福田恆存のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
夜の夢は妖精に弄ばれる人間たちの滑稽な恋愛模様が繰り広げられます。説明は詳細にしないとだめですね。そもそもなぜこのいたずらっこのような要請に頼んじゃうの王様と突っ込みをいれたくなります。最後は無事幸せになってよかったですね。
あらしは、もと王様が復讐を果たすべく自分が追いやられた島に、犯人たちを導き、思う存分嫌がらせした後、満足して国に帰る話ですが、こき使われる妖精がだんだんとかわいそうになります。最終的に自由になったものの、読んでる間、やっぱり自由にするのやめたとか言い出したらどうしようかとちょっとはらはらしました。どちらもハッピーエンドな流れで読みやすかったです。 -
Posted by ブクログ
今月の千年読書会の課題本となります。
子どもの頃に読んだ覚えがありますが、学生時代はどうだったかな。。
うろ覚えながらもイメージ的には、
勧善懲悪なカタルシスのある喜劇、との感じでした。
粗筋としては確かにその通りで、、
当時は16世紀、大航海時代を謳歌する海洋国家“ヴェネツィア”、
そこで海運業を営む一人の商人とその周辺の人々の物語となります。
その義侠心あふれるヴェニスの商人“アントーニオー”が、
手元不如意な友人“バサーニオー”の結婚資金?を用意するため、
ユダヤ人の金貸し“シャイロック”から借金をすることに。
その担保は、航海中の積荷と自分の“1ポンドの肉”。
あえなく難破し、シャイロックから担保を求められることに、、
実際に執行すればアントーニオーは死ぬしかない状態と、追い詰められます。
そんなアントーニオーを、バサーニオーが求婚しているポーシャが、
裁判官として変装し、法を曲げることなく法の解釈の厳格化で救います。
のみならず、シャイロックにカウンターの痛撃をくらわせて大団円、
となるのですが、、シャイロックというか“ユダヤ人”の扱いがなんとも酷い。
今の時代にこれを発表したら、人種差別として炎上するでしょう、、
それほどに、ユダヤ人に対する排他的・憎悪的な描写が色濃く。
喜劇のシナリオとして描かれていることからも、
これは、当時の時代の空気を投影している内容でもあるのでしょうが。
一応、当時のヴェネツィアは信教の自由はあったはずなのですが、うーむ。
シェイクスピアが執筆していたのは、イタリア・ルネサンスがまっただ中、
寛容と多様性に彩られた、古代ギリシャ・ローマの文化が戻りつつあり、
排他性に塗り込められた、暗黒と言われた中世から抜け出しつつあったはずですが、
それはあくまで“キリスト教”の中での復興でしかなかったのでしょうか。
“キリスト教徒は、非キリスト教徒に何をしても許される”
そんな価値観が浮かび上がってくるなぁ、、とは穿ちすぎですかね。
当時のユダヤ人に対する、キリスト教徒の感情を読み取ることもできますが、
逆の立場であったならば、キリスト教徒はユダヤ人を“無条件”で助けるのだろうか、と。
最低でもキリスト教徒への改宗を強要するのではないかな、なんて、
シャイロックの娘の言動を見ながらも感じてしまいました。
ん、物語の筋としては王道で、一発逆転としてのカタルシスも心地よい、
そして、当時の空気をどこまで踏まえているのかはわかりませんが、、
ユダヤ人の蔑まれようを、シャイロックの引き絞るような“言葉”として、
さらりと描き出しているシェイクスピアはさすがだな、と。
個人的には、文中では“惻隠の情”なんてフレーズを訳語として使うのなら、
日本的な“三方一両損”的な結末の方が好みかなぁ、と徒然に。 -
Posted by ブクログ
1930年、D. H. ロレンス最後の著作とのこと。
本書の冒頭と最後で語られるところによると、ロレンスは少年時代から既に、キリスト教の「道徳臭」がイヤでたまらなかったようだ。この感覚はおそらく、19世紀末以降は普遍的にヨーロッパ人に共有された「時代の空気」であったろう。
ロレンスは「黙示録」はキリスト教の文脈にさえそぐわない、異教的で、破壊への情欲に満ちたシロモノだと断ずる。そもそも「黙示録」の著者とされるヨハネと「ヨハネ福音書」の著者とされる人物は別人だと主張する。「黙示録」ではもともと異教趣味に満ち、イエスの「愛」にまったくそぐわないような、強者への復讐の願望/怨恨にあふれた書物であり、しかも後代何人もの手によって著しく改変・補筆・削除されたものだという。
弱者ユダヤ人が復讐をもくろんだというテーマは、ほとんどニーチェ的であるが、本書の中にはニーチェのニの字も出てこない。
しかし私の興味を惹いたのは福音書についての考察ではなく、本書の最後に出てくる思想だった。
「この世に純粋な個人というものはなく、また何人といえども純粋に個人たりえない。大部分の人間は、もしありとしても、ごくかすかな個人性を所有しているにすぎぬ。彼等は単に集団的に生活行動し、集団的に思考感情を働かせているだけで、実際にはなんら個人的な情動も、感情も、思想ももちあわせていないのである。彼等は集団乃至は社会的な意識の断片にほかならない。」
「民主主義においては、弱いものいじめが権力にとってかわることはまさに必然なのだ。・・・畢竟、近代の民主主義は、各自がそれぞれの全体性を主張してやまぬ無限の摩擦し合う部分からなっているのだ。」(P207-210)
「個人、クリスト教徒、民主主義者は愛しえぬ」というペシミズムは強烈で、私もまた共感をさそわれるものだが、ロレンスが吐露したこの書物には思想的構築性はない。彼は何より文学者なのだ。「コスモス」を憧憬する彼の願いは、非常に良く理解できるものの、具体的な解決の糸口は見えない。
黙示録論そのものよりも、この書の最後に叩きつけられたペシミズムがすこぶる印象的であり、これをいかに受け取るかという難問が、読者を襲うだろう。
その意味ではとても刺激的な本だった。これに惚れ込んだ福田恆存の気持ちもわからないでもない。 -
Posted by ブクログ
ローマ人はシーザーを神の如くあがめているが、見る目のある人々は、その先に見え始めた独裁者による圧政に脅威を感じ始めている。
キャシアス リアリスト 冷静 黒幕的政治家 潔い
ブルータス 慎重 高潔の士 それほど明晰ではない 心が広い どういう人なのかよく分からない 単純
シーザーの代わりにブルータスをあがめる シーザーに重用されないからブルータスの下につく シーザーへの嫉妬
トレボーニアス メテラス ケイアス・リゲーリアス キャスカ
政治の重要な決定を高潔の士、偉大な人物が下す事はほとんど無い。
アントニー シーザー側のキャシアス
ボナパルトを愛するが、ナポレオンは愛さない、ってことかな。
一般市民にはシーザーもブルータスも変わらない。崇拝できりゃなんでもいい。
暴君にはクーデターを。そして暴力にはそれ以上の暴力をもって報いられる。
愛情という奴は、消え衰えかけると決まってわざとらしい儀礼を用いはじめるのだ。」
ここで、マクベス夫妻を思い出した。
革命は、それを始めた人間のものではなく、終わらせた人間のものなのだ。
罪を犯す怖れがある、という理由で断罪してはいけなかったのだ。