福田恆存のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
新潮文庫、平成二年の四十七刷版を読んだ。名高い人肉裁判に加え、美しい女が伴侶をくじ引きで決めるシーンや女性たちが男装して男性を欺きからかうシーンなど、それぞれに魅力的な幾つものエピソードを組み合わせ構成されている。人肉裁判の結末、そして物語のオチとしても痛快で大変魅力的な話でありいたく心惹かれる作品であったが、解題にてほぼ全てのエピソードが他からの借用であり、組合せすらも先人からの引用であることを知りがっかりした(訳者はそれでもシェイクスピアの魅力を貶めるものではないと言うが……)。またこれも解題·解説にてしつこいくらいに「シャイロックを悲劇の主人公と見るべきではない」と書かれているのだが、その真意をはかりかねる。利子だけでなく借金自体も返済されなくなり娘も失い改宗させられて、それが悲劇でないということがあろうか? 納得しかねるところである。またユダヤ人差別の面も多々見られ、(これも解題解説にてフォローされているが)、手放しで面白がれる作品ではないと感じた。
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Posted by ブクログ
名作とは知っていたが、実際に読んでみて確かに面白い一冊だった。最初は「そんな復讐なんてしても何も生まれないし、狂ったフリをしてまで色んな人を傷つけるなんて……」と、物語の結末が不安だった。しかし読み進めるうちに、ハムレットがしっかりレイアーティーズを敬い、父を殺したクローディアスも巻き込んで終わることができたので、比較的良い終わり方だったのではないかと思う。
人は死を恐れる生き物でありつつ、この世の理を受け入れるのも苦難で、いっそのこと死ぬべきかもしれない。けれど、死後の世界も不透明だから、結局はこの世の理を受け入れて生きるしかない。死ぬ瞬間、何を思って死ぬべきなのか。死んだら貴族も平民も皆同じ死体になる。では、死は平等なのか? 作品はそんな問いを投げかけながら、死に対する考え方を深めてくれた。
最後は主要人物が次々と死んでいくが、父を殺され「戦うべき」ハムレットとレイアーティーズが誠と向き合って死ぬことができたのは良かったと感じた。ただ、オフィーリアの死だけは悔やまれる。 -
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「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
〈あらすじ〉
デンマークの王子ハムレットは、2ヶ月前に亡くなった父親の死が叔父のクローディウスによる殺害だと知る。父の亡霊に諭され敵討ちをすることを決意したハムレットは、周囲に油断させるため気が狂ったフリをして作戦実行を試みる。
〈父親ちょっと影薄い〉
この作品は父親が亡くなり喪にふくすハムレットの様子から始まる。観客からすると既に亡くなっている父親の敵を息子が討つ、という形で物語が進んでいくので、出だしはやや置いて行かれている感じが否めない。前半に少しでも生前の父親とハムレットの関係性が分かるような場面があれば、観客もよりハムレットに同情できる気がした。
〈復讐が生む悲劇〉
クローディウスを殺すことが目的だったハムレットだが最終的には恋人のオフィーリアを始め、その父と兄、そして自身の母であるガートルード、最後は自らの命を殺める。
たったひとつの復讐を目的に始まった物語だが、主要人物全員の死を持って終わるこの展開は悲劇としか言いようが無い。そこにはシェイクスピアの復讐や憎しみを咎めるメッセージが含まれてる様に感じた。
四大悲劇のうちの一つであるハムレット、復讐が生んだ悲劇だった。 -
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「人は泣きながら生まれる。このあほうどもの舞台に引き出されたのが悲しくてな」
〈あらすじ〉
ブリテンを治めるリア王は引退を控え、3人の娘に「父である自分を最も愛している者に領土、権力を分け与えること」を宣言する。長女ゴネリルと次女リーガンが美辞麗句を並べる中、末娘のコーデリアは「何も」と答える。怒り狂った王はコーデリアを追放し上の娘2人に財産を与えるも、その後2人に手のひらを返され酷い扱いを受け、自分の過ちに気づく。
〈不器用な末娘〉
父の要求に対し「自分の本心」よりも「相手の求めている言葉」を並べることができる長女や次女と比べ 、1番若いコーデリアが「何も。」と答えるのは、一見すると思春期の者にありがちな言動にみえる。けど実際は愛を言葉で測ろうとしている父親の愚かさに気づいていて、それに対し自分なりに反抗し自身の信念を貫こうとした若さゆえの不器用且つ純粋で正直な言動でもあったのではないかと今になり思う。
歳を重ね空気を読む、相手に合わせる力を身につけた姉たちと、不器用で幼いながら真っ直ぐな妹のコントラストが印象的だった。
〈不器用な父〉
またリア王の不器用さも本作品の醍醐味である。自分への愛を言葉で測ろうとしたり、姉達が引き受ける自分の従者の数により愛を測ろうとしたりと、とにかく愛を何かで測ろうとする。長年王として国をまとめていたであろう大の大人が見せる弱さ、不器用さから人情味が溢れているのもまた、本作品が時と国を越え人から愛される理由だと思った。
四大悲劇のうちの一つであるリア王、不器用が生んだ悲劇だった。 -
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ネタバレ大きく4つの段階で物語が展開していく。
最初は老人と少年の会話から始まる。老人は漁師だが、84日間も魚が釣れず、周囲の漁師からは「運に見放された」と嘲られている。そんな中でも少年だけは変わらず老人を慕い、その温かさが物語の基調となっている。
次に、老人が海へ漕ぎ出し、これまでに見たこともないほど巨大なカジキとの闘いが描かれる。この場面は老人の「独り言」を中心に進む。魚や自分自身に語りかけ、少年がここにいてくれたらと弱音を漏らしつつも、自らを奮い立たせる。孤独とどう向き合うかが印象づけられる。
やがて老人はついに魚を仕留める。すでに漁に出てから3日も経ち、老人は極度に疲れ切っている。魚を船にくくりつけ港を目指すが、その途中でサメの襲撃を受け続ける。捕らえた魚は少しずつ食い尽くされ、老人は力を振り絞って応戦する。この場面は第三者的な語りが前面に出ており、老人がすでに限界にあることを示している。
最後に港に戻ると、魚は骨だけとなっていた。その大きさに驚く漁師たちをよそに、老人は小屋で眠り、少年がそっと見守る。物語は再び二人の会話に戻って静かに幕を閉じる。
全体を通じて、物語を進める主体は老人の状態に応じて「会話」から「独白」、そして「出来事」へと移り変わり、最後に再び「会話」へ戻る。この構成が自然な流れをつくりつつ、場面の切り替えを鮮やかに示している。
結末は「大魚を持ち帰る」というハッピーエンドではなく、「骨だけを残して港に戻る」という現実味のある形で描かれる。そこには敗北の苦さと同時に、人間の尊厳を失わない姿勢やリアリティへのこだわりが感じられる。
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Posted by ブクログ
周囲を虜にし、また危惧させるほど魔性の美貌を誇る王女サロメの、預言者ヨカナーンへの執着たるや! どれほど本人から拒まれようと恋慕し、己が手中に入れんとする様が恐ろしい。狂気ここに極まれり。
なぜエロド王はサロメのことをずっと視ていたのか?
ヨカナーンが非難していたのは本当にエロディアス妃だったのか、そもそも彼女は本当に罪深かったのか?
そもそもヨカナーンは真に預言者であったのか?
……戯曲としてはかなり短い内容。聖書から材を得ているらしいが、分からないことだらけ。とは言え狂おしく禍々しいくらいの耽美の世界には圧倒された。収録されているAubrey Beardsleyの不可解で官能的な挿絵18点もいい。
旧仮名遣いではある(※私が読んだのは2012年発行の第15刷。1959年 第1刷/2000年 改版第1刷)が、福田恆存の翻訳文がいい! 戯曲=「声に出して読まれるテキスト」としての話しやすさと品格が備わっていると思う。翻訳者による巻末の「解題」を作者Oscar Wildeの経歴紹介に割き、作品自体の解題を新潮文庫版に丸投げしている点はいただけない。 -
Posted by ブクログ
★4。
「メタルマクベス」と「蜘蛛巣城」のおかげで筋は知ってたけど、改めて戯曲読むと新鮮に面白かったなー。後半の、マクダフ夫人と子の場面、マクダフとマルコムの場面とかは面白そうなので映像で見るの楽しみ。
レディマクベスの死にさらっとしか触れられてなかったのが意外だった。でもこれだけさらっとだと膨らませる余地あるから、かえって色んなバージョンが作りやすいのかなーとも思うね。
新潮文庫版を読んだのだけど、中村保男さんの解説が興味深かったな。その前の福田つねなりさんのもそうだけど、ハムレットとの対比について書かれててなるほどーだった。テナントさんファンは脳裏に思い描きながら読めるからこれわかりやすくてよい。映像楽しみだー! -
Posted by ブクログ
翻訳者の福田恆存が書いたあとがき「シェイクスピア劇の演出」が印象に残った。
この中で、役者は、演じるキャラクターの心理を掘り下げて演技すべきではない、と述べている。演劇は劇場的効果が重要で、役者は観客の望むものを提供することに徹すべきだ、と述べている。すなわち、台本に書かれているハムレットの台詞を観客に効果的に届ける媒介者、と私は理解した。
私が映画や演劇に興味を持った時(若い時)、影響を受けたのはスタニスラフスキーの演技論だった。彼は徹底的にリアリティを求めて、観客が退屈しようと役者はリアルに佇むだけ、、、な感じだった。これがモスクワ芸術座であり、アメリカに渡り、リー・ストラスバーグのメソッド演技になった。福田恆存とは正反対の様に思えるが、両方必要なんだろう、とも感じる。そもそも、普通の役者の中途半端な心理分析・演技は、かえって興ざめだし、映画監督の中には、心理描写を望まない人もいる。アキ・カウリスマキも、その一人。
そもそも、この台本を読み返した切っ掛けは、アキ・カウリスマキの「ハムレット・ゴーズ・ビジネス」を観たから。演技論や演出論に対して、再び関心が沸いてきた。