あらすじ
「ここでしか書けない」
言葉の在庫を放出した。
言葉の世界にそれぞれ立ち向かう同年代の作家が、
一年半にわたって新聞上で交わした往復書簡。
それは、いわゆる「往復書簡」とはまったく異なる。
馴れ合いや戦略や俯瞰から遠く離れて、
記憶を掘り起こし、違和感を継ぎ足し、書くことについて考える。
流れから逸脱し、散らばった先でぶつかり合って、
思索が自由に泳いでいく。
「言葉への態度」をめぐる、個と個のあてどない応答の軌跡。
まえがき(武田砂鉄)とあとがき(又吉直樹)は書き下ろし。
「自分の名前で文章を書くということは、なにかを確定させるという意味において身体に文字を彫ることと似ている。
取り返しのつかないことになりかねないし、覚悟が必要な行為でもある」
……又吉直樹(あとがき)
「言葉を重ねていくと、意味が固まってくるものだけど、今回は、意味がただただ点在している感じが続き、生まれたり消えたりした。
それはもしかしたら、とても貴重なことだったのでは、と思っているのです」
……武田砂鉄(まえがき)
【本文より】
武田 極端な話をすると、ジャムの瓶を開けてもらったことで生まれた恋もあれば、ノリの瓶が開かなかったことで離縁を決めた事例もあるかもしれません。
又吉 たとえば、「流しそうめん」は考えようによってはわざわざいったん流すという無駄な行為でしかないのですが、でも楽しいんです。
武田 しょっぱい生姜焼きを「でしょー」と言われながら食べる。文章にもこういうことがあってもいいと思います。
又吉 僕自身、「世に迎合すると鈍る」などと思っていたのですが、「迎合」という認識が間違いで、起爆するための条件と捉えたらどうか?
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
自分の人生で往復書簡形式の本はこれで2冊目。対談よりもこういう文通のほうが好きかもしれない。矢継ぎ早に言葉が飛び交うのより、時間をかけて相手に言葉を渡すのが心地よいからか。
実は又吉直樹も武田砂鉄もちゃんと文章を読むのはこれが初めてだった。だからこそ、又吉直樹のあの無気力そうでミステリアスな風貌からどんな思考が出てくるのか、ネット上で名前をよく見た武田砂鉄はどんな事を話すのか、とても楽しみだった。
読んでみると、だいぶ安っぽい感想になるけど、自分に刺さった言葉がたくさんあった。15頁の「人は言動を瞬間的に変えながら〜」に触れた時、この本を買ってよかったとすら思った。私も「2週間前の自分は別の人」と自分で言っているくせに、他人に対しては「あの人前に〇〇って言ってたのに!」とか思ってしまう。その度に、自分だけは一貫した態度を何に対しても取っていこうと決意したりする。でもそうじゃなくていいし、それは周りだってそうなんだよな。
他にも気づきが豊富なエピソードがあるので是非読んでほしい本。
Posted by ブクログ
もう本当に、わたしは又吉さんの文章が好きすぎる。
砂鉄さんも気になっていたのでこれは読まねば…!と手にとった。
最後のやりとりで砂鉄さんがこの往復書簡を「違和感を嗜むやりとり」と表現されていたのが、とってもしっくりきた。
こういう感覚って私にもあるけど、こんなに解像度高く文章にできるって本当にすごいことだな…
又吉さんのやさしい文面と、砂鉄さんのちょっとチクッとするような文面の対比はありつつ、思考のベクトルが似ているおふたりなので、お互いの思考が混ざり合うようで面白かった。
Posted by ブクログ
あっという間に読んでしまったが、あっという間に読める本ではない。頭のいい人は、すぐ理解できると思うけど、私にとって何度も何度も読み返したい本。
Posted by ブクログ
自分らしさを演出しないと保てない自分なら、自分を助けてくれることもないので捨てればいい
又吉の言葉と、それを引き出す武田砂鉄の質問が心地よい良い本でした。装丁もスキ。
Posted by ブクログ
『火花』の又吉直樹と『紋切り型社会』の武田砂鉄による往復書簡。
相手の手紙への完全な応答とも言い切れない返信で、思索を発展させ進んでいく感覚が、1人で考えている状態を再現・言語化してくれているような本。
Posted by ブクログ
例えば〇〇が結婚した、〇〇が転職した、とか具体的な噂話が聞きたいんじゃなくて、ではそこから派生する、例えば結婚観や仕事観というと大袈裟だけど、そういう概念的な抽象的な話が好きな自分にはとても好きな本。
まさに「無目的な思索の応答」が好きなので、心地よかった。
Posted by ブクログ
各書簡、必ず見開き2ページ(36字✕28行)に収まっているので読んでいて心地よい。なぜかと思ったら元は新聞連載なんですね。この濃度のやり取りを2週間に1回続けていたのか、という事実にも驚く。
ぱっと無作為にページを開いて読むと、砂鉄さんが書いたのか又吉さんが書いたのかわからない。それくらい文体も思考の流れも似ているおふたり。でも面識はなかったそうだし、往復書簡を交わすことで《友達になるとか、そういうことにもならなさそうだ。:武田》らしい。そんなふたりだからこそ、ぬるま湯に浸かって交わす会話のような、そのお湯から出てなんとなく始めるピンポンのような馴れ合いではなくて、もっと火傷しそうなやり取りもしてほしかったな。砂鉄さんの『劇場』に性描写を一切入れなかったのはなぜかとの問いに、又吉さんが少しムキになって(と私には思えた)返答し、その返答を読んで砂鉄さんが反省する(と私には読めた)という流れには痺れました。こういうやり取りって、お友だち同士の往復書簡では発生しないと思うので。
Posted by ブクログ
無目的とタイトルにある通り、大きな命題がないともすれば曖昧なやり取りなんですが、印象的なことばだったり考えだったりが所々にあってメモしながら読みました。日頃ふと考えることも、もっと覚えておけるようにしたいなとなんとなく思いました。あと日頃、何も考えずに受け入れてしまっている色々なことも、それでいいのか?みたいな視点はもっていたい。
ふわっとしてる感じが心地よくて面白かった。
武田さんの本は何冊か読んだけど、又吉さんの本もちゃんと読んでみたいなと思った。
Posted by ブクログ
これは面白い組み合わせ。そして、期待に違わぬ興味深いやり取りが繰り返される。往復書簡ってそういうものなのかもしれないけど、真正面から返し合うのでなく、受けた文面から自分の思索があちこち飛び交い、場合によってはだいぶ距離のある観点からの返書となる。その過程をあれやこれや考えるだけでも楽しい。求・続編。
Posted by ブクログ
考え続ける二人。しかも、考え続けた挙句の答えがゴールではないとは、なんというタフネス!
それゆえか本書でも、二人が何某かの結論に向かうという事はなく、思考を絡め合い喚起し合いつつも同調性を求めない。
装丁がその世界観を表している、なーんて直ぐに分かったようなことを言いたがる私のようなおっちょこちょいには、とても辿り着けそうにもないステージだ。
Posted by ブクログ
言葉に傷つき、勇気付けられ、憤り、安堵する。様々な過程を経て拡散し、変容する。吐き出した自身の思索はそこに留まらず、自身も変わっていく。変わらないのは記録として残された情報であり、そこに何者かが都合よく価値を付加して断定することは、相手の思考を閉ざそうとする偽りの安心だと気付く人々は少ない。不安を伴ってもいいから決めつけない余白ある "いい加減" にこそ言葉の大切さがある。振り回され慮る思考に答えなき楽しさが待っている。又吉直樹と武田砂鉄の二人から言葉と記憶の混濁が色付いていく移ろいをいただきお裾分けしよう。これも成長と分配。
Posted by ブクログ
これはエッセイではないのだけど、エッセイのような目的のない会話(思索)のつらつらを読むのって、豊かだなぁ。ある事象についてあそこまでの奥行きをもって、またそれぞれの人生の時間をもって論ずることのできる作家さんのなんと尊いことよ。よく言語化してくれた、と感動することもあれば、なんだかよくわからない高度なこと語ってんなぁなどと思いつつも理解したふりをしてみたり。私の思想、理解力、感受性なんてそんなものだけれど、完璧(絶対)な理解を自負することほど貧しいことはないですね。
Posted by ブクログ
又吉さんの『劇場』が面白く、又吉さん著書を読み漁っている。又吉さんの言葉は、心の奥底に眠る感情を掻き出してくれる。私は今まで読書する際、理解や共感できる本が面白いと思っていたが、又吉さんは、難解なものに挑むことが楽しいと言っている。例えば、難しい本を読んだとき、「自分が面白さがわからなかっただけじゃないか」。更に読書に対して「手加減されたものより、作家の本気の難解な作品を、楽しく読みたいという欲求もある」。
挑戦する勇気を考えさせられた。
Posted by ブクログ
クスッとしたり、ひりひりしたり、ほっこりしたり。もやもやと漂っている感情を、諦めずに言葉にすることへの努力を惜しまない、誠実で才能あふれる2人だと思う。
その一方で、だらだらと気を遣わず、居酒屋でずっと世間話をしているのを、聞かせてもらっているような感覚もあり、ありがたい。
「劇場」に性描写がないのは不自然だと思った、何故ですか?との砂鉄さんからの問いへの回答のあたりはスリリングだった。わたしもまったく同じ感想を持っていたから。その回答、もう一度読みたいけど、又吉さんに怒られたみたいで、なんだか怖くて読めない、笑。
全ページを通して、すべてをちゃんと受け止めたい、理解したいという気持ちで丁寧に読めた。読み終わるのが寂しかった。第二弾はないのかしら。
Posted by ブクログ
個人的に好きなお二人。
烏滸がましいのだけど
ちょくちょく分かる〜!という点もあって
ニヤけてしまった。
有識者の方々による
幼少期のエピソードトークで
毎度思うんだけど
何でそんなディティール覚えてるん、、、。
自分も子どもながらに
無数の葛藤や感動があったはずなのに
すべてを大雑把にしか思い出せない、、。
Posted by ブクログ
又吉さんの『火花』の書評を武田さんが書いたことをきっかけに交流が始まったけれど
そこまで急速に仲が良くなったわけでもない距離感の二人が
相手の文章から想像したり、思い出したり、ときに質問したりと
あまりがっつり組まずに往復したエッセイ。
分量もさほどないのに、いろいろ考えがめぐるような内容で、
二人の淡々とした文体が丁度よく、気持ちよく読んだ。
又吉さんが武田さんにメールを送ったのが、
ちゃんと書評されていたからという理由なのに驚く。
読まずに批判されることが多いらしく、それほど空しいことってない。
Posted by ブクログ
期待に反してあまり響かず
一便が短すぎるためやり取りが深まらず、往復書簡の良さを活かせていないと感じた
2016-2018に交わされた書簡
本になるのが時間かかったのも、さもありなん
もちろんさすがはこの2人で、輝く一文があったりはするのだが。
Posted by ブクログ
二人の頭の中を少し覗けたようで面白かった。同じような出来事でも、こういう捉え方をするんだと新鮮に感じたり、確かにそうだなとハッとさせられたりする文章が多くて良かった。特に又吉さんの感性は優しく時に独特で、本を読んで面白くないと感じてもそれは自分が面白さをわからなかっただけじゃないかと思うと言っていたのが印象的だった。
Posted by ブクログ
『自分の名前で文章を書くことは、身体に文字を彫ることと似ている』と又吉さんは言う。
その言葉の重みに圧倒されてしまいました。
人の心はうつろうし、考えることだって日々変わっていく。
又吉さんにとって文章を書くというのは、その時その時の思いをちょうどいい熱量で
自意識と闘いながら言葉にしていくという作業なのだろう。
その途方もない困難さが、『スリジャヤワルダナプラコッテ!!(スリランカの首都)』と叫ぶ小学生の話に笑っているうちに、泣き笑いのように伝わってくるのです。
分かりやすい思考の方程式や、世の中が提示してくる『正解』を許さない二人のやりとりは
読んでいてとても刺激的で楽しかったです。