福田恆存のレビュー一覧
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シェイクスピアの初期の喜劇。
いかにも試行錯誤を続けた感じ。じゃじゃ馬ならしの最初に出てくる酔っ払いの効果や空騒ぎの急激に変化する人間関係など、役者が自由に動いている感じはあんまりしない。一生懸命、筋を成り立たせようとしている感じ。
そうではあるが、すでにことば遊び、目まぐるしいナンセンスの応報、ずれた人間関係のパーツとその解消、たくみな心理要因を活かした関係の色彩といった、今後シェイクスピア花開かせていく力の数々の萌芽はもう十分に感じられる。
あまりのナンセンスの多さに、訳者は大変苦労されたのではないかと思うが、厳密な意味での訳ではなく、多少意味を損ねても、その勢いや快活さを壊さぬよう、苦心 -
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深夜ドラマでこの作品を知って、いつか読まなきゃと思いつつ5・6年経ってしまいました。オスカーワイルドや彼の他の作品については何も知りませんでした。
肖像画が本人に代わって年をとる、というストーリーがわかりやすかったので、読みづらい文体でも読み進むことができました。特にヘンリー卿の(ワイルドの?)人生観が多すぎるくらいに散りばめられていたので、ひとつずつ咀嚼していたら時間がかかってしまいました。でも、印象に残る台詞ばかりで、納得するところも多かったのでとても興味深かったです。女性観については女性として、おや?と思う部分もありましたが。
美という芸術に捕らえられた少年が「罪」を巻き込んで「成長 -
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四大悲劇(ハムレット、オセロ―、リア王、マクベス)執筆の直前に書かれた政治劇で、そのほぼ全てをプルタークの『伝記』から取っている。
英国では、知識人・エリートと呼ばれる人々はみなシェイクスピアを読んでいると言われるが、中でも、現在最も読まれているものは本作品であろうと言われ、教科書にも取り上げられているのだという。
本作品では、シーザーが絶命寸前に言った「お前もか、ブルータス?」の台詞があまりにも有名だが、クライマックスはむしろ、ブルータスがシーザーを暗殺した後、市民の前で、「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのである」と演説して市民を納得させた直後に、シーザーの腹心であったアン -
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血を血で洗う薔薇の戦争
約束は脆く、愛は偽り
突き動かすは復讐の炎
他の悲劇とはその動き方が違うように感じられる。悲劇の歯車がひとつひとつ噛み合って徐々に動き出すのに比べ、リチャード三世はすでに悲劇が動き始めた状態で幕が上がる。人を呪わば穴二つ、因果応報、どのような形にしろ、不条理な形で死を迎えるのではなく、始まりからすでに血にまみれた死の臭いが漂い、物語全体が果てのない復讐で包まれている。
父を殺され、夫を殺され、子供も殺される。憎い敵でも、偽りの愛だとわかっても、結婚せねばならぬ。それはただ、ランカスター家だとかヨーク家に生まれたがため。たとえ王の前で、神に誓って手と手を取り合っても、も -
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遠く離れた森の中
愛と嘲笑が交差する
お気に召すまま暮らす中
それでもすべてが調和する
暗い出来事が下地となっているのに、どういうわけか悲劇とならない。それは、愛の力が初めからひとを結びつけているからか。その愛を育むのが、人里離れた森の中。屋敷にあのままロザリンドたちがとどまっていたら、きっとマクベスやオセロ―のように悲劇になっていたんだと思う。背景の描写は細かくなされていないのに、確かに存在感があるアーデンの森。劇のときは、やはりこの森をどう表現するか演出家や舞台さんの力が求められるところ。疲れ切った心を和らげ、愛の力が存分に発揮される森。
愛という夢を紡ぐのは、男装したロザリンド。男性と -
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シェイクスピアの最後の作品「あらし」に加え、メンデルスゾーンの結婚行進曲でお馴染みの「真夏の夜の夢」
あえて夏の夜の夢と訳した理由もキリスト教の文化圏から考えると納得できる。
どちらの作品も妖精が物語に重要な役割を果たしていて、物語性がより一層増している。また、下地になる作品がなく、ほぼシェイクスピアの想像の世界でできている。
どちらの作品にもこれまでの悲劇作品のような愛憎劇が多分に盛り込まれているのにも関わらず、それを超越した力で喜劇にまとめ上げているところに、シェイクスピアのひとつの終着点がみえる。
だが、どうしても作品が短いためか、その転換が煮詰まらないまま成されているような気がしてしま