津島佑子のレビュー一覧
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ネタバレゼミで読むので読んだ本。長かった。
大筋は、私生児を孕ってしまった21歳の女性、小高多喜子が息子の晶を生んでからの1年間を描く子育て小説。1980年という時代柄もあり、婚外子に対する家族と世間の視線は厳しく、晶が生まれるまでの間、母は多喜子に中絶を勧め続け、父は家の恥として罵声と暴力を浴びせ続け、会社は辞める意思を訊き、同僚の女子社員は多喜子を相手にしなくなった。誰からも祝福されることなく、晶は多喜子のお腹の中で育つことになる。
それにしても、多喜子の暮らす家は、迷路のような路地の先にあり、日のささない暗闇の中にある。それは、多喜子の置かれた状況をそのまま象徴するようにも見える。
家は曲がり -
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ゼミで扱われる関係で読んだ小説。先生が、「心が元気なときに、そこそこ気合いを入れて読んだ方がいい」と言っていたので、かなり身構えて読んだのが、思ったよりすんなり読めた。
こういう言い方をしていいのか分からないが、不穏な空気の流れる母子家庭の物語、というのが第一印象。読めば読むほどに、語り手である母を、どこまで信用していいのかが分からなくなっていく感じを受けた。本当は、母と子の関係と生活が壊れかけているのだが、その壊れていることを最後のところで隠そうとしている語りが、ものすごいリアリティをもって迫ってくる感じ。
正式に離婚をして、娘は自分のもとで育てたい、と思っている。と私は答えた。父親の方も -
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シングル・マザーとなって、家族との葛藤や仕事をするうえでの苦悩をかかえながら生きる小高多喜子という女性の物語です。
役所に勤める前田宏という男と数回関係を結び、彼の子どもを身ごもることになった多喜子は、中絶という道を積極的にえらぶことのないまま、子どもとともに生きていく道をあゆんでいきます。ただし彼女は、自分の人生の選択として積極的にシングル・マザーとして生きることを決断したのではありません。自分と子どもとの具体的なつながりをしっかりとつかんでおくことで、彼女の進んでいく道はおのずと定まっていったのです。しかし、家族をはじめとする周囲の人びとは、そうした彼女と子どもの具体的なつながりについて -
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表題作のほか、短編二作品を収録しています。
「壜のなかの子ども」は、駄菓子屋の店主を務める父親と、おとなになっても身長が1メートル10センチにしかならないと医者に告げられている小学生の息子の物語。父親は、大学病院で小学生の少女と出会い、のどにこぶのある生体実験のためのヤギを連れて町をあるき、息子は自分を取り巻く人びとのまなざしについて醒めた眼で考えています。生まれつき障がいをもつ動物に向けられる父親の視線は彼の息子に対する態度とかさねられ、ヤギに芸を仕込もうと考える少女に反発を感じながらも彼女に引きずられるようについてあるくことしかできないところに、彼が自分のそうした態度に無自覚であることが -
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36歳の高子は、離婚した畑中とのあいだに生まれた夏野子という娘とともに暮らしています。彼女はときどき土居という男と関係を結んでいますが、土居は高子や夏野子の気持ちを慮るような男ではなく、妻にも子どもを産ませてもいっこうに平気な顔でいます。
その後高子は、畑中の友人の長田という男とも関係をもつようになります。やがて彼女は、長田の子どもを身ごもったと信じ込み、しだいに彼女の身体にも変化が生じます。夏野子は、母親としては奔放にすぎる高子との生活に疲れ、高子の姉のもとに身を寄せ、姉も高子の振る舞いに眉をひそめて苦言を呈します。
ところが、病院をおとずれた高子は、お腹に子どもがいないという驚くべき事 -
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岸本佐知子さんの編んだ書き下ろしアンソロジー、タイトルに惹かれてまず読んだ津島佑子の短編「ニューヨーク、ニューヨーク」が素晴らしかった。読みながら、読み終わってから、幾つものことを思った。
「ニューヨークのことなら、なんでもわたしに聞いて。それがトヨ子の口癖だった、という」冒頭のセンテンスを読んで、わたしも数年前の夏に数冊の本を読むことで行ったことのない「ニューヨークのことはもう分かった」と嘯いたことを思い出す。そこには彼女がニューヨークを思うのと同じように個人的で特別な理由があったのだけど。
その後に元夫と息子がこの世にいない彼女について語り合うことで明らかになり“発見”される、今まで知り得