福田恆存のレビュー一覧
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キングリアを読む。
シェイクスピアが活躍した時代から現代まで数多の物語が生まれていて、それを時代性を考慮せずに知っている僕らは、この悲劇の偉大さを正確に感じられないかもしれない。
愚かな王、家族の裏切り、兄弟の不信,人間の虚飾僕には正直言って目新しさを覚えることができない。
でも、このキングリアという作品があることによってそれ以降の作品はめちゃくちゃ影響を受けてるやろうし、僕らがよくあると感じるまでにこの題材は古びず使われ続けているということは、やはり偉大な作品なんだろう。
道化は確かにこの物語のキーパーソンだろうと思うけど、僕にはどうしてもリアの人格の一部として遊離したものに思えてならない。
つまり道化はリア自身であり、客観的ニヒルキャラとして登場人物化したものだと思う。
誰にも指図されない王という立場の人が自己防衛的に自制を促すために狂気を阻止するために、出てきたのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
よく考えたらきちんと読んだことのないロミオとジュリエット
そういう展開でそんな悲劇が起きちゃったのね!ふむふむ
そして二人の恋愛と二家の敵対問題だけではなく、乳母、友人、親戚、神父など
結構多くの個性的な登場人物が物語を盛り上げていた
(毎度思うが登場人物結構多いのよねシェイクスピアって…おまけになかなかの名脇役も結構いるのよ)
幼さを残した二人が恋に落ち、両家の敵対関係から悲劇が生まれるのだが、展開も早すぎるししっくりこないところも多い
そして未だに馴染めないのが、冗談半分かと思っていたら、あれよあれよと展開して本気の喧嘩で死んじゃう…みたいなやつ(結構ビックリするのだ)
味方だと思っていた両親にジュリエットが従わないとジュリエットにボロクソ言い、勘当宣言までしてしまう(ひどい)
この時代はやはり子供というのは親に所属している「モノ」に過ぎないのかしら…
相変わらずのテンポと歯切れの良さで気持ちよく展開するため非常に読みやすい
セリフや表現の美しさと、反面、文句や悪口がかなり下品(笑)、喧嘩になると一気に急変化…
この乱高下にシェイクスピアらしさを感じる
巻末の解説を読んで改めてシェイクスピアは劇作家であることを認識し、劇としての読み物だと思わないことには違和感を覚えることが多い上、言葉の多さに溺れそうになる理由もよくわかった
解説に「シェイクスピアの劇を正しく理解するためには、絶対にエリザベス朝劇場に関する一応の予備知識が必要になる」
とあったので「エリザベス朝劇場」についてまとめておくことにする
①小劇場であった
無背景の舞台であったので、俳優の口を通して聞くセリフが圧倒的に重要な要素
言葉のオンパレード
芝居は、見るものではなく、聞くもの
②太陽光線の劇場
舞台上のみ屋根がある
客席は青空の下
(昼と夜は言葉による説明が必至)
③無背景
能と同様
観客に強度な想像力を要求した
セリフの陰影に一心に聞き入ったのだ
④舞台前面の幕がない
芝居と観客との距離を近づける効果
⑤女の役はすべて少年俳優が扮した
女優が生まれるのは、1660年以後
この予備知識をもって読むと印象が結構変わる気がする
芝居は「見るもの」ではなく、「聞くもの」!(おお、なるほど)
だからここまでセリフがてんこ盛り
そしてあえての無背景、道具も少な目(能と同じ感じ)により観客の想像力をあおる
そして女優がいない!
(ジュリエットは少年が演じたのね… ん?乳母も⁈難しくないかい?)
そして前々から気になっていた「ロミオとジュリエットはなぜシェイクスピアの四大悲劇に入らないのか」
これをチャットGPTに聞いてみた(笑)
作品のテーマと構造の違い: 「ロミオとジュリエット」は愛と若さ、家族の対立などをテーマにしていますが、他の四大悲劇とは異なる要素も含まれています。四大悲劇はより壮大なスケールや政治的な要素を持ち、主人公の個人的な運命がより広範な影響を及ぼす場合があります。一方、「ロミオとジュリエット」はより個人的なドラマに焦点を当てており、他の四大悲劇とはテーマや構造が異なると言えます。
文学的なジャンルの違い: 「ロミオとジュリエット」は一般的には悲劇とされますが、その中でもロマンティックな要素が強く、恋愛物語としても非常に有名です。一方、四大悲劇はより古典的な悲劇の形式に従っており、政治的な陰謀や野望、道徳的な問題などが重要な要素となっています。
時代的な位置づけの違い: 「ロミオとジュリエット」はシェイクスピアの初期の作品であり、四大悲劇は彼の後期の作品に含まれています。シェイクスピアの劇作スタイルやテーマの発展は時間とともに変化しており、四大悲劇はその成熟期の作品とされています。そのため、「ロミオとジュリエット」が四大悲劇に含まれていないのは、その作品の位置づけによるものかもしれません。
(なかなか真面目で正統派の回答がきました)
最後にとっておきの粋なセリフ
恋とは…「息の根もとまる苦汁かと思えば、生命を養う甘露でもある」
バラの名前…「わたしたちがバラと呼んでいるあの花の名前が何と変わろうとも薫りに違いはないはず」
あとはリア王とマクベスを制覇するぞ!
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Posted by ブクログ
ハムレットに続いて四大悲劇第2弾
舞台はヴェニス
主人公オセローは「ムーア人」
ムーア人ってよく聞くけどいまいちわからない
(サロメにも登場したなぁ…)
「ムーア人とはむしろ、スペインをその時々に支配したイスラム教徒やアフリカ系の人々などを表す概念…」
(「NATIONAL GEOGRAPHIC」のネット記事にあったのだが、「概念」というところがミソだ 民族に疎い我々にはなかなかわかりづらい)
本書においてはムーア人が黒人ぽく書かれているが、人種的にはコーカソイド(地中海集団)になるらしい
ここでは差別的象徴のように「ムーア人」を使っている感じがする
オセローはヴェニスの軍人でムーア人と少々差別を受けながらも優秀っぽい
最初の印象は誠実で優秀で冷静沈着、高潔な感じの優等生タイプ
彼の人生は波乱万丈で、(千夜一夜物語っぽい)苦労を乗り越え、今の地位を掴んだのがうかがえる
そんなオセローに惚れ、彼も気に入ったデズデモーナは由緒ある純潔な娘
父の反対をも克服し晴れて結婚した二人
幸せの絶頂ともいえるのは束の間…
ここに刺客現わる!
オセローの信頼おける部下イアーゴーだ
ムーア人の将軍に仕えることがお気に召さないのか、オセロー自身が気に入らないのか
とにかくイアーゴーはオセローを憎み、破滅させてやりたい!とメラメラしている
イアーゴーは言葉巧みに人の心を操り、意のままに人を動かしてしまう天才的な悪いやつ
あれよあれよとオセローはイアーゴーの悪だくみにハメられていくのだが…
あれほど揺らぎなく愛し合っていたはずの二人が
まさかのイアーゴーの罠に落ちてしまうのだ!
オセローの性格からしても驚きの展開なのである
イアーゴーのゲスな企みがこれほど皆の運命を狂わせようとは…
生真面目なオセローの狂気がなんだか切ない
ムーア人としての引け目を覆すほどの積み重ねてきた彼の信頼性と実績と美しく純潔な妻…
ああ、全てが一人の罠で泡となる
結構突っ込みどころは満載で、不自然なところも否めないのだが、内容を知らずに読むのはやはり想像力を刺激されるので楽しめる
それ以外に面白いのがシェイクスピアの豊かな表現力
もちろん翻訳者の力量もあるとは思うが…
気に入ったやつをピックアップしてみた
■「体面」ってやつは…
およそ取るに足りぬ、うわつらだけの被せものにすぎない
手に入るときは手に入るし、失うときは失うようにできている
(説得力あります!)
■「酔っ払い」ってやつは…
酔っ払いの悪魔の気まぐれ、勝手に暴れておいて、あとは癇癪の悪魔に肩がわり
(どうにもならないのよ~と伝わってくる)
■「嫉妬」ってやつは
何かあるから嫉くのではない、嫉かずにはいられないから嫉くだけのこと、嫉妬というのはみずから孕んで、みずから生まれ落ちる化物
(確かに 自分の中からしか生まれない そして生かすも殺すもあなた次第)
最後に…
この時代って本当に女性蔑視がひどいのかしら?
女性に浴びせる言葉暴力的過ぎて、さすがにちょいちょい不愉快
当時は普通だったのかな…
それでも健気に頑張る女性像も見どころ
にっくきイアーゴーの妻が脇役ながらに光っていた
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Posted by ブクログ
久しぶりに読むのを非常に心待ちにして温めていた作品
果たしてサロメはどれほどの妖しさを持った女性なのだろうか
そしてヨカナーンの首をなぜそこまで欲していたのだろうか
美と狂の瀬戸際である妖艶でおどろおどろしいビアズリーの挿絵から妄想が止まらない
ビアズリーの絵いいですねぇ
例え血の滴る描写であっても美しい
モノトーンの色彩が残虐さを美に変えているようである
おまけにユーモアまで感じる
もし、「不謹慎だ」を真剣に非難する人間がいるとしたら、「その人間の立っている土台が次元の違う場所にあるのだよ」
と笑い飛ばされそうだ
ユダヤの王エロドの宮殿で宴会が開かれている
集まった者たち(ユダヤ人、ギリシア人、ローマ人、カパドキア人、ヌビア人ら)が
「蒼く白くまるで死人のように美しい」サロメを褒めたたえる
一方のサロメは彼らの悪口を言い、「みんな嫌い」と言い放つ
俗っぽい王である義理父は性欲剝き出しの視線をしつこくサロメに送る
妻であるエロディアスに「もう、あなたたいがいになさいまし」と咎められる
エロド王は預言者ヨカナーンを聖なる者としながらも恐れている
砂漠からきたヨカナーンをかつて水槽であったという深く暗い牢獄に幽閉している
サロメはヨカナーンに興味を示し、自分に気があるシリア人の若者をしもべの如く使い
「会わせろ」とせがむ
ヨカナーン
不思議な声、白い肌の色、黒い髪の毛、そして赤い脣…
それぞれ褒めたたえるサロメ
ヨカナーンが「退れ、触るな、女こそこの世に悪をもたらすもの」と言えば、
褒めたくせにけなす
また褒めたたえ、そしてまたけなす
何この心理!
笑ってしまう
自分の気持ちにどうしてよいかわからないのか…
いじらしさと幼さ満載
ヨカナーンはエロディアスの不義、不貞を咎め、
サロメと母エロディアス対し同じ邪悪な者と全否定(でも兄であった妻を自分の妻にしたのは王なんじゃないの?)
ヨカナーンはエロディアスを含む女性そのものを蔑んでいるかのようだ
一方サロメ
女王として皆からチヤホヤされ、スポイルされており、世間知らず
恐らく王の元から外(世間)に出ることも許されないのだろう
そして退屈でウンザリする毎日を送っているのだ
本当の父親はエロド王の兄でエロド王の命令で殺されちゃってるし…
脳内が薄っぺらい母親のエロディアスはサロメに対する愛情もなさそうだし…
そして男性からはいつも羨望と性的なまなざししか受けたことがないのだ
自分を見向きもしない、そして否定までする男に興味を持つ心理
さてちっとも自分のモノに出来そうもないヨカナーン
手に入らないものは喉から手が出るほど欲しくなるのが人の心理
ましてや常識のないわがままお嬢さん
義理父王が領土の半分やると言っても
「ヨカナーンの首が欲しい」
と繰り返すサロメはまるで駄々っ子の少女のようだ
そしてとうとう念願のもの手に入れる!
ビアズリーの挿絵のイメージが強かったせいか自分の妄想と本書にちょっとギャップを感じてしまった
思った以上にサロメは妖女ではなく幼女に感じた
鬱屈した精神の反逆
今までに味わったことのない自分に目を向けない男に対する好奇心
初めて持った欲は手に入らない分大きすぎて、コントロールできないほどパンパンに膨れ上がる
手に入れる方法はもう一つしかない
自分で自分を追い込むサロメ
濃縮された歪んだ情熱がはじけたとき、ようやく手に入れることができた
ふふふ
短いストーリーでこの圧縮したスピード展開は小気味よい
何かが起こる…
徐々に迫ってくる暗黒
王が楽しいと言えば言うほど、他の者らは「王は暗い顔をしている」と言う
不穏で不思議な月が見る者の心の不安を反映する鏡のように変化する
それぞれの感じ方が面白い(個性出てる!)
エロド:血のように赤く見える
エロディアス:月はただの月
サロメ:冷たくて純潔な生娘
何かが羽ばたく音…
さぁ不吉なお膳立てはそろった
いよいよ来る
来る
来る…
ついに…
キターーーーーー!
ヨカナーンの血の滴る首を手にし、ようやく口づけを果たしたサロメ
征服欲が満たされていく…
愛憎の極みが最高潮に達する
戯曲のテンポ感の良さが実に引き立つ作品である
そして個人的には世界観がなかなか好きである
グフフ
「美や芸術」というのは理屈も理論も社会の常識もモラルも
何も関係ないところで成り立っているのだ!
とまるで胸を張って言われた清々しい気分だ
そう正解とかないし
感じるまま、思うまま
妄想は自由なのよ
どこまでも
これは想像力を最大限に駆使することができる、その喜びに溢れる作品なのだから -
Posted by ブクログ
【読み終わって感じたこと】
誰かの喜劇は、必ず誰かの悲劇によって成り立っている。その事実を改めて考えさせられる作品だった。この作品は、単なる喜劇ではない。シャイロックという1人の人間の悲劇でもあるということを、忘れてはならないと思う。
【印象に残ったセリフ】
「ユダヤ人は目なしだとでも言うのですかい?(中略)何もかもクリスト教徒とは違うとでも言うのかな?」
シャイロックの言葉。登場人物たちは、彼を「ユダヤ人」「異教徒」と何度も呼んでいた。人種で見て、シャイロックの中身をあまり見ようとしていない様子が窺えた。もちろんシャイロック自身の中身もあまり良いものとは言えないだろう。だけど、彼は「ユダヤ人」であることで余計に苦しい思いをしてきたんだろうなと感じられるセリフだった。
【好きなシーン】
アントーニオーが、自分の肉1ポンドが取られることが確定し、バサーニオーと抱き合うシーン。2人の熱い友情が見られる場面で、ものすごく素敵だなと思った。 -
Posted by ブクログ
昔読んだけど宝塚見るので読み返し。
シェイクスピアがそんなに肌に合わないのか戯曲が合わないのかははっきりしないけど本当に「ふーん」と言う感想。。戯曲は地の文がないから間を感じられなくて全てがスピーディーに感じる。想像力の問題だけど…。
言葉遊びがふんだんに使われてるので、多分日本語で読むより英語で読む方が面白そう。翻訳者さん大変だろうなと思った。
ジュリエットのセリフで、「月にかけて誓ったりなんぞ。一月ごとに、円い形を変えてゆく、あの不実な月、あんな風に、あなたの愛まで変っては大事だわ」という月は形を変えるから月に誓うのはやめてというシーンは好き。
宝塚のロミジュリは良かったです。 -
Posted by ブクログ
名前は知っていたものの、詳しい内容は知らなかったため今回初めてシェイクスピアを読んでみた。
シェイクスピアには四大悲劇(ハムレット、マクベス、オセロ、リア王)があるが、なぜロミオとジュリエットはそこに入らないのか。
四大悲劇のどれも読んだことがなく、この本を読んだだけでの予想に過ぎないが、それは、ロミオとジュリエットは結末こそ悲劇なのだが、過程が若い恋人同士がその恋愛を成就させようと一生懸命になる側面が強いからだと思う。
原文を読んだことがないので、この翻訳がどの程度正確なものか判断できない。
翻訳された年が1950年ほどだったので、その影響かとても読みづらかった。例えば、原作で呪文を唱えるシーンが、その呪文がお経になっていたり、など。