙な稀覯本」を読み漁り、ある夜、カーターと共にある墓所に行く。石板を開くと石の階段が現れ、ウォレンは一人でそこから地下へと潜っていき、何かを見て大声で叫び、ついに戻ってこなくなってしまう。実際に地下で何が起こったか、そこに何があるのか、語り手にはさっぱり分からず取り残されたまま。最後に、霊的な声だけが聞こえる。 この簡潔な作品(および、本書中の、巻末2編以外の作品)においては、最後まで正体が明確には判明しないものへの欲望だけがあって、恐怖を盛り立てる怪奇小説においては怪異についての説明などは不要なのだということが明らかにされる。古典的な本格推理小説では事件の真犯人と真相(事情)が当初から<不在のシーニュ>として示されてそれへの欲望が、ディスクールの奔流の向かう先となっており、最後に真相のシニフィエ(意味内容)が明示されることにカタルシスがあったが、恐怖小説においては、<不在のシーニュ>への恐怖感だけが露出し読者の心を巻き込むことだけで良く、結末において真相をはっきりと解き明かす必要は全然無いのである。 本書全編にわたってラヴクラフトは「不気味な」「冒涜的な」「厭わしい」「異常な」「邪悪な」といった形容詞を大量に繰り出し続けており、こういった単一方向に向かう表現ばかりを連続させるというエドガー・アラン・ポーのモノクロームでシンプルな構築法(「アッシャー家の崩壊」の理論)と軌を一にている。単一の方向へと情動を動員させること、すなわち音楽で言うと19世紀ロマン派の「キャラクターピース」の組成。ホラー作品では常に似たような情動性が強調されるわけだが、この心的作用は、現在も無数に作られ続けている「ホラー映画」における、無調な不協和音やクレッシェンドを駆使した音楽の用い方を見ればよくわかる。 むしろホラー物語で最後にあまりにも辻褄を合わせた事情説明に持って行ってしまうと、逆に興が冷めてしまう場合もままある。謎の存在は謎のままでもよく、全く不条理であっても構わない。 しかしラヴクラフトは(恐らく後期において)クトゥルー神話と呼ばれる一連の太古の歴史物語を叙述することにやがて完全に没頭し、それが長大な「狂気の山脈にて」の後半を肥大させたのだろう。そういった作者側の叙述の情熱に対し、読者はどの程度魅惑されるのだろうか。人によるのではないか。私は、延々とそればかりだといくぶん飽きてしまう気がした。
必ずしも神話に組み込むことを意識した書かれたわけではない作品をも含む短編集。さすがに古風だけれども、普通に怪談として楽しい。ただ怪談語りとしてみると、お世辞にも語り口が見事とは言えないなあ。独特の世界観に魅せられるかが、評価の分かれ目。
ラヴクラフト初体験。 クトゥルフ神話の生みの親。ホラーが苦手ではあるが、これだけ有名な作品群なのだから一度は手に取ってみないとと思い挑戦。 本作は表題作「狂気の山脈にて」と「時間からの影」という中編2篇を含む8篇から成る。 真っ先の印象としては、ラヴクラフトが創出する恐怖を恐怖として堪能するために...続きを読むは、かなりの想像力が必要だなということ。 卓越した想像力の結果を余すところなく文章に落とし込むので、それを再構築するのにだいぶ骨が折れる。 おそらくホラーにはホラーを読むスキーマが必要なのだろうが、怖いの嫌いな私はそんなものもなく、ただひたすら彼の記述からイメージを構築する。 ただ、私が再構築したイメージは、そんなに怖くないのだ。 恐怖の基となる、恐怖の対象となるものが霊とかゾンビとか狂った人間とかではなく、宇宙的なもの、遙か昔に宇宙からやってきたものという設定なのでそういう意味ではSFとして読むことができる。 その視点からすると、割と面白い。とりわけ、中編2篇については導入から中盤にかけてはホラーというよりもSFテイストが強く、そこまでは興味深く読める。 ただそこから恐怖の場面に転換するときに、私の想像力がおっつかなくなる。 想像がおっつかないのに、たたみ込むように、あるときは内省的に、またあるときは状況を徹底的に細かく文章にして浴びせてくるので、うわあとなる。 物語そのものの恐怖よりも、「あれ、おれバカなのかなもしかして」と思う恐怖の方が上回ってしまったかもしれない。 これはもう、仕方ない。私の能力不足である。向いてなかった。 熱狂的なファンがいるし、クトゥルフ神話はある意味盤石のジャンルとして成立しているわけなので、好きな人にとってみればこのテイストがたまらなく面白いに違いない。 それもこれも試してみないとわからないので、ホラー系が好きかもな方は一度挑戦してみて欲しい。
クトゥルフ神話と呼ばれるラブクラフト作の短編集。 ジャンルとしてはSFと怪奇ものが混ざった、というべきか。ネクロノミコンや大いなる古きものらというモチーフが複数の話で出てきて、世界観として緩やかに統一されている。舞台は現代。登場人物たちは偶然か必然か、この世の常識では創造出来ない何かに遭遇したり体験...続きを読むしたりした結果、精神に何らかの異常を来してしまう。 研究科や探検など研究者の立場での主観で話が進むため、文章がやや学術的で表現が非常に複雑であったのが、あえての世界観ということは理解できるが非常に読みにくかった。
20世紀アメリカ。ラヴクラフトの暗黒神話。クトゥルー(邪神・発音できないのが目的なので便宜上) 神話、短編8作。 「狂気の山脈にて」 冒険ありの怪奇小説。 南極大陸の探検隊が、驚くべき発見をする。 独特な進化をした大型生物の化石群。 広大な都市跡。 人類史よりも古く、壁画に謎の文明の歴史を残す。 ...続きを読む栄華を誇っていたその文明の崩壊は、下等生物の反乱か。 しかし、隊員隊は、未知の生物の復活により危険が迫る。 脱出できた隊員達は、この危険な場所を秘密にする。 なかなか大作で、込み入って、同じような表現がぐるぐる出てくるので、上手く説明できません、が! 2017年ドラえもん「南極カチコチ大冒険」が、オマージュっぽいという噂があるようです。 また、あの 「遊星からの物体X」は、こちらが元ネタらしいですね。 人類が現れるよりも遥か以前、宇宙から飛来して地球を支配していた存在。彼らは、地球の面舞台から姿を消したが、今も復活を伺っている。(訳者解説略) これが全編共通のテーマになっています。 「ランドルフ・カーターの陳述」 「ピックマンのモデル」 「エーリッヒ・ツアンの音楽」 「猟犬」 「ダゴン」 「祝祭」 「時間からの影」 テーマが同じで、恐ろしい経験をした人が、思い出すのも辛いけど、語らなければならないって感じでパターン化してるので、好きな方には、たまらない一冊ですね。私は、作品の区別がつかなくなってしまう。 狂気の山脈は、面白いと思います。
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