坂口恭平のレビュー一覧
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僕の幼年時代。それは幻の時間である。
小学校よりも前、あの頃の自分がしていたこと、何を考えていたか、どうやって生きていたのか。
ほとんど記憶がない。
記憶を手繰り寄せると、最初に出てくるのは幼稚園の入口の坂の下に生えていたグミの木の実をチマチマ摘んでは食べていた記憶を思い出す。
幼いころの記憶はあいまいで、いつ俺が俺になっていったのか分からない。
だから、筆者が今でも私小説として四歳児だったときの自分を書くことができるのがすごいと思う。
読んでいると、確かに幼いころの世界は今とは違って見えていたことを思い出す。
天井の木目をいつまでも眺めていたり、ベランダから見下ろす -
Posted by ブクログ
都市型狩猟採集民がどのようにして生活しているかが細かく書かれており、直ぐにでもホームレスでやっていけそうな気にはなってくる。
根本的な「土地も水も誰のものでも無いので、お金を出して買わないといけないのはおかしい」と言う考えには共感できないが、「物を大切に」や「自給自足」と言う観点からは勉強になる。
【学び】
東京の大気は汚いが、2時間もすれば雨が流してくれるので、水道水より純度の高い水になる。2時間後から雨水を貯める。
電化製品はガソリンスタンドで廃棄処分された12ボルトの車用のバッテリーで動く
都市型狩猟採集民は自発的によく働く。ニートや引きこもりの人々は一度彼等の元に修行しにいくとい -
Posted by ブクログ
・狭い居酒屋だったのが、満席になるとより狭く感じるかとおもいきや、大空間に感じる。
といった空間が膨張したり、停滞したりする瞬間のほうが、正確に測った堆積や均等に流れているはずの時間よりも真実味を感じてしまう。
・4歳から98歳までの自分の98個の鍵盤のようにズラリと横一列に並べて歩いている。
55歳の自分が何をしているのかを想像することと、10歳の時の記憶は音色こそ違えど同じ色。
・人間を機会として捉えることは「人間的」には見えないかもしれない。しかし木の枝に擬態するナナフシを思えば、人間が機会に擬態することも「生物的」な行動であることがわかる。(鬱は脳の誤作動、と捉えること)
・ルドル -
Posted by ブクログ
前著「独立国家のつくりかた」が面白かったので楽しみにしていた。そこでいわれたレイヤーを掘り下げる本かと思ったが、しかし、どうも違う。うまく読めない。僕としては珍しく、一日数ページずつというスローペースで読んだ。
どこまで読んだかわからなくなって行ったり来たりする。ここは読んだよな、いやはじめてかもしれないな。既視感がある。デジャブを否定されて悲しむ著者に自分を重ねたりしてみる。
「しっかりと言語化されていない叫びを人々に投げかけたとしても、誰も耳を傾けないだろう。他社もまた自分だけの空間を持っているのだから。土足で入り込んではいけないのだ。現実さんともそのように接する必要がある。」