武田砂鉄のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2002年に亡くなったナンシー関が矛先を向けるのは、当時のテレビの中の人たち。だから、十五年以上経過した今となっては、誰だかよく分からん人も登場する。
けれども、彼女が丹念に拾い集めて指摘する、テレビの中の発言から感じる違和感、もっと言えば不快感は、いまの読者にもありありと伝わってくる。なぜなら、その違和感は、いまのテレビ、マスコミ、ネットからも常に垂れ流され、自分たちも確かに感じているんだけど、目をつぶってやり過ごしているものと同じだから。そして、その「おかしいな」「何か嫌だな」という感情に目を瞑らず、かと言って怒り散らすわけでもなく、その違和感の源をピシャリと言い当てる彼女の言葉、その言葉 -
Posted by ブクログ
武田氏の本は好きでよく読むが、「第三者」という立場からの様々な発言は、マイクロ・アグレッションのように読めてしまった。確かに私自身「普通」とみなすことがあまりに当たり前すぎて、その前提のもとに発言したり行動したりすることがある。そこから外れていると自覚する人達から見れば、想像力が欠如した繊細さに欠ける言動のように思えるのかもしれない。そういう気づきを与えてくれることに一定の評価をしても、やはりモヤモヤした気持ちはぬぐえない。
コスパやタイパなどと言い始めたら、絶対子供を産み育てる気にはなれないだろう。失敗を恐れていたら、子供を育てる予測不能の事態に対する恐怖を払拭できないだろう。それでも子供 -
Posted by ブクログ
メディアやネットの言い分を聞いていると、自分の方がおかしいのかと思わざるを得ないような感覚に陥っていたところなので、著者の言っていることを読んで、まさにこれを聞きたかったのだ、とモヤモヤがちょっとだけ晴れてきたような気がした。それにしても大変な時代になったものだ。不正を行なったり嘘をついたり節度のないことに対して野党が批判すると、「悪口」を言っているとみなされるんだから。そういう態度は権力者・強者を利するだけで、結局弱者・持たざる者が虐げられる。24年に書かれたこの本は、26年の今起きていることともぴったり符合する。
「いきり」というのが文脈上どうにも収まりが悪いところもあったが、意見の中 -
Posted by ブクログ
武田砂鉄さんの著書を初めて読む。というかオーディブルで聴く。ラジオを何回か聴いたことがある。あの人は美声(好みの問題?)なのでご自分で読んでくれたらいいのに、と思ってしまったが、聴いてるうちにこれはこれで悪くない、と感じるようになった(朗読で聴く読書体験、これ自体がいまだに興味深くて何か語りたくなってしまう)。
武田砂鉄が感じてきた「なんかいやな感じ」を、自分史のような社会史のようなスタイルで語っていくエッセイ。私はだいたい同世代で同じ東京生まれでもあるので、だいたい近い感覚で聴くことができて、その“だいたい同じ”立ち位置での感想は、ついに同世代がこんなに堂々と中年らしい昔語りをするように