津島佑子のレビュー一覧
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岸本佐知子さんの編んだ書き下ろしアンソロジー、タイトルに惹かれてまず読んだ津島佑子の短編「ニューヨーク、ニューヨーク」が素晴らしかった。読みながら、読み終わってから、幾つものことを思った。
「ニューヨークのことなら、なんでもわたしに聞いて。それがトヨ子の口癖だった、という」冒頭のセンテンスを読んで、わたしも数年前の夏に数冊の本を読むことで行ったことのない「ニューヨークのことはもう分かった」と嘯いたことを思い出す。そこには彼女がニューヨークを思うのと同じように個人的で特別な理由があったのだけど。
その後に元夫と息子がこの世にいない彼女について語り合うことで明らかになり“発見”される、今まで知り得なかった「彼女の孤独や哀しみやささやかな矜持や希望」あきらめ、恨み、失望は、編者あとがきで岸本さんが書いているように「私たちみんなが心の奥に抱えているもの」なのだと思えた。少なくとも、わたしは同じようなものを抱えていた。改めてそれらを見つめることになる。さらにその語り合い、解釈を通して「なにか肝心なものが欠けた存在」では、と思いはじめる元夫、名無しの“男”の人生に自分を省みて、思い出し落ち込み、わたしも「少し涙ぐむ」。
そして、もういない人を語りあうこと、あるいは不在になったときに語られることについても考える。別の方向からの印象を聞き、ぶつかり合いすり合わされることで、新しい印象が浮かび上がる。それは勿論“正解”ではないのだけど、新たな、あなた、わたしが描き出される。何処までいっても憶測でしかないそれを、真実とその人自体だと思い込む、そうせざる得ないことは、実はとても恐ろしいことなのではと思い至る。しかし、人も含めた世界はそうやってしか捉えることが出来ないのなら、それは真摯に語られるべきだ。この小説のように。そんなことを少しこじつけて思う。とても素晴らしかったけれど、予想していなかった怖い思いもした短編小説だった。太宰治の娘だということはさっき知った。「電気馬」も読んでみたい。 -
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ネタバレ投げ出してしまいたくなるほどではないものの、少々味気ない話が続き、下巻の中頃までは作品の意図を掴みかねた。しかし、桜子によるメモが挿入されることでこの作品が持つ意義が分かりやすくなった。石を巡る作品であったことに改めて気が付かされたのである。石にもそれぞれ名前がある。同じ土地から産出したものでも、含有成分や構成によって異なる輝きを、美しさを見せる。そうしたこまごまとした石の美しさを再発見すること、それによって有森家(石原家)の生を後世に残るかたちで復元することがこの作品の達成であると言えるだろう。
中上紀氏による解説は作品のあらすじや構成、特徴などについて十分に整理されているが、通読した前と後ではかなり違った印象を受ける。 -
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ネタバレ12編のアンソロジー。
どの作品も変愛の名に相応しかった。この一冊に密度濃く詰め込まれたそれぞれの変愛。愛と一口に言っても当たり前ながら1つも同じものはない。
その中でも特に好みだった2つについて書きたい。
『藁の夫』
2人の間に嫌な空気が流れる、その始まりはいつも些細なことなのだと思い出させる自然な流れだった。あんなに幸福そうだったのに、藁に火をつけることを想像させる経緯、鮮やかな紅葉にその火を連想させるところがたまらなく良かった。
『逆毛のトメ』
シニカルでリズムのいい言葉選びが癖になる。小説ってこんなに自由でいいんだと解放して楽しませてくれた。躊躇なく脳天にぶっ刺す様が爽快だし、愚かな人間の頭に邪鬼の形相のトメがいることを想像してそのコミカルさに取り憑かれる。気づけばトメのことが好きになっていた。 -
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ネタバレ読むのに苦労した上巻とは打って変わって、随分と読みやすく感じた。
富士の裾野に住む有森家の年代記とはいえ、物語のほとんどは語り手である勇太郎の父である源一郎と、彼の子どもたちについてである。
上巻は父・源一郎を中心に、何の不安もなく過ごした故郷での子ども時代の幸福な日々に大きくページを費やしているため、その後の家族の闘病や死別が続く下巻が、敗戦の混乱も含めて理不尽に感じられる。
だが、大きく時代が変わるときに、精神的支柱の父を喪い、今まで通りの生活が送れるわけはない。
最終的に有森家の人間はだれ一人として甲府に住み続けることはなかったのだ。
そして、勇太郎自身アメリカで生涯を過ごし、その娘はパリで子どもを産み育てる。
有森の血は世界を舞台に流れているとも言えるし、甲府に足を据えて生きてきた一族の血は薄まったともいえる。
命をつなぐというのは、そういうことなのだ。
甲府を離れながら甲府を思い、時に、亡くなったはずの父や兄姉たちが青空の中を馬で駆っていく姿を見たり、過去を思い出していると亡くなった姉たちの会話が聞こえてきたりと、軽くマジックリアリズムを思い起こさせる部分がある。
そう言えば土地に住み続ける一族の話だし、似たような名前が繰り返し出てくるし、おさすりさんのような科学では解明できない力を持つ者がいたり、自然災害の脅威にさらされたりと「百年の孤独」を彷彿させる箇所が多々ある。
かと思えば、姉の一人で、一番勇太郎には厳しかった笛子の夫・杉冬吾は、明らかに作者の父である太宰治がモデルであるとわかる。
津軽の大地主の息子でありながら、生活能力が全くなく、ただ酒と煙草と芸術と女に依存して生きる男。
現実の太宰がどこまでそうだったのかは知らないが、心身があまりにも脆弱で、自分のなしたことに責任を取ることなどできない無責任な臆病者でも、芸術の才能さえあればすべてが赦されるものなのだろうか。
文章や構成に色々と工夫が凝らされているのだけど、それがどれほど作品によい影響を与えているのかは疑問。
もっとシンプルな方が断然読みやすいのに。
例えば
”桜子はまだ二、三時間、麻酔からさめないと言われたので、私たちはインキュベイタアに入った赤ん坊を見届けに新生児室に行った。人間の赤ん坊とは思えないほど小さな赤ん坊がいろいろなテュウブを取りつけられ、巨大なオムツをつけただけの姿で、ガラスの箱のなかでゆるやかにうごめいていた。”
書いていることが理解できないわけではないが、カタカナがいちいち障害となって立ちはだかり、読書に急ブレーキがかかるんだよね。
つるつる読める文章がいいのかと言えば、そういうわけでもないけれど、これはあまりにも甚だしくて、もう少し日本語に寄せた標記にして欲しかったわ。 -
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ネタバレアメリカで生まれフランスで暮らす娘に、先祖代々甲府で生きてきた一族の歴史を父が書き残した記録―を、いとこが預かって、数十年後にようやく送り届けるという態の小説。
長年アメリカで暮らしながら根っこの部分で日本人が抜けない父親が、日本語を読めない娘に日本語で記録を残すので、間に何人か人が入って日本語を訳さなければならない。
そして、富士山についての古文書の記録や、記録を補足する注記やメモなども入り、スムーズに読むのはかなり難しい。
また、一族に代々伝わる小太郎という名前が、いつの時代の誰の話かを理解するのを妨げる。
この小太郎は祖父なのか、孫なのか?
何世代にもわたる大家族の記録は、名前を覚えるのも一苦労だ。
ようやく第二次世界大戦がはじまろうというころまでで、上巻は終わり。
下巻はもう少しスムーズに読めるような気がするが、さて。 -
Posted by ブクログ
「恋愛」ではなく「変愛」…変わった形の愛が描かれたアンソロジーです。
面白かったです。
ディストピア文学が大好きなので、「形見」が好きでした。工場で作られる動物由来の子ども、も気になりますが、主人公の子どもがもう50人くらいいるのも気になりました。色々と考えてしまいます。
「藁の夫」「逆毛のトメ」「クエルボ」も良かったです。藁の夫を燃やす妄想をしたり。クエルボはラストは本当に名の通りにカラスになったのだろうか。。
多和田葉子、村田沙耶香、吉田篤弘は再読でしたがやっぱり良いです。
岸本佐知子さんのセンス好きです。単行本から、木下古栗さんの作品だけ再録されなかったようですが。
表紙の感じに既視感が、と思ったら、多分小川洋子の「不時着する流星たち」の単行本の絵と同じ方でした。あったかいような不安になるような、好きな絵です。 -
Posted by ブクログ
私はまず、人称の使い方が面白いなと思った。
一人の意識なんだけどちょっと集団意識っぽい感じというか。
全部妄想なのかもしれないけど、声が消えない。自分以外の声が聞こえる、というのが、新鮮だなと。
震災以降、自分ひとりという単位が、困難になっているんじゃないかと思った。
ヤマネコドームでいうと、ミキちゃんの事件なんだけども、エポックメイキングな事件を同時に味わった人々の中に生まれる(はずの)共通のイメージだとか、言葉の、範疇というのでしょうか。
それがみんなの中にあるから、それを一旦経由しなきゃいけないような気がする。
経由しなかったとしても、人々はそれぞれに経由して感じ取るというのか。
ミキちゃんの事件みたいに、あらゆる可能性や、何もできなかった自分や、ぼんやりした罪悪感や、出口のないすすり泣きが、世界の一部に組み込まれたんだなと私は思いました。
自分ひとりだけの自意識の中に、みんなが知っている「あのこと」が入っている。この困難。