ワイルドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
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275P
オスカーワイルド
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、小尾 芙佐
だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ
おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論
しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。
ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。
星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」
現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。
幸福な王子/柘榴の家 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、小尾 芙佐
だれだって耳に快いことをいって相手をよろこばせたり、お世辞をいったりすることはできるがね、真の友というものは、ずけずけと不愉快なことをいって、相手に苦痛をあたえようが気にしないものだ。いやいや、ほんとうに真の友ならば、すすんでそうするだろうよ、だって自分はよいことをしているとわかっているんだ
おまえは下層階級の出だな。わたしのように身分の高いものは、役に立つというようなことはありえないのさ。すでに十分すぎるくらいの業績というものがあってね。どんな形であれ労働というものには、なんの共感も抱かないね、とりわけ、おまえが 薦めるらしい労働にはね。重労働とは、することがないものたちの単なる逃げ場にすぎないというのがわたしの持論
しかしながら花たちは、蜥蜴たちの態度を、そして鳥たちの態度もたいそう忌み嫌っていた。「まったくなあ」と花たちはいった。「あんなふうにばたばた走りまわったり飛びまわったりするのは、品位をおとすだけだよ。育ちのいいものは、わたしらのように、同じところにじっとすわっているものさ。わたしたちが小道をぴょんぴょん跳ねまわったり、 蜻蛉 を追いかけて芝生を勢いよく走っているところを、見たものはあるまい。わたしたちは気分を変えたいと思えば、庭師を呼ぶ、庭師が別の花壇に連れていってくれるのさ。これこそ品位ある振る舞いで、そうあるべきなんだよ。だが鳥や蜥蜴には静寂を愛する心がない、そもそも鳥たちには、一生定まった住所というものがないのさ。やつらはロマみたいな放浪者なんだから、ロマと同じに扱われてとうぜんだね」そういうと花たちはつんと鼻先を宙に突きだし、いかにも 傲慢 そうな 面 つきになったが、しばらくして、侏儒が芝生からよたよたと起き上がり、 段庭 を横切って、宮殿のほうにいくのを見ると大よろこびだった。
ようやく真実を悟ったとき、かれは烈しい絶望の叫びをあげ床にうちふしてすすり泣いた。できそこないの、背中がまがった、見るもおぞましい奇怪ないきものはおれだった。おれ自身が怪物だったんだ、子どもたちが嘲笑っていたのはおれだったんだ。愛してくれているとおもっていたあのかわいいインファンタ――あのひとも、おれの醜さを嘲笑っていただけ、そしてねじまがったおれの脚をからかっていただけなんだ。どうして森のなかにほうっておいてはくれなかったんだ、こんな忌まわしい姿を映しだすものなんかないところに。父さんはどうしておれを殺してはくれなかった、おれを売って恥をかかせるくらいなら? 熱い涙が頰をつたい、かれは薔薇の花をおもいきりひきちぎってやった。手足をぶざまに投げ出した怪物も同じようにして薄い花びらを宙にまきちらした。そいつは床に 這いつくばり、かれがそいつを見ると、そいつは苦痛で顔をひきつらせてかれを見た。そいつを見なくてすむように、かれは両手で目をふさいで後じさりした。傷ついたもののようにかれは影のなかへ這いこむと、そこに横たわったまま、うめき声をあげた。
星の子はかれらにこう答えた。「ぼくは王さまの息子じゃない、貧しい女乞食の子どもですよ。それになんでぼくのことを美しいなんていうんです、こんな醜い顔をしているのに?」 黄金の花を象嵌した鎧を着て、翼をもつ獅子をいただく兜をかぶった兵士が楯を高くかかげて叫んだ。「美しくないと、わが君はなぜ仰せられるのですか?」
現在ではハンセン病と表記しますが、作品成立当時の時代背景、及び聖書との関連で物語を設定していること等に鑑み、当時の呼称を用いました。これらの差別的表現は、当時の社会的状況と未成熟な人権意識に基づくものですが、それが今日ある人権侵害や差別問題を考える手がかりとなり、ひいては作品の歴史的・文学的価値を尊重することにつながると判断したものです。差別の助長を意図するものではないということを、ご理解ください。 -
Posted by ブクログ
むぎゅん
はい、オスカー・ワイルド2冊目は怪談多めの短編集『カンタヴィルの幽霊/スフィンクス』
また、出獄したワイルドを迎えた親友の女性作家エイダの佳作も収録
特に表題作『カンタヴィルの幽霊』はかなりの傑作
ほんとワイルドってひねくれ者やなー
「童話集」は悲しい死で終わるのに「怪談話」はハッピーエンドかい!っていうね
はいはい、そして翻訳の方ね
これがもうびっくりするくらい見事にぜんぜん違う
まずもうルビが多いのよね
つまり小尾芙佐さんに比べて南條竹則さんの方が圧倒的に難しい漢字を多用してるんよね
「童話」と「怪談」っていう物語性の違いだけではないと思われるほど圧倒的
それに小尾芙佐さんは『幸福な王子』を大人向けに訳したと仰っているので、「童話」だから難しい漢字を避けてるってわけではなさそうだし(事実小尾芙佐さんの他の訳でも難しい漢字は少ない)
そして小尾芙佐さんの訳に比べて、改行がめちゃくちゃ少ないのよ
そもそも英語の文章って改行が少ないんでそれをそのまま訳すと日本人にはとても読み辛い文章になるのよね
読みやすさを優先するなら適切な位置で改行を足す
原作の雰囲気を大事にするならそのまま押し通す
この辺の塩梅も翻訳者さんによって変わってくる感じです
読みやすさ重視の小尾芙佐さんと雰囲気重視の南條竹則さんていう色が出ていて、その色を踏まえて光文社がそれぞれの作品の翻訳をお願いしてる仕事の跡が見えるんよね
まぁ、ぜんぜん違うかもしれんけどw
次は『サロメ』!そもそも戯曲なんで、それだけでも、またぜんぜん違う感じになりそう
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Posted by ブクログ
光文社古典新訳文庫です
今回のレビューは長いよ!
はい、以前から私、海外文学を読む時に翻訳者の方に注目してみるのも読書の楽しさのひとつになるのでは?ということをのたまっていたわけです
で、今回”あの”オスカー・ワイルドを読むぞ!と思い立ち、いつもお世話になっている光文社古典新訳文庫さんを調べてみたところオスカー・ワイルドは四作品ラインナップされていたんですが、これがなんと全て翻訳者さんが違うんですよ!
普通、各出版社さんで海外の作品を刊行する時は一人の作家さんに対して一人の翻訳者さん
多くても二人ってところなんですね
それが、四作品全て違うってこれ相当珍しいことなんです
そこにはもちろん光文社古典新訳文庫なりの意図があるんだと思うんですが、とりあえずこれはもうその意図を明確にするためにも一気に読んでやろうと
一気に読み比べてやろうと考えたわけです
まぁ、読むまでもなくなんとなくそれぞれの作品にあった翻訳者さんなんだろうなとという意図は感じられちゃうんですがw
まずは、今さらかもしれませんが、オスカー・ワイルドについて
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(英: Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。(ウィキペディアより引用)
「三島由紀夫が愛した」なんて書くと作風が想像できちゃったりするんですが、そういう意味では由紀夫ちゃんも凄い(ファンに怒られろ)
まず、ワイルド自身が非常に多彩ということもあるんですが、光文社古典新訳文庫における作品と翻訳者さんの組み合わせについても見ていきます
『幸福な王子/柘榴の家 』訳:小尾芙佐
小尾芙佐さんの代表作と言えば『アルジャーノンに花束を 』(キイス)ですよね
あの感動的な物語は小尾芙佐さんの翻訳あってこそです
さらに小尾芙佐さんと言えば、SF翻訳の大御所福島正実さん(わいもずいぶんお世話になりました)のお弟子さんで、基本はSFの翻訳なんです
他にも『われはロボット』(アシモフ)『夏への扉』(ハインライン)『火星のタイム・スリップ』(ディック)など超有名なSF作家の翻訳を手がけています
The科学!というようなハードなSFというよりはどちらかというとおとぎ話のようなほんわかしたSFが多いイメージ
AとFならFのイメージ(あ、藤子の話ね)
近年は海外の名作と呼ばれるような作品も手がけていて、大胆な意訳でわかりやすさが特徴とわいが勝手に思ってます
そしてなんと今作を翻訳されたのは84歳のとき!84歳でまだ現役バリバリしかも「新訳」!すげー
『カンタヴィルの幽霊/スフィンクス 』訳:南條竹則
代表作は『幽霊船』(ミドルトン)『怪談』(ハーン)『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(ラヴクラフト)など、ゴシックホラーと言われるような「おどろおどろしい」という形容詞がぴったりな作品が並びます
ミステリーも手がけていて『黒死荘の殺人』(ディクスン)『ブラウン神父の無心』(チェスタトン)などこちらもちょっとホラーより
あえて(だと思う)古くさい表現を多用することで奇怪な雰囲気を醸し出してる気がします
そして実は作家としても多くの作品を出していて読んだことはないんですが、不思議な世界観の幻想小説とのことです
そして南條竹則さん現在65歳でなお活躍中の大ベテランです
『サロメ』訳:平野啓一郎
はい、ここで来ました芥川賞作家!現代日本の純文学を代表する作家さんです
とかいいつつ私未読ですごめんなさい
で、平野啓一郎さん翻訳は初出になるのかな?おそらく
皆さん当然知ってる通り『サロメ』は戯曲なんですが、1960年には三島由紀夫の演出で舞台化されてるんですよね(ちなみに『サロメ』を初めて日本に紹介したのは森鴎外)
そして平野啓一郎さんと言えば三島由紀夫賞最年少選考委員ですよ!(ここで繋がる!)
もう平野啓一郎さんにお願いした光文社が偉い
『ドリアン・グレイの肖像』訳:仁木めぐみ
ぜんぜん知らん人
代表作は『死ぬ瞬間の5つの後悔』(ウェア)『僕は人生を巻き戻す』(マーフィー)『見て見ぬふりをする社会』(ヘファーナン)などだそうなんですが、やっぱり全く知らん
で、調べてみたらノンフィクション系の翻訳者さんでした
多くは心の奥底に潜む闇みたいなところに焦点をあてたものが多く、精神疾患を抱えた人の実話みたいなんを中心に翻訳されてました
もしかしたら大抜擢なのかも
うーん、まずやっぱ改めて光文社すげーな!と
めっちゃ力入れてるやん
翻訳者さんを見ることでなんとなーくそれぞれの作品の雰囲気みたいなんが見えてきません?
見えてこない?あ、そう
はい、じゃあ『幸福な王子/柘榴の家 』のレビュー
童話です!ワイルドが自分の子どもたちに語って聞かせるために作ったとされてるんです(ちなみにワイルドは最初普通に結婚してます)
でね、もちろん童話ですから色々と教訓も含まれてるんですが、ワイルドの童話だいたい最後死ぬんよね
みんな知ってる『幸福な王子』も王子溶かされるし、燕は冬の寒さに耐えられず死ぬし
だいたい最後死ぬ童話、子どもたちに語るなよワイルド、怖ぇーじゃん!て思うんですけど、なんていうか残酷な美しさみたいなんが感じられるんですよね
「死」によって閉じられる物語
でもどんな人生も「死」によって終わるっていうのは、単純な事実で、このことから目を背けないってことも、子どもたちに教えるべき重要なピースなのかなと思ったりしました
はい、まずはワイルドの作品の中では割と平穏な作品から入りました
次々行きますよ! -
Posted by ブクログ
何で読んだだらうか。スフィンクスの話のあらすじを読んで心惹かれたことを覚えてゐる。
あらすじでは謎こそスフィンクスといふことだつたが、それはかなり大雑把すぎるあらすじだらう。さういふ話があつたらしいとしめくくつてゐるところに謎があるのではないか。あくまで、この話は伝聞でしかない。謎の内容ではなく、謎を問いかける存在そのものこそが謎。スフィンクスの異国的な姿かたちとあひまつて、謎はひとを魅了する。現存するエジプトのスフィンクス像のその先にある謎。
カンタヴィルの幽霊は、喜劇的な物語の中に、皮肉と哀愁、そして浄化を含んでをり、単なるコメディではない、印象的な物語。劇で上演されたならかなり舞台映えする作品だと思ふ。
また、ワイルドにゆかりの深いエイダ・レヴァーソンの作品の中でも、ワイルドの裁判関係の出来事の回想録は、ジッドの描くワイルドとは異なる、ワイルド像が垣間見られた。良くも悪くも、ワイルドの大きな転換点となつた。夫人との関係や彼の行動、友人の視点である以上、同情のまなざしが含まれてゐないといふことはあり得ないが、それでも彼は彼なりのやり方で生き抜いてゐたことを感じさせられた。 -
Posted by ブクログ
ワイルドの小説はワイルドらしい道徳的説話集になりそうでならないところをうまく語る短編になっている。「カンタヴィルの幽霊」については、一般的に幽霊より人間の方が強く人間が脅かされるだけだが、この幽霊はかなり弱い。この着眼点は面白い。「スフィンクス」は流麗な詩といったところ。このような詩も書けることがワイルドの教養の深さでもあると思う。
後半のエイダ・レヴァーソンはなかなか辛かった。ワイルドの友人・同時代人ということで「回想」では同時代人ならではの事象に言及されているが、個人的にはそこまで興味が持てず、私自身がそこまで細かい話に興味がないということなんだと思う。