693
275P
オスカーワイルド
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、小尾 芙佐
だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ
おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論
しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。
ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。
星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」
現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。
幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、小尾 芙佐
だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ
おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論
しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。
ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。
星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」
現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。