作品一覧 2023/11/08更新 こころをそのまま感じられたら 試し読み フォロー 自分のために料理を作る 試し読み フォロー 誰でもみんなうつになる 私のプチうつ脱出ガイド 値引きあり 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 星野概念の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 自分のために料理を作る 山口祐加 / 星野概念 料理をするのが苦手、好きになれず、かと言って、「上手くなりたい」という気持ちの矛盾の中で、いわゆる「料理本」ではないものを探してました。 たまたま、「料理コーナー」で見かけたのが、本書。 心理学者の方が共著されていますが、そんなに堅苦しくありません。そして、期待通り、料理に対する「責任感」という呪縛...続きを読むから、「うーん、結局は楽しんで、自分の好きな味で、好きなものを食べる事が、本来の「摂取」本能であり、料理をする事の本当の価値なんじゃないか」と思えるようになりました。当たり前のことかもしれませんがー。 自分なりに、何かその時その時の「愉しさ」みたいなものを見出していけば良いんだなぁと思いました。大きくいうなら、人生論にも似ているような気がします。本当に、料理に対して気持ちが楽になりました。 良書です。また読み返したいと思います。 Posted by ブクログ 自分のために料理を作る 山口祐加 / 星野概念 ひさしぶりに心に響く本に出会えた。鬱で家事をする元気がなくなり、特に料理は一切手につかなくなって、なぜ料理だけこんなにもしんどいのだろう?と考えていた。全てここに答えが載っていた。自分のために料理をするのが勿体無い、考えることや済ます工程が多過ぎて複雑、自分のための料理に価値を感じない、なんなら自分...続きを読むに価値を感じない(ゆるりとしたセルフネグレクト)、料理をしても特に対価がない、食に興味がないなど。自炊というものに関して、根底から覆す本だと思った。途中でやめても良い、一汁一菜で十分、なんなら味噌汁を作るだけでも上出来、少し用意して食べて元気が出てきたら続きを作るなど…山口さんありがとう…とても元気が出ました。 p.59 自分のためだけに料理をするのがもったいなく感じる。料理をしたことがある人なら、誰しも1度は感じたことがある感情ではないでしょうか。料理が大好きな私でさえ、忙しかったり、他に気になることがあったりすると私一人のためだけに作るのが面倒になります。そういうときは外に食べに行くことが多いです。食事は毎日のことなので、毎度自分が満足できる完壁な食事をするのはかなり無理がありますよね。ただ、食事が後回しになってしまうことが長く続くと「そろそろいったん止まって、休んだほうがいい合図」だと考えるようにしています。 というのも、子どもの頃は親が食事を用意してくれたり、元気がなさそうにしていたら話を聞いてくれたりなど、ケアされる立場にいることが多いですよね。学校や塾でエネルギーを使ったぶん、家で食事をとり、誰かに話を聞いてもらうことでまたエネルギーが回復していく。けれど大人になると親元を離れ、自分で生計を立てていくことになります。それは、今まで親が担っていた子どもの世話係が、子ども自身に引き継がれる。大人になることは、自分が自分の世話係になることなのではないかな、と私は思っています。 お腹が空いたら何か栄養のあるものを食べさせて、夜になったらお風呂に入れてすっきりさせて気持ちよく寝かせる。おいしいご飯を食べに行くことも、花を飾ることも、自分の世話の一つです。大人になってしまうと日常的にケアしてくれる世話係はいなくなってしまうので、自分の世話をサボると心の調子が崩れやすくなるのではないでしょうか。 何をサボると心の調子に影響するかは人によって違いますが、私の場合は適当な食事を続けているとだんだんふてくされてくる感じがします。身近な人につんけんした態度をとってしまったり、家事も雑になったりと、ふてくされている自分に気づくと余計適当な自分が嫌になって負のスパイラルに突入しそうになるのです。こうなったら一度立ち止まって、自分の心に食べたいものを聞いて、作ってあげることにしています。この時返ってくるのは、「おむすびと豚汁」など素朴な料理が多いです。自分が心から食べたいものを食べさせてあげると、内側からみるみると元気が湧いて、心が整っていくような感覚になります。 「まえがき」でも書きましたが、自分の人生の主役は自分です。何かを考えるにもどこか行きたいところへ出かけるにも、身体が健康でなければままなりません。身体にスペアは用意されていませんから、身体は何よりも大事にしたほうがいいのです。そしてその身体を作るのが日々の食事です。外食や好物を楽しみつつも、ほどほどに健康的な食生活を営んでいくことは、人生の中でかなり大事なことだと思います。健康的な身体づくりは「絶対に損しない投資」のようなもので、こんなに還元率のいい投資はなかなかないでしょう。 p.65 徐々に自分好みにチューニングしていけばいいのです。 どうやってチューニングするかというと、たとえば黒胡椒は挽いてあるものではなくペッパーミルに入ったホールのものを直前に挽いたほうが香りが立って自分好みかもしれせん。肉じゃがはレシピ通りの時間だと少し硬いことがわかれば、もう五分煮て柔らかくすることができます。あるいは前日に作っておいて、翌日に食べると味が染み込んでほろほろになります。 自分による自分のための料理は、誰かに遠慮する必要がありません。好きなだけ胡椒を入れていいですし、肉二倍の肉じゃがだって作れます。唐揚げにレモンをかけるかどうか問題も遠慮せずに決められます。誰に何の文句も言われず、好きに飲み食いできるのは本当に愉快で、料理できてよかったなと感じる瞬間です。 さらに、一人料理は食べ方も自由です。たとえばお腹が空きすぎた時、私は回転寿司で寿司三皿と汁物を頼んで軽くお腹を満たしてから、家に帰ってサラダを作って食べるのをよくやります。そうすると、切羽詰まって料理しなくていいですし、寿司だけで済ませるより栄養バランスも整います。 あるいは、お腹がぺこぺこで帰宅した時、まずは前菜のような感じですぐに食べられる冷奴やサラダを作って食べます。お腹が少し落ち着いた状態でメインの料理を作ります。メインの料理にご飯が合えば一緒に食べますし、ご飯が合いそうになければ、メインを食べ終わった後にお腹と相談しながらとを何にするか考えて作ります。空腹状態で一気に作って食べようとすると途中でエンストしてしまうため、「作って食べる」を何セットかに分けてみるのです。こうすることで、レストランのコースのように仕立てられてゆったりと食事をすることができます。都度お腹の様子と相談しながら適量を作ることで、食べ過ぎ防止にもつながりますし良いこと尽くしです。 「正しい食事とはこうあるべき」という固定観念からいったん離れてみて、自由に食べられるとしたらどんな食事が理想的だろう?と妄想してみてください。食事は毎日のことなので、毎回の食事の満足度がほんのちょっとでも高くなると結果的に大きな満足感につながっていきます。 p.107 お腹がすいた時、何でもいいので栄養補給しなきゃってなるのってポジティブでは無いじゃないですか。冷蔵庫にあの食材が残っているから使い切らなきゃっていうのも事実としてはあるんですけど、最悪さよならするって言う選択肢が取れるわけですし、自分がその時食べたいものを優先したほうがメンタルには良いと思うんですよね。フードロスとかの観点で言うと良くないですけど。今1番食べたいものを食べられたら、その後やっつけなきゃいけないものにも立ち向かえると思いませんか?自分自身の中に作りたいかもって思う気持ちが湧いた時に、その気持ちを掴むみたいな感じが大事だと思います。自分の頭の中っていろいろなことが巡ってるじゃないですか。お腹が空いてきたよとか、お昼ご飯どうしようとか。何も食べないのはやばいなぁみたいな。なので、自分の中の声をもっとちゃんと聞いてあげるのは大事かなって思います。聞き方も大事だなって思ってて。何が食べたいのって言う質問にする答えが返ってくるとは、精神的にも肉体的にも調子が良い時だと思うんですよ。ちょっと疲れてるとか、モヤモヤするとか、すっとしないみたいな時に、そういう質問をしても多分答えられないですよね。そういう時は何食べたくない?って聞いてあげるといいと思うんです。そうするとこってりは嫌とか、さっぱりは今じゃないとか出てくると思うので、そこから消去法で選択肢を絞っていくっていうのもありだと思います。後私の場合、料理してて、これじゃないなと思ったら、途中でやめるっていうのをよくやりますね。 p.134 たとえば、毎朝五時に起きていたのに、今日は身体が重くて起きたら八時だった、というようなことがあると、また自分を責めてしまうのではないか。それが続くと、自分は意け者だと落ち込んでしまったり。目標を定めることで苦しくなっていく可能性がある。 でもそれって癖のようなものだと思うんです。ラジオ・パーソナリティのジェーン・スーさんがこう言っていました。「ダラダラするIl自然体でいると呼ぼうよ」と。人間ってもともとそんなにキチッとした生き物ではないはずだ、というんです。 お休みの日に家でダラダラしてしまい、気づいたら四時間昼寝していた、みたいなとき、「一日無駄にしちゃった」と思う人が多いけれど、それは自然体なんだと。自堕落じゃなくて、自然体と呼んで、と。だから横山さんが理想を掲げることはすごいことだし、そこに近づけるのなら素晴らしいけれど、できなかったとしてもそれはそれとして追求しないという姿勢も大事だと思います。 横山最近では、私もできない自分をちゃんと認めようと思い始めています。私の生まれた一九八〇年代半ばは、「数字がすべてだ、結果を出せ」という風潮がかなり強く残っていた時代で。勝ち組・負け組の価値観が強く、大企業に就職した人が勝ちだし、入ってからも結果を出せるようどんどん動かなくちゃいけないと思い込んでいる。結果が出ないのは、自分の努力が足りないからだ、と。 三〇歳を過きてようやく、努力だけじゃなく、向き不向きもきっとあるはずだと思えるようになりました。今やっている広報の仕事には同世代の女性もたくさんいるのですが、彼女たちの話を聞くと、若い頃から呼吸をするように当たり前に仕事がバリバリできていて、結果も出している。聞けば聞くほど私には無理だ、とてもできないと感じて、そういうのを追求しないようにしようと思うようになりました。 すごくいいと思います。私が尊敬する仕事仲間が「世の中は壮大な役割分担」と言っていました。横山さんにも私にも、それぞれ得意なこと、不得意なことがある。それらがパズルのピースのようにぴったりハマれば、世の中はすごくうまく回るはずだ、ということです。その仕事仲間は返層も遅いし、できないことも多い人なのですが、圧倒的な人間的魅力があって愛されている。できないけど、自分の強みをちゃんとわかっていて、それを実行できる。そういうタイプの人もいれば、もっと地味で縁の下の力持ちとして重要な人もいる。 みんなそれぞれに良さがあるのであって、全員が平均点の金太郎飴みたいな社会はつまらないですよね。 横山さんが自分をいじめてしまうのは、「私は平均点にも届いていない」という気持ちになったときなのではないでしょうか。できないことについては「これは私の苦手分野だ」と諦めていいんですよ。同僚にも「これ、私苦手だから手伝ってほしい」と助けを求めるとか。 すべてができる人なんてめったにいない。できないことがあってもそれでいいという感じで生きていけると、もう少し楽なんじゃないかな。 p.192 ソースコードが辞めるってかっこいいなと思っていたんですが、多分、レシピもそうなんだと思います。外側に出ているものの裏側に、そのレシピを作った人が体感してきたロジックが並んでいるんだろうな。レシピを見ないで作る人の料理の裏側にはそういうロジックが流れている。私はそこに今憧れているんだろうなと思います。今はまだよくわからないことも多いので、とにかく切って、貼って、ウェブサイトを作っている状態に近い感じだと思うんですけど、少しずつ自分で作り上げてやっていくことができるんじゃないかと言うことが、料理だけではなくて、仕事や人生にも活かしていけるんだろうなって感じています。 p.209 袋麺を食べるときは必ず野菜を乗せなきゃいけない、と無意識のうちにルール化されていたようです。その無意識のルールを客 観的に眺める作業をしたことで、野菜がなくても食べられるようになった。藤井さんの場合は、普段の生活でしっかり野菜はとれているのだから、たまには炭水化物だけの食事があっても、健康貯金が若干目減りするだけのことです。全然いいんじゃないですか、とお伝えしたんですよね。 このレッスンを始めて感じたのは、そもそも「自分のために料理ができない」と悩む人は、実はすこく「考えている人」なんだな、ということです。コンビニ飯や冷凍食品ばかり食べていて心も身体も平気な人、それが普通で特に問題ない人は、たくさんいる。その一方で、パートナーに作るのは苦にならないのに、自分だけだと作るのが億劫になることに悩む藤井さんのような方もいる。 星野僕も自分のために何かを作ることに対して腰が重いのですが、それはちゃんとしたものを作るべきだと思っているからかもしれません。実際には適当でもいいはずなのに。 山口パンを焼くとか、アルミの皿に入って売っている鍋焼きうどんをコンロにかけて卵を落とすのだって、自炊ですよ。 人間は日々、食べていかなきゃいけません。食事作りは、非常に外部化しやすい家事です。 外食もあれば惣菜を買ってくることもできるという選択肢の広さや頼りやすさがある。だからこそ人それぞれに「これ以上は外に頼りすぎだ」というラインがあって、その線を超えると自分が嫌になってしまうのだと思います。 p.210 自分はそんなにご飯が好きじゃないのかもとおっしゃっていました。食べることへの情熱が強くないせいもあるのかもしれません。必要性があればしっかりやるけど、と。でも、自炊の事はずっと課題として考えてきたともおっしゃっていた…。 お二人の話を聞きながら思い出したのが、仕事だとできるということです。私は普段片付けや整理整頓が好きでは無いのですが、会社の総務部に勤務していた時は、社内の片付けをきちんとしていたし、経理の仕事もできていた。人のために料理を作るのは、自分にとっては仕事なんだろうと感じています。 会社での労働には賃金、家族のための家事には感謝や愛情と言う対価があるけれど、自分のためとなると対価がないと感じてしまうのかな。 対価がないのに加えて、責任がないということですね。私が食事の支度をしなければ妻が困ると言う状況に対して、1人の時は困るのは自分だけですから。あまり自分を大切にできないということなのかもしれませんね。質のために作るのは好きなのだと思います。以前は自宅でホームパーティーを開いて、それこそこれよりや形式で作ったりもしていました。 藤井さん、ご自身は、何かしらの対価を設定して、自分でも作れるようになりたいと思いますか? 困らなくなりたいと言うのはありますね。今日も午前中の仕事がなかなか終わらず、お昼12時ごろからお菓子を食べ始めてしまって。これはまずいと切り上げて、ラーメンを作ったんですが、それでちょっと落ち込みました。忙しくない日でも昼食が2時3時になってしまうことがあって。そうならない方が、自分の幸福度が高い事はわかっているので。 『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』 Posted by ブクログ 自分のために料理を作る 山口祐加 / 星野概念 料理は今ここに集中させてくれる、嫌なことに思考を飛ばしにくくなるというのに納得。 確かに料理は疲れるけれど、作った後に「意外と大丈夫だったな」と思ったりもする。 山口さんが他の本でも書いていた「自分に合う料理を見つける」。 私の場合は、身体を温める料理、時間差で食べてもおいしい料理なのかな? 無理...続きを読むなく、自分を大切にできる料理をしていきたい。 Posted by ブクログ 自分のために料理を作る 山口祐加 / 星野概念 とてもいい本だった。 しらすとカブのサラダも、大根バージョンで作ってみたけれど、とても美味しかった。 レンチン シーフードカレーも作ってみたい。 でもこれは、レシピ本ではない。 料理家の山口さんが、なんでか自分のためには料理を作ることができない人と対話しながら、 「なんで人のためには作れるのに、...続きを読む自分のためになると面倒になって作れないのか」を考える本。 相談者はいろんな人がいる。 まずは「死ぬまで生きる日記」の土門さん。 レシピ通りじゃないと作れないのはなぜか、という悩みや、妻のためなら作れるが、自分のためには作れない男性。 仕事はバリバリこなし、パートナーにも料理をすることを求められていないが、これで良いのかと 苦悩する女性など、食べることや料理を作ることへの思い、考えは本当にその人その人の、人生、生き方そのものだなと考えさせられる本だった。 料理家山口さんの対話運びは、細やかだけれど、さっぱりしていて心地よく、一人一人のこだわりを解きほぐしていく。もっと自由でいいんだよと。 二回目のセッションからは精神科医の星野概念さんも対話に加わる。星野さんは精神科医であるけれど、音楽バンドや文筆業もされているようで、とても魅力的。 自分で自分のために料理をすることは、何よりの自分へのケアであり、人生を豊かにしてくれる。何よりその作るプロセスを楽しむこと。 いろんなことを教わった。 これから、新生活をはじめる人も、料理にもやもやがある人にも、とにかく作るが億劫な人にも、食べることは生きることだから、いろんな人の葛藤を読んでみることで、自分のもやもやにも向き合えるかもしれない。 最後は、パートナーに先立たれ一人で生きていくための自信がほしい、という50代女性。 ちなみに、” 塩一つまみは、これくらい ” の写真もあってわかりやすい。この本はうまく作れるようになるための本というより、自分のために楽しく料理をできるようになったら人生楽しくなるかもよ、の本。 ただ自分のために料理を作ることこそが、ものすごく自分を大事にすることなんだな、ということに気づけた本だった。 とてもよかった。レシピも最後に載ってます(^^) Posted by ブクログ 誰でもみんなうつになる 私のプチうつ脱出ガイド ハラユキ / 星野概念 心と体のバランスが悪いと自覚して心療内科にかかった経験があるので「わかりみしかない!」と心の中で叫ぶ箇所がいくつもありました。 「自分はタフだ!」と思っているような人でも、タイトル通り本当にちょっとしたきっかけでうつや適応障害になる可能性はあります。 だからこそ、精神科がどんなところでどんなことを...続きを読むするのか、こころの不調時に自分でやれそうなことのヒントなど、読んで知っておいて損はないと思います。 薬の処方・副作用への不安、服薬量や期間についての医療サイドの考え方、治療期間の気持ちの波との向き合い方、家族はどうすれば良いのかなどなど、とてもわかりやすく書かれています。 Posted by ブクログ 星野概念のレビューをもっと見る