加藤陽子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
新書と思って軽い気持ちで読むには非常に難しい本。
中学レベルの知識すら危うい自分が読むには結構苦労した。
何せ「第一次世界大戦ってどの国が参加してどうなったっけ?」という状態だったので。
この本は戦争の概要を述べた教科書の延長上のような本ではない。
「なぜ戦争が起こったのか」という背景を深く掘り下げている。
なので戦争の結果すら書いていない。
自分の知識ではついていけない部分もかなりあった。
それでも中立的な観点から書かれた良著だと思う。
この手の本って右や左に偏ったりするので。
サブタイトルが恥ずかしいのだけど、東大生は普段からこのような中身の濃い一般教養を受けているかと羨ましくも思った。
それにしても難しい本(焦)。 -
Posted by ブクログ
【日常の延長では出会えない本との出会い/日本近現代史】
・『それで、日本人は「戦争」を選んだ』の加藤陽子先生による日本近現代史に関するお勧め本の紹介
・自分が勉強不足なだけかもしれないが、角幡唯介さんの『極夜行』以外一つも読んだことが無かった・・・
・『極夜行』の自身の読書メモと比較して、加藤先生がレビューするとこうも重厚且つ鳥瞰的になるものかと舌を巻く
・レビュー自体はそのテーマと相まって決して分かりやすいとは言えないが、一般読者レベルに迎合することなく本当にお勧めする本を言葉を選んで書いてくれているであろうことに好感が持てる
・読んでみたいと思った本が10冊以上見つかり、今後読むのが楽しみ。『○○のお勧め本』『○○の本棚的な本』はこういった出会いを楽しめる醍醐味がある
>『情報参謀』小口日出彦
>『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満州国と戦時下の日本国家』ジャニス・ミムラ
>『東京裁判を読む』半藤一利、保坂正康、井上亮
>『持たざる国への道 あの戦争と大日本帝国の破綻』松本祟
>『昭和天皇の敗北 日本国憲法第一条をめぐる戦い』小宮京
>『国際メディア情報戦』高木徹
>『人びとのなかの冷戦世界 想像が現実となるとき』益田肇
>『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』麻田雅文
>『中国革命と軍隊 近代広東における党・軍・社会の関係』阿南友亮
>『東京裁判研究 何が裁かれ、何が潰されたのか』宇田川幸大
>『歴史とは何か』E.H.カー
とりあえずこの辺りか、、 -
Posted by ブクログ
東大出版会のPR誌に連載された専門書の解説書評なので仕方がないとはいえ、紹介されるのはどれも多国籍の研究者による論文集であり、相当に専門的な(トリビアルな?)内容である。数多くの論文を限られた文字数で紹介しながら評していく流れであり、モリナガ氏の絵文である程度マイルドに編集されているが、追いかけるには相当な歯ごたえで消化がおぼつかない。加えて「有名な」とか「よく知られた事実として」等のあとに来るのが初見の内容だったりすると読んでいて心が折れる。
田中上奏文の出どころを扱ったものや、欧米語を漢語訳する際、日本で訳された和製熟語と中国の翻訳家(厳復)訳が競合し、やがて和製熟語が優勢となった経緯など、詳細を追いたくなるものも少なくないなか、ほぼ唯一まとまった書評となっている桂太郎の書簡集ほどの分量があればと惜しまれる。
気になったのは「日・中・ソ・独による反ベルサイユ・ワシントン体制(反英米)の連合構想」なるものが繰り返し出てくる点で、保阪正康による陳立夫からの聞き取りではトラウトマン工作の際、日・中・独で対ソ・英の枠組が模索されていた形跡があり、国民党の対ソ観はどのようなものだったか、いまだ歴史家の間でも揺れ動いているのだろうか。 -
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敗戦記念日がまた近付いてきたこともあってか、ふと手に取った。お三方(特に加藤さんと半藤さん)の著作はこれまでにちょくちょく読んでいるので、おさらいという感じで読んだ。
当時の色々な人の色々な思惑と事実とを照合すると、「対米戦を回避する術はあった筈」とやっぱり思ってしまう。
リットン報告書やハル・ノートに対する、冷静さを欠いた威勢がいいだけの感情的な煽りは、発行部数を伸ばすのにはよかっただろうが、亡国ぎりぎりまで民族を追い込んだ、という面では、マスコミの罪はとてつもなく大きいと思う。
また、五・一五事件のあと、実行者の助命嘆願書が百万を超える数集まり、裁判でも実行者が自身の信じる主義主張を延々と語ることを許され、かつそれが美談として報道され、暗殺された犬養毅首相が悪役化されるなど、言語道断だ。
テロリストを美化することは、断じて許容しては行けない。
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帯に、「神話」より「対話」を! とあるが、まさにそれ。
人は歴史を物語として理解するが、その認知に落とし穴がある、という、冷静になればまあ当然の意見を、何度も、多方面から、手を変え品を変え、しつこく、投げかけてくるのが、奥泉光の小説だ。
ネチネチ、しかしユーモラスに、文体の工夫、引用の多層性、書く人であると同時に読む人。
ユーモアは奥泉光の生来の志向だと思うが、同時に認識をズラす(物語批判)ための意図的な武器でもある。
その材料を提供してくれる歴史学者との対談が、面白くないわけがない。
上のテーゼに加えて、改めて気づかせてもらったのが、軍部と国民の間に「社会」が挟まる時間的余裕が、日本の近代化にはなかったということ。
このへんが夏目漱石の心の乱れにもつながっているのかしらん。
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目次
はじめに(奥泉光)
Ⅰ 太平洋戦争とは何かを考えるために
戦争と物語
国民統合の方法としての軍隊
お天道様と公道
民衆にとって天皇とは?
自制を失う「帝国」
主権線・利益線論と物語としての日露戦争
不戦条約と軍隊像の転換
リットン報告書を拒絶、そして満州事変へ ……
Ⅱ なぜ始めたのか、なぜ止められなかったのか
なぜ満州か
国際連盟脱退と各国の思惑
感情に訴える国民向けの宣伝
陸海軍共通の仮想敵・アメリカ
南進論と三国同盟の要点
変わりゆく「中立」
「もやもや」が消えてゆく
対米開戦の裏側
日本の勝算?
日本的「空気」という謎 ……
【解説コラム】「ポツダム宣言」を読む/「終戦の詔書」を読む
Ⅲ 太平洋戦争を「読む」
戦争を支える気分――清沢洌『暗黒日記』
物語を批判する小説――田中小実昌『ポロポロ』
個人と国家の媒体なき対峙――山田風太郎『戦中派不戦日記』
現代日本のこと?――山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』 ……
おわりに(加藤陽子) -
Posted by ブクログ
未来のために過去がある、と言いたくて本書は書かれたそうだ。
前作「この国の形を見つめなおす」の第6章の書評を通じて著者の思考や指向を開陳したスタイルを本作では全面的に展開している。
著者の1930年代の日本の軍事と外交に資するような文献が多い。
それでもジョンルカレや近代史と一見関係のないタイトルも見かける。
全体の構成としては以下の通り
1 国家の役割
2 天皇という孤独
3 戦争の教訓
4 歴史を読む
5 作品に宿る魂
本書で取り上げられた書物はほとんど読んだことのないものばかりだが、以下興味をもったものを記す。
1から「情報参謀」「インビジブル」「帝国の計画とファシズム 革新官僚、満州国と戦時下の日本国家」
2から「天皇と東大」(この書は引用されただけ)「東京裁判を読む」
3から「戦争」大岡昇平
4から「地下道の鳩」
床に入る時のパートナーに相応しいかな? -
Posted by ブクログ
大正天皇の皇太子、摂政として活躍した時代から第2次世界大戦までの昭和天皇を中心に描く歴史だが、思ったより天皇が出る幕はなかった、普通の日本史という印象である。著者はむしろ立憲民主主義の象徴天皇に近い存在として、一貫してその歩みを捉えているように感じた。蒋介石も毛沢東も、昭和天皇を戦争に導いた軍に対する国民の側と考えて、戦争責任を問う考えは無かったという説明は納得がいく。1921年6月22日にはフランスのヴェルダン戦跡を訪問し、「戦争とは実に酷いものだ」と呟いたとの記述があるとのこと。天皇自身が決断する場面は少なかったとは良く言われるが、2・26事件の投降を促された村中孝次の質問に対して、山下奉文が「お前の考えて居ることは、敗戦の時分に陛下の御命であるとすると、陛下に御責任が及ぶと云う風に考えて居るのではないか。日本軍に敗戦と云う事があるか、必勝の信念のない奴だ」と答えたと山下が述べているとのこと。1936年の時点で敗戦の天皇責任に関するやり取りがあったとは実に興味深い話だと思う。そして「大本営政府連絡会議」なる機関を立ち上げ、天皇は臨席するが一切発言しないという仕組みを作っていたとのこと。これは敗戦後の天皇の無答責任を証明する上で有効だったとは、当時の政治家の見識を表しているように感じた。
大杉栄については高松宮が「彼の随筆は好きで読んだ。親しみが感じられる人だった」との日記があるとのこと、実に興味深い。美濃部達吉が機関説批判に対して貴族院での答弁に際して古事記の崇神天皇の言葉を引用していた!これも面白い発見である。 -
学問と政治 学術会議任命拒否問題とは何か
- カート
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試し読み
Posted by ブクログ
学術会議問題について、学術会議側からの意見。率直な当時の感想としては、政府の発表が中身がなさすぎるのと、また他方批判側の論点もあまりに日本的リベラルすぎて、薄い内容が引き延ばされただけの情報が続き、何が何やらというのが正直な印象でした。
ふとこの本を手に取る機会があり読んでみたのですが、全く状況は変わりませんでした。
中で繰り返し主張されていたように違法なら、行政訴訟をすればいいのではないかという素朴な疑問もありましたが、政府が説明しなすぎるのは肯定されないとも確かに思いました(それっぽい理由ぐらい考えればいいのに、と)。個人的にはメディア露出する活動的な人文系のアカデミアは政治活動に傾倒しすぎていると思っており、利権の闘いという想像をしてしまいました。
個人的には金銭的な流れについて権威(政府、アカデミア、メディアなど)をもっとオープンにしてほしいと改めて思います。
また、学術会議の説明のところで、戦争に加担したアカデミアの反省から、技術の軍事利用に反対するために、みたいな説明は、個人発信できる世の中に結論ありきの専門バラバラの問題が起こるまでほとんど知らなかった組織が経費を投じられる価値があるのか、個人的には疑問に思いました。
各所で権威を使いすぎて権威なき権威が溢れる昨今、信頼を渇望して決断主義に陥っている人が多くいるようにSNSを見ていると思います。
人文がメディアにおける自然科学の記事の監修をすべきだ、みたいな主張を見た時は笑ってしまった。