他のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「まさかヴァーリイをご存知ない。なにも失くしたことがないならそれでいいけど。」
すみません、読んだことありませんでした。ということで、円城塔氏の帯文に煽られ購入した本書は、ジョン・ヴァーリイの短篇集「逆行の夏」。ヴァーリイといえば、1970~1980年代に活躍し、サイバーパンクの先駆け的存在として名高い作家…ということは知っていたのですが、読むのはこれが初めて。どんな作風なのかとワクワクしながら読み進めましたが、これがもうおもしろい。特に「残像」と「PRESS ENTER■」にやられました。前者のラストには、思わず「うぉぉい、まじか…」と言葉が漏れてしまう一方、後者は、極めて良質なSFスリラー。物語がどう転ぶのかハラハラしながら読んでいましたが、「やっぱりそうなるのか…」と絶句してしまいました。
さて、本書に収録される作品では、一風変わった「人間」が登場します。例えば表題作では、水星の気圧に適応するため、2つの肺のうち1つを摘出し、代わりに与圧機を取り付けたり、「バービーはなぜ殺される」では、外科手術により、姿形がまったくおんなじ人間(本作ではバービー人形に模される)が何万人と登場。そして、「さようなら、ロビンソン・クルーソー」では、水中での生活に適応するため、柔軟な指のあいだには大きな水かきができ、横隔膜は水を口から吸い込み、鰓穴から押し出すポンプになる。ヴァーリイの描く未来世界では、どうやら外科手術と遺伝子操作により、人間はそれぞれの望み、あるいは環境に容易に適応できるようになっているようです。
これを変容と捉えるなら、彼の作品の片面は、未来における人間の変容を描いているのかもしれません。しかし、もう片面で描かれるのは、孤独や逃避、依存といった現代の我々も悩み苦しむ普遍性です。
ヴァーリイの描く未来世界が突飛なものでありながらも、不思議とこころが動かされるのは、こういった作風にあるからかもしれません。 -
Posted by ブクログ
昭和20年8月15日、日本は敗戦にて大戦の幕を閉じました。以降7年に及ぶ米軍による長期占領が始まりました。戦争終結から約7年間も敗戦国が占領されるということは、近代史上珍しい特異な時代を迎えることになるのです。
GHQは、日本が再びアメリカの脅威にならないようにすることを一番の眼目として様々な占領政策を実行していき、その最たるものは憲法改正です。敗戦して他国の憲法を改正するなどというものは、当時の国際法違反行為を公然とやってのけ、そしていまだに憲法内容・誤字さえ訂正されていないのです。
SF講和条約に調印し日本が主権国家として独立したにもかかわらず、GHQの占領政策の呪縛から解けていないことを、日本国民の多くは知らない。
大正生まれの人が存命であれば、戦前の日本の教育が如何に素晴らしいことがわかるであろうが、前後生まれの世代が日本の人口の大半を占めるようになった。なんとかなしいことか。今こそ、正しい歴史認識を学ばねばならない。
少なくとも、これから学ぶ子供たちに、日本人として誇りを待たせてあげたいと思います。 -
Posted by ブクログ
表題作はボーイ・ミーツ・ガールものというか家族ものというかで、まあ普通かな?という感想だったのだけど、収録作「残像」と「ブルー・シャンペン」がすごく良かった。特に女性にお勧めしたいSF小説。
「残像」。視聴覚障害者だけが暮らすのコミューンに辿り着いた作家志望の中年男の異文化コミュニケーション体験談という感じなんだけど、触覚に特化したそれはとても官能的で感動的。そしてラストで感じる恐怖、安堵、喪失感。なんで泣いてるのか自分でもよくわからなかった。
「ブルー・シャンペン」は脊髄損傷で肢体不自由となり、黄金で出来た外骨格のおかげで自由を取り戻しメディアスターとなった女性と愛を交わすお話。これも凄かった。そうなるしかないというラスト。ジョン・ヴァーリイの小説に出てくる女性はみんな強くて自由で素敵。 -
Posted by ブクログ
聖書は新約も旧約読んだことがありませんが。
読む機会があればとおもっていたところに
この本を見つけたので。。
また、書いている人が
池澤夏樹氏・内田樹氏・吉本隆明氏と豪勢な方々
だったので。。。
読んでみた後の感想としては、聖書の内容ではなく
読み方やとらえ方が書かれてある内容でした。
ただ、前述で書いた人よりも、
田川建三氏(新約聖書学者)のインタビューが
とても面白くよかったです。
新たな逸材(本当に失礼ですけど)見つけた感じ
です。
1.聖書ってどんな本? 山形孝夫
2.読み終えることのない本 池澤夏樹
3.旧約聖書は以外に新しかった 秋吉輝雄
4.レヴィナスを通して読む「旧約聖書」 内田樹
5.神を信じないクリスチャン 田川健三
6.聖書学という科学 山我哲雄
7.旧約的なものと新約的なもの 橋本治
8.マタイ伝を読んだ頃 吉本隆明
9.聖書を読むための本 山本貴光 -
Posted by ブクログ
本書を手に取った動機は、教養としての宗教を知りたいという欲求からでした。本書は、季刊誌『考える人』の特集を再編集、改稿したもので構成されています。作家や宗教学者と聖書との出会いやつきあいに焦点をあてている点がユニークだと言えます。その聖書を語る人たちは、山形孝夫(宗教人類学者)、池澤夏樹(作家、翻訳家)、秋吉輝雄(旧約聖書、イスラエル宗教史研究者)、内田樹(作家)、田川健三(新約聖書学者)、山我哲雄(聖書学者)、橋本治(作家)、吉本隆明(作家)、山本貴光(文筆家、ゲーム作家)の9人。この本は決して体系的に聖書やキリスト教について学べる本ではないと思います。あくまで、個人の人生の中での聖書がどのようなものだったかという部分が中心になっています。しかし、それゆえに「聖書」という一見とっつきにくいものへの入り口の役目を果たしてくれそうです。
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Posted by ブクログ
クリスチャンではありませんが、ずっと聖書に興味があって、いつか腰を据えて読みたいと思いながら馬齢を重ねてきました。
本書は入門書として手に取った次第です。
へー、聖書ってそうだったんだと、膝を打つやら自分の無知を痛感するやら。
本書は新約聖書学の泰斗、田川建三さんはじめ池澤夏樹さん、内田樹さん、橋本治さんらがその魅力を語ったガイドブック。
学者さんばかりだとどうしても硬くて素人にはとっつきづらい内容になりがちですが、執筆陣が実にいいですね。
あの吉本隆明さんの論考(マタイ伝を読んだ頃)も収録されてます。
第1章は宗教人類学者の山形孝夫さんによる「聖書ってどんな本?」。
聖書の基礎について講釈してくれていて、素人には助かります。
そこに日本最古の聖書訳(ヨハネ福音書)が出てきます。
ハジマリニ カシコイモノゴザル。
コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。
コノカシコイモノハゴクラク。
何とも名状しがたい雰囲気がありますね。
山形さんは何度も声に出して読んだそうです。
その体験について、こう語っています。
「すると、不意に、冒頭の一節から不思議な何者かが立ち現われてくる予感がした」
私も何度か声に出して読んでみました。
たしかに、何か胸がざわつくような感覚がありました。
恐らく馴染みのないカナ書きであることと、一読して意味がすんなりとは把握できないこと、一方で訳者が腐心して訳した様が想像できることなどが要因と思われます。
皆様ももし良かったらどうぞ声に出して読んでみてください。
文学者として聖書を読み解いた池澤さんの「読み終えることのない本」も面白かったですが、私はやっぱり内田さんの「レヴィナスを通して読む『旧約聖書』」に惹かれました。
レヴィナスはホロコーストを生き抜いたユダヤ人で、フランスの哲学者です。
ホロコーストのあと、ユダヤ人の多くは信仰の揺らぎを経験したそうです。
「なぜ神は私たちを見棄てたのか。民族の存亡のときに介入しないような神をどうして信じ続けることができるだろうか、と」
なるほど、よく分かります。
私だってそうなります。
これに対してレヴィナスはこう説いたそうです。
長いですが引用します。
「では、いったいあなたたちはどのような単純な神をこれまで想定していたのか、と。人間が善行すれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意思によって、好きなように左右することができるようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在のときでも、神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証しだてる。」
深いですね。
つまり旧約聖書では、神は信者に霊的成熟を求めているということです。
本書刊行のそもそものきっかけとなった、田川さんへのインタビューも読みごたえがあります。
だって、タイトルが「神を信じないクリスチャン」ですぜ。
反骨の新約聖書学者の語るエピソードの数々は本当に飽きさせません。
さあ、聖書を読みましょう。 -
Posted by ブクログ
そもそも「女性解放」の象徴的存在(!)だったブルマーが、どうして「抑圧」の結晶として、また「ブルセラ」的欲望の中心として、排斥されるようになったのか……。ブルマーの語源たる「アメリア・ジェンクス・ブルマー」さんにまで歴史をたどって、ブルマーから見た「女子体育」へのまなざしを追う、という趣向。ほ~ら、読んでみたくなるよね? もう、好きなんだから~。
いや、中身はまっとうに「社会史」の本だし、序章を別にしておちゃらけ入っているわけでもないんだが。「ブルマー」という格好の覗き穴を得て、「女子体育」という素材がぐぐぅっと魅力的になっている。
女子が白昼に外で体を動かす、あまつさえ活発になることそのものが背徳とされた時代もあった。和服というのは脚をまとめて拘束されるものであって、その不自由さが当然のものとされていた。たとえ体育の授業でも「動きやすい服を着る」のはもってのほか。着流しから、くくり袴を経て、ちょうちんブルマーになり、だんだん丈が短くなっていく過程は、女性の身体が開放されていく過程そのものだった。
ところが、自由が拡大するにしたがって、ブルマーはあこがれの存在からすべり落ちていくことになる。ついに女性が「自分の性は自分で管理する」自由を得たとき、自分のブルマーをブルセラショップを高値で売ることに羞恥も痛痒も感じない女子高生ができあがった。そしてブルセラショップの隆盛は、「ブルマーの時代」の終焉をつげる決定的な一押しになった。
著者5人の問題意識の共有がうまくいっていて、読みやすい。ジェンダー論的に興味深い素材であるのは確かだが、トリビア的要素てんこ盛りなのでそっち方面からも面白いだろう。とくに、昔の「体操服」の話がおもしれー。セーラー服って、もとは体操服だったんだね~。
セクシュアリティの研究として興味深いうえ、ブルマーでコリクツこねられるようになる、という点でなかなかないナイ本。 -
Posted by ブクログ
「というのも、当時の社会学者が少女たちを生産性のない消費主義者として糾弾したことに対し、ルイスはコスプレというパフォーマンスへの少女たちの意味付与の重要性を強調して反論を加えているからである」 ー 226ページ
コスプレと少女(女性)という問題系はこれまであんまり考えてこなかったけど、魔女研究をする上でこのあたりは真面目に読むべきなのではないかと思って手にとった次第。
宗教とサブカル、もっと突き詰めれば宗教とコスプレという問題系は意外や意外奥が深いのではないかという気がしてきている。ファンタジーにいかに関わるかという倫理の問題があって、コスプレはその一つの現れなのだとしたら、やはりこれはポストモダンの時代にいかに宗教に関わるかということにも大いに関係があるだろう。
あと、スピリチュアルにしろ魔女にしろ、女性優位な文化に関心を持つ傾向が僕にはあるらしくて、そのへんは家族が女系だからとか、通っていた小学校が女子大の附属だったからとかそういう影響があるのかもしれないなとふと思う。いやまあどうでもいいことではあるけれど。