安原和見のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ最近まで未読で知っていたのは「答は42」という事ぐらいだったのだが、どっかのAIが「答は42」という回答を出してこの本が売れているというニュースを聞いてちゃんと読んでみようという気になった。
ちょうど家の近所でなんだか分からない工事をやっていて、しかもその業者の誠意を欠く対応に激怒していたから冒頭で家をぶっ壊される主人公にいたく同情した。
まぁ作中では家どころか地球そのものまでぶっ壊されるのだが、そんなとんでもない事態でさえ作中においては微震に過ぎない。
ところで「答は42」の件だが、答え云々よりも質問の仕方がそもそも悪いと思う。
生命の、宇宙の、その他あらゆる事象に対する究極的回答…だったかな?
ハッキリとは覚えていないのだがそんな漠然として抽象的でどうとでも答えられそうな質問に対して「42」という深いんだか浅いんだか考えれば考えるほど分からない答を用意した作者のセンスも流石だと思う。 -
Posted by ブクログ
前作より好きかもしれない。
冒頭はあらすじから始まるが、前作を読んでしばらく経っているもののすぐこの本のノリを思い出すことが出来た。
前作は1作目だからどうゆう世界観かまだ読み慣れていなかったのもあるかもしれないが、今作は皮肉のきいたイギリスジョークが色々あって、毎回声を出して笑ってしまった。
特に、品種改良されて喋るようになった牛型生物の話が印象的で、この話が地上波で放送されでもしたらヴィーガンにとてつもなく叩かれそう笑
食べないで!と訴える生き物を食べるか、どうぞ食べてくださいと言う生き物を食べるかというゼイフォードの話に、なんとも反論しかねるアーサー。
ドラえもんの道具みたいなものも登場したり、部屋の中に宇宙があったり。 -
Posted by ブクログ
ネタバレやはり映画作家だからなのか、構成がとてもうまくてパーティーの行程を追体験するような感覚になる。資料写真も多く、彼らの人となりの描写も詳細で、アルバムを見ながら話を聞いているよう。
パーティの行程と当時の捜索の様子と現代の調査が入れ替わり立ち替わり語られていく。著者の生活や、アメリカンジョークというか、ふきんし…陽気さが滲むので、凄惨さの割には暗く沈み込まない。
結末は冒頭に記されているのだが、旅は始まりから不穏。大学生の中に大人が闖入。何と言っても放射性物質の検出が否が応でも国家的な背景を感じさせる。おまけに多数の光球の目撃情報、現地の少数民族、不可解な軍の態度。怪しみだしたらどうとでも言えてしまう。確かなのは9人の若者が無惨な亡くなり方をしていたという事実だけ。
陰謀論からムー的推理からあらゆる推測が産まれていたにも関わらず、彼らの行程を季節を合わせて実際になぞった人はアメリカ人であるドニーだけだった。これが一番偉いと思う。産まれたばかりの息子を置いていってはいるが。
結果と憶測ばかりの情報から真実を取り出す篩は、現場。『サガレン』でも感じた感動をまた得られて嬉しい。現代でなければ分からなかった犯人。自然の脅威を改めて感じた。
極限状態での正体不明の轟音と苦痛。どんなにか恐ろしかっただろう。図らずもイヴァノフの「未知の不可抗力」という表現がこの事故を最もよく表していた。分からないなりに見抜いていたのはさすが捜査官の眼だと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1959年1月、ロシア西部ウラル山脈の一帯で起きた遭難事故の真相を地道な調査で解き明かしたドキュメンタリー。ディアトロフ峠事件と呼ばれている。真冬のウラル山脈に学生登山部9名が入山後消息を断つ。1ヶ月後全員の死亡が確認された。その死に様が異様で凄惨なであったため、未解決遭難怪死事件として知られるようになる。氷点下の雪山のテントから1キロ以上離れた場所で発見された死体は、衣服や靴はなく、頭蓋骨折したものや、舌を喪失したもの、遺体から異常な濃度の放射能が検出されていた。最終事故報告書には「未知の不可抗力によって死亡」との記載で終わっている。ソビエト連邦時代に起こった未解決事件をアメリカ人である著者が真相を描いた傑作ノンフィクション。
当時の学生がたどった状況を資料から読み解くパート、捜索隊がたどった状況を読み解くパート、現代著者が現場を訪れ調査をしていくパートが、交互に配置され真相を解明していくスタイル。
以下真相にも触れます。
初めて目にする「カルマン渦」「超低周波音」という言葉。特殊な地形で、ある条件が重なると発生する自然現象なのだそうだ。記憶の片隅に置いておき、気象現象について興味を持った時に深掘りしたい。
カルマン渦列:ハンガリーの物理学者セオドア・フォン・カルマンにちなんで名付けられた現象。液体にも気体にも適用される流体力学分野の現象。 -
Posted by ブクログ
研究テーマを変える必要ができて困っている時に、読んだ。
研究するということは、単に論文を書く技術を学ぶとか、何が研究として発表に値するものなのかとか、そういうことはさておいて、
自分と向き合い、自分をまず研究することから始まるんだなということが感じられ、
大学院に入った理由をもう一度考え直そうというところまで引き戻してくれた。
特に、自分と違う分野の人たちに、自分の課題について理解してもらえるようにくるがこの本における重要なポイントというのがとても、とても、心を打たれた。
ざっとアウトラインを読んだので、今度もう一回読み直して、今度は紙に書いて実践する。 -
Posted by ブクログ
ドニー・アイカー『死に山 世界一不気味な遭難事件《ディアトロフ峠事件》の真相』河出文庫。
1週間の海外出張で、なかなか読書が捗らなかった。4日も掛かってようやく読み終えた。
テレビなどでも紹介された『ディアトロフ峠事件』の真相に迫るノンフィクションである。
遭難した9人の若者たちの視点と事故現場と遺体を発見した捜索隊の視点、事件の真相を明らかにしようと関係者へのヒアリングを行い、事件現場まで赴いた著者の視点とが交互に描かれる。
旧ソ連時代の状況や様々な制約の中で、過酷なトレッキングに挑戦した若者たちの様子、事故後の混乱などがリアルに描かれる。
冷戦下のソ連、1959年にウラル山脈でウラル工科大学の学生を中心とした9人の若者が犠牲になった謎多き遭難事件。当時はKGBによる情報統制や様々な憶測により『未知の不可抗力』として片付けられた。
著者は50年以上前に起きたこの事件を明らかにしようと多くの関係者へのヒアリングを行い、事故現場の調査に向かう。
そして、明らかになった事故の真相とは……
定価1,210円
★★★★★ -
Posted by ブクログ
何万年・何十万年前には、今の人類=ホモ・サピエンス以外にも、ホモ・エレクトス、ホモ・デニソワ、ホモ・フローレシスエンシス、ホモ・ネンデルターレンシスたちが存在して、生息していた。
火の使用は人類と他の動物を隔てる最初の大きな溝になった。
この力はいつどこで使うか選べるから、無数の仕事に利用することができた。
さらに重要なのは、肉体的な限界が関係ないってことだ。
火打ち石があれば、女性1人でも数時間で森を丸ごと焼き払うことだってできる。
火を手なずけたのは先触れだった。これが原子爆弾に到る最初の重要な一歩だったんだ・・・
7万年ぐらい前、サピエンスは急激に世界中に広がっていった。
でもアフリカを出たときには、ユーラシア大陸のいたるところに別種のそれらのヒトたちはどうなったのか。
交配説
ヨーロッパ~中東ではネアンデルタール人と、東アジアではその地域のエレクトスと交配した。
交替説
それらの種はまじりあうことなく、ネアンデルタール人が絶滅した(つまり皆殺しにされた)
交替説が正しければ、人種間の差異がないに等しいことになる。
しかし交配説が正しいとすれば、アフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間には、何十万年も前からの遺伝的な差異が存在する可能性がある。
2010年、ネアンデルタール人の骨からDNAを抽出することに成功。
現代のヨーロッパ人とアジア人のDNAのうち、2%はネアンデルタール人に由来することがわかった。割合としてはかなり低くても、間違いなく混じっている。
さらに現代のメラネシア人と、オーストラリアのアボリジニの場合、最高で6%のDNAがデニソワ人に由来していた。
だから、交替説と交配説のどちらとも言えない。
サピエンスは寛容ではない。現代でも、肌の色が違うとか言葉や宗教が違うというささいな理由で、別の集団を皆殺しにしたりしている。
大昔も寛容だったとは思えない。
サピエンスがネアンデルタール人と遭遇したとき、史上初にして最大規模の民族浄化作戦が始まったのかもしれない。
この3万年間、ホモ・サピエンスはずっとヒトの唯一の主だった。だからそれ以外の可能性は考えることすら難しい。同種の親戚がいないんだから、どうしても自分たち造化の頂点だと考えたくなる。動物界の他の動物たちとの間には、越えがたい断絶があるからね。
でもネアンデルタール人が生き残っていたら、人間は別格だとは考えにくかったんじゃないかな。サピエンスの先祖ネアンデルタール人をなかったことにしたのはそのせいだろう。無視するには似すぎているし、受け入れるには違いすぎたんだ。
フローレス島の小柄なヒトは5万年ほど前に消えた。ホモ・ルゾネシスはルソンから姿を消した。
昔の人類はチンパンジー たちにそっくりだった。
残念ながら今の人類も残念なぐらいチンパンジー たちに似ている。個人でも家族でも。
本当に違うのは大勢で協力できるって言うところ。
身体的な面では サピエンスの道具作りの能力は3万年前から大して変わってない。
だけど、大勢の他者と協力する能力は、劇的に向上してる。
7万年くらい前に 獲得した言語能力のコミュニケーション能力のおかげだ。
社会的に協力し合うことが生存と繁栄の鍵。
陰口をきくのは良くないことだし、意地悪な行動だけど、実は大人数で協力するのには必要不可欠。
言語能力を獲得したサピエンスは何時間も噂話ができるようになった。誰が信用できるかという確かな情報があれば、群れの規模を拡大できる。それでサピエンスはより緊密で高度な協力関係を築けるようになった。
現在でも人間のコミュニケーションのほとんどは 噂話。
人はごく自然に噂話を始めるからね。言語はそもそもそのために発達してきたんじゃないかと思うぐらい。
悪いことをすると人に噂されるから、噂は社会規範を強化したり、集団の結束を保つのに役立つんだ。
150人以上の相手と本当に親しく付き合うことはできない。150人はマジックナンバー、限界点。
サピエンスが世界を支配してるのは、自分で生み出した虚構を信じるなんて、そんな動物が他にいないから。みんなが同じ虚構を信じていれば同じ規則に従うことができる。
みんながその話を信じればみんなが同じ法や規則に従うから、全然知らない相手でも協力し合える。サピエンスだけが何百万人もの協力ができる。
法体系の根っこにあるのは法律にまつわる共通の神話。弁護士は見ず知らず 同士 協力しあって 赤の他人を弁護するまる。これは法や政治や人権やついでに報酬としてもらう現金の価値を信じているから。
未開部族はありもしない政令を信じることで社会秩序を保ってるって聞くと人はすぐに納得する。なのに、現在の社会体制もまったく同じだってことに気づかない。
現在の企業は昔の部族とそんなに違わない。起業家や法律家はいわば強力な呪術師。
7万年ほど前に登場した認知能力。これは認知革命。
言葉を紡いで想像上の現実を生み出す能力のおかげで人間は大勢の他人と協力してやっていける。
200万年前遺伝的変異によってホモエレクトという新種の人が生まれた。と同時に新しい石器が登場して今ではそれがこの種のエレクトスの目印になっている。
それ以上の遺伝的変異が起こらないうちは 接近 もほとんど変化がなかった…なんと200万年近く も!
認知革命以後のサピエンスは行動をパッと切り替えることができて、遺伝子や環境の変化がなくても次の世代に行動を伝えることができた。
サピエンスは数十人の集団で狩りをすることを学んだ。複数の集団がまとまって数百人になることもある。
認知革命以前 サピエンスは動物の一種でしかなかった。世界に属していたから、政治学の理論で理解することはできる。
しかし、認知革命以後のサピエンスは架空の物語 を次々に発明していき、奇妙な行動様式をいくつも生み出して今でいう「文化」を築きはじめた。
狩猟採集民は定住していませんでした。毎月どころか毎日移動することもあります。所持品は全て 担いで運んでいたわけです。引っ越し業者や荷車はもちろん駄獣すら存在しませんから。ですから 必要最低限でやっていくしかなかったんです。
つまり、宗教的情緒的社会的な活動にはほとんど 道具を使っていなかったと結論してよいのでしょうか。
現在は生きるのに必要な知識の大半を人は無自覚に他人に頼ってる。でもその他人の方だって自分の狭い専門分野のことしか知らない。集合的に見れば現代社会の知識量は石器時代の共同体を大きく凌駕しています。でも個人のレベルで言ったら歴史上一番知識や技能が豊かなのは昔の狩猟採集民なんです。
正直に言って、20世紀は史上最悪の戦争と民族条項から行われた時代だが、その20世紀ですら人間の暴力によって殺された人間はたった5%。
動物界が産んだ歴史上最悪の殺人犯。
猫が車が走ってくるのを見るとよく突っ立ったまま動かなくなる。あれはバカだからではなく車 という危険に適応する時間がなかったから。 -
Posted by ブクログ
中学3年生の「課題図書」の一つとして紹介された書籍です。
「女性が手から電撃を出せるようになる」という設定ひとつで、ここまで現代社会を風刺した小説を書くことができるのか、という驚きに満ちた読書体験でした。
力を得た女性が、それまで自分たちを征服し、虐げてきた男性社会にたいして叛旗を翻すという流れ自体は想像できるものですが、今の世の中に「当たり前」にあると考えられている「女性ならではのやさしさ」という幻想を打ち破るような激しい攻撃性を目の当たりにすると、私自身、男として居心地の悪さや一抹の恐怖を感じます。
大いなる力には「責任」が伴い、それを無視して濫用すると「歪み」が生まれること。人間は理性よりも感情を優先することがままあること。復讐は復讐しか生まないこと。他者を信じたとしても、その信頼が裏切られることもありえること。この世の中の「不条理」な現実がありありと描き出されているところも、本書の魅力の一つだと思います。
この物語は、女性が男性よりもはるかに強く、女性が男性を「支配」するようになってから数千年を経た時代に、とある男性作家が書いた「過去の男が強かった時代から転換したとき」を描いた歴史ファンタジーという位置づけの小説になります。
この作中の小説を読んだ女性作家からの手紙に「『男性の支配する世界』は……きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって……」という記述がありましたが、これこそ現代の社会への痛烈な批判でしょう。
現実には女性が、そしてこの作品の中では男性が、その性別ゆえに「生きづらさ」や「恐怖」を感じながら生きてゆかねばらならないという現実があります。もちろん、そのような状況は変えていかねばなりませんが、その前に「どのような困難があるのか」ということを自分事として理解することが必要でしょう。
その助けとして、とくに男性読者にこの本を読んで欲しいと思います。
作中の小説で、一人の男性が次第に「ただ生きているだけなのに男性であるという理由で恐怖を感じるようになる」という描写があります。これが、女性が抱く(抱かされている)恐怖なのだと思いますし、それを追体験することができるというのは、貴重な経験だと思います。