福田恆存のレビュー一覧
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今度オペラを見に行くので、久しぶりに読みました。かれこれ10年ぶりくらい…?以前読んだのは高校生か大学生なりたてかの多感な時期で、ひどく美しく耽美な戯曲に、そしてその日本語を書いた福田恆存に、くらくらしていた記憶がある。
久しぶりに読み返してそこまでの陶酔感が得られなかったのは、再読だからか、年だからなのか…再読だから、だといいんだけど笑
ドリアンなども読んだ身からすると、いかにもワイルドらしい表現、特に月に対する表現に、にんまりしていた。
「月を見るのはすてき! 小さな銀貨そつくり。どう見ても、小さな銀の花。冷たくて純潔なのだね、月は…さうだよ、月は生娘なのだよ。生娘の美しさが匂つてゐるも -
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昨年の『禁色』、今年の『標本作家』ときて、ようやく『ドリアン・グレイの肖像』にたどり着きました。本に関しては、読むべき時におのずと手に取ることになるという(?)運命論者なので、来るべき時が来たという感じです。
学生時代に『サロメ』にはまった時に、なぜこちらを手に取らなかったのか。福田恆存が好きだと話し合える友人がいたのに、なぜこの本を手に取らなかったのか。もう彼と話し合えることがないのに、今更彼にぴったりな本達を読むことになっているなんて、なんと残酷なのだろうと思います。でも私たちにとって、美しいものは悲劇的であるということはあまりに自明なことなので、きっとこれで良かったのだと思う自分もいます -
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シェイクスピア四大悲劇の一つ。
私にとっては、これが2作目に当たる。
かなり面白かった。
ハムレットは父を思うがゆえに悲劇に陥った。
オセローは妻への愛が裏切られたために悲劇に陥った。
どちらも家族を思う愛が悲劇を招いている。
愛と憎は表裏一体の関係にあることを気づかせてくれた。
あと、ストーリー展開が実は単純なことに驚く。
オセローを恨む者がオセローを貶めようとするのだが、この策略はとんとん拍子で上手く行く。
もちろん、この方法はストーリーの軸ではないのだが、こんなに簡単に策略が上手くいくのを見ると、「この作品はやはりフィクションなのだ」と気づく。
事実は小説より奇なりというが、まさにそ -
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バレエの演目が大好きで、思い出深いこの作品
学生時代以来で読んだけど、この品のあるドタバタ喜劇、面白くて面白くて笑いながら読みましたー。
楽しかった☺️
戯曲がこんなに楽しく読めるようになったはお嬢が演劇やってくれたおかげかと思う。
一緒になりたいライサンダーとハーミア、
ハーミアの父から信頼を置き、ハーミアを想うデメトリアス、
デメトリアスに恋するヘレナ。
この4人が、妖精の王オーベロンと、パックの媚薬せいで恋敵が入れ替わり…
恋のお話しもやっぱり好きだけど、
大公が庶民の演技をあたたかく見守る、
5幕の劇中劇のシーンがなんだか良かったなぁ。
出来るトップは部下たちをも尊重するのね… -
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ユダヤ人というのがどう見られていたのか、キリスト教徒との関係など、いろいろその時代の、そして今につながる宗教や民族の位置づけなどもヒントがあると思う。
シェイクスピアを読んだのは、オセロー、ハムレットに続いて3作目だが、一番気楽に娯楽として読めた。
裁判の様子など、頓智合戦で愉快。一方、法律をもって社会秩序を守ろうという市民の意識の高さがうかがい知れる。先人たちが築き上げてきた社会を、今の世界や日本は壊そうとしているのではないか。嘘をホントと言って押し通す。今の権力者の横暴さをシェイクスピアから感じる。これがこの本の読後感である。また再読したい。 -
般若心経に匹敵する解題!
ロレンスの本文読む必要特に無し。恆存氏の解題を熟読吟味するだけでよし。この後書きは彼の終生にわたる主張のエッセンスである。あと、コリンウィルソン、「アウトサイダー」の後書きと彼の著作「人間この劇的なるもの」「芸術とは何か」を参考書として読めば、少なくとも(ロレンスの)ではなく、恆存氏の思考を辿ること容易になる。彼の主張自体はそんなに難しいものではない。ただ一種独特な文体、レトリックを駆使するから複雑に感じるだけ。この黙示録論は般若心経に匹敵する位、簡明且つ深淵な文章であると私は高く評価する。
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オスカー・ワイルド作『サロメ』は、預言者ヨハネの斬首のエピソードを下敷きにした戯曲である。新約聖書マタイ伝に記された「聖者の生首を所望する姫」という猟奇的な逸話は、モローやシュトゥック、カラヴァッジオなど多くの芸術家に取り上げられてきた。その中でもワイルドの戯曲は、創作としてのサロメの決定版といった趣きがある。ビアズレーの挿絵と共に、世紀末芸術の代表的作品といっていい。
この戯曲の中では、サロメは処女でありながら、文学史上稀に見る淫婦として描かれている。ヨカナーンの首を前にして陶然と愛を語るサロメの姿は凄まじいというよりほかなく、さらにその唇に接吻するとあっては、冒瀆だとして作者の本国イギリ