福田恆存のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ユダヤ人というのがどう見られていたのか、キリスト教徒との関係など、いろいろその時代の、そして今につながる宗教や民族の位置づけなどもヒントがあると思う。
シェイクスピアを読んだのは、オセロー、ハムレットに続いて3作目だが、一番気楽に娯楽として読めた。
裁判の様子など、頓智合戦で愉快。一方、法律をもって社会秩序を守ろうという市民の意識の高さがうかがい知れる。先人たちが築き上げてきた社会を、今の世界や日本は壊そうとしているのではないか。嘘をホントと言って押し通す。今の権力者の横暴さをシェイクスピアから感じる。これがこの本の読後感である。また再読したい。 -
般若心経に匹敵する解題!
ロレンスの本文読む必要特に無し。恆存氏の解題を熟読吟味するだけでよし。この後書きは彼の終生にわたる主張のエッセンスである。あと、コリンウィルソン、「アウトサイダー」の後書きと彼の著作「人間この劇的なるもの」「芸術とは何か」を参考書として読めば、少なくとも(ロレンスの)ではなく、恆存氏の思考を辿ること容易になる。彼の主張自体はそんなに難しいものではない。ただ一種独特な文体、レトリックを駆使するから複雑に感じるだけ。この黙示録論は般若心経に匹敵する位、簡明且つ深淵な文章であると私は高く評価する。
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Posted by ブクログ
オスカー・ワイルド作『サロメ』は、預言者ヨハネの斬首のエピソードを下敷きにした戯曲である。新約聖書マタイ伝に記された「聖者の生首を所望する姫」という猟奇的な逸話は、モローやシュトゥック、カラヴァッジオなど多くの芸術家に取り上げられてきた。その中でもワイルドの戯曲は、創作としてのサロメの決定版といった趣きがある。ビアズレーの挿絵と共に、世紀末芸術の代表的作品といっていい。
この戯曲の中では、サロメは処女でありながら、文学史上稀に見る淫婦として描かれている。ヨカナーンの首を前にして陶然と愛を語るサロメの姿は凄まじいというよりほかなく、さらにその唇に接吻するとあっては、冒瀆だとして作者の本国イギリ -
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Posted by ブクログ
こんなに有名な本を今までなぜ読まなかったのか、それが最大の謎。特に、これだけ素晴らしい本だというのに!
高校のときに選択科目で取っていた演劇で、The Importance of Being Earnestという劇で初めてワイルドを知り、その後、同じく高校時代にスティーブン・フライ主演のWildeという映画が流行っていたのが二回目のワイルド体験。その後も、何度も彼の名前は色々な場所で見かけていたというのに、なぜかこの本だけは読んだことがなく。
「美しい」ことと「若い」ということが決してイコールだとは思えないけれど、でも、「若くて美しい」ことに意味があるというのはわかる。そこまでは、同調できる。 -
Posted by ブクログ
大変面白かったです。確かに唯美主義的な物語でもありましたが、別の側面から見ると、「人生の目的は自己を伸すことにある」という思想の下、悪徳の限りを尽くして徹底的に自己の快楽のみを追い求め続けるという破滅的な「自己」を背負った主人公がどのように生きていくのかを追った物語でもありました。
その結果がいわゆる一般的な生き方をしていれば普通にはありえないような恐ろしい死であったとしても、各人が持つ交換不能の「自己」を存分に伸ばす生き方には、確かな魅力があります。しかし、それによって開示される「自己」が周囲の人々をことごとく不幸に巻き込むようなものであったとしたら? かなり面白いテーマだと思います。
「日 -
Posted by ブクログ
「ブルータス、お前もか」で有名なカエサル暗殺。
タイトルはジュリアス・シーザーとなっているが、シーザーによる、ブルータスのための劇のように感じる。
『ハムレット』『マクベス』『オセロ―』『ロミオとジュリエット』など、シェイクスピアの悲劇はたくさんあるが、このジュリアス・シーザーはそれらとは一線を画する。
たしかに、役一人あたりの発言量は多い。それはどの悲劇でも大抵そうだ。だが、他の悲劇とは違って、ジュリアス・シーザーでは、すべての発言が重みをもって迫ってくる。歯切れのいい洒落や猥談は全くない。
そして、振る舞いによる対比が見られない。多くの悲劇では、身分が低い場合には、とことん猥雑な振る舞いで