武田砂鉄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
夫にマチズモって知ってる?と聞くと、知らないとの回答。まあそれはわかる。
男性優位性とか男性優位主義のことだよと説明すると、「そういう男性優位主義の国ってあるの?」と言われた。
えっ???
あなたが生まれ育ったこの国がまさにそうですが…。
ちょっと夫に対して引いてしまいました。
でも、確かに、優遇されている側は、自分がいかに優遇されてるかなんて、考えないもんなー。それがまさに優遇されていることの最たる証拠なんだけど。
だって、右利きが多いこの世の中で、右利きって左利きに比べて優遇されてるなー、なんて考えないし。この向きは左利きの人には使いづらいんじゃないか?なんて考える右利きの人はいない。
だから夫が悪いとかは思わないですが、そうさせている社会は改善すべきだと思います、つまりこの本の著者と同じ意見です。 -
Posted by ブクログ
「口が達者なら、あのときああいった人にこうやって言えたのにな」という文章がたくさんある。本書でも言っているが、言語化する力は、この上ない武器だと思う。言語化能力が低いけれども、「それは違う」ということは伝えたくて、言葉の応酬になったときに、この本から最適なフレーズを選んで発射ボタンを押せば相手に届く仕組みがあればいいのに。
何段重ねかの論法で、いきりの皮を剥いでいくのが、爽快すぎる。いきり側からの攻撃に対する迎撃体制も万全で、その万全さに若干笑いが浮かんでしまう。
もちろん「いきる」自分に心当たりはある。そんな振り返りに赤面はする。ただ、意図的に論点をずらし続ける人たちのいきりのハシゴを、なんとか外して、地表に立って目線を合わせて話ができたらと思うのだ。 -
Posted by ブクログ
マチズモ=男性優位主義。
私も男性で、生きてきて今まで、"当たり前"と思っていたことが、
「では、私が女性だった場合、"何の疑問や障害も無く"同じように出来ただろうか?社会のあらゆるシステムや構築物などは、女性にも平等に、均等な機会を得られ得るようになっているだろうか??そういう(ジェンダーの)観点で、フェアな社会といえるのだろうか?現代でも?…」と、新たな気付きを与えてくれた本。
異性に対する恋愛感情など、異性で(ジェンダー別に生物学的に特有の)それぞれに持っている"特徴"はあるだろう。それとは別に、お互いがより良く生きる社会に(私が、常々思っている"フェアな社会の実現")するためには、まだまだ"削っていかねばならないマチズモ"が有ること、また、気付かねばならないこと、気付いた上で、放置してはいけないこと(すぐには改善出来ないかもしれないが、言い続けることで、忘れないようにして、いつか改善できるように)、大事だとあらためて思いました。
お陰様で。
まだまだ、私自身、修行の身だと思います。
早く、人間になりたーい(笑) -
Posted by ブクログ
2023年初出(2021–2022『青春と読書』連載)、
2026年05月30日集英社文庫版刊行(加筆ぶんは文庫本書き下ろし)
世に蔓延るマッチョイズム、女性差別、子なし夫婦差別などに対するヌルヌルとした当てこすりに対して、それ以上のstickyな態度とことばで「それはおかしいよ」と突き詰めていく、その粘着性(stickyness)こそが、自分自身から出し切れぬやりすごしてきたものごとであり、武田砂鉄が必死で抗う中で発揮し続けてきた粘り強さであり、ありがとう、武田砂鉄のバトル粘液……自分もこのくらいとまではいかずとも少しはイカスミでもなんでも吐き出して「どういうことだコラァ」と理詰めで争ってみせるよ、という気分になる本。
武田砂鉄の言論面での粘り強さ、いい意味でのねちっこさは、無自覚に権威の側に立つ人間が絶えず浸出させている、不定形のままいたがるわりに言葉としては紋切型に固着しつづける出口のない感じを敢えて相手の背中に張り付いて気持ち95%くらいに再構成してみせることで、相手の傲慢な居直りぶりを鏡に映し出し、辱めるような柔術的効果があると感じています。そして残りの5%に、ファニーな香りのチューインガムを挟み込んで、相手の論理の破綻箇所を指し示してみせる。
自分はそういうミラーリングに踏み切る柔軟性を持ってこなかったので、その技に学びたい。 -
Posted by ブクログ
議論の混乱を整理するのは哲学の得意とするところだが、それを同時代の生の政治状況のただ中で、自らもそれに巻き込まれる形で実践するのは大変なことだ。しかも相手はまともに議論するつもりなどなく、とにかく「勝つ」ことだけにこだわる人々だ。そうした相手に対して著者は何と粘り強いことか。見習いたいがなかなかできることではない。「19 届ける」だけでも、「オールドメディア」と揶揄されて悩み惑っている既存メディアの人々に読んでもらいたい。
94頁
「 この本で問うている「いきる」とは、物申す、ではなく、むしろ、(ちょっと変な形容だが)「そう簡単に物申させてたまるか」にあるのかもしれない。自分で感情を暴走させるよりも、他者に感情を暴走させないようにする働きかけにある。感情の動きに理由を求められ、それが逐一査定され、その程度でその反応はどうかと思うとチェックされ続けることになる。
気持ちは大切だが、どのような気持ちなのか、外からチェックします。その上で、動いてよし、となれば、動き出す。喜怒哀楽の種類を問わず、このGOサインを出す人たちがいる。あらゆるところにいる。いいと思うよ、と誰かが言う。どうかと思うよ、と誰かが言う。自分はちょっとまだ保留中で、でも、今後次第だとは思ってるよ、と誰かが言う。
誰なんだろう、お前たちは。考えや態度を表明しようとする働きに対し、食い止めようとする存在があり、多事争論の形成を拒んでいる。」
167頁
「 これを書いている現在は、もうすぐ東京で都知事選挙がある。一番有力な現職候補が何をしているかというと、あまり表には出さないようにして、できるだけ論議の中に混ざり込まないように心がけている。(校正している段階では、選挙は終了し、現職候補が三選を果たした)。記者たちからの問いかけに応じなければいけない場所には出ていかない。どこで演説をするのかと待ち構えていたら、船に乗って水上からアピールをする。限られた討論会の場で、聞かれたくないことを聞かれると「うふふ」と笑いながら、その質問は何度も答えてきたと言いながら、別の話に移行させる。選挙に出る人は、自分がなったらこんなにいいことをしますよ、と言い続けるので、それを並べて、誰が一番いいことをしてくれるのだろうかと比べる。並べるのは簡単で、その質を比較するためには、候補者同士で議論を交わす場面を確認しなければいけないが、今回、現職候補はその機会をほとんど作らなかった。その機会を他の候補者が求めたり、テレビ局が調整しようとしたりしても、公務で忙しいと断り続けたそう。」
205頁
「 選挙が終わると、どの党の戦略が1番上手かったかについての分析が並ぶ。それに目を通し、有権者が意見をぶつける。確かに上手かったけど、このやり方が通じるのは今回だけではないか、次回の選挙までに化けの皮がはがれているのではないか、そもそも、もう剥がれかかっていたのに、今回の選挙ではそれがバレなかったのはどうしてなのだろう、などと語りたくなる。でも、それ、いつの間にか、テクニック分析に巻き込まれている。「届いた」で、実際にその政策が実行され、問題が解決されたわけではない。「わが党はこれを実践した」と、「わが党はこれを実践したいとするメッセージが有権者に届いた」では、根本的に段階が違う。「届いた」に価値を置きすぎると、「何がどのように」の部分が軽んじられる。「届け方が上手い」なんて、論評をメディアがやりすぎてはいけない。でも、そればかりやっている。」
221頁
「 このところ、選挙で注目された人たちは、とにかく難しいことを言わない。こうですよね、と絞って言う。これこれこうだからこうですよね、ではなく、こうですよね、を強める。都知事選も衆院選も兵庫県知事戦もそうだった。明言に多くの人が興奮した。強気の態度を崩さず、私は新しい(NEW)、そして素早く(SPEED)仕事する、そんな存在だと。これがベースになると、熟考が取り除かれるので、質問を抱えている方が、ったく、いちいち質問してくるんじゃねぇよと言われやすい。」
252頁
「いきっている言葉は土台が脆弱なので、問われると逃げるしかない。常に逃げるための準備を整えている。それは生活者の言葉ではない。体に染み込んだ言葉ではない。乱暴なテクニックの言葉だ。兵庫県知事の選挙活動を支援したPR会社のポリシーのひとつが「『NEW』と『SPEED』を提供すること」だったように、新しく&素早くを繰り返していると、果たして、自分とは何者か、なぜ自分がここにいるのか、どの根源的な問いを自分に向けずに済む。「伊切」と「考えなくなること」は結びついており、考えなくさせたほうが、自分たちが動きやすくなる場面で「いきる」は効果を発揮する。」
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Posted by ブクログ
世の中から「対話」とか「話し合い」が駆逐されつつあるようだ。細かいテクニックで分断が進むその様子が描かれていてゾッとしました。ニュースダイエットはしているので、不快な情報発信に触れることは少ないが、少ないからと言っても、不快な状況が現実を侵食するのは避けられず、所詮はこれもただの小手先のテクニックだったか、と反省しきり。
「自己責任」という便利な言葉をわざわざ弱者が口にするようになってずいぶんたつ。まあミクロ的にはそれぞれがスキルを獲得することには意義があるかもしれないけれど、システムがアホな方に向かっては蟷螂の鎌になってしまう。村上春樹は真っ当なことをエルサレムで言ってたな。
道具というものは人間の能力を拡張するが故に古から人は道具を神聖化したりして、うまく折り合うことに腐心してきたけれど、最近のイキった人類は道具を振り回すのがただただ楽しくて仕方がないらしい。道具に使われる恐れも、道具が壊れてしまう恐れも忘れるほどに。 -
Posted by ブクログ
なんていいタイトルなんだ。いつからフェミニストになったのか、いつフェミニズムに出会ったのか、ではなくインターネットでは揶揄や冷笑の単語となっている『フェミ』を使い、おなじみの風邪薬のキャッチコピーのようなリズム感でフックと軽快さを両立している。
タイトルの通りなのだが、この本にはあらゆる人がフェミニズムにいつ、どのようにして出会ったのかがリレーエッセイ形式でまとめられている。もちろんトランスジェンダーの書き手も、ノンバイナリーの書き手もいる。
フェミニズムとの出会いが劇的な人もいれば、ぬるっとじわっと出会っていたという人もいて、これはあらゆる人に語ってほしいテーマだと思ったし、私も近いうちにまとめたいと思う。
どのエッセイも読み応えがあり、内容としてもおもしろかったのだが、武田砂鉄さんの”編集者はこの原稿を森喜朗や麻生太郎には依頼しないはずなので、”という一文がウィットに富んでいて痛快で笑ってしまった。
そういえばなんだかんだで武田砂鉄さんの著書はまだ読んでいない気がするので近いうちに読みたい。そしてこの感想を読んでくれたそこのあなたにも答えてほしい。
『あなたのフェミはどこから?』