福田恆存のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ中世の二人の真っ直ぐな恋にドキドキし、二人を取り巻く境遇や運命にハラハラさせられる作品。
対立する家柄の二人が恋に落ちて...と言う設定には凄く気持ち揺さぶられますね。
話の流れは非常に面白いのですが、訳が私には合わなかったです。
まず、古文の様な言い回しが非常に読みにくく、登場人物の口調がバラバラな上に
江戸っ子のような口調で会話するのでヨーロッパらしさを感じない。
また、要所要所で仏教用語が挟まれるのですが、こちらもヨーロッパらしさをかき消しています。
好みあるかと思いますが、この点で他の訳を読むことをおすすめします。
(他の訳は読んでいないので、どちらがおすすめかはわからないです。)
本書は舞台の脚本形式のため、この点でも読む人を選ぶかもしれません。 -
Posted by ブクログ
1606年頃に成立したシェイクスピアの戯曲。
『リア王』『ハムレット』『オセロー』と並び、シェイクスピアの四大悲劇と称される。
本作の主人公であるマクベスは、実在のスコットランド王(在位1040-1057年)をモデルにしている。
マクベスは、反乱軍の鎮圧に成功した帰路、目の前に現れた三人の魔女から「いずれ王になる」という預言を受ける。
初めは預言を信じなかったマクベスだが、徐々に王位への欲が芽生える。野心家の妻が焚き付けたこともあり、遂にダンカン王を暗殺し、王位に就く。
王となった後、マクベスは自分の地位を脅かす者への恐怖から幻覚・幻聴に悩まされることになる。
マクベス夫人も錯乱し、やがて亡くなる。
心の拠り所を失ったマクベスはより一層の暴政を強いるようになり、これによって貴族のバンクウォー、その子であるフリーアンス、ファイフ領主のマグダフなどが反乱を起こす。
上記があらすじ。
本作で描かれるのは、「預言」に翻弄される人間の姿である。マクベスは、これによって自分の本質を見失い、狼狽し、周りの人間への不信と不安に押し潰され、最期には破綻する。
「預言」は色々なものに置き換えられる。
「運命」、「野心」、「常識」、「社会」、、、。
どれも強力なものだが、これらの侵食から自分を守るのは、自身のビジョンであると思う。明確に自らの行く先を定め、軸をぶらさないことが必要なのだ。
この戯曲が長い時を超えて、国境を超えて多くの人に届いているのは、それが取り扱うテーマが本質的であるからに違いない。
邦訳も平易で、読みやすい。時代背景や宗教的価値観の理解もほとんど必要ないので、シェイクスピア入門に最適ではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
シェイクスピアの四大悲劇の中で一番短く、「未必のマクベス」を読んだ影響もあり読んでみた。
武将マクベスが、「あなたは王になる」という魔女の予言を信じて野心を露わにし、殺人も含め権力に執着する話。
あらすじとしては単純で、話の長さも短いため読みやすい。ただ、時代背景への理解や人間の心理に焦点を当てて考え出すと深みのある内容になっている。
マクベスのように、みんな内心には野心を持っている。魔女の予言という非科学的な示唆に対して疑いを持ちつつ、予言通りの実行を望んだのは、まだ科学より神の信仰が強く、王家の権力が絶大な時代だったからなのか。
そこの選択を誤らなければ人の道に背くこともなかったのか。
(臆病な私なら、いずれ王になると言われても殺人する勇気はない。王になると言われたのなら黙って待ってようと思ってしまいそう)
私としては「悪い嫁持ったなー」とあわれんでしまう笑
人を殺しておいて何故これが悲劇?と思ったが、
予言と嫁に唆されたから?と思ってしまう。 -
Posted by ブクログ
シェイクスピア原作の戯曲。(台本と言ったほうがわかりやすい?)
スコットランド王のもとで活躍するマクベスが、3人の魔女の言葉をきっかけに、自身の野心を抑えきれず変貌する。しかし、自らも自身の野心や罪に怯えるようになりおかしくなっていく。
マクベスや夫人が野心に魅入られ落ちていくさまは、現在の戦争や政争とも共通する部分があり、悲しさと虚しさが強く心に響いた。外国の作品、かつ、昔の作品ということもあり読み進めるのは少し難しく、また、展開もかなり早く何度も読み返すことになったが、細部を追うよりもマクベスたちの心情を追うように読み進めるのがよい。なお、後半の解説で、筋書きの背景や謎についても説明をしてくれている。 -
Posted by ブクログ
巻末の解題と解説において、ユダヤ人であるシャイロックは単なる都合の良い悪役にすぎず、物語の枠を越えて評価すべきでない云々とされているが、少々その評価には疑問を感じざるを得ない。それは、あくまで文学研究者としてのポジショントークのように感じる。この『ヴェニスの商人』は、現代の娯楽小説や少年漫画のような単純に大衆受けを狙ったものではなく(当時のイギリスではそうだったのかもしれないが…)、もはやこの作品は「古典」である。この『ヴェニスの商人』をジャンプの王道漫画のように、娯楽として楽しむことができる人ならともかく、多くの人は古典として読む以上、時間的な距離と共に評価自体も距離を明けておく必要があるだろう。
その上で古典に何を求めるかはそれぞれ自由であるが、私としてはこの古典から今、そしてこの先の未来に何が活かせるかということである。私は法学徒であるため、この作品を法学的な観点から考えることにした。『ヴェニスの商人』を法学的な立場から考察したものにはイェーリングの『権力のための闘争(Der Kampf ums Recht)』があり、そこでも挙げられているが、裁判におけるシャイロックの主張に注目したい。シャイロックやポーシャや公爵は、契約の内容を守らせることは法治国家としての秩序を維持するために重要であるという認識を共有している。法治国家を守るためには、法を間違った方法で解釈してはいけないということも分かっている。アントーニオの肉を切り落とすことは確かに良くないかもしれないが、法を曲がった方法で解釈すれば、国家全体を揺るがしかねないと。
余談ではあるが、日本の現行民法である90条を持ち出して公序良俗違反により契約自体がそもそも無効であるということも主張可能であるようにも思える。だが、民法90条はそもそも日本の法律であり、この条文は一般条項として最終手段として用いられる非常に曖昧なものである。さらには、16世紀のイギリスと21世紀の日本の公序良俗という時間的にも空間的にも大きく離れたものを比べるのは、あまり実益がないように思えるため今回は省略とする。
ここで少し話が変わるが、最近「テロリストが人質をどこかに監禁している。テロリストは人質に爆弾を仕掛けていつでも爆発できる。警察は人質の場所が分からない。そこで、警察はテロリストを拷問して場所を聞き出すことは許されるか」という議論になった。この議論の一つの主張に「一度拷問をしても良いという前例ができれば、それを拡大解釈して時の為政者が自分の都合の良いように拷問を行いかねないため、前例を作らないためにも拷問も絶対に許してならない」というものがあった。
この話と『ヴェニスの商人』の裁判には繋がりがあるように思える。アントーニオを救うために法を曲がった解釈すれば法治国家が崩壊する。
そして、この論理はこの裁判に限ったことではない。ポーシャはバサーニオに婚約の際、指輪を渡し「これを決して手放してはならない」と言った。しかし、バサーニオは友人を救った裁判官(ポーシャ)に恩返しをするために、やってはならないと厳命された約束を破った。一見良いことのように思えるが、それは結果的にバサーニオとポーシャの婚姻自体を崩壊させるほどのものでもあるように思える。
また、ポーシャはあくまで冗談ではあるが、指輪を受け取った裁判官からその指輪を取り返すために体を許してしまったとバサーニオに告げるシーンもある。指輪を取り戻すためには浮気せざるを得なかったという言い訳もできるが、これもまた婚姻を崩壊させる理由には十分だろう。
この『ヴェニスの商人』を法学的観点から考えると得られる教訓は「良いことのために多少の悪いことをするのを許せば、それは結果的に巨悪を生み出してしまいかねない」ということであると私は考えた。
この考えは、シェイクスピアがこの『ヴェニスの商人』を書いたときに意識したものをかなり越えた解釈であるだろう。しかし、現代に生きる私たちは時間的隔たりのある古典をそのままに解釈するのではなく、現代という視点から新たな解釈を付け加えることが求められるのではないだろうか。