加藤陽子のレビュー一覧

  • 戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

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    <目次>
    第1章  国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき
    第2章  「選択」するとき、そこでなにが起きているのか
    第3章  軍事同盟とはなにか
    第4章  日本人が戦争に賭けたのはなぜか
    終章   講義の終わりに

    <内容>
    東大加藤陽子先生の「アジア・太平洋戦争」に入るまでの過程を、中高生に講義したもの(学校でではなく、書店の主催の講義(講演ではない))。とても刺激的だが、同じ教える立場で言うと、この講義のために先生がどれだけ史料を吟味し、どのような授業を組み立てようとしたかの苦労が感が見える(「おわりに」を読むと特に…)。
    さて、内容は戦後70年での天皇の「お言葉」(沖縄と「戦没者記念式典」のとき)、安倍首相の談話の分析から始まり、満州事変の「リットン報告書」、三国軍事同盟、太平洋戦争直前の日米交渉、この3つの分析、解釈、可能性が語られます。受講者の中高生もかなりレベルが高く、いい質問をして、講義は展開していきます。こういうある意味、微に入り細にいる話はとても大事なのだと感じました。高校の授業ではなかなかできないけど…。様々な立場や歴史的な背景を見据えて、歴史を分析していくことが、今後の歴史を過ちへと進めない、大事な行程であり,歴史学の使命でしょう。ことにきな臭い昨今の日本において、「いつか来た道」を求める輩が闊歩している状況では…。

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    2017年03月26日
  • あの戦争になぜ負けたのか

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    近衛は首相の強い意思もあり、昭和16年10月中旬に、アラスカにおいてルーズベルト米大統領との首脳会談が計画されていた。ところが近衛書簡の内容の概ねが漏れてアメリカの新聞に発表されてしまう。日本政府はアメリカに泣きを入れた!対米強硬・親ドイツ派の右翼や小壮軍人や軽噪な言論人は、この方に激昂した。一般の国民の気持ちまでもがぐんぐん激烈になり、アメリカに対する敵愾心をいっそう燃え立たせることになる。日本国内の世論の熱狂が、アメリカ小竹に良い口実を与えたことになる。こうして一気に、首脳会談の望みは微塵に砕け散ったのである。

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    2016年08月15日
  • 昭和史裁判

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    半藤一利と加藤陽子による昭和の戦争に関連する人物の疑似裁判?というより裁判を模した対談。
    まあ!兎に角、微に入り細に入った内容まで立ち入って対談しているのには正直驚いた。昭和の時代だから資料が豊富にあるので、ここまでやらなければダメなのかとも思うが、調べるのも大変だと腰が引けそうな感じがする。

    俎上に乗るのは「広田弘毅」「近衛文麿」「松岡洋右」「木戸幸一」「昭和天皇」の5名。東条英機が何故入っていないのだろうと不思議に思う。対談の対象に入れても太平洋戦争の主犯だというのが、はっきりしていて「裁判」としては弁護の余地がないからだろうか?

    特に最終章の「昭和天皇」の章については、驚きの内容でした。
    P287~288
    半藤:昭和16年は新聞が反米運動のお先棒かつぎでした。新聞が反米の世論を焚きつけたのですが、今度は逆に、世論に新聞も言論を縛られていくのです。
    P302~303
    加藤:(第二次上海事変-1937年に中華民国の上海共同租界で起きた日中戦争の発端となる日中両軍の戦闘の時)天皇は、参謀本部は渋っているけれど、やっぱり海軍が求めるように、上海にもっと陸軍の兵力を投入せざるを得ないと判断する。海軍側への信頼関係もあったせいで、かなり大胆な指導をなさったな、と思うのです。とりわけ昭和12年11月までの、上海作戦が終わるまではその印象を持ちます・・・(略)・・・平沼首相に向かって、「統帥権について、言葉を変えていえば陸軍について、何か難しいうるさいことが起こったならば、自分が裁いてやるから、何でも自分の所に持って来い」と言う。昭和15年までも含めて、日中戦争は天皇が、戦術戦略的なレベルまで降りていって指揮した戦争だったなあ、という印象があります。
    半藤:昭和天皇の中国に対する最初のころの基本的な考え方は、残念ながら「中国一撃論」でした。
    P323
    半藤:昭和天皇はどうやら日中戦争開戦そのものはやむを得ないと思っていた。けれど、対ソ戦開戦の恐れがあるから早く収拾せよと、それを一所懸命言っていたのです。
    P324
    半藤:天皇のみならず軍部や政府の指導者たちには、南進でも北進でも同じ結果を招くとはわかっていなかったのです。いずれもアメリカの対日硬化という結果を招くということが。
    P343
    加藤:元老の西園寺公望が元気な頃、そして牧野伸顕が内大臣の頃までは、とにかく天皇は御前会議を開いては駄目だと。政治的な判断をしてはならない時代でした。でも、湯浅倉平が内大臣になると、湯浅は例によって内務官僚の真面目な人ですから、天皇の統帥権的発言を許すわけです・・・(略)・・・昭和天皇は美濃部達吉の天皇機関説事件が起きたときには、天皇機関説を支持していたにも関わらず、湯浅内大臣になると天皇機関説を逸脱した形で戦争に関与しました。天皇機関説が保障してくれていた君主無答責が、昭和10年(1935)の機関説排撃事件で葬られてしまいますので、終戦のときは、ある意味、天皇の「無答責」を保証する国法学的な解釈がなくなってしまっている。天皇は、太平洋戦争のそれぞれの作戦指導で、御下問というかたちで、統帥部の判断を変更することがありましたので、天皇「無答責」というのは、太平洋戦争中の国務と統帥については、無理があると思っています。軍はそれがわかっているから、無条件降伏できなかったと思います。
    P373
    半藤:それにつけても、最後にもう一言、昭和天皇のまわりには不忠の臣ばかりがいましたなあ。

    私としては、これまで天皇の戦争責任という問題について、余り考えたことが無かった・・・というより考えることを拒否していた。ましてや昭和史に関しては、読むのも嫌だったが、最近思う処があって、これまでの食わず嫌いな分野まで、やっと手を伸ばし始めました。
    その最初の本にしては、衝撃が大き過ぎた感があります。

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    2016年02月20日
  • それでも、日本人は「戦争」を選んだ

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    日清戦争から太平洋戦争までの近現代史を扱った、
    第9回小林秀雄賞受賞作の、中高生向けに行われた講義録。

    たいへん勉強になりました。
    歴史、とくに近現代史はよく知らなかったですから。
    そして、考えながら読むという感覚の歴史の本です。
    内容が濃いので、何回か読まないと、アタマに定着しなそうではあります、
    が、読みごたえはすごくありました。

    まず、日清戦争も日露戦争も、朝鮮半島がかなり深く関係しているんだなというのを、
    はじめて認識しました。だからこそ、1910年に朝鮮半島を日本は占領したんですね。
    また、あの時代、力で示さないと欧米列強に認められないという時代だったようだから、
    一等国を目指すには避けられなかったかのようでした。
    時代の流れっていうのがありますよね。
    すべて自律的、独善的に歴史を切り拓いていったわけじゃなくて、
    他律的とまでいわなくても、他国や時代の空気、その当時の考え方などによって
    誘発される行動ってあるもので、こういった日清・日露の戦争なぞは、
    そういったものとの絡み合いで起こっている感じがしました。

    そして、第一次世界大戦をへて、
    満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと転がっていきます。
    勢いがついてそうなったように見えてしまう。
    というか、明治維新が起こったそのスタートからして、
    太平洋戦争の敗北へのゴールは決まっていたかのようにすら思えてしまいました。

    そしてそんな坂道を転がるように戦争の道へと突き進んでいった日本の、
    その勢いに拍車をかけた軍部の影響力増大の理由のひとつに、
    当時の政党が実現できなかった、農村部などの大多数の庶民を保護する
    政策を、軍部が掲げてそれを実現してしまい人気を得たというのが印象に残りました。
    戦争になってしまえば、そんな政策は吹き飛ぶのですが、それでも
    民衆は彼らを保護する政策を掲げた軍部を支持してしまった。
    そして勢いづいていく。
    2・26事件に代表される血なまぐさい粛清事件や暗殺事件も多いし、
    憲兵による厳しい検閲など、民衆や知識人らの取り締まりが厳しい時代になっていき、
    本当に軍部が主権を握って、果てしのないアジア制覇の侵略戦争が起こっていきます。
    要は、経済で日独伊の三国で世界の覇権を握ろうというものですよねえ。
    日本の場合は欧米へのコンプレックスも関係しているように読めました。

    さらに驚いたのは、勉強不足ゆえの、戦争に関する死傷者の数値について。
    日中戦争から太平洋戦争で死傷された中国人の数は、
    兵士で300万人、民間人で800万人、あわせて1100万人だそうです。すごい数です。
    また、広島への原爆投下後の1945年8月7日にソ連が日本へ宣戦布告して攻めてくるのですが、
    当時満州にいた200万人のうち、24万人が死んでいる、そして64万人がシベリアへ抑留され、
    その1割強の人が、過酷な環境のために亡くなっているそうです。
    ソ連の南下もバカにできないどころか、大きな戦禍だったのだなあと知りました。

    また、朝鮮半島からは朝鮮人の16%が日本の炭鉱などに連行されていたようです。
    ぼくの住む街にも炭鉱がたくさんあって、朝鮮人労働者慰霊碑っていうのを
    子どもの頃に見学して見たことがあるんですよね。
    先生からはそのことに関しては触れられなかったような気がする。
    日本人として卑屈にならないようにだとか、そういう消極的な判断があったのかなと
    今になって推測するところですが、そういうところにこそ、
    時間を使って議論をしていくべきだったのではないのか。
    大人になっても難しいことではありますが。
    まあ悪いことは悪いと、占領下の人びとを統治する仕方が悪いとか、
    差別が本当によくないだとか、
    そういうことをできるだけクリアにしたほうがいいのではと思ったり。

    それにしても、こういう歴史の授業なら、食い入るように聞いたでしょう。
    それでも、難しいしペースが早くて落ちこぼれたかもしれないですが、
    興味は残ったと思うんです。
    こういう近現代史を題材にしてレポートを書いてみるという自由研究だって
    あっていいよなぁと思います。
    もう夏休みが終わるころですので、中学生の人なんかは来年の自由研究の
    素材のひとつとして読んでみたらいかがでしょう。
    大きなお世話かな・・・。

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    2025年07月02日
  • NHKさかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争

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     NHKの番組に沿って書かれているだけあって、本書はとてもわかりやすくまとまっている。
     こうして昭和をさかのぼってみると、日本が歩んできた道がよくわかる。
     しかし、やはり戦争は避けられなかったのだろうか。本書を読むと、戦前にはなかった「言論の自由」がいかに大切なものかがよくわかる。
     国家と人々がひとつになれるということは、素晴らしいことでもあるが、危険なことでもあるということを本書は実によく教えてくれるとつくづく思った。

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    2015年02月13日
  • シリーズ日本近現代史 5 満州事変から日中戦争へ

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    「満州とは何であったのか?」で本を探していて、良書と評判の高い本書を手に取った。先ず、本書を読むにあたってはかなりしっかりと歴史を理解していないとついていけないレベルではあった。私には、時間をかけて、覚悟を決めて!?、調べながら読む必要があった。学生時代の知識を思い出すとか、勉強するとかいうよりも、この時代を整理し直して、考え直すことができる本。

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    2015年01月11日
  • 昭和史裁判

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    あの戦争を招来してしまった文官の判断と行動、そして背景を泰斗の二人が論団する。
    広田弘毅を貶し、松岡外相を持ち上げてみたりと、輻輳的な視点から論じられ面白い。

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    2014年09月10日
  • あの戦争になぜ負けたのか

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    この本を読むと官僚組織が力を持ちトップダウンで政策を指示、遂行していくという流れが戦前から変わっていない事がわかります。(力を持ったものが武官が文官に代わっただけ。)過去の戦争での悲劇をを風化させてはいけないと強く思います。

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    2014年08月26日
  • 戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ

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    加藤陽子という人の、独特のものの見方というのは論理性と当事者性にあるのかと思っていたが、そうばかりでもない、というのは本書で笠原和夫と大杉栄という補助線を得て、了解した。国や国民に対するどこかさめた距離感は、いってみればアナーキストのそれなのかもしれない。
    取り上げられた中で備忘:笹まくらと東京裁判三部作。

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    2014年03月16日
  • 昭和史裁判

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    目のリハビリとして読む。無茶だった(苦笑)

    先の太平洋戦争(大東亜戦争)で政府の中枢にいた五人について、半藤一利、加藤陽子両氏がそれぞれ検察側、弁護側に立って議論しているマニアックな内容。
    日本史の教科書に載っている載っていない人たちがたくさん出てきて、読むほうは困ります(苦笑)。
    膨大な資料を良くぞ読み込んだものだと感心。
    憧れる…

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    2014年03月13日
  • 戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ

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    正義とは何か?公平とは?一つの考えに傾倒し、突き進んでしまう傾向にある日本の政治・マスコミ・国民が如何に危うい結果を生んできたか。誰も疑っていないことはむしろ恐しいのだ。クリーンなタカとダーティーなハトといった端的な切り分け表現すら怖いと感じてしまう。

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    2014年01月25日
  • 戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで

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    太平洋戦争をふりかえるとき、「なぜ日本は無謀な戦争に突入したのか」という命題が立てられがちだが、太平洋戦争だけを取り上げてそのような問いを立てるのは「正しい問い方」ではないと筆者は言う。
    明治政府樹立後、次々に戦争を重ねてきた日本の歴史を一つ一つ検証し、戦争の相互性をとらえる中で、初めて太平洋戦争を巻き起こした理論が明らかになる。言われてみれば当たり前だが、なかなか気づきにくいこと。
    明治維新に正当性を持たせた理論から順に、為政者が戦争に向けて国内外に訴えた理屈を見ていくと、今から見れば無謀で筋の通らない戦争がなぜ実現されてしまったのか、おぼろげながら見えてきた気がする。
    もっと背景知識を身につけてからもう一度読みたい。

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    2013年10月05日
  • あの戦争になぜ負けたのか

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    今現在の現状を理解するのに先の大戦ってとても重要だと思う。例えば、開戦の理由は石油をアメリカに止められたのが直接の要因で、エネルギーに関しては当時とあんまり変わっていない。負けた要因をきちんと分析、理解ることもこれまたとても重要。さっきバラカンさんのラジオで戦争は二度と起こしてはならない、みたいなこといってたけど、起こしてはならないからこそ、きちんと抑止力としての武力は必要だし、憲法もちゃんと改正しないといけない。戦争ダメの理想論だけで思考停止に陥るってのは、先の大戦の理解が足りないからなんだよね。

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    2013年03月10日
  • 戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ

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    特に印象的だったことを徒然に書き記しておきます。

    学徒出陣に対して、庶民からはむしろ当時のエリート層である
    大学生が出征することを、喜んでいたような節があるというような
    話が興味深かった。「不幸の均霑」という言葉を用いて説明されているんだけど、「同じ辛い思いをしろ」というような、庶民側の感情というものがあったと。これなんか、まさしく今の日本とおなじ構造だと思う。昨今の過激な発言で賑わす政治家達が既得権益をぶっつぶすみたいなこと言うけど、それに市民は喜んで同調してしまう。
    その背景にあるのは「大変な思いをしている時に甘い汁を吸っているやつらはけしからん」というような、感情と同じだと思う。
    本当は、研究者や学生までもが戦争にかり出されて行く姿を異常だって気づかないと行けないのに。

    「非政治的な活動」がいつのまにか、結果的に政治的な方向に導く力を持っていた、こととか。国防婦人会なんてのは、最初はもっとローカルで無害な、コミュニティとしての集まりだったと。主婦の節約術、的なことを教えていくような。それがいつしか組織化され、国家の意向を推進するような強い影響力を持って行ったと。人があつまる、団結する、組織化するということ、それ自体にもともと力があるんだと思う。そして、それはもしかしたら目的があるかなしか、に関わらず、ただそれだけでパワーがあるんだろう。大正デモクラシーとかにもちょろっと触れていたけど、当時の日本人にとって、そういう全国規模で何かをするっていうこと自体がもしかしたら新しかったのかもしれない。そういう一体感っていうのがある種、感覚を麻痺させる麻薬的な要素があるんだろう。そういう非政治的な部分っていうのは、目的が明確でなかった分、一度方向を間違えると危ういんだと思う。

    個人的に思うのは、日本人は政治を嫌う傾向にあると思う。
    職場や学校で政治の話、自分の心情などを話すのはタブー視されている雰囲気があるけどそれってダメだと思うし、それこそが、みんな思考を停止してしまう、引いては自分のこととして政治を考えられなくしてしまうことなんじゃないかと。本当はもっと身近な話題であるはずなんだよね。誰かと話す、意見が食い違う、そこから問題意識が深められると思うんですよね。だから、私としては、いろんな人と話そうと心がけるようにしております。

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    2013年01月05日
  • あの戦争になぜ負けたのか

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    軍部にコミンテルンが入っていたようだとか、受勲スコアの考え方とか、草鹿龍之介が剣道的な戦略概念を持っていたとか、開戦直前の顛末とか、知らなかったことが書かれていて興味深い。

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    2013年01月03日
  • NHKさかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争

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    さかのぼりの技法がとても生きている巻であると感じた。
    サイパン陥落が太平洋戦争敗戦に関する重大な事実であったこと、そこにおける決断を逃した理由に、決断すべき人々の幼少期の経験が少なからず影響しているであろうことなど、なるほどと感じることが多く、いろいろと考えながら読み進めることができた。

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    2012年11月04日
  • シリーズ日本近現代史 5 満州事変から日中戦争へ

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     本書は、満州事変から日中戦争へ傾斜する1930年代の日本の歴史についての本だが、満州についての詳細な考察は他にない緻密さと真摯さを持っている良書であると思った。
     本書で、1930年代の軍人が窮乏のどん底にある農村の解決策として、思い切った手段が必要として「左翼の組合は土地の平等分配を要求しており、これは確かにもっともな主張だが、仮に日本の全耕地を全農家に平等に分配しても、その額は五反歩にしかならないではないか・・・諸君は五反歩の土地を持って、息子を中学にやれるか、娘を女学校に通わせるか。ダメだろう。日本は土地が狭くて人口が過剰である。このことを左翼は忘れている。」との言を紹介している。当時の日本が大陸に進出していった時代の雰囲気をよくあらわしていると感じた。
     本書での満州における特殊権益や国際関係、国際連盟脱退の経過や関係者の動き等々は、単なる歴史的事実の羅列に終わらずに、詳細に展開されており、実に興味深く読めた。
     本書のような深い考察が、もし現在の日本で一般に共有されていたらば、感情的なナショナリズムによる一時的な高揚などの感情で国際関係が乱れることなどないのにと思わせられた。こういう本があるのだから、歴史は面白い。本書を高く評価したい。

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    2012年06月07日
  • シリーズ日本近現代史 5 満州事変から日中戦争へ

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    日中戦争は両国にとってするべき戦争ではなかった。

    歴史に「もし」はないが、日中戦争が起こらなかったら?どうなってただろう。

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    2012年06月02日
  • NHKさかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争

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    大英帝国が衰退していく中で巨大な市場の中国に覇権を争うべくアメリカと日本が対峙していく。アメリカは軍縮、資源、資金で徐々に日本を追い込んでいく。中国は蒋介石率いる国民党政権がアメリカ等の支援を受け、日本との支那事変(あくまで戦争ではない)を持久戦へと持ち込んでいく。日本はハルノートで最終的にアメリカと戦うしかないと判断し真珠湾攻撃となる。国力・技術力で劣る日本はこれ程大きな犠牲を取らずに済んだと思われるのがサイパンの陥落であった。

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    2012年04月17日
  • NHKさかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争

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    TV(録画)で観た時はいつも通りながら(酔っ払ってみているので)、結局、分かったような分からないよう感想をもった。しかし、本書を改めて読んでみると、今まで読んできたどの本よりも、アジア・太平洋戦争の原因について分かりやすく(シンプル)に書かれていることに気付いた。その分理解を深めるためにはもっと間口のしぼった奥行きの深い本も合わせて読む必要はあるが・・・。とりあえずというのであれば、大変おすすめの本である。

    以下、引用
    第一章 敗戦への道ー1994年(昭和19年)
    ●太平洋戦争の本質は、島嶼作戦にありました。その際に重要なのは、海軍航空基地の使い方でした。(略)島嶼を航空拠点として用いる発送まで進めなかったのです。
    ●もともとアメリカ軍は、B29による日本本土空襲を当面の最重要戦略に位置づけていた。だからこそ、最強の機動部隊と7万近い兵力をつぎ込んでサイパン・マリアナ諸島を後略(グアムの場合は奪還)するやいなや、(略)大車輪で航空基地群を建設・整備しはじめたのでした。
    ●その後の戦争の推移を見れば、サイパン失陥により絶対国防圏が崩壊し本土空襲が現実的なものとなった時点、言い換えれば、日本の敗北が決定的になった44年(昭和19年)7月の時点で、戦争は終わらせなければなりませんでした。
    ●「日中戦争・太平洋戦争での戦死者三百十万人の大半は、サイパン以後の一年余りの期間に戦死している」と。
    ●あの戦争の時代、好むと好まざるにかかわらず、全ての日本人が国家の始めた戦争に巻き込まれました。しかし、もちろん、戦争から受けた苦しみは個のものであって、国のものではありません。ところが、それが国によって否定されようとしています。この三十年来、政府が主張している戦争被害受忍論がそれで、戦争から受けた苦しみや犠牲は国民が等しく受忍すべきだというのです。(略)軍人・軍属は恩給・遺族年金という形で累計50兆円の補償があるけれども、民間のたとえば空襲被害者への補償はないのです。(略)あるいは、アジアの国々に対する戦争責任の問題があります。日本人は、戦争責任を認めて率直に謝罪することが、なかなかできません。その心情の背景には、敗戦にいたる最後の一年余りに味わった悲惨で不条理な体験に対する、いいようのないこだわりがあります。(略)そのこだわりが、いまもなお、アジアの国々とそこに生きる人々に素直に頭を下げるのを妨げているように、私には思われます。
    第二章 日米開戦 決断と記憶ー1941年(昭和16年)
    ●日米開戦の直接・間接の引き金になった出来事は(略)そのおおもとには日中戦争、とりわけその長期化があったことは動きません。
    ●中国との戦争が始まって三年たった四十年、「泥沼」の日中戦争に業を煮やした第二次近衛内閣は、そこから脱出すべく新たな方策を決定します。そのキーワードは「南進」、つまり南方への進出。
    ●もともとアメリカが中国国民政府の側に立って援助をおこなったのは、かねてから中国との間に巨大な貿易関係、経済的権益をもつアメリカとして、中国をあたかも門戸閉鎖するような日本のふるまいは許さない、という動機です。
    ●こうして四十年代に入ると、日米双方がかつて想定したとおり、中国における両国の経済的利害の対立は国家としての対立にエスカレートし、今や戦争が現実のものになろうとしていました。そこで、戦争を何とか回避しようとぎりぎりの日米交渉が始められたというのが、41年春の状況です。
    ●それにしても、なぜアメリカは、このような予想外の強行措置をとったのか。(略)ソ連を応援するためでした。(略)ソ連が当面の敵であるドイツに加えて背後から日本の攻撃を受けることがないように、日本を強く牽制し注意をアメリカがひきつけた。
    ●こうして少年時代に刻みつけられた華々しい勝利の記憶が、長じて軍人を志す大きな動機となり、軍人になってからは模範的な戦いとして常に反芻し続ける対象となったことは、疑いありません。そして、記憶はいつしか信念となる。(略)そのような彼らが四十歳代になり統帥部の中核を担ったとき、開戦それも早期開戦を渇望したことは想像に難くありません。
    ●圧倒的に国力の差があるアメリカ相手に、なぜ日本は踏み切れたのでしょうか。(略)前に彼我の国力の差は上層部のみならず国民全体が認識していたとお話しましたが、それは、政府が隠そうとしなかった、むしろ国力の差を克服するのが精神力なのだという点から強調していたからです。(略)国民をまとめるには、危機を煽るほうが近道だったのでしょうね。とすれば、絶対的な国力の差を意識しながらも、開戦を積極的に支持する人々、層がかなり広範にいたはずです。(略)日中戦争は気が進まない戦争だったけれども、太平洋戦争は強い英米を相手にしているのだから、弱いものいじめではない、爽やかな気持ちだ、と竹内好は書き、太平洋戦争は日中戦争と違って明るい、と伊藤整は着きます。
    第三章 日中戦争 長期化の誤算ー1937年(昭和12年)
    ●では、なぜ中国軍がこれほど頑強であったのか。その理由は二つあります。まず一つは、「抗日意識の強さ」です。(略)中国軍が強かったもう一つの理由は、蒋介石の主導で、ドイツをはじめとする軍需品の購入、顧問団の活躍がありました。
    ●前述したように、宣戦布告しないことの最大の理由はアメリカとの経済的関係を維持するためでした。だから、宣戦布告しないことで、日本・中国とも実態としての戦争を始めることができたわけです。しかし、ということは、中国がもともとの戦略思想である持久戦を耐え抜く物資・資金を得るということも意味している。
    ●こうして宣戦不布告から始まった奇妙な戦争は、袋小路に入り込んでしまいました。戦争開始から一年たったころには、大陸で戦っている兵士たちも、銃後の国民も、ともに疲れて、この戦争に疑問を持ち始めていました。(略)いったい、この戦争は何のためにやっているのか、戦争の大儀は何なのか、何が得られるのかと。(略)と、こういうような言わば事態の後追いの形で政府が発表したのが、38年11月3日の「東亜新秩序」声明(第二次近衛内閣)でした。(略)政府が、態度を二転三転させた末に、開戦から一年以上もたって、ようやくこの程度の論理しかだすことができなかったところに、そして、その論理がこの戦争に何らの展望を与えず、もちろん解決策ともなりえなかったところに、この戦争の悲劇があったように私はおもいます。
    ●中国は早い段階から、日中の戦いを持久戦に持ち込み、いずれは世界大戦に発展させようと目論んでいた。一方日本は、短期決戦で決着できると思い込んだうえに、中国の強い抗日意識と軍事力に対する見通しを誤り、国際情勢も読み間違えた。そこから、日中戦争は際限もなく拡大し、長期化してしまったのだ。
    第四章 満州事変 暴走の原点ー1933年(昭和8年)
    ●近代史をはるか昔に起きた古代のことように見る感性、すなわち、自国と外国、味方と敵といった、切れば血の出る関係としてではなく、あえて現在の自分とは遠い時代のような関係として見る感性、これは、未来に生きるための指針を歴史から得ようと考える際には必須の知性であると考えています。

    「日本陸軍と中国」戸部良一 講談社選書メチエ 1999

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    2014年03月24日