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Posted by ブクログ
エッセーだと思って読み進めていたら、途中で世界がぐにゃりと曲がる。
どこまでがエッセーで、どこからが小説なのかの境界があいまいだ。
しかし、一歩立ち止まって考えてみると、エッセーと小説の境界を厳密に定義しようとするのは一義的な見方だ。
本作の筆者の主張は「認知症の徘徊老人には常人とは違った世界が見えているはずだ」というもの。
ならば、エッセーと小説の境界線は常人の見方に過ぎず、筆者にとってはエッセーも小説も共存可能な世界の見方なのではないか。
躁鬱病を公言する筆者には、また別の世界が見えているのだろう。
また、徘徊老人に対してスポットが当たる。
ベッドに縛りつけておくだけでよいのか、
老人施設に預けておけばよいのか。
もし、俺が年取ってジジイになって頭がぼけたとしても、一つ同じところに留まりたくはない。
そういった介護に対する純粋な疑問も筆者は提示している。
祖父の危篤で地元熊本に帰った恭平は、祖父が遺したミカン色のワーゲンに徘徊癖の曾祖母を乗せてドライブに行く。
辿り着いた先の丘から熊本の街を見下ろした曾祖母は一言、ヤマグチとつぶやいた。
かつて曾祖母が住んでいた山口を思い出したのだろうか。
恭平は、曾祖母が常人が見ている世界とは違い、彼女にとってはそこが思い出の山口だったのではと気が付く。
徘徊老人が行きたい場所へ連れていく。
「徘徊タクシー」は時と時間と場所を越えて、老人が目指す場所へとエスコートする。
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