武田砂鉄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
政治家などが、なにか質問されても妙に論点をすり替えて、聞かれたことに答えてない、という状況の動画をよくみる。すり替えすらせず、同じ言葉をただ繰り返すとか。ああいうの良くないなあと思う。会話になってない。さらにいうと、そういう答え方を良しと思ってなくても、ずっと見てると、そういう会話方法が現実にあるんだ、ってことが自分の中に知らず知らずに蓄積されて、いざどこかで答えたくない質問をされたときに真似してしまうんじゃないかという気がして、怖い。特に、子どもに対してとかやってしまったらどうしよう。実際には、わたしが頭が早く回らないので、困ると黙ってしまうことがほとんどだけど、仕事なんかで「ここはスムーズに答えないといけない!」というプレッシャーがかかったらやってしまうかもしれない。
いまの話とドンピシャ重なるわけではないが、質問や批判や反論をしてきた人に対して、「そもそもあなたにそれを言う権利があるんですか?」みたいなかたちで切り返して議論を封じ込める態度のことを、武田砂鉄は「思考の欠落」を「権利の欠落」によって繕おうとする態度だと書いていて、なるほどと思った。それに対してできることは、それでも問い続けることしかない、と。だって相手は黙らせたいのだから、別に言い負かさなくていいけど、黙ってはいけない。ギリガンの「不逞不遜の大胆さ(Audacity)」、シャープの「抵抗」。
また、「承認に頼らないで生きるようにしている」という話も印象に残った。
「他者からの承認に頼らないようにしています。(中略)自分が認められている、肯定されていると感じられる先を限定してしまうと、とにかくそれが潰えないようにしようと焦り、時に自分を保つことができなくなると思っている。」
そのために武田砂鉄は、褒められたらありがたくむしゃむしゃっといただくけどすぐにウンチのように出しちゃって、自分に対する批判の声も拾いに行くそうだ。自分を叩く言説も読んで、するとまあ落ち込むけど、こうやって叩く人たちはなんか誰かを見下したくてやってるんだ、そういうもんだ、って考えるとある程度気が楽になるんだという。
わたしは有名人じゃないから褒められたり叩かれたりがたくさんあるわけじゃないので、これと同じ対策は取れない。だからわざわざ批判の声を探しにいく必要はないとは思うが、褒められたことを自分の唯一の価値と思ってしまって、あるときちょっとでもケチがつくとすごく落ち込んでしまう、という傾向がある。テストで良い点とるためには、ある程度対策をすればそれに見合った結果を得やすいので、自己肯定感につながりやすいが、学校時代が終わるとテストには頼れなくなる。でも点数=評価だった世界を点数で生き抜いてきたから、他者からの評価に自分の価値のありどころを求めてしまう回路がしぶとく残っている。ちょっと褒められただけで、モチベーションがあがる。あがるだけならいいけど、逆もあるし、テスト点数のようには他者からの評価というものはコントロールできない。だからわたしは、褒められたときに、それだけで「やった、わたしはこれでいいんだ」と思わないようにすることが、承認に頼らないで生きるための対策かもしれない。褒められるからじゃなくて、楽しいからやりたい、とかなんとか? まだ具体的にはどういうことになるのかわからないけど。
また思春期日記みたいな感想になってしまった。本の紹介のために書いているのではないからいいけど。武田砂鉄の本を読むのは2冊目(前はAudibleで聞いたので、「読む」のは初めて)だが、切れ味が鮮やか、ではなくて、まだここほじってるよというネチネチモチモチ感が癖になる。なんとなく軽く読めそうな見た目(?)に反して、ずっしり満腹感がある。米粉パンみたいだ。米粉パンをふつうのパンと同じ体積食べると必ず後悔するんですよね。 -
Posted by ブクログ
自身も結婚して9年間子供を授からなかった経験があり、また、授かったあとも含め、こと子供がいる、いない関連で、とにかくしんどいと感じることがよくあったので、それって何なんやろうと思っていたところでこの著書と出会うことができたため購入
概ね、共感できる内容でした
結婚→子供を育てる、が「普通」という空気感、圧力、それって何?っていうことについて、既婚者だけどタイトル通り父ではない著者が色んな視点からまとめて下さってました
子供がいなかっとき、「いつつくるの?」とよく周りから言われました、「ほっといてくれ」です、人それぞれ、事情や考えがあってのことなので、それ前提で色んなことが言い合えたらいいのですが、まぁ、ならへんよなぁ…と思いました -
Posted by ブクログ
こんなに読み応えのある本は久しぶりだと思った。
タイトルの感じから、もっとさらっと読めるものかと思っていたけど、ずっしり重い考察が続く。
砂鉄さんの本を読んだのは初めてで、ラジオを聞いていて感じるユーモアとしつこさが、本にも散りばめられている。「文章でも、やっぱり砂鉄さんだ~」と思った。
著名人の言動に対しての批判が出てくるが、全て実名で、「いつどこで」とはっきり書いてる。しかも、しつこく、とことん批判している。
こんな風に他人への批判を真正面から書いているものって、最近では珍しいのではないか。自分の言葉に責任を持つ覚悟がないとこんな風には書けない。その批判が正しいかどうかは別として、信頼できる人だと感じた。
ぜひ他の本も手に取ってみたい。 -
Posted by ブクログ
彼女をフェミニストにしたものはなにか。
幼い頃に田舎の封建的な暮らしで経験した家父長制の抑圧であり、
「よのなか」から女の子の身体に向けられる視線であり、
それらによる個人的な傷つき体験の数々かもしれない。
あるいは不自由極まりない、
毎月の大量出血や痛みでままならない身体そのものかもしれない。
あるいはプリキュアであり、侍女の物語であり、
マッドマックス怒りのデス・ロードやアナと雪の女王であり、
レディー・ガガや(G)I-DLEかもしれない。
そしてもちろん、私かもしれない。
『あなたのフェミはどこから?』 / 平凡社
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あなたの"フェミ”はいつ、どこから始まりましたか?
文筆家、写真家、彫刻家、翻訳家、編集者、
ライター、演出家、イラストレーター、学者、
ソーシャルワーカー、精神科医など19人が、
個人的でありながらも共通する体験でもあり、
連帯する基盤ともなるフェミニズムとの出会いを綴る。
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些細なことも含めて、生きづらさを感じることは多々ある。
その正体がちょっと分かった気がした。
全てではないけど、私が女性だからという理由で生きづらさを感じていることもあるなあと再認識できた。
自分の友達や子供がジェンダーを理由に生きづらさを感じないでほしいし、
自分も「知らず知らずのうちに」「悪気なく」「良かれと思って」誰かを傷つけたくはないなと思えた。
#あなたのフェミはどこから #フェミニズム #平凡社
#読書記録 #読書感想文 -
Posted by ブクログ
男性の方が、なかなか踏み込んだテーマだとそもそも思わされてしまうということ自体意味のないことで無駄なのかもと思った。
別にこの世に生まれたからと言って特に課せられた役割や責任なんてないし、正解もないし、ライフステージなんて呼ばれるものが自分にあってもなくても自分らしく思うがままに生きていけば一番なんだろうし、そうできてないなと思っても自分がこうだと思った通りにするのが一番なんだろうなと思った。
なぜだか他の人と同じであるということを正しいとか、安心だと感じてしまいがちで、逆に自分と違う人を見つけたら、自分と同じにその人もならないと見ていて不安になるというのはあるよなと思う。ただ、自分が心配だからだったり、正義感でそれを他人に押し付けてしまうようになったら、それはただただ迷惑だなとは思う。
自分が心地いい形で生きていくことは自分自身以外の他人様がとやかくいうべきことではないし、自分が無理に変化をしてもしなくてもいいんだなと思った。
一部有名な方について気になる発言を具体例を用いて考える場面も多少あったが、サラッと内容を読み進めた。
個人的に『変化がない』という項目が楽しかった。 -
Posted by ブクログ
当時の時事への(そしてその延長線上にある今の諸々の体たらくについての)怒りが鮮度高く呼び覚まされる、と同時に、そうしたいけしゃあしゃあとした権威主義的で差別主義的で卑怯でもある数々の話法に対して高速足払いを仕掛けて転がしにかかるような軽妙な言い換えや反論の例示をしてくれるところに、時事評論連載としてのこの文章の魅力がある。
武田砂鉄的な反撃の話法が多少なりとも心の中でトレースできたら、世の中の理不尽な牽強付会について、怯まずツッコミを入れられそうだと思うが、この切れ味で食べているだけに、素人がモノマネしようとしても一朝一夕には見につかなさそうだ。 -
Posted by ブクログ
武田砂鉄さんて、勝手に女性だと思ってたら男性だったんだ!
タイトルに惹かれて、思わず手にとった。
目次をざっと見る。
・子どもがいるのか問われない
・ほら、あの人、子どもがいるから
・変化がない
・「産む」への期待
などなど、気になるものばかり。
父親目線で、母親目線で語られる作品は多く存在するけれど、父ではない目線で、母ではない目線で描かれた作品て、ほとんどない。
武田さんの、結婚はしているけれど父ではない、という、親でも子持ちでもない第三者から捉える「親・子・家族」とは。
当事者「ではない」立場から武田さんが見ている社会には、なるほど!という、気づきが多くて、わたしもこの男性優位社会に染まりまくっているのだなと痛感させられる。
小池百合子都知事、高市早苗総理さんに子どもがいるかいないかは、大抵の人が知っている。
でも、枝野幸男氏、河野太郎氏に子どもがいるかどうかは知らない。わかんないけど、いるんじゃない??という感じだ。
表舞台にたつ女性が結婚しているかどうか、子どもがいるかどうかは知られているのに、男性は特に問われない。
酒井順子さんは、「未婚・子ナシ・30代以上」を負け犬と定義づけた。でも、ここには性別は書いてないのに、なぜかこの字面だと女性を彷彿とさせるし、男性が上記にあてはまったとしても、負け犬感はないし、そもそも男性はなぜか同じ区分で語られない。
芸能人カップルが結婚した時になぜか報道される「なお、妊娠はしていない模様」。妊娠は一人ではしないのに、まるで女性が一人で妊娠したかのように描かれる。「なお、妊娠させた模様」とは描かれない。
と、「ではない」側からの目線に笑ったり納得させられたりしながら読み進める。
男女平等とか言われるけれど、結局男社会に女が合わせているだけで、社会の何かが大きく変わったわけではなく、結局社会全体が疲弊している。
そもそも女性は毎月股から血が出てくるような生活を送っているのに、なんで股から血が出てない人の生活に合わせないといけないのか。
子アリが子どもを語るのは許されるのに、子ナシが子どもを語るのは憚られる。
そんな社会だから、わたしは一生懸命、子ナシのくせに、子ども福祉の現場で子どもや家族の役に立っているつもりになって、子アリになったつもりでいたいのかもしれない。この社会の中で、「未婚・子ナシ・40代」という、女性にとって圧倒的不利な社会構造の中で、少しでも優位性を保っていたいのかもしれない。
そんな風に考えないと自分を保てなくなってしまった社会に、すっかり、足どころか、心までをも絡め取られている。