津島佑子のレビュー一覧
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ネタバレ投げ出してしまいたくなるほどではないものの、少々味気ない話が続き、下巻の中頃までは作品の意図を掴みかねた。しかし、桜子によるメモが挿入されることでこの作品が持つ意義が分かりやすくなった。石を巡る作品であったことに改めて気が付かされたのである。石にもそれぞれ名前がある。同じ土地から産出したものでも、含有成分や構成によって異なる輝きを、美しさを見せる。そうしたこまごまとした石の美しさを再発見すること、それによって有森家(石原家)の生を後世に残るかたちで復元することがこの作品の達成であると言えるだろう。
中上紀氏による解説は作品のあらすじや構成、特徴などについて十分に整理されているが、通読した前 -
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ネタバレ12編のアンソロジー。
どの作品も変愛の名に相応しかった。この一冊に密度濃く詰め込まれたそれぞれの変愛。愛と一口に言っても当たり前ながら1つも同じものはない。
その中でも特に好みだった2つについて書きたい。
『藁の夫』
2人の間に嫌な空気が流れる、その始まりはいつも些細なことなのだと思い出させる自然な流れだった。あんなに幸福そうだったのに、藁に火をつけることを想像させる経緯、鮮やかな紅葉にその火を連想させるところがたまらなく良かった。
『逆毛のトメ』
シニカルでリズムのいい言葉選びが癖になる。小説ってこんなに自由でいいんだと解放して楽しませてくれた。躊躇なく脳天にぶっ刺す様が爽快だし、愚か -
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ネタバレ読むのに苦労した上巻とは打って変わって、随分と読みやすく感じた。
富士の裾野に住む有森家の年代記とはいえ、物語のほとんどは語り手である勇太郎の父である源一郎と、彼の子どもたちについてである。
上巻は父・源一郎を中心に、何の不安もなく過ごした故郷での子ども時代の幸福な日々に大きくページを費やしているため、その後の家族の闘病や死別が続く下巻が、敗戦の混乱も含めて理不尽に感じられる。
だが、大きく時代が変わるときに、精神的支柱の父を喪い、今まで通りの生活が送れるわけはない。
最終的に有森家の人間はだれ一人として甲府に住み続けることはなかったのだ。
そして、勇太郎自身アメリカで生涯を過ごし、その娘 -
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ネタバレアメリカで生まれフランスで暮らす娘に、先祖代々甲府で生きてきた一族の歴史を父が書き残した記録―を、いとこが預かって、数十年後にようやく送り届けるという態の小説。
長年アメリカで暮らしながら根っこの部分で日本人が抜けない父親が、日本語を読めない娘に日本語で記録を残すので、間に何人か人が入って日本語を訳さなければならない。
そして、富士山についての古文書の記録や、記録を補足する注記やメモなども入り、スムーズに読むのはかなり難しい。
また、一族に代々伝わる小太郎という名前が、いつの時代の誰の話かを理解するのを妨げる。
この小太郎は祖父なのか、孫なのか?
何世代にもわたる大家族の記録は、名前を覚え -
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「恋愛」ではなく「変愛」…変わった形の愛が描かれたアンソロジーです。
面白かったです。
ディストピア文学が大好きなので、「形見」が好きでした。工場で作られる動物由来の子ども、も気になりますが、主人公の子どもがもう50人くらいいるのも気になりました。色々と考えてしまいます。
「藁の夫」「逆毛のトメ」「クエルボ」も良かったです。藁の夫を燃やす妄想をしたり。クエルボはラストは本当に名の通りにカラスになったのだろうか。。
多和田葉子、村田沙耶香、吉田篤弘は再読でしたがやっぱり良いです。
岸本佐知子さんのセンス好きです。単行本から、木下古栗さんの作品だけ再録されなかったようですが。
表紙の感じに既視感が -
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ネタバレ想像妊娠、なんていうからもっと奇っ怪な妖しい話かと思いきや、ずっと現実的だったのがよかった。美しい夢の書き出しに騙された。笑
高子は、ありのまま、を愛している。ありのまま。石原千秋のいうところの本能と成長への反抗。その根底には死んだダウン症の兄の生き方がある。飾らないこと。偽らないこと。剥き出しにするしかないこと。理性を持ちようのない状態、それを高子は性の奔放さでしか追随できなかった。それが高子の美徳だった。
男無しじゃ生きられないようにみえて、人一倍自立していて…それが一人娘夏野子への愛着として映り、お腹の子を私生児にするという決意に落ちる。面白いくらい共感してしまった。私も、自分の子は、自 -
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私はまず、人称の使い方が面白いなと思った。
一人の意識なんだけどちょっと集団意識っぽい感じというか。
全部妄想なのかもしれないけど、声が消えない。自分以外の声が聞こえる、というのが、新鮮だなと。
震災以降、自分ひとりという単位が、困難になっているんじゃないかと思った。
ヤマネコドームでいうと、ミキちゃんの事件なんだけども、エポックメイキングな事件を同時に味わった人々の中に生まれる(はずの)共通のイメージだとか、言葉の、範疇というのでしょうか。
それがみんなの中にあるから、それを一旦経由しなきゃいけないような気がする。
経由しなかったとしても、人々はそれぞれに経由して感じ取るというのか。
ミキ -
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干刈あがたによる堤中納言物語と津島佑子による宇津保物語の子供向け現代語訳(再話)。
説明が多すぎて気が散る。でもそれは私が大人だからで、自分もこういう注釈だらけの本で言葉を覚えたことを思えば懐かしい。
とても読みやすいが歌までわかりやすく言い換えられているのは風情が消し飛んでしまって残念。
子供の頃、古典文学コーナーは素通りしていたんだけど、こんなに面白いなら読んでおけばよかった。
・・・子供のころでは今よりつまらなく感じたかもしれないけれど。
平安貴族男子ろくでもないな!どうしようもなさすぎて面白い。
堤中納言物語はまた読んでみたい。
「花桜折る少将」の超展開、「虫愛ずる姫君」の対比、