・私がアルジャノン・ブラックウッドですぐに思ひ出すのは短編「柳」である。これは超のつく有名作で、ブラックウッドにつ いて書く時には、誰もが必ずといつて良いほど言及する作品である。あの自然の怪異と畏怖には圧倒的なものがあり、一読讃歎、彼の代表作と いふにふさはしいと思ふ。同じく、「古い魔術」も彼の代表作であり、実に多くの人がこれに言及してゐる。もしかしたら猫好きな人には愛憎 半ばする物語かもしれないが、あの紛れ込んだ世界の実在感もまた圧倒的である。ブラックウッドは多くの怪奇幻想小説を書いた。この2作以 外にも優れた作品が多い。生まれは1869年、日本では明治元年になるのであらうか。30代終はりに...続きを読む 作家となつた。イギリスの怪奇小説黄 金時代を生きた人である。そんな人だから、優れた怪奇幻想小説を書いてゐるのは当然であらう。ブラックウッド「秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集」(光 文社古典新訳文庫)には11の短編を収める。いづれもそんな時代を彷彿とさせ、そんな雰囲気を 堪能させてくれる正統的な短編である。更に、本書のポイントはショートハウス物すべてを収めるといふ点にある。この人物はジョン・サイレ ンスほど有名ではないし、登場する作品は4作しかないが、それをここに収めてあるのである。「彼の性格は作品によって多少違いますが、若 き日の作者の分身である」(「解説」346頁)とか。ブラックウッドは若い頃、様々な仕事を経た後に金持ちの秘書を務めた(同前333 頁)。このあたりを言ふのであらう。
・その表題作「秘書綺譚」、やはり大金持ちの秘書として務めた仕事の話である。主人の命で、主人のかつての盟友の家を、古い契約書の件で 尋ねる。そこは田舎家、奉公人のユダヤ人との二人住まひ、普段は尋ねてくる人とてない寂しい生活を送つてゐる。歓待され、依頼された仕事 は無事終了、さて帰らうとすると……お決まりの如くに、既に最終列車の時間には遅くなつてゐる。そこでやむなくショートハウスは泊まるこ とにする。さうして、後は恐怖の一夜が待つてゐる……本当に型通りの見事な展開である。この先はどうなのであらう。その家の雇ひ人がいさ さか不気味な男であつたり、主人が生肉しか食はなかつたりで、早々に部屋に入れば、そこは「まことに気持ちの良い素敵な部屋だったが、 ショートハウスは(中略)神経が発する警告を無視できなかった」(174頁)。これもまたなかなかのお膳立てである。さうして最後に事が 起きるが彼は難を逃れて帰着、務めを果たしたゆゑに主人は「給料を上げてくれたばかりでなく、帽子と外套を新調しろ、勘定書はこちらへま わせ、と言ってくれたのだった。」(189頁)実際、この物語は綺譚である。単なる怪奇、恐怖小説とは違ふ。その意味では、先の「柳」と は全くタイプの違ふ作品である。これに対して、冒頭の「空屋」「壁に耳あり」は幽霊譚である。「空家」は伯母との幽霊屋敷探検である。こ れは屋敷の様子とそれに対する二人の反応が中心である。「壁に」はその部屋に取り憑いた霊の出現の物語である。最後にその事情が明らかに される。幽霊譚でも律儀なとでもつきさうなのが、ショートハウス物ではないが、「約束」である。日本ならさしづめ○○の契りとでも題され さうな内容である。要するに、ある男がかつての約束を守つて友のところに幽霊として出現するのである。どちらもよくありさうな物語である し、現代ではかういふのは書かれないであらうとも思ふ。古典的である。イギリス怪奇小説の黄金時代を思はせる作品である。他に、変種の吸 血鬼譚もある。代表作ではなくとも、楽しめる作品集である。