坂口恭平のレビュー一覧
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さっきもつぶやいたがツイートで流れてきたので気になって本屋で手に取ってみたら「生き延びるための家族小説」とあったので、あ~これは読んでおかないとと思い購入。
すごい内容だった。
ここまで自分をさらけ出せるのってたいしたもんだと思う。
そして「書く」という行為に対する作者の姿勢に少し共感したのでありました。
だが、しかし。
俺の抱えている家族というか現状の問題を解決するものではなかった。
作者はパートナーに恵まれた感がものすごくある。
俺も家族と向き合わないとなと思いつつ10年近く経ってしまっているが、もう諦めたところもあるしな。
それ以上に問題がひとつあるし。
明日までに解決するか否か。
俺も -
Posted by ブクログ
渋谷NHK前あたりで時間を潰す必要があり、Googleマップに「近くの書店」と囁いたところ、いちばん近くにあったのが「SHIBUYA BOOKSELLERS」という書店。セレクトショップのような洒落た店構えのその店は、人文、アートなどに強く、今の僕の気分にぴったりの品揃えだった。(あまりに好みに合いすぎて、既読の本が多かったり、新しい分野との偶然の出会いが望めないほど)
気になっていた一冊を購入して近くのカフェで読む。
異才の建築家(?)坂口恭平の、エッセイとも日記ともつかない、「オレ」の生きる様を吐露したようなテキストであるが、いつものようにぐいぐいと引き込まれる。
文中にも出てくる20 -
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誰かが突然「これから並行世界の話をしよう」といったら、あなたはどう思うだろうか。または「現実脱出の方法について、レクチャーしよう」といったら、頭がおかしいと思うだろうか。
人間が社会を形成するということは、相互扶助のシステムを作って物資の流通効率を上げ、種としての生存確率を高めるための必然的な選択だった。
けれど、いまではその「生きるための社会システム」そのものに絶望してドロップアウトし、果ては死を選ぶ人が爆発的に増えている。これはひとえに現実社会というやつが、そもそも人間が持っていた「もうひとつの世界」を侵食し、食い尽くしてしまったからなのだろう。
それぞれ生物の時間や空間の知覚は -
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「住まい」ということにそもそも定義はないのだ、という言語化と行動の記録。
都市で作る0円ハウスは、都市の幸(ようするにゴミだ)を「自然素材」と考え、それ故にバナキュラーな家が出来るのだ、と。0円じゃなくて、一定材料は購入しつつ、駐車場に置いておけるモバイルハウスを作ってみよう、という話が、原発事故と相まってさらにモバイル度を増していく。この辺は「独立国家のつくりかた」にも詳しいが、ともかく、規制だらけだと思われがちな日本でも、その気になって行動してみると結構自由である、ということだ。根源的な家と、商品としての家という違い。どうせ人生は仮住まいだと。試してみろ、大抵うまくいく、と。むう。 -
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イワヲさんからもらった本。坂口恭平の本。
ずっと読んでなかったのですが、引越しを機に整理していたところで読んでみたらとても面白かった。
内容としては、東京で0円で暮らすライフスタイルの方法。
かなり具体的に描いており、ダンボールハウスの作り方、お金の作り方(アルミ缶拾いの内情など)、また都内での炊き出しスケジュールなど。
固定観念における、幸せの定義を見直そうという視点から
いつでも移動でき壊れても再生可能な家に住み、食べるものも自分で育て、雨水を飲料水に変える方法をとる生活スタイルこそ現在の理想では、という本。日々でるまだ使えるゴミを、都市に実る果実のごとく扱うことで、自分の生活を振り返るこ -
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「合成の誤謬」という言葉が頭に浮かんだ。
合成の誤謬:
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、fallacy of composition)とは、
ミクロの視点では正しいことでも、それが合成された
マクロ(集計量)の世界では、かならずしも意図しない結果が
生じることを指す経済学の用語。(wikipediaより引用)
全員が本書にみられるような行動を実践した場合,
おそらくきっと全体として上手く回らなくなってしまい,
悪い結果を招いてしまいそうな気がします。
こじんまりと実践してしていくぶんには,
いいとは思います。
ただ,それを全体に押し広げようとすると,
どうなんでしょう -
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